ザ・リトル・エスケープ

 ハイエルフとの「対話」を終えて、ネズミ形態のは、命からがらヤツの寝室を抜け出した。長耳を切り落としながらも、クラーニヒは気丈に部下の紅の騎士クリムゾンたちに命令しているようだ。


 しかし、俺っちは騎士たちが動く前に、その足元の隙間を駆け抜けていた。勢い余って寝室のその先、続き部屋スイート・ルーム居間の床をごろごろと転がった。


 げえっ、この部屋にも騎士が何人か居るじゃないか!


 ネズミ視覚!


 この部屋には安全地帯セーフティ・ゾーンは……無い!? えっ、なんで、と思ったら、騎士のひとりが振りかざした魔道具から……シューシュー煙が吹きだしている!


 うっ、ヤ、ヤバい~ 少し眠くなってきた! あの煙は敵だけに効く眠り薬か! こういうのが一番怖かったんだよな~


 もし完全に眠ったら、いくら奴らの視覚や探知から透明だったとしても、手探りの人海戦術で見つかってしまう! ふらふらする頭で見回すと、ネズミの道ラット・ロードの軌道が、壁際のソファをジャンプするように山なりに越え、その向こうに続いているのがえるじゃないか!


 俺っちは最後のちからを振り絞ってソファをよじ登る。ううっ、身体が重い。尻尾を後ろから誰かに引っ張られているかのようだ。やっとの思いで背もたれを越えて、その裏側へとずり落ちる。


 あっ、穴だっ! ソファに隠れていた、ネズミ穴を見つけた!


 俺っちはその中に潜り込んで、後ろを振り返り……




「チュウウウウウウウッ!」


 ネズミみたいな悲鳴を上げた。



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 美しきハイエルフ様、クラーニヒは、紅の騎士クリムゾンたちから高級回復薬ポーションを頭から滝のように掛けられた。クラインが言うところの『しょうが』の匂いが立ちのぼる。金髪の濡れ髪が白い肌に張り付く美しさに思わず見とれて、部下たちはほうっとため息をつく。


 クラーニヒは自分の手で、長い耳がちゃんと元通り生えていることを確認すると、紅の騎士クリムゾンの隊長に顔を向けた。


「……先ほどのご指示通り、この建物のすべての扉を封鎖、眠り雲をまいております。いずれクセ者は捕らえられるかと」


 隊長の答えに、クラーニヒはうなづく……が、そこで、はっとした顔で叫んだ。


「この部屋を調べなさい! いますぐ、徹底的に!」


「見えない賊を見つけだすのですね。ただちに」


「違う ! わたくしの装身具を探すのです! 再優先で!」


 仮面の騎士たちはあわてて床に這いつくばり、そのの機能を最大限に上げてアイテムを探した……


 ほどなくして、見つかった装身具の小山が、茶器の銀盆に載せられて捧げられた。それらのうち、美しきハイエルフ様は曲がったマドラーのようなものを震える指で取り上げ……それを投げ捨てて叫んだ。


「ただちに拠点まで戻ります!」


「えっ、賊の捕縛や、冒険者ギルドの件はどうなさるのですか?」


 隊長は、とまどうように尋ねた。


「そんなもの、後でいい。支度を急ぎなさい!」


「しかし、美しきクラーニヒ様……」


 クラーニヒはその顔をうぶな少女のように清らかに美しく赤らめると、銀盆の上の魔道具を掴み、それを無造作に振って悲鳴のように叫んだ。


「わたくしに便所壺を使えと言うのですか!?」


 アラクネのやいばは、隊長の左腕と、三人の騎士の命を奪っていた。素晴らしき主人の手にかかって死ねるのは、名誉ある殉職と言えよう。


 そして、その亡くなった騎士の中には、クラインのであるゴラズとブリナを死に追いやった者も含まれていた。しかし、間接的にそのかたきを討ったという事実を……


 小さき者クラインが知る機会は、おそらく無いだろう。



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 うわっ、うわぁ……


 眠り薬の届かない穴の中で、俺っちはを見つめた。


 尻尾の先端に……あの真偽判定アクセサリーのひとつが引っ掛かり、それに……切り落とされた耳もくっついているじゃないか!


 びっくりしたっ、うわっ、気味わるっ!


 このせいで余計に尻尾が重かったのか! 残っていた眠気も吹き飛んだぜ!


 あわてて俺っちはを尻尾から外し、そこらに投げ捨てよう……と、したが、少し考えて耳もアクセサリーも魔包リュックに押し込んだ。気味わるいけど。得てしてこういうアイテムが、魔法のある世界では後で役に立ったりするんだよな。


 意識し過ぎかもしれないけど!


 ……ちょっびっとアクシデントはあったが、俺っちは逃走を再開する。壁の裏、天井裏、床下をつたい、外れた雨どいを抜け、ついに外へ!


 雨は、すっかり雪に変わっていた。この町の初雪だ。


 宿屋の建物を出た俺っちは、デカ猫の前の水たまりにビチャッと着地する。

 雪降る暗い町かどの路地で、猫とネズミが向き合う。


「ただいま」


「クライン、うまくいったかニャ?」


 はねた泥に顔をしかめながら、マヌーは言った。


「まあまあかな」


 これからも大変だけどさ。いや、これからのほうが、ずっと大変だけど(断言)。


「さあ、仕上げだ。馬車の駅へ。あれば夜行便で、無ければ朝イチで、できるだけ遠い町へ」


 こういうとき、前世の物語のセオリーじゃ、容疑者が一番遠い所に逃げたんじゃ逆に捕まりやすいから避ける、って考えがあるから、俺っちも途中で乗り換えるつもりだ。


 それでもやっぱり、色々意識し過ぎかな~


「……まったく、ケットシー族の虐待にゃ」


「そう言うなよ。お土産もあるんだぜ。……ご披露はどこかの宿に落ち着いてからだけどさ」


「楽しみにしてるにゃ」


 マヌーはその前足、じゃなかった右手を握って突き出し、短い親指とその長い爪をピン!と、立てた。


「それって、俺っちのマネだろ」


「なんとなく、かっこいいからニャ」


 俺っちもまた、同じように自分の親指を立てた。



 雪降る中。


 今はたったひとりの、に向かって。


 

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