第10話

「セカンド様」

「ん?なぁに?」

 何故かはわからないが、セカンド様は何かと私を抱き締めて髪に頬擦りをしてくる。

 木の甘い香りがするサウナにて、多くの美女美少女が居る中なのに、自分の部隊員でもない私を素肌で抱き締め続けてくれる。フィフス様の気持ちが分かる気がした、彼女の胸の中は優しくて常に温かく、母体回帰の感情が胸を慰撫するのがわかる。ガラスと鋼の子宮より生まれた私達には、縁遠い欲望だった。

「フィフス様は、私にサーティーンと名乗れと命じられました。サーティーンとは欠番の名だったのでしょうか」

 私の質問に、サウナ全体の声が止んだ。いけない質問をしてしまったと思い、急いで何かを呟こうと考えるが、自身の恋人としてフィフス様を迎え入れているセカンド様の顔は優しく慈愛に満ちていた。何も言えない程に、彼女は優しく前髪を撫で頬へと滑らせていく。

「気持ちいい?」

「‥‥‥申し訳ありません。私、出過ぎた真似を」

「いいえ、私は嬉しいの。サーティーンと名乗るあなたも、その名を授けたフィフスの行為にも——————フィフスには特務と呼ばれる、表沙汰には出来ない暗部としての役割も求められていた、ここまでは知っていますね?」

「はい、特務の過程で私を救って下さりました。そして名前も与えてくれました」

 出会いは偶然であったと、当時は見ていたが実際は必然であった。長く特務をひとり引き受けていた彼は、あの時ではなかったとしても必ずや私の居る研究室へと侵入して、私からの願い事を聞き届け外へと連れ出してくれていた筈だ。運命的ではなく、むしろ機械的な結果だった。

「フィフスにとってサーティーンの名は、もうひとりの自分でもあったの。特務へと当たる時、彼は自分をサーティーンと名乗って仮面を変えていた—————もし、フィフスが拘束された場合、『フィフス』と名乗れば私達にも手が及んでしまうから。長い任務から帰って来たら、自分のフィフスとしての名前を忘れてしまうぐらい、『サーティーン』に成りきっていた‥‥」

 拘束の心配も拷問も恐れも、最後の最後まで徒労に終わりましたけどね、と付け加える、薄いタオル一枚もないセカンド様の肌が揺れている。けれども、これは怯えや悲しみなどではないとわかる。喜んで、すすり泣く姿と酷似していた、フィフス様が戻って来てくれた夜、彼の手を取って脈を取りながらも喜んで感謝を伝える姿と同じだった。

「だから驚いたの。あなたがサーティーンと名乗って、彼の後ろを着いていく姿を見て」

「————浮気したと思いましたか?」

「彼は誰からも好かれる、特に異性に好かれる人だから。またか、とは思ってしまったけど」

 サウナ中の全員が視線を下に向ける。私にとっても、またか、と思うに至る光景であった。

「サーティーンと名乗る時、彼は酷く痛々しかった。また会う日には、冷たくなっているかもしれない、漠然とだけど、そう思ってしまうぐらいに冷たくて人が変わったみたいだったの。そして傷が治った日、彼はフィフスへと戻れる」

「だけど、」

「そう。また特務へと送り出され、戻ってきたらサーティーンに逆戻り。このままでは彼が居なくなってしまうんじゃないかって、すごく不安だったのを覚えてる。事実、彼は強いけれど心が脆い人だから、自分で自分を偽らないと耐えられないぐらいの日々を送っていたのだと思う」

 私は————フィフスとしての彼しか記憶に無かった。

 サーティーンとして出会ったのは一晩だけ、それも敵として出会い、その後も、どちらでもない身柄として対応されていた。私も、そう扱うのは当然と思って、彼を踏み台に脱出を目論んだ————そんな彼が私には救いに見えた。決して輝いてなどいなくとも、暗い研究室の中でもひときわ異常な彼が初めての異性だった。けれど、セカンド様が愛したのはあの彼ではなかった。

「あなたと戻った日の後、特務へと送り出される事があってもフィフスはフィフスとして戻って来てくれた。傷だらけで動けないのに、無理しながら大人しく傷を治すから、顔を見せてくれって、鍵を渡すから世話をしてくれたら助かるって言ってくれたの。後もう少しで、鍵の複製をする所だから安心したのを覚えてる—————私には、それがとても嬉しかった。私の愛したフィフスは、もう何処に行かないって」

「‥‥‥複製?」

 誰かが、或いは誰もが呟いた。けれど、セカンド様は気にも留めていないのが顔で分かる。自分の愛した男性が『遺児』の中でも最強と謳われる程となった過程を、嬉しそうに語り始める、接近禁忌種の討伐数は50を超えた、それも単身で屠ったのは前人未到の快挙であると。

「だからね、サーティーンには感謝しているの。こう言うと誤解されるかもしれないけど、悪く思わないで、あなたと出会ってからフィフスは、もっと魅力的になったの。よく相談してくれて、よく人と話すようになって、私の話もよく聞いて答えを待ってくれてね。それからね」

 きっと長くなる。そう思いながら、セカンド様の満面の笑みからは誰も逃げられなかった。

 それに、私にとってもフィフス様は特別な男性であった。フィフス様の自慢なら負けないと自負する、私はセカンド様の胸の中で彼との思い出をつぶさに数える、それは数え切れないほどに。

「セカンド様、フィフス様の好みならば私も負けていません。あの方はいつも、」

「胸が好きよね。だから、すぐに彼へ応えられるように跪いて————」

 改めて、セカンド様の実の身体に注目が集まった。完成された最高峰の肉体の中心、心臓を覆い隠す胸部を大きく振り乱しながら私を抱き締める彼女の、恋人自慢はまだ始まったばかりであった。



 





「それがセカンドとサーティーンとの仲に、どう関係するんだ?」

「今更、恋仲を何人増やそうが私は介入しません。全てはあなた方の都合、何を言う権利も存在しない。それに、彼女らはとても良好な関係に見えます、このトライアングルを崩そうとする程、私は愚かでないつもりです。しかし、この騎士団は規律を持ち、理性を尊ぶ正しき秩序を維持すべきだと確信しています、ですから、恋人との逢瀬をするのは私室の中までとして頂きたい。繰り返しますが、私は介入などしません、ましては探りを入れるような偽善、私は自分のプライドに掛けて行いません————あなた方の関係を知ろうと、女性団員達が結束しているのを知っていますか?」

 まさか、と思い全力で四方八方へ視線を走らせる。先ほどまで、あれほど視線を背中に感じていたというのに、今や皆が皆自分の職務に努めていた。騎士団とは、こうまで結束が取れていたのかと脱帽する。

「この話は、『聖櫃』内で一般生活を送っていれば自然と耳に届く噂話のひとつです。しかし、見ての通りあなたは知らなかった、敢えて言わさせて貰いますが緊張感が、」

「噂ひとつ知らないと緊張感が欠けてるのか?なら、そんな噂ひとつで一喜一憂する騎士団全体こそが緊張感が欠けてるんじゃないか?サード、物資貯蔵から聞いたがお前ひとりで茶葉が枯渇しそうだと言っていたが。それに、深夜の消灯時間、ひとりで星体兵器を持って試し撃ちにと」

「ふ、そのような水掛け論をするとは。フィフスもまだまだですね」

 自分の中で何かが切れた。ある種、自由な権限を持つ参謀として、わざわざ呼び出して始めたのが爛れた生活への説教ならば、まだ耐えられたが─────自分達が原因たる噂もさる事ながら、サードの、このしたり顔が自分の理性を解いた。

 その後、『聖櫃』内では初めての取っ組み合いを始めた所までは覚えている。気が付くと、お互い軍服は脱ぎ捨てYシャツ一枚と成りながら、口を血に染めて椅子に座り—————撤去された円卓の空間をリングに、レフェリーとセコンドがいる試合へと至っていた。そして、シックスが『聖杯』の艦内放送を使用し「ラウンド4ッ!!」と叫んでいた。






「相変わらずダメな人。いいえ、ダメな人達」

「‥‥お恥ずかしい話です。私とした事が」

 セカンド手ずからの治療とお小言を受けた自分は無言を突き通し、自身の部下である少女から傷の手当てを受けるサードは心底情けないと言いたげに顔を振っていた。この事態を解決出来る者はいないか?と、正気だった何者かに呼び出されたフォースも、普段とは変わって咎める立場に着いている。

「意外とサードもフィフスも頭に血が登りやすいよね。まぁ、試合形式にしたシックスも同じだけど」

「ただの殴り合いじゃあ、つまらないだろうが。やるんなら白黒つく形にしねぇとよ」

 くつくつと笑うシックスは、尚もただひとり楽しげであった。その光景たるや、まるでサードとフィフス、隊長同士の乱闘の黒幕はシックスであるかの様に写っている程。いい見せ物にされた自分達は、心底不服だとシックスを睨むが、ハンッと嘲笑う彼は背もたれに身体を預けるばかりである。

「まぁ、フィフスとセカンド達との関係については私は不干渉って決めてるから。どうせ、何かが起こって痛い目見ないと変える気はないんでしょう?本人達が決めた時が、良い時期なんじゃないかなぁ」

 意外と大人な対応をするフォースに、心の中で感謝し既に血が止まった口元を再度拭う。『遺児』の再生能力は、これまでの生物のそれとは一線を画すると再々教官より説明されたが、既に『学府』の人口の大半が改造された人間、新たな生命体『遺児』であった為、それほどまでなのかと自覚していなかった。

「ああ、俺もその案に賛成だ。それによ、どうせ俺達はいつかはバラバラになっちまう、そん時の為に誰と行くか程度の指針は必要なんじゃねぇのか。まぁ、それがいつに成るかは、知らねぇがな」

「‥‥‥ええ、あなた方が正しい。私も、些か感情的になっていたようです。度重なる事件や砲撃に、緊張感と共に騎士団全体を引き締める必要があると思っていましたが、個々人の感情まで掌握出来る筈もなかった────しかし、私も謝りませんから、この話はここまでで。いい機会です、会議としましょう」

 生真面目なサードからの提案に、フォースもシックスに苦い顔をした。その上、自分もセカンドも、やはりと顔に出してしまった為、唯一休暇を取っていなかったサードは「明日、0800に会議とします、各々、副官や指揮代行との連携を忘れずに。以上、解散」と『聖杯』の指令席へと戻って行った。





「ストレスが溜まってるんだろうか?」

「サードにも抑圧された感情があるという事ね。私達が、自由に出来ているのもサードのお陰なのだから彼に感謝して少しでも仕事を分担させないと。ふふふ、だけどサードは仕事をするのが好きなヒトだから、取り上げてしまうと返って不安にさせてしまう。さっきみたいな喧嘩が良い息抜きなのかもね」

 既に身体は万全だと、数度セカンドとサーティーンに投げ掛けたが彼女達曰く「その身体で出撃したら許しません」と返される。実際、今のところ『聖櫃』を停止させてまで討伐作戦を立案するほど、差し迫った状況はない為、良い骨休めなのかもしれないが、流石に自堕落が過ぎている気がする。

「ちなみに。ストレスが溜まっているのは私もですから。長く艦橋にいると下腹部が熱く切なくなって─────この猛りを静める方法は限られている上、制限時間まで存在する。『聖槍』まで出歩いては間に合わない、だけどあなたで発散させるしかないの。さもないと、一日中ひとりで慰めてしまいそうで」

「わかったよ、完全に快復するまで大人しくするから。ただ、そろそろ勘が鈍りそうだ」

「あんなにも的確に私を善がらせるのに。それとも、私の身体に飽きてしまったのですか?」

 洋館の時から溜まり続けた劣情が、セカンドをここまでの怪物に作り上げてしまっていた。リハビリとして、『聖釘』中を歩き回っていると、急に呼び出しを受け部屋へと連れ戻され、そして「私を待たせた罰」と言って、上に跨る。情事後の匂いは香水で消せるようだが、乗組員は確実に艶やかなセカンドの顔で悟っている。気付いていながら、何も言わずに己が隊長として受け入れている。

「セカンド、」

「人の道を解く言葉なら受け付けませんよ。あなただって、私の中に入るのが大好きでしょう」

「‥‥‥否定しない。ただ、そろそろ『聖槍』の業務には戻るよ。いい加減、あの席にも慣れないと」

「そう言われては、あなたを送り出さない訳にはいきませんね。ええ、良い頃合いなのかも」

 胸の包帯を撫でる手を握り締め、セカンドの私室で迎える最後の治療を終える。起き上がった身体をセカンドに見せ付けながら、自力で身支度を整える。ネクタイとボタンもベルトも、デバイスから拳銃まで全てあるべき場所に備えた自分は手を借りずに扉へと手を伸ばす。

「あと三十分もあるけど、どうする?」

 この水気を湛えた瞳と、舌なめずりをする口元には、いつも抗えなかった。赤く充血し、深くまで熱く濡れそぼった口内を味わい尽くす為、部屋と廊下の境目で腰と背中を抱き寄せ、お互いの舌と唾液を絡ませる、誓いや愛情の口付けなど、我々には不要だった。貪り、身喰らい、満たし終えた時、ようやく一歩踏み出る。背中から小声で「調教終了」と聞こえたが無視する。

 どうやら、ここ『聖釘』では朝に隊長へ挨拶を立てるのが慣習となっているらしく、皆が皆セカンド私室の前で佇んでいた。顔を赤く染める者から直視する者。口元に指を当てて真似する者—————態度こそ千差万別だが、背後から現れたセカンドに口籠りながら「お、おはようございます‥‥‥」と告げる様子は、ほぼ新たな習慣と成っていた。

「皆、おはようございます。観測状況はどうですか?」

 この中でも受け流し、何事もなかったと笑みを浮かべられるのはセカンドのみだった。

「これから私、セカンドとフィフス隊長は『聖杯』へ臨時会議に向かいます。昼頃まで戻る事はないと思いますので、狙撃、砲撃の必要性が生まれない限り、その都度副官に指示を仰いで下さい。『聖櫃』はこのまま直進、変わらなければ『教府』まで進みます。そして、後一時間で掃除システムが起動しますので廊下に物を置かないよう心掛けてね。以上、持ち場に戻って下さい」

 全員が「了解」と返事をし、足早に艦橋を目指していく。けれど、その中のひとりは無言でこの場に残っていた。鋭い視線で睨みつける少女は「人を払いたいから、どこかへ行けと」暗に告げる。

「先に行ってる。また後で」

 申し訳なさそうに笑みを浮かべるセカンドへ背中を向け、サーティスの視線から逃げ去った。

 歩き慣れた、冗談の類ではなく『聖釘』から『聖杯』までの順路を考え事をしながら歩けるほど、この道に順応してしまっていた。だから、咄嗟の反応に遅れ後ろから目を隠す手を避けられなかった。この手は知っている、重い引き金に手を乗せ続けた証拠である固い皮膚の感触を。

「テンス、どうしたんだ?」

「やっぱり、気付いてしまうのね。私の隊長は驚いてくれなくて、とても—————」

「つまらない?」

 真ん中で分けられた黒髪が麗しかった。高い身長と反比例する小さな顔を歪ませて微笑む女性は、自分の次に撃破数を誇る—————確定撃破以外も含めるのなら、更に超える強者であった。格下たる自分を、なんら抵抗なく隊長と呼ぶその人は、元はセカンドの部隊員でもある。

「とっても可愛い。そして、とてもイジメ甲斐がある。セカンド隊長と競争ね」

「光栄だけど、ほどほどにしてくれ。テンスも呼び出されたって事は、」

「そうだと思う。最初はサーティーンに話が回ってきたのだけど、彼女は持ち場を離れる訳にはいかないと拒否。暫定的に私が指名された。つまりは、今回は討伐や斥候が回ってきたのかと」 

 長い手足とセカンドを超える長髪のテンスは、本当に同年代なのか?と問いたくなる大人の女性の身体付きと香りを携えて突き進み、誰もが振り返る妖艶な残り香を落としていく。

 豊満ながら締まった臀部と、背中と腕の間から時折覗かせる胸部、そして時折振り返って、微笑む完璧過ぎる後ろ姿に一瞬で魅了された自分は、ふらふらとテンスの髪を追いかけていると、自分の足は『聖杯』へといつの間にか到着していた。

 『聖杯』艦橋へと踏み込んだ時、テンスは敬礼をし、自分は軽く会釈するに留める。

「十分前の到着ですね、フィフス隊長、テンス伍長。セカンドは一緒ではなく?」

 軽く視線を走らせたサードは、案内をするように片手で円卓を勧める。この場で全員を待つ気らしく、自身は艦橋入口で佇んでいた。なんとなく艦長が座らないのに、自分はいいのだろうか、と思い辺りを見渡すと皆が皆、似たような様子に映っていると伺えた。

「ああ、部下からの報告を受けるから少し遅れるみたいだ。迎えに行こうか?」

「いいえ、それには及びません。察しているかと思いますが、今回の議題は討伐か回避の選択です。まずは資料を読んで下さい、テンス伍長、あなたも構わず席に付いて頂きたい」

「私は、フィフス隊長の膝上でも」

「構いません」

「テンス、隊長命令だ。隣に座ってくれ。それとサード、ごく個人的な話がある。円卓についてくれ」

 突然な誘いに、逡巡したサードが大人しく頷いて対面に収まってくれる。珍しい事もある、それほど重大な事なのか、これから話し合う内容に沿った————人前では話せない内容なのか。などの真剣な眼差しを向けるサードに、自分はまず一言言い渡した。

「自分の立場を自覚しろ」

 首を傾げる事はしない参謀は、注意深く言葉の意味を吟味し始める。彼は昔から頭脳明晰で人の機微にも、よく心を配る優しい『遺児』であった。それが大きく災いした事はなく、禍根も残さず引くべき所は引く、距離感を持った見識を常に持ち続けていた。だが、至らない部分も。

「サード、お前は参謀。セカンドと同等か、それ以上の権限を持つ選ばれた『遺児』なんだ。白兵戦、電子戦、通信技術に空間把握能力、勿論座学も常にトップだった。意味がわかるか?」

「私の力は、全ては騎士団の道筋を照らし出す為に培った矛です。そして、あなたもそれは同様。私が多くの部門で高い完成率を誇っていられるのは、フィフスも含め多くの団員達が私に働きかけてくれているから。約束稽古で作り上げた対人技術では、私はあなたの足元にも及ばない。セカンドの精密射撃に感応能力。通信技術と空間把握能力の、真の主席はフォース。その上、新たな技術開発に設計図、アイディアにインスピレーションは恐らくシックスが上を行きます————それでも尚、私は私の力を信じられた。あなた方が私を参謀に相応しいと選んでくれたからです。立場を理解しろ、己を知らなければならないと、逃げ続けた私には相応しい言葉です‥‥」

 僅かに影を差す目元だが、その奥には確固たる炎が宿って見えた。冷静沈着を掲げる彼は、その内心に在るのは真逆の情熱に他ならなかった。だが、自分が言いたい事は、そんな重い内容ではない、むしろ内心から離れた外界との接触について勧めたかった。

「言い方を変える。お前が立ったままだと、『聖杯』の全員が座って作業が出来ない。立場を自覚しろって言ったのは、自分達の頂点にいる指揮官があまりにも自己犠牲的だと自分も習うしかないって思う、集団心理的な話だ。もう少し、肩から力を抜いてコーヒーでも注文しろ」

「茶葉を話題に上げたのは、あなたの筈ですが?」

「コーヒーは豆だろう。そろそろ、次の焙煎が終わった頃じゃないか。誰でもいい、俺達に茶を用意しろ、ついでに朝食も」

 待ってましたと、サードに付き添い続けた少女が艦橋から飛び出して行った。珍しく驚いた顔付きとなったサードが、目を見開いて全体に視線を向け、軽く咳払いをする。

「改めて、全員との意思疎通が必要なようです。機会を見て、面談を」

「そういう所が、いいや、それでいい。サードらしくて俺は好きだよ」

「光栄です。友よ」

 長くなってしまった金の髪を揺らし、微笑む姿は昔と比べて何も変わっていなかった。元々、彼は自ら過酷な日の差す大地を進み続ける挑戦者の気質の持ち主でもあった。けれど、昨今は自分の確実な知識と経験がない限り、踏み出してはならない指揮官へと変わって更に参謀然と成った。きっと、サードにとっては酷く退屈で心労が休まらない時代に突入してしまっていた。

「会議も稟議書も朝食を取ってからに致しましょう。ビュッフェ、という物はご存知ですね?」








「今から偵察でなければ、もっと食べたかったのに」

 戦闘スーツに身を包んだテンスが僅かに口を尖らせた。その意思には多いに同意する、サードが用意させた朝食はいわゆるビュッフェタイプであり、自身の格や所属は取り除かれ、皆が皆好きな場所で好きな人員と必要なだけ食事を取る事と相成った。

 食後、渡されたタブレットが映し出した画像は、緑と白の線で形作られた地図であった。幾つも立ち並ぶ白い何重にも広がる線は山脈の地形を意味し、緑はそれらを覆う森林の形を伝えた。フォースによって提供、簡略化された地図を手に自分とテンス、残り二名は最前線に移動。後方よりサーティーンが指揮する援護班が自分達を観測し、道行きを知らせてくれた。

「隊長はどうだった?あまり食べていないように見えたけど」

「俺だって時間が許せばもっと食べたかったよ。けれど、仮にも俺は隊長だ、あんまり胃に詰め込み過ぎて眠くなったら会議にしろ哨戒任務にしろ、役割に差し障る。昨日の一件からセカンドに呆れられてる、これ以上ダメとか仕方ないとか言われたくない」

「気付いていないのね。セカンド隊長は、そういうのを楽しみにしている。ダメな隊長」

 今までの付き合いで察してはいたが、セカンドの元で長く戦闘技能を担当していたテンスが、ここまで断言する以上、セカンドは俺が起こす失敗を楽しみに待ち、叱られるのを待つ俺を諭すのが楽しくて仕方ないのだ。彼女の面倒見の良さの根底を知り、あの笑みの心地良さに気付く。

「ダメな子ほど可愛いって奴か。————仕事に戻ろう。サーティーン、対象への距離は」

 遠く南の方角、『聖杯』より離陸した垂直離陸機から我々を見下ろすサーティーンは、「そのまま直進して下さい。車両の出番はまだ続きそうです」と装甲車である我が班に進言する。本来ならAFV、装甲戦闘車両を鹵獲すべきであったかもしれないが、搭載可変な汎用さ、同時に医療器具には変えられない。

「流石は『学府』の上層。『塔』に配備された車ね。岩盤か、先に指定された大木じゃない限り、何と衝突しても速度は変わらない。私達が使っていた車両とは、比べ物にならない」

「ああ、速度も装甲の頑丈さも、乗り心地だって違う。これならもっと『塔』からの仕事を受けて恩を売っておけば、これと同グレードの車両が提供されたかもしれないな。────いや、あれ以上は無理だ」

 アクセスを踏み続けながら首を振る、それに対して同意の頷きをする隊員達の顔は鋭かった。事実上、自分達が組織された日からジャバウォックを遠方まで足を運んで討伐可能だったのは、我々洋館の遺児達のみだった。今でこそ、あの人形を消費するつもりで操作すれば同じ働きは視野に入るかもしれない。

 けれど、『騎士団』逃走の最中に打ち取れた相手が自分一人では、誘導し退却させるしか手のなかった本物には牙が立つまい。

「気苦労を掛けて悪いが、一つ気持ちを軽くしてくれ。『聖櫃』の進行に対して、障害となり得るジャバウォックが確認された以上、あの『青い女神』の領域から既に離れた意味だと思って確かな筈だ。俺達の任務は、一つ目は哨戒、威力調査。二つ目は対象の巡回間隔の入手。そして、以上二つの項目をクリアし、『聖杯』からの伝達を受けた時、対象の討伐か『聖櫃』の誘導のどちらかと成る」

「フィフス隊長、私達にとっては心配りをしながらの誘導より、手早く首を落とした方が楽だと忘れないで。隊長も、まだ本調子でない上、想定の体格より巨大な全長を持つのだから、今後の憂いは断つべき」

 テンスの発言は正しかった。もし仮に、対象の巡回行動を確認が終了し、それを参考に『聖櫃』を移動、待ち伏せも遭遇の予兆もなく、穏便に通過出来たとしても────追跡の可能性は無視出来ない。

「かもしれないが、今から顔を見に行く存在によって、この区画が荒れていない可能性もある。結論から言う、恐らく此処一帯の領主がソイツだ」

「圧倒的な強者がいるから、私達は無事に居られるって事ね。それはそれとして、私は撃ちたい」

「安全装置は外して良い。俺も、話し合いで解決出来るとは思っていない」

 助手席に座るテンスが、くすくすと笑みながら窓から外を眺めている。一面、樹木に覆われた森の中は、魔境と銘打たれるに相応しく人間どころかヒューマノイドの侵入を拒んで見えた。老いた魔女の如く背骨の折れ曲がった枯れ木に、鋭い指先にも匹敵する枝葉を伸ばす林、一瞬毛皮かと誤認する針葉樹。

 ──────そんな人外達の世界だと言うのに、自分達が今走っている道は道として完成されている。

「自重で作り出した獣道にしては出来過ぎている。50年間で新しい生態系が生まれたみたいだ」

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