ショウを止めるな!
「クラインが大きければなあ」
そんな声が中から聞こえて、あたしはテントに入るのを止めた。
あの事件から、一週間が過ぎた。
本当ならもうそろそろ次の町へ興行に行く頃だが、ここツーフェ町で冬を越し、冬至の祭りと正月でひと稼ぎする、オルゲン座長はそう宣言した。本人は否定しているが、それが眠ったままのリーズのためだということを、誰もが判っている。
『この妙な魔法の指輪が外れないせいで起きた、魔力欠乏症の一種だろう。そのうち目覚めると思うが、馬車に揺られるなんてとんでもない』
それが田舎の町医者の見立てだった。馬車の移動はあたしも苦手だ。小さいせいで揺れ幅が大きく感じるから、車酔いが酷く、ほとんど寝て過ごす。
でも、魔力欠乏症とかだったなら、なんで髪が金髪になったんだよ! あれじゃまるで……
ブルーダの月が明るい、夜だ。もう
あたしは寝る前にリーズの様子を見ようと思い立って、
そして、近づいたとこで中から聞こえてきた、
「あんた、それどういう意味?」
少し
「こいつを嫁にやれる。あいつは前と違う」
こいつ、というのは眠っているリーズのことだろうな。あいつ、ってのは、ドレスを着て今ここにいる俺のことか。……そんなこと思ってたのか。
「くだらないこと考えてんじゃないよ。リーズにはゴブリンのいい男がきっと現れるし、クラインだって妹のことはそう思ってるに決まってるよ!」
……ああ。
妹のことは、そう思ってる。
……ああ、いますぐ。
テントの中に飛び込んで、とお、かあ、大事な妹をこんな目に会わせてごめんなさい、きっと何とかします、と叫ぶ。
……ことができたら良かったのに。
自分でも面倒くさいヤツだと思うけど。
仕事と思えば、自分が楽をしたいと思えば、平気でドレスだって着れるのに(最近じゃそれほど嫌じゃなくなった)。たったそれだけを言うことが、こんなにも恥ずかしい。
気恥ずかしくて他人
可愛い妹分にだけには
……いざというときは守れもしないくせに。
そんな自分が嫌だ。恥ずかしい。
恥ずかしくてたまらないのに、テントの中に入るのは、もっと恥ずかしい……
「だけどな、ただでさえ不細工だったのに、こんな変な髪になったんじゃ余計にギャアッ、グハッ、やめ、ウギャアアアッ」
悲鳴。麺棒で肉を叩くような音。いつもの微笑ましい夫婦喧嘩だ。
あたしは空中でUターンした。今夜はもう帰って寝よう。
不細工、か。
あんなに可愛いけど、ゴブリン族の感性ではそうなんだよな。そして普通のヒトには可愛く見えたとしても、突然変異のゴブリン族のことを指す「ブ
そう思って、ふよふよと飛んでいると。
「これはこれは、夜遊びか、ネカマ野郎?」
いやなヤツに出会った。雑技チームのひとり、皮肉屋のヤビさんだ。酔ってるな。げっ、こんな夜中に外で何してたんだと思ったら、立小便の気配がする! おいおい、ここは教会の敷地だぞ。こんなのに関わりたくない。ぷいっと背を向けて行こうとしたあたしに、馬鹿にしたような声が浴びせられた。
「この俺をちょろっと無視か。小さいやつだな。ゴブリンの妹を病気にしたこと、ゴブリンの親に謝ったか? 責任がないとは言わせないぞ。せいぜい、すやすや安眠しやがれ」
胸の中に、どす黒い言葉が渦巻いた。
でも結局、他に誰もいないところじゃ、気おくれして何も言えなかった。
俺にとっては、誰もが巨人だ。
金色のキラキラを撒き散らしながら、あたしは自分のテント……数年前に座長に頼み込んで別の住みかにしてもらった、一座の物置に向かって、逃げるように飛んで行った。もうクセになっている、両腕を斜め後ろに伸ばし、右足を少し曲げるポーズで……
ショウを止めるな。
前世では、けっこう有名な台詞だったような気がする。エンタメ系の仕事についている人が、その覚悟を示すときによく使われる言葉だったと記憶している。この言葉をもじったタイトルのゾンビ映画も覚えている。
ショウを止めるな。
そう、その言葉通り、あたしは今日も、こうやってフェアリーのショウを
『女のコのフェアリーに会ったら、連絡してね~』
そう、言い残して。ふっ。
シスターのエレナさんは責任を感じて、よりいっそうの祈りを輝きに捧げる毎日だそうだ。あたしが
んっ?
客席が騒がしい。
ひとりのゴブリン族の道化師が、ものすごい勢いで客をかき分け、ステージに向かって一直線に駆けてくる。あれはゴラズ……さんだ。
「クライーンーッ!」
血相を変えて、俺の名前を呼んでいる!
なんだなんだ⁉
舞台に駆け上がったゴラズさん。あたしの身体は彼に引っつかまれ、鳥カゴに投げ込まれる! さらに彼は転がるように舞台袖に飛び込み、シーツを雑に被せてくる。あたしは布の隙間から、ゴラズさんに声をかけた。
「いったい、どうしたんですか。ショウの途中ですよ!」
「来た」
「来たって、何が」
ゴラズさんは血走った目で舞台の方を見た。
かすかに聞こえてくるのは……悲鳴?
「いいか、ここにいろ。絶対に出てくるな。着替えておけ。念のため」
そこらに置いておいた、あたしの袋……前に熟年シスターズに作ってもらったモノのひとつで、ロウ引きされている以外は何のヘンテツもない……衣装袋をつまむと、ゴラズさんは鳥カゴにそれを押し込んだ。
「何が何だか判らないですよ。何が起きたのか、ちゃんと最初から話してください」
「夏ごろ、座長に言われた」
おいおい、ずいぶん最初からだな~
「お前を狙うヤツがくるかも、と。フェアリーを捕まえるなんて可哀想だと言いながら」
「はい」
そういうケネンがあったから、あたしは妖精としての洗礼を受けさせられたんだよな。
「それは冒険者とか、美しきハイエルフ様みたいなヤツらかも、と座長は言った」
「えっ、じゃあ、そんなヤツらが来たんですか?」
「違う」
いったい、何が来たんだ?
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