誰がお前の鳥カゴを持つ?
これからハイエルフのもとへ行こうとする俺に、その先を考えろ、とオルゲン座長は言った。そして大金を渡して寄こした。これを何に使うのか判るか、と俺に問いかけたのだ。
「護衛だ。護衛を買え」
「護衛を雇え、ってことですか? でも、雇い主が俺みたいな弱っちいのでも、裏切らないほど忠実なヒトを探すのは、ものすごく難しいんじゃ……」
「誰が、雇え、と言った。俺は、買え、と言ったんだ。ああ、もう、ニブいヤツだな。俺はな、こう言ってるんだ。特職を買え、と」
特職……
座長のその言葉が、俺の中に染みわたると、現代日本人の感性を持つ俺は、すごく反発を感じた。『特職』、それは、いわゆる『奴隷』のことだ。確か何年も前に、ハイエルフどもが名前を変えさせたと聞く。それ以外のことは何もしなかったそうだけど(笑)。
確かに
「そんなもの、買いたくないです!」
「ほう? お前はこれから、一座という家族を捨てるんだぞ。信じられる他人……いや、裏切る心配が少ない他人、がいなければ、誰がお前の盾になる? 誰がお前の鳥カゴを持つ?」
「それは……」
「ひょっとしたら他にもっといいやり方があるかも知れないが、俺は知らない。いいか、クライン。お前は小さい。だけどな、本当の問題はな、小さいことそのものじゃなくて、お前が生まれながらに、
……そうか。だから俺は、たぶん、親のことを……
「そう。誰もが、お前のことを……小さいと思うこと、裏切っても平気だと思うこと、簡単に踏みつぶせると思うこと、そう思われることが問題なんだ」
そう思われる……ああ……
俺は気付いた。
気付いちゃいけなかったこと、かも知れないけど。
『そう思われる』というのは、まさしく
俺は
「……特職を買ったら、俺はもう、そういうヤツだって思われますよね……」
エッチな目的で買ってる、とはサイズ的に思われないだろうけど!
「そうだな。でも、別にソンばかりじゃない。口先だけの善人は、ときに悪人よりタチが悪い。実際に特職を持てば、そんな善人もどきはその用語だけで早めに正体を見せてくれるだろう。こんなトクはないぞ」
そう言えば、そんなヤツは前世にも。
「そして誤解されても、最後にはお前を判ってくれるヒトはいるはずだ。ただし、それには家族と過ごすのと同じくらいの時間がかかるだろうけどな」
一座のみんなが、いっせい肯いた。
「お前は小さい。そんな自分を認めろ。目をそむけるな。ドレスを着なければ、ネズミにならなければ、特職を買わなければ、生きていけない小さな自分を受け入れろ。特職を買う自分を認めろ。そしていつか、他人からも大きい存在と認められたら……その先は、自分で好きに生きろ」
「盛り上がってるところ大変申し訳ニャいが……」
空気を読まないドラ猫が口をはさんだ。
「おいらには、ネズ公にあげるモノは何もないニャ」
一座のみんながガクッと肩を傾けた、ような気がした。
俺の脳内に、間の抜けた
「でも、その替わり、ネズ公についていってやるニャ。ネズ公を守るとかムリだし、鳥カゴも持てないけど、ほっとくのは寝覚めがわるいニャ」
「マヌー……」
「トマタ師匠、オルゲン座長、お世話になったニャ」
「うん、何つーの、元気でね」
「おう。これはお前のぶんのカネだ。持っていけ」
そして、ひと通りの必要な話とか、支度とかを終えて……
出かける前に、俺は。
教会の安置所に移された、モノ言わぬ姿で横たわるふたりの、前に立った。
あのとき……
夜、彼らのテントを訪れたとき。
あれは先週のことだった。
あのとき、俺は初めて、ふたりが本当にリーズのことを、俺の妹だと思っていたことを知った。サイズ差がある『妹のようなもの』じゃ、なくて。
そして、最後の言葉も。
『クライン、妹を』
実の娘が俺の妹なら、その兄の俺自身は、ふたりにとって、本当の……
あのときも、あの言葉は言えなかった。
恥ずかしくて言えなかったけど。
昨日だって、今日だって、言えると思っていた。今日がダメなら、明日なら言えると思っていた。でも本当は、先週が最後のチャンスだった。
明日では遅すぎた。今日でも遅すぎた。昨日でも、遅すぎたんだ。
……それでも、俺は、今、言わずにはいられなかった。
「とお、かあ……
じゃ、ちょろっと行ってきます」
「ネズ公、準備はいいかニャ?」
チョッキとリュックの中間のような、ケットシー族専用の旅装を着たマヌーが、俺の前に立った。
「もちろん。……
変身!
「……ううう、おいらの右手が
デカ猫はそう言いながらも、くるりと背を向け、うずくまった。
「行くニャ」
「行こう!」
俺っちを乗せたマヌーは、全速力の四つ足で真っ暗な教会の外へ飛びだした。いつのまにか、冬の雨はみぞれに変わっていた。
冷たい闇の中、一匹のネズミを乗せて、一頭の猫が駆ける。
振り落とされないように、ロデオみたいに必死でしがみつく。風を切り、何度も何度も顔を打つ濡れた冷たい衝撃に負けないように。
そしてヤケクソ半分で俺っちは、とびっきり恥ずかしい覚悟の言葉を叫ぶ。
「さあ……」
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自分が教えたあの程度の知識が、本当に何かの役に立つのかしら、と彼女は思った。しかし、どんなに心残りがあっても、ヒトには必ず別れのときがくる。それならば私は、ただ祈ろう。いつものように。かつて出会ったとある少女との別れのように。
「ナッハグルヘンにあまねく輝きが、照らす道を行く者よ、その
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芝居小屋やら馬車やらを、町の顔役に売り払う前に。
オルゲンはひとり、暗い舞台に立っていた。
彼のようなすれっからしの中年でも、ときには似合わぬ感傷にひたることもある。彼の脳裏に、様々な想いが浮かんでは消えていく。去っていく仲間たちや、自分自身の行く末も気がかりだか、やはりオルゲンがどうしても心残りなのは、あの小さな若者のことだった。
たぶん、もう二度と会うことはないだろう。
ヤビのような心根を持つ者なら、このどうしようもない状況の切っ掛けとなった、クラインを許すことはできないかも知れない。しかし、オルゲンは、そして彼が頼りにしていた者たちは、誰も小さな若者を責めなかった。
責めたいと、思わなかった。
口には出さなかったが、クラインのあの目は、確かにこう言っていた。どうして自分なんかにこんなに優しくしてくれるのだろう、と。それはな、とオルゲンは頭の中で答えた。
お前が、前を向いているからだ。いや、向こうとしているからだ。怯えと恥ずかしさに震えながら、それでも大きくなろうとしているからだ。
でも、俺たちはお前に、もう何もしてやれない。
それなら……
はなむけに、せめて芸人としての祈りの言葉をかけてやろう。
そう思ったオルゲンは、誰もいない客席に向かって大げさに頭を下げ、声を張り上げた。
「紳士淑女の皆様方、これよりオルゲン一座、最後の演目でございます。フェアリーにしてネズミの若者クラインが挑みますは、美しきハイエルフ様というとてつもない敵。はたしてその結末は悲劇か喜劇か」
闇の中。響く言葉。
オルゲンの最後の台詞は、小さき者クラインがそのとき同時に叫んだ、異世界の言葉と、偶然にも同じ意味だった。
「さあ……」
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「「
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