やれやれ、厄介なことになったらしいぜ。


 絶対にここから出てくるな、とゴラズさんに言い含められて、は舞台の床下に押し込められた。客席が、いや芝居小屋のテントの外が騒がしいけど、いったい何があったんだ……?



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 その高級馬車の隊列は、先触れもなく突然、ツーフェ町にやって来た。


 町民たちは、2台の馬車と騎馬隊に掲げられた紋章に気付いたとたん、あらゆる扉と窓を閉じ、カーテンを引き、ありったけの家具を内側から扉と窓に押し付けた。通りからヒトの姿は消え、みな建物の中で恐ろしさに震えた。ときおり、不安におびえる子どもの泣き声が聞こえた。


 しかしその声は、親に何かされてんだ。


 通報を受けた衛兵は町を見回り、気付かず外を歩いているヒトを見つけると、家へ帰るように呼びかけた。そして適当な頃あいで、衛兵たちも引き上げるのだ。こんな田舎町では、やって来たモノにくみする者たちはいなかった。


 隊列は、まるで何かに導かれるように町教会へと向かった。敷地で屋台飯や買い物を楽しんでいた町民たちとその店主たちは、乗り込んできた隊列に気付くと、アラクネの子を散らすように逃げていった。オルゲン一座の芝居小屋からも、誰かが何かを知らせたのか、観客たちが悲鳴をあげて争うように出ていった。そして、命よりも好奇心のほうが大事な何人かが、物陰からそっと様子をうかがっていた。


 隊列が止まった。


 きらびやかに飾り立てられた騎馬から、紅の騎士クリムゾンと呼ばれる鎧姿の兵士たちが飛び降り、1台の馬車の前にきびきびと並んだ。


 彼らの顔はその名の通り、口元を出したあかい仮面に隠されていた。噂によるとその仮面は、闇夜に潜む敵を察知し、戦場の彼方まで見通すという。また、彼らのひとりひとりが、剣のひと振りで数十人の戦士をなぎ倒すちからを持っているという話だ。


 ひとりの騎士が、すばやく踏み台を馬車の扉の前に置き、別の騎士がその馬車の扉を開けると、色あざやかなブーツが台を踏み、彼らの主人が現れた。


 のぞき見をしていた者たちが、その美しさに思わずため息を漏らす。


 高貴な色とされる紫をふんだんに使ったゆったりとした衣服。ほっそりした手足には魔力あふれる装飾品に飾り立てられている。さらさらと流れる腰までの金髪、優雅極まるおとがいと頬骨がきわだつ真っ白に輝く顔、王都いちばんの女優が嫉妬する妖艶ようえんな唇、慈愛に満ちた宝石のような瞳と、白く輝くイヤリングがきらめく森笹の葉のごとき長い耳。


 美しきハイエルフ様だ。


 その美しきハイエルフ様は、おぼろげに光る花一輪に似た装身具を、白く細い指で軽く振り回しながら、すかさず用意された組み立て式の演説台に上がり、教会の敷地を見渡した。美しきハイエルフ様は、原則的にその場にいる誰よりも高い場所にいなければならない。建物の中なら、常に最上階でなければならない。


 美しきハイエルフ様の元へ、ひとりの騎士が魔道具である水晶玉を差し出した。その玉の中心に、輝く星と、短い矢印が浮かんでいた。美しきハイエルフ様がうなずくと、ふたりの騎士が指し示された場所まで駆け、粗暴なヒトが贈り物の包み紙を破くように目的のテントを引き裂いた。


 ゴブリン族の女が泣き叫びながら、その中で寝ていた幼女にしがみつこうとしたので、騎士たちは女を振り払った。女が諦めずに、何度もしがみつこうとしたので、騎士たちもまた何度も女を振り払った。


 何度も、何度も。


 別の騎士が眠っていた幼女をシーツごと抱き上げると、主人の前に戻ってきた。美しきハイエルフ様のそばに控えていた騎士が、ハサミを取り出した。


 幼女の指なら簡単に切断できそうな、大きなハサミを。



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「こんなところにいたのか。もう大丈夫だぞ」


 は鳥カゴごと、舞台の下から引っ張り出された。

 布が被せられたままなので、カゴの外の様子はよく見えないが……そのまま、誰もいない客席を抜け、何やら騒がしい小屋の外へと運ばれた。


「美しきハイエルフ様!」


 ヤビの声が高らかに響き、鳥カゴにかけられていた布が、いきなり取り去られた。


 そこで俺が見た光景は……



 馬車の隊列を背に、朝礼台みたいな箱の上に立つ、お貴族様のような雰囲気をたたえた金髪に笹耳の美形。確かにあれは、とお……ゴラズさんが言っていた通り『美しきハイエルフ様』ヤツじゃない。どう見ても、ハイエルフご本人様だ!


 その周りに並ぶ、赤い仮面を装着した鎧の騎士たち。たぶん話に聞く紅の騎士クリムゾンなのだろう。そして彼らの前で、何かを取り囲んで集まっている、一座のみんなの背中が見える。


 やれやれ。


 厄介なことになったらしいぜ。


「お伝えします! この旅芸人どもは!」


 ヤビの声がカゴの上から響く。


「伝説のフェアリーを捕らえ、見世物にしておりました! わたくしヤビはその非道を許せず、こうして彼奴きゃつらから、この可哀想なフェアリーを助け出した次第しだいです! すべての尊い命を守らんとする慈愛あふれる美しきハイエルフ様、この可哀想な可哀想なフェアリーをお救いくださいませ! ヤビの、このヤビの命がけの勇気に、どうかおむくいいくださいませ!」


 ちょ、お、おま……何を言い出すんだよっ!


 とんでもない告発を聞いたハイエルフは、無表情だった。ただその長耳のイヤリングが、まるで怒りを表しているかのように、ぷるぷると揺れ、赤く点滅していた。


 あれっ、あの赤い点滅って、見たことがあるような……


「ひざまずけお前らーっ、早く、早く! 美しきハイエルフ様に、ひざまずくんだーっ!」


 オルゲン座長の叫ぶ声がした。得意そうなヤビを除くみんなが、いっせいにハイエルフにひざまずいた。そして、少し見えた。みんなが、何を囲んでいたのか。


 まさか、あれって……いや、そんなはず、ないか。

 ハイエルフは、朝礼台の上に立ったまま目をつぶって、ひとりごとのように言った。


「……こうして目を閉じると、わたくしの脳裏に浮かぶのです」


 うわ……ルックスも美形なら、声もものすごくいい。イケボってヤツだ。その耳のイヤリングはまるで心が落ち着いたかのように静止し、白い輝きを取り戻していた。それにしてもコイツ、男なの? 女なの?


「かつて、ヒトは大きな罪を犯しました。互いに他国を侵略し、殺し合い、たくさんの命を奪い、かけがえなき大地をけがしました。その、永遠に許されざる蛮行が、わたくしの脳裏に浮かぶのです……」


 その目が開き、澄み切った瞳があらわれた。ハイエルフは、持っていたメタルっぽい薔薇みたいなアクセサリーを襟元に着けると、流れるような金髪をかき上げた。


「ああ、ヒトとはなんて醜く、愚かで、もう終わってしまった、醜い存在なのでしょう。同じ命を持つ存在として、わたくしたちは悲しみます。ヒトに奪われた罪なき命をいたみます。決して救われざるヒトを憐れみます。わたくしたちが戒律をつくってあげなければ、侵略は今も続いたでしょう。戒律には、善なる者に逆らうなかれ、嘘をつくなかれ、欲張るなかれ、という条文もあると言うのに……」


 その形のよい眉尻が、キリッと跳ね上がる。


「いまここに、善なる者に逆らい、嘘をつき、欲張るモノがあります!」


「そうです! こいつらオルゲン一座の連中は……えっ?」


 ヤビはふと見降ろして、鳥カゴの中の、俺の姿をまともに見た。


「うわぁっ! お、お前、なんで着替えてるんだよぉぉぉぉぉっ!」


 悪いかよ! 俺は隠されている間に、ドレスではなくふだんの服に着替えていた。もちろん指さし確認も忘れなかった。


 ハイエルフはまた別の装身具を手にとった。それは金色の太字油性ペンのように見えた。その蓋を取り、無造作にふりまわす。


 すると。


 俺の頭のすぐ上のあたりを。


 何か風のようなものが通り過ぎた。

 

 そして。


 俺は地面に落ちた。


 鳥カゴの、下半分ごと。




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