ヒトが放つことのできる、いかなる矢よりも早く。
白い塔の操作室。
ハノーバの街を焼こうとしていた
ついに対決の最終局面だ。
この塔のボス、ヴァイスラーベ(それにしてもこいつ男なの?女なの?)が、優雅な足どりで近づいてくる。僕は、シーツを被った
こ、これはビビってるんじゃないぞ。いわゆるムシャブルイってやつなんだからな! コンソールの上に置かれた魔道具……ハイエルフ・ジャマー・ボタンに見せかけたラット・ジャマー・ボタン……を、あの美形が手に取ったとき。
何もかも一瞬で決着がつく。
……僕の死を含めて。
そして。
僕が持ち上げていた案山子が後ろの壁に当たり、同時に、ハイエルフ野郎がコンソールの前に立った。シーツの粗目から、ヴァイスラーベがその白く長い指でボタンを手に取るのが見えた。
「これは……!」
ヤツは呟き、微笑んだ……
「なるほど。確かにこの魔道具には、ふたつの特徴があるようです。貴方がた『数字で呼び合う者たち』特有の手作り感と、何かの認識を捻じ曲げる作用が。もっとよく確かめる必要がありますが、とりあえずこれで十分です。それでは、約束を果たしましょう。確か、
キタキタキターっ!
ここだっ!
さあ、やれっ、ヴァイスラーベ!
僕を『ざまぁ』させるために、僕の目の前で
「やはり、撃つことにしましょう。それがわたくしの仕事ですから。しかし……」
ん?
「表示盤が故障しているようです。これを直さなければ使えませんね。先に別の仕事を片付けることにしましょう……」
えっ、えーっ!? しまった!
「貴方は、ここで死ぬのです!」
<< normal size <<
それは、クラインの誤算だった。
彼の小さな頭が必死でひねり出した計画では、美しきハイエルフ様はクラインを殺すよりも先に、まず
怒りに流されたヴァイスラーベは、まず、その突起……スイッチを押すはずだ、とクラインは思い込んでいた。そしてその操作の後に、クラインは殺される……ように見せかけて、そのまますぐ脱出する予定だったのだ。
「貴方は、ここで死ぬのです!」
美しきヴァイスラーベがその美しき声で叫んだとたん、
ヒトが放つことのできる、いかなる矢よりも早く。
次の瞬間、騎士たちは侵入者を取り囲み、一斉に剣を突き刺した。彼らの剣は、それがまるで布を被った案山子であるかのように抵抗なく突き刺さったが、騎士たちはそのことをまったく不思議に思わなかった。
なぜなら、美しきハイエルフ様の技術で作られた剣を騎士のちからで振るうなら、相手が案山子だろうが肉体だろうが鉄塊だろうが、まったく同じ手ごたえになるからだ。本物の悪魔に本物の聖剣が刺さるかのように、何も感じない手ごたえを。
そして、彼らのカラクリの視覚は確かに捉えていた。
布の下の……
生命反応が消失したことを。
もっとも。
もし彼らのカラクリ視覚に、いささかの不調もなかったのなら。
剣が突き刺さる寸前に、小さな生命反応が消えたことに気付けたかも知れない。まるで、小さな命が彼らの認識を歪める魔道具を大慌てで引き寄せたかのように。
「爆発物に警戒せよ!」
そして、美しい主人のために率先して死ぬ栄誉を授けられたひとりの騎士が、布に包まれた死体を(と思わしきモノを)何度も踏みつけた。感激と誇りを噛み締めつつ、こいつ案山子みたいな感触だな、と思いながら。
もし、ここに。
美しきハイエルフ様と何の関わりもない人物がいたとしたら。
布の下から、人形のような小さな何かが飛び出すのが見えただろう。たまたま運良く剣と剣の隙間に居たために斬られずにすんだ何かが。そしてその何かが、金色の粉を撒き散らしながら部屋じゅうを飛び回る姿も見えただろう。
いっぽう。
騎士たちが侵入者を串刺しにして、そして爆発物を警戒して調べているその短い時間の間に、彼らの美しき主人には、ありえざる事態が降りかかっていた。
「……何が起きているのです?」
美しきヴァイスラーベは、呆然と部屋の中を見回した。
血痕が、消えていく!
部屋中に飛び散っていた、ナンバー18のものと思われる血しぶきが、綺麗さっぱり消えてしまった! まるで、それを描いていた魔法のインクが解呪されたかのように!
同時に。
真っ暗だった3枚の表示盤が、黒い覆いを消されたかのように、本来あるべき『絵画』の姿を取り戻した。そこに見えた3枚の絵画は……
右側の表示盤、ハノーバの南地区が描かれていたはずの板には、ブルーダとシュベスタのふたつの月の光景と、そこに重ねられた砲の照準が見えた。
左側の表示盤、
そして中央の表示盤には。
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自動防衛砲が手動様式になっています
自動防衛砲の発射の予約を一時停止しています
自動防衛砲が雨水乾燥様式の照準に固定されています
自動防衛盾が手動様式になっています
自動防衛盾が閉じた状態で固定されています
自動防衛砲の発射予定時刻まで
あと 00:00:18 の
残り時間にて停止しています
-------------
「……何ですと!」
いつのまにか設定が変えられているではありませんか。このまま予約実行スイッチを押したら、大変なことになっていたはずです……こんな自爆のような非合理的な設定が可能だとは、とても信じられません。わたくしはナンバー18のちからを見誤っていたのでしょうか……
ヴァイスラーベはそう思ったが、その考えは半分正しく、半分間違っていた。
もともと、美しきハイエルフ様は、ゴーレムに対しても決して口答えを許さない。したがって、非常に優秀な処理能力を持っているはずの操作卓というゴーレムもまた、その操作権限を持つ主人に限るが、どれだけ非合理的な命令や設定であってもそのまま受け入れてしまうように作られていた。
愚王に従う愚臣のように。
>> small size >>
このビチグソ野郎!
……おっと、美少女妖精にはあるまじき台詞だったぜ。
この美しきハイエルフ野郎!
何であたしを殺す前に、予約の再起動スイッチを押すのを見せつけて、あたしに鮮やかなる『ざまぁ』をしないかなあ。焦ってんのかよ。
判ってないなヴァイスラーベ!?
そこはお約束だろヴァイスラーベ!
おかげで、あたしが自分でスイッチを押さなきゃいけなくなっちゃっただろ! たとえハイエルフ・ジャマーがあったとしても、もう死んでるはずのあたしがそれを押したら、お前は俺の死を疑ってしまうだろ!
でも、しょうがない。
まったく、もうっ!
騎士のボコりから間一髪で脱出した僕は、すかさず変身した。さらにあたしはドクロの指輪を振りかざして飛び回り、ダミーの血痕とデイスプレィの覆いを消したんだ。ホントはこれだって最後まで残しとく予定だった。でも今は、お前の注意を少しでもそらすために、これを消さなきゃいけない。
そして……!
カチリ。
<< normal size <<
カチリ。
操作卓の、とあるスイッチが、押された音がした。
すると……
表示盤の文章が、変化した。
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自動防衛砲が手動様式になっています
自動防衛砲の発射の予約中です
自動防衛砲が雨水乾燥様式の照準に固定されています
自動防衛盾が手動様式になっています
自動防衛盾が閉じた状態で固定されています
自動防衛砲の発射予定時刻まで
あと 00:00:18
発射中止の場合は
緊急停止
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「あーーーーっ!」
ヴァイスラーベは絶叫した。
再起動している!
なぜ!? 誰が!?
騎士たちが駆け寄って来たが、美しき主人は彼らに言葉をかける余裕はなかった。
剣が突き立つナンバー18の死体?をヴァイスラーベは一瞬だけ見た。
まさ……かぁ!?
ただちにヴァイスラーベは、魔付ボタンを握りしめたままの右手の拳を、クラインが『たっちぱねる』と呼んだ板へと叩きつけた。
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自動防衛砲が手動様式になっています
自動防衛砲の発射の予約中です
自動防衛砲が雨水乾燥様式の照準に固定されています
自動防衛盾が手動様式になっています
自動防衛盾が閉じた状態で固定されています
自動防衛砲の発射予定時刻まで
あと 00:00:13
発射中止の場合は
緊急停止
生体信号を認識しました
ようこそ
美しきヴァイスラーベ・パラディースアウフ・トゥルム様
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もう、設定を変える時間はない……
美しきハイエルフ様は、そう思い込んでしまった。
風を切る勢いで、ヴァイスラーベは緊急停止ボタンを左手のひらで叩いた……
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自動防衛砲が手動様式になっています
自動防衛砲の発射の予約中です
自動防衛砲が雨水乾燥様式の照準に固定されています
自動防衛盾が手動様式になっています
自動防衛盾が閉じた状態で固定されています
自動防衛砲の発射予定時刻まで
あと 00:00:10
発射中止の場合は
緊急停止
--------------
止まらない。
ヴァイスラーベはもう一度、緊急停止ボタンを叩いた。
止まらない。
さらに叩く。
止まらない……!
美しきハイエルフ様は、ふと、気付いた。
緊急停止ボタンを収めた小箱が、操作卓に固定されているはずの小箱が、叩いただけなのにずれている。ありえないことが続いたために何も考えられなくなった賢く美しきヴァイスラーベは、冷静なときならば他にも対処する方法を思いついたかも知れなかったが……
そのときは。
ヒト族の間抜けのように、ただ、その小箱を持ち上げて、ぼんやりと見つめた。小箱から、だらんと紐がぶら下がる。停止の命令を伝えるはずのその紐の末端は、切断されていた。
まるでネズミに
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自動防衛砲の発射予定時刻になりました
自動防衛砲を手動様式にて発射します
自動防衛盾が手動様式にて閉じた状態で固定されています
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次の瞬間。
操作室の天井全体が赤く光った。その光は同時に発せられた熱と共に、またたくまに強くなり、さらにその色は赤から白へと変わり、やがて天井はばらばらに砕けて下に吹き飛んだ。
マントを広げた
ヴァイスラーベを覆っていた防御魔法のベールはまだ耐えていたが、それが破れるのも時間の問題だった。衝撃に目を見開く美しきハイエルフ様は、視界の端に、飛んで行く金色に輝く球体を見たような気がした。
いにしえの賢人は問うた。あらゆるものを貫く槍と、あらゆるものを弾く盾がぶつかるとき、何が起きるのか、と。
その答えのひとつが、ここにあった。
真上に向かって発射された
もし魔力に鋭敏な者が近くにいたら、一瞬の間にそんなやり取りが数百回も繰り返されて、ありえないほど魔力が凝縮されたことに気付いただろう。その結果として生じたのは、砲と盾両者の激しい崩壊、いや、爆発だった。
ドォォォンッ!!
火山の噴火もかくやと思うほどの勢いで、塔の先端が爆発した。砲と盾の破片が、ドラゴンのブレスのような炎の尾を引いて、四方八方に飛び散った。
ゴゴゴゴゴゴゴ……
次いで、不気味な轟音と共に、白き塔にはその先端から基部まで縦に何本もヒビが入った。
「ニャニャニャニャニャニャ!?」
ケットシー族のマヌーは、ぽかんと猫口を開けてその光景を見ていた。驚きのあまり、しまい忘れた舌が口の端から垂れ、その尻尾はぶわっと膨れていた。
「あちゃー、これって早く逃げたほうがいいんじゃないの?」
赤毛の髪と大きな胸を揺らして、不安そうにあたりを見回すフレーメは、近くに破片が落ちるたびにビクッと身体を震わせた。
彼女はついてきたことを後悔していた。主人クラインが白い塔に向かったかも、と、うっかり口を滑らせたことも後悔していた。主人の友人であるマヌー様と、特職仲間のゴブリン少女……ブ
「見てください! あそこです!」
ブ
「ニャ、にゃにも見えないニャ」
「わかんないよぉ!」
彼らは、ここまで夜の街を白い息を吐きながら駆けて来た。お祭りと避難騒ぎで手薄になった貴族街の検問をすり抜け、白い塔の広い敷地を囲む塀までたどり着き、そしてこの爆発に出くわしたのだった。
「あのかたの魔力を感じます!」
やがて、飛び散る破片と煙の中から、満月のブルーダぐらいの大きさに見える赤い円盤が姿を現した。ブ
「ニャ、あれって、まさか……!」
「また変なカッコになってるよ!?」
「おかえりなさい、ご主人さま!」
>> small size >>
ああ……つ、疲れたよう……
これじゃ生存者はいないよね……ハイエルフどもの命なんか冒険者どもと同じくらいどうでもいいけど、イチワリことナンバー18が死んだって報告するヤツがいないのは困っちゃうよぉ……
あ、破片が当たった。
ぽん、と音を立てて通常モードの妖精の姿に戻るあたし……
あれ……
なんか……
落ちてない?
げっ、羽根がボロボロだ……
うう、変身まで解けそうな気がする……
だ、だめだ、まだ地面まで30メートルくらいある。俺にとっては10階建てマンションの屋上の高さだ。変身が解けたら……
変身し直せば羽根は復活すると思うけど……でも、もう、ちからが出ない……
ああ、幻覚まで見える……
緑の目に涙をため、可愛らしい顔に痛いような微笑みを浮かべ、爆風に緑の髪と笹耳をなびかせて、地上で両手を広げて俺を待つ、巨大な美少女……
……知ってる天使。
ついに変身の解けた素の俺は……
その白く豊かな胸元に……
吸い込まれるように落ちていった。
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