第8話

「サードから全体へ。これより、『聖櫃』は国止山脈への侵入を敢行します。初期段階では激しい衝撃に見舞われる事が予想される為、総員座席でショック態勢を取り、急激な角度に耐えて頂きます。繰り返す、これより『聖櫃』は山脈へ侵入。踏破を目的とした強行突破を開始します」

 艦内全体に響くサイレンもさることながら、サードの淡々としながらも一切の隠し事のない説明からは一種の恐怖をも覚えた。この星に住まうヒューマノイドは誰ひとり、踏み込んだ事のない前人未到の魔境の突破は当初から念頭に置かれていたとは言え、誰もが非現実的だと思っていた筈だ。しかし、巨大な歯車状のキャタピラーで移動する『聖櫃』ならば、岩盤であろうと魔の森林であろうと、その身を滑らせ大地を砕いて走行できる。巨大な山脈間の移動こそが『聖櫃』が建造された最大の理由である。そして、自分が率いる『聖槍』の乗組員も在するのだ。

「対ショック態勢ッ!!」

 セカンドが艦橋に移動した為、ひとりベットで身体を縛り付けた自分は全身へと駆け抜ける痛みに歯を食いしばった。山間に船首を滑らせたと同時に受けた初撃は、巨大な手で背を打ち上げられた様だと、漠然と想像しながら堪え続ける。そして断続して巻き起こる登山開始時の最大傾斜にも耐え続けた。

 明滅する視界の中、セカンドの香りが残るベットを握り締め、弱った身体では気を抜けば一瞬で意識を奪われかねない振動に内臓を搔き乱される。とりわけ、脳を揺り動かす振動が、最大の障害だった。血が足りない身体から更に血を奪う揺れが憎く、必死で呼吸を続けるのがやっと。

 唾液すら飲み切った時、若干角度は残っているものの、驚くほど平坦に『聖櫃』が戻った。

「サードから全体へ通達。一時的にですが、比較傾斜の少ない山間へ乗り上げました。今の内に、機関部と設備の異常の可否を調べ上げて下さい。致命的な損傷が起こっている場合、『聖骸布』へと通達し、予備パーツ搬入に準備を整えて下さい。必要があれば技術者派遣も視野に」

 全体の不安が最大に膨張し、苛まれた瞬間に参謀サードが気遣う声を掛ける。完璧なタイミングと人心掌握術だと口角を上げる。その数秒後、『聖釘』機関部からの報告が艦内に届き、「異常なし」と告げられた。それは全ての戦艦でも同様だったらしく、滞りなく前進を続けた。

 どれほど経っただろうか。揺れと傾斜に身体が慣れ、立ち上がるのではないか?と魔が差した時、艦橋より声が届く。

「セカンドからフィフス。まさか、起き上がろうとはしていませんね?」

 全てを知られている安心感も覚えるが、全ての魂胆を見抜かれている無力感も同様に感じた。

 この『聖釘』はセカンドの星体兵器であり、兵器として駆動、起動時に意識を一体化、身体と戦艦とをリンクさせる事で手足を動かすように操れる精神感応戦艦である————ならば、この『聖釘』の中で何かを考えるだけでセカンドに伝わっても、おかしくないのかもしれない、

「はぁ、ダメな人。少し目を離すだけでこれなんて、本当にダメな人。もうしばらく待っていて。後で解いてあげるから、その時話をしましょう。少しだけ歩かせてあげるから」

 こちらから一言して返事などしていないのに、真実を見透すセカンドの溜息が通信を切断する。言い訳をしようにも、自分の何かもを知っている彼女は生暖かい目をして「言いたい事はそれだけ?」と告げると、今までの記憶が暗示している。よって大人しく寝具を包まっていた所。

「セカンドの温情でそこにいる癖に、無駄な仕事を増やさないでくれる?」

「—————悪かった。サーティスから見て、外の様子はどうだ?」

「はぁ?あんたが気にしても仕方ないでしょう。大人しく寝てれば?バーカ」

 セカンドが直々に副艦長として任命した彼女、サーティスからはいつも叱咤した受けていなかった。言葉遣いも、自分に対してばかり鋭く冷たい。だけど、言い返そうにも、やはりサーティスも正論しか言っていなかった。仮に外の様子から差し迫った状況が発見されれば、自分は身体を引きずって見に行ってしまう。その時、またもセカンドから溜息を吐かれてしまう。

「————現在、『聖櫃』は山間を問題なく通過中。樹々をなぎ倒してはいるけれど、削った後から後から、また芽を生やして若木に戻って行ってる。正直、現実味のない光景だし何より不気味。ジャバウォックの姿も確認できないから、巨大な異物から隠れて見過ごしてるみたい。はい、これでいい?暇なら自分のでも弄って、セカンドから戻るまで楽しんでれば?」

「ありがとよ、知らせてくれて。しばらく自分で自分のを触った記憶がないから、弄り方を忘れた」

 自分が遠征に出向いた最も、ここまでの深層に辿り着いた事ない。遂に、我々『騎士団』は自分の記憶からも逸脱した世界へと侵入した事となる。しかし、樹々が薙ぎ倒される端から復活するなど、想像できない。目印として、数本の樹木に傷を付けた試しはあったが、再生などされなかった筈だ。

「‥‥気になるな。サーティス、そこからでいい。地表は確認できないか?」

「え、ええ。別に良いけど————ねぇ、触ってないって、」

「しばらく、セカンドとサーティーン、後サーティスしか触ってないし見てない。これ以上は聞くな、隊長命令だ。速やかに命令を遂行されたし。報告を待つ」

 就寝時にはセカンドが。報告と共にサーティーンが。そして度々サーティスがセカンドから派遣され世話を焼いてくれたが思えば確かにシャワーの面倒を看てくれたのは、あの三人だったなと思い出していると————想像通りの回答が届く。

「‥‥ねぇ、どういう事。地面が脈打ってる‥‥」

「誰にも聞かれないように音量を下げてくれ。これはサーティスのみに伝える。今まで『聖櫃』が薙ぎ倒したのは間違いなく樹木だ、それも背中に自生した大地から生まれた植物。よって生え戻ったのは————逆なでされた毛皮。フィフスはこのまま通過し、可及的速やかに突破すべきだと言ったと伝えてくれ。これをセカンドに秘匿通信で通達。繰り返す、誰にも聞かれるな」

 流石はセカンドが指名した団員だった。一呼吸しただけで「了解」と芯の感じる声で答えてくれた。今、自分達が通過している場所は、巨大なジャバウォックの背の上だった。しかし、それが直ちに牙を剥く可能性はないと断言できた。大木が大量に自生するほど長い時間、大地と一体化、そのものの怪物なのだ、恐らく山のひとつとして数えられるに相応しい風体を呈している。

「セカンドからフィフス。これは秘匿通信です。状況は確認。それぞれの隊長達も、皆沈黙すべきだと賛成しました。やっぱりあなたは凄いのね。私達なんて、だれひとりとして気付かなかったのに」

「討伐、哨戒任務の経験が生きただけだ。元々、こういう時の為に俺が隊長として選ばれた。役に立てて幸いだ。対象を下手に刺激————今しているのか。恐らく、真下の奴には明確な意思はない、ただ呼吸をして自分で自分の栄養を造り上げるコロニーに近い。仮に砲撃をされたとしても、剥く牙がないから安心していい。あまりにも巨大に膨れ上がり過ぎて、外敵になり得る存在が居ないんだ。毛が逆立ってるのは、今まで感じた事のない刺激に対しての反射に過ぎない」

「可愛いのね。まるで、あなたみたい」

「光栄だよ。そろそろ、また俺を可愛がってくれ。暇を持て余してる」

 楽し気に「後でね」と告げたセカンドは通信を切断してしまう。

 今現在も、巨大なジャバウォック。『遺児』であれ人間であれ、その目で見れる最大級の生物の上を通過しているのだ。怪我人と悠長に会話をする余裕などないに違いない。事実として、自分も今の状況に一握の不安を抱えていた、大地自身がその身を返す、寝返りをするのではと勘ぐってしまう。しかし、「まぁ、あり得ないだろう」と寝返りを打つと、新たに通信が届く。

「‥‥あの、えっと。トイレ大丈夫?」

「それは平気だ。だけど、話し相手になってくれると助かる」

 言葉遣いと態度こそ変わらないが、サーティスとの長い会話はこれが初めてだった。

 

 



「そう言えば、俺の星体兵器はどうやって回収したんだ。『聖杯』から落とされた時、抱えて砂塵にまみれた記憶があるんだが。既に装甲車に搭載されて、起動準備まで整ってたのは少し驚かせて貰ったよ」

 狭いシャワー室で二人分の汗を流し終えた後、ふと思い出してしまった。特段、深い意味は無く、ベットに腰を下ろしながら質問してみると、セカンドは長い黒髪を後頭部に纏めながら答えてくれた。

「回収したのはサーティーンよ。あなたからの通信が途絶え、最後に船尾に確認しに行った所、件の星体兵器が手すりに残っていたと。ちなみにあなたが『聖杯』から転落した場所は、『学府』と北部山脈の丁度中間。私からすれば、そんな場所で消息を絶ったあなたが、私達より先に山脈地下へ渡っていた事の方が驚きです。私同様、あの子も多くの秘密があるのは間違いないの、だから問い質さないであげて」

 灯りを消したセカンドが、瞳に憂いを含ませながら振り向いた。

 軽い気持ちで質問したが、今の自分は彼女達が自身を削って拾い上げてくれた奇跡の体現。彼女達が聞かないで、と言うのなら自分はそれに従って然るべきだ。それが、救われた者の義務であると知る。

「わかった。もう聞かないし、知らせてくれるまで待ち続ける。─────ありがとう。助けてくれて。最初に声が聞こえた時、嬉しかったよ。セカンドの声だから、必死に応えられた」

 寝巻きに着替えたセカンドが、安堵した様に小首を傾げて微笑んでくれた。簡易的な衣、バスローブに近い姿はセカンドの白い足を広く曝け出し、かろうじて輝く窓からの光からは、光沢を彷彿とさせる色を腿と脛に付けられる。自分の艶姿を熟知しているセカンドは、艶かしく腰をくねらせ、焦らしながら歩み寄る。食欲にも近い劣情を抱いた自分は、白い小さな手と腰に腕を伸ばし、隣へ横たわらせる。

「乱暴ですね。それとも甘えん坊なのかしら?」

「セカンドが知らせてくれたんだろう。今の俺には、精神的にも肉体的にも私が必要だって」

「その通り。今のあなたには、私との蜜月の時間が必要です。その上、山脈を超えるまでの五日間という、丁度相応しい時間的余裕もある。離脱直後に溶け合えなかった時間を取り戻す為にも、あなたの時間の全ては私に捧げるべきなのです。そう、その顔は良い顔ね。もしかして─────怖いと思ってしまった?」

 まるで蜘蛛の巣だ。無知な自分はただ流されるままにセカンドの元へと辿り着き、セカンドの在り方が余りにも美しく儚かったから、触れたくなって手を伸ばした。けれど、それは全てセカンドの手の上での出来事。遠目から引き寄せられるも、色香に惑わされるも、恋敵に先を取られない為にも必死に仕えるまでも、悉くはセカンドの計画。須く彼女の元へと導かれた自分は、もう逃げ出す事など不可能だった。

「怖いですよね?恐ろしいですね?自分が愛した女が、この様な堕天使と知って逃げ出したくなりましたか?だけど、それは許されない。決して許さない。私、知っての通りとても強欲な天使なの。一度でも私の物にすると決めたが最後、泣き出そうとも離せないの。そんな泣き顔も、可愛くて仕方なくて」

 胸へと引き寄せ、白い牙を覗かせるセカンドが恐ろしかった。作り上げられた美貌を自覚し、自身を堕天使と称するに相応しい、妖しく欲望に満ちた笑みは底知れぬ魅了を感じた。

 美しい容姿からは想像も出来ない艶姿、自身の両足を大きく開き下腹部を押し付ける姿は生々しい性の匂いを覚える。蜘蛛の如く逃げ場を奪い、蛇よりも慎重に、人間を凌駕する力を持って異性を制する。この全てを自分に差し向けられた所為だ、もはやセカンド以外見えなかった。

「子は作れないとしても、模倣は出来る。だって私達は人間から生み出されたのだから」





「そのまま息を吸い続けて、はい、停止。そのまま維持を」

 白衣姿のサーティーンの操作する機械の中。カーボンと金属、プラスチックや回路で作り出されたドーナツに自分は身体の中身を透視されていた。空気を吸い込み肺を膨らませた事により、肋骨が内側から押され内臓を圧迫される痛みを覚えるも、数日間砂塵の中を漂っていたとは思えないほど、身体は言う事を聞いた。しかし、自分の状態を誰よりも知る二人によってリハビリを強いられていた。

「やはり、今も肋骨に亀裂が。ヒビが入っています。しかし、繰り返しに成りますが破片が散らばっている様子はないので内臓に突き刺さる可能性はないかと。『遺児』達の隊長ゆえの再生能力でしょうか。ただの人間では半年はかかる傷を、目に見える速度で修復し続けています」

 興味深いと、研究者めいた無表情な顔を覗かせるサーティーンは、淡々とコンソールを操作するのみで何も話さなくなった。そろそろ息を吐いていいか?と視線を向けるが、恐ろしいほどの無自覚な愛らしさを振りまいて小首を傾げる物だから、つい「ふ、」と声を漏らしてしまう。

「あ、ダメですよ。まだ計測中でしたのに。私にはあなた様の全てを知る義務があるのに」

「時間を知らせてくれ。どのくらい息を止めればいいんだ?」

「約三十分ぐらいを想定して下されば」

 と、こともなげに言うサーティーンは、やはり何が驚きなのかとわかっていない様子だった。仕方ないと、もう一度空気を吸い込み、無心で肺を抱え続けるも自分の限界は十分足らずだった。これでは正確性に欠如がありますと、首を振るサーティーンは諦めて機械の電源を落とす。

「ひとまずは、フィフス様に今必要な栄養と休息時間は測れました。五日間あれば動ける体力は戻るかと存じますが、骨の欠損は生命活動に大きく左右されます。ジャバウォック討伐も、しばらくは我々に命令して下さい。テンス様を筆頭に、討伐隊の結成は既に終了しています」

「何から何まで————サーティーンを選んで正解だった。知らないかもだが、一時サードと取り合いに成って、絶対に譲らないって言い渡したんだ。電子戦も通信も、医療も戦闘も出来るサーティーンを『聖槍』から降ろす訳にはいかないから。折れないサードに取引まで持ちかけて」

「存じております。サーティーンを渡すぐらいなら、接近禁忌種を三体同時に討伐へ行ってもいい。サーティーンには、それだけの能力がある。悪いが彼女を右腕に出来ないのなら、脱走計画は失敗に終わると言っても過言ではない。それにサーティーンは俺の愛人でもある、愛人との時間を過ごせないのなら、」

「大方、正解だよ」

 何所で聞き齧ったか知れないが、サーティーンの説明は八割方正解だった。人形が追手として放たれなくとも、何かしらの段階で『聖槍』の人員は全てが出払った事だろう。その中で、サード達隊長と渡り合える通信能力と環境認識力を持ち合わせているサーティーンを手放す訳にはいかなかった。愛人の話があろうがなかろうが、彼女だけは誰にも渡せなかった。

 ガラス一枚で隔てられた部屋の扉を開いたサーティーンが、手足の拘束を解いて連れ出してくれる。通された更衣室の鏡に映し出された自分の姿は、薄い布一枚を被った身体であった。

 下着一枚として着る事は許されず、薄皮一枚めくれば全裸以外の何者でもなく、涼しい内股には違和感しか持てなかった。その上、全てはサーティーンの手によってのみ着用を許された。

「不思議な歩き方をされますね。まさか、私にも言っていない怪我を?」

「下腹部に負う傷だったら、真っ先にサーティーンかセカンドが気付いただろう。もう少し、マシな病院着は無いのか?流石に一から織れなんて言わないけど、せめて下着を」

「こちらの機器の使用時間は決まっています。電気という限られた資源を使うに当たり、本来なら布一枚とて許し難い正確な計測が求めらているのです。私しかいないと言うのに、なぜそれ程までに衣装に拘るので?理不尽だと申されるなら、私も衣服を脱ぎ捨てても構いません」

 冗談だろうと、振り返ると自身の胸ボタンに手を回していたので、慌てて手を抑え付ける。

 その顔は決して冗談を告げる顔などではなく、自分が仕える隊長の全てを管理しなければという副官の狂気が滲み出ていた。恐ろしくもあったが、出会った頃からこうであり、それを知って自分は指名したのだったと思い出す。

「これから出来る限りサーティーンの言葉に従うよ。次からは裸になるから、サーティーンはそのまま俺に指示してくれ」

「————裸に成れと言えば、何処ででもなんて。やはり、フィフス隊長はそういったご趣味をお持ちな、奇特な方なのですね。しかし、私は構いません。セカンド様よりフィフス様の夜の奇行は聞き及んでおります。いつでもお申し付けください。愛人、伴侶のひとりである私は距離など取りませんから。英雄、色を好むのは常識。どのような色なのかは英雄それぞれです」

「わかってくれて、嬉しいよ。後でセカンドと話す内容も決まった」

 凛々と瞳を輝かせるサーティーンは床の下着から分厚いブーツ。頑丈なコートまでも手を貸してくれ、最後にはネクタイまでも整えてくれる。昨今、サーティーンが度々朝に部屋へ足を運んでくれていたが、しばらく自分でネクタイなど触らないでいたな、と自分に言い聞かせる。

「如何でしょうか、苦しくはありませんか?」

「全然。流石は俺が選んだサーティーンだ、完璧な任務遂行、感謝する。だけど、たまには自分で準備もするから、」

「まさか。あのような姿で衆人の中へ出掛けるおつもりですか?サーティーンは心に決めました、あなたが出掛ける準備を始めたのなら、必ず私がお手伝いすると。構いませんね?」

 その言葉の意味を考えるまでもなく、サーティーンに腕を取られ脱衣所から連れ出され、医療室の団員達のいる内科室へと移動。白衣とマスク姿の数人に自身の隊長の身体を説明し、隊長自身には何も言わさずに医療室から辞し、白衣を返して廊下へと運ばれる。流れるような一連の最中、やはりサーティーンは自分に必要だったなと悟る。

「サーティーン、悪いが『聖槍』に行きたいんだが————許可してくれないか」

「本来なら断じて許せません。一歩でも踏み込めば、無理にでもご自分の仕事を見つけ出してしまうフィフス様なのですから。しかし、確かに乗組員の方々に顔を見せる必要はあるかと。しばし、お待ち下さい」

 腕を離したサーティーンは、腰に差し込まれていたデバイスを手に何処かへ通信を開始する。唇を読まれぬように手で隠し、何かの暗号らしくコードブックの数ページを読む様にと説明。

 おおよそ何かしらの打ち合わせが終わった所で振り返り、再度腕を取る。

「では、出発いたしましょう」

 聖杯船尾近く。最も攻撃から縁遠い施設前から移動し、船首へと進む過程で廊下を幾度も通る。その間も『聖杯』の乗組員は勿論、『聖櫃』中に派遣されるフォースの部下に、シックスの手下等々と出会う。不幸中の幸いは、セカンド達砲撃支援の『聖釘』は、余り他所へは行かない事だった。顔と背に対しても、小声で噂されるのさえ目を瞑れば—————装甲を開いた『聖杯』の廊下はガラス張りであり、山脈の景観を眺められ、心地いい散歩経路だと呼べる。

「もし、今の状況で襲撃を受ければ、このガラスは砕けてしまうのでは?」

「常にフォースが熱源反応と自動視認カメラで周辺を監視してる。地平線の彼方から撃たれない限り、サードが直撃なんて許さない。それに、見る機会があれば確認すればいい。このガラスも強度は折り紙つきで、ジャバウォックの耐圧試験にもクリアしてる。装甲も一秒もあれば、すぐさま展開、150m砲でも寄せ付けない。意外と、サーティーンが知らない技術があるんだぞ」

 一言唸ったサーティーンだが、それは悔しさや不満ではなく、自身の知らない世界への驚嘆に聞こえた。実際、ガラスに触れて押してみたり叩いてみたりと、らしくない子供の遊びを始める程。腕を易々と挟む強大な胸部さえ知らなければ、無垢なる少女にも見えたかもしれない。

 船首に届いた時、揺れ動く連絡通路が確認できた。全長二十メートルのゴム製の通路は、強化プラスチックのステップを数百枚も重ね合わせた足場を造り、それが蛇腹の形を以ってどのような動きにも応えていた。

「常に五つのAIが通信と交信を行い、移動速度に緩急をつけ付かず離れずを続けて『聖櫃』全体を観測。それにより、一部でもスピードが落ちれば直ちに、どの艦が不調なのか表示される」

「全員でスピードを合わせてるから、誰が遅くなったかすぐに分かる。古典的だけど確実だろう」

 既に数度も渡っている筈の連絡通路を、恐る恐る踏み渡るサーティーンは更に腕を抱き締めた。確かに、もしこのタイミングで聖杯が急停止すれば自分とサーティーンは真っ逆さまに山脈に落とされるが、そのような事態既に想像し尽くしている。よって、数十にも及ぶセーフティが科せられ運用されているのだ。安全性という部分を、軽視できないとシックスが明言していた。

 揺れ動く連絡通路を渡り切った所で、自分は次点の撃墜王たるテンスに肩を貸される。

「久しぶり隊長。私の顔は忘れてない?」

「その時は思い知らせてくれ。誰が自分を選んだのか忘れたのかと。肩、助かるよ」

 同位置にある肩で運んでくれる、背の高い女性は自分とは別口の討伐任務を主としていた。それは防衛や兵器の更新など、やはり危険と隣り合わせな任務を進んで引き受けていたテンスは、サーティーンとも違った頼り方をさせて貰っている。

「団員達の様子はどうだ————それこそ、隊長の顔を忘れたりとかは」

「会話内容から察するに、今はまだ恐らく忘れてはいない。あなたとの時間が長かったのが原因ではないかしら。座学に理論を叩き込んだのは教官であっても、私達を実戦で鍛え上げたのは隊長だから。もし、あなたの顔を忘れる時は戦闘とは縁遠い世界へ渡った瞬間。必要ないと、自ら戦闘技能を捨て去った時こそ記憶を失う時だと思う」

「そうなればいいな」

「だけど、私だけは忘れない。フィフスより与えられたものは、それだけではないから」

 多くを語らないテンスの鋭い横顔には何も見通せなかった。だというのに、向けられた顔が微笑む瞬間は、心臓を鷲掴みにされる思いがした。刀剣の如き鋭い横顔の美しさに言葉を失い、それに勘付いたテンスは歯を微かに唇の奥から見せつける。準備していた手管から察するに、心底テンスは激怒している。

「悪かった、ずっとテンスにも頼りっきりで。だけど、俺にだって都合があったんだ、サーティーンがなかなか乗船許可を与えてくれなかった、星体兵器も見せてくれない。許された場所は医務室とセカンドの私室のみ。ずっと同じ部屋を巡っていた俺は叱らないでくれ」

「だとしたら、随分と私の隊長は大人しくなってしまった。サード参謀の命令違反は数え切れない、任務と言ってしばらく帰って来ないと思ったら、包帯と点滴に縛られて搬送される。不認可の資材を自力で回収した密輸品をフォース隊長とシックス隊長に預ける。可哀想なフィフス。セカンド隊長に牙を抜かれてしまったなんて─────ふふふ、それともセカンド隊長の技巧から離れられなくなってしまった?」

 男性団員と比較しても、その背格好は遜色なく兵器の扱いも一二を争うほど。そんな圧倒的な強者であるテンスは、己が権利と言わんばかりに己が隊長を責め立てる。自身の捕食者としての佇まいを把握しているテンスの言葉責めは堂に入っていた。

 よって、そんな頼りになる自分の団員の言葉を聞き届けながら無言に徹する他なかった。

「大人しくなってしまったのね。ますますイジメ甲斐が生まれる」

「テンス様、そろそろ許して上げて下さい。事実として酷い脱水症状と肋骨の亀裂。砂塵に長く包まれた事による『消去』の余波の麻痺。全身を蝕まれていたフィフス様は、自力では出歩けない程衰弱しておりました。この方自身はまるで自覚していなかった様ですが、本当に瀕死状態ではありました」

「そう。サーティーンが言うのなら、ここまでにして上げる」

 心身共に、ごっそり体力を奪われた所で艦橋に到着する。これ以上の無様は見せられないと、一人で立ち上がった自分は扉から「おかえりなさいませ。隊長殿」とAIに導かれる。

 パネルへ手を差し出し、認証を受けた瞬間────開かれた扉の奥から、自分が直接手をとって任命した団員達が出迎えてくれる。無口ながら、自分の出会った『遺児』の中で最も優しく微笑んでくれる少女。背が高く、体力と手先の器用さを併せ持つ男性。そして通信席から離れないが、手を振って歓迎してくれる短髪と中性的な少年。全員、差し出して手を握って同じ戦艦に乗ってくれた戦闘部隊だった。

「おかえり、隊長」

「お帰りなさい。フィフス隊長」

 同胞に導かれた自分は、ようやく自分に与えられた席を見つめられた。

 中軽量であり、ジャバウォックとの戦闘を最重視された戦艦『聖槍』は全身が矛であり盾でもあった。その証明に装甲に使われた素材は星体兵器に使われる、細胞と鋼が混在する星に流れる膂力そのもの。触れれば即座に対象の情報を吸収、適切な硬度を造り出し全身に張り巡らせる、特殊循環装甲を展開。

 最先端では生温い、常に進化し続ける『聖槍』の艦長席は、自身の主を求めて口を開いていた。

「さぁ、こちらに」

 手を引かれた自分はサーティーンと共に中央の台座へと踏み上がり、肘掛けの革を撫でた。

「座り心地は確認済みです」

「それは信用になる─────『聖槍』、遅くなったが誰が主か教えてやる」

 座るのは一瞬だった。軽々と腰を支えるクッションと、滑らかな合成革の感触が身体によく馴染む。

 未だ跡の付いていない新品な座席は、ようやくかと嘆息しながらもフィフスを隊長と認める様に、自身の形を変形させる。軽く天井を仰ぎ見れば、球体上のレーダーが自身以外の戦艦を映し出し、正常値を算出している。艦橋前方である船首、甲板に通じる巨大な窓へ視線を向け、『聖槍』が進み続ける山脈の世界を邪魔する者など何もいないと確認する。今までの自分では想像も出来ない広大な世界だった。

「隊長、こっちを向いて」

 テンスの言葉に従い、座りながら背後へ振り返ると─────短剣が差し出される。

「フィフス隊長。『聖槍』の艦長就任、おめでとう御座います。これは全員からの贈り物」

 一目で理解した。豪奢な装飾を成された短剣の意味を。これは───鍵だ。

「本来ならば就任式に手渡される品。だけど、初日で隊長は消息を絶ってしまったから誰も受け取る相手がいなかった。隊長の最終階級が決定された段階で、サーティーンへの意見もあったのだけど」

「私はフィフス様の存命を信じておりました。この品はフィフス様以外は受け取るべきではありません。少なくとも、私には相応しくはないかと」

「と言って、断固として拒否したの。私達もあなたを差し置いて艦長なんて名乗れない。自覚した?この艦の乗組員達は誰一人としてフィフスの死を信じなかった。きっと『聖櫃』全体が、あのサード参謀ですら自分で放送しながらも信じられていなかった。あなたの死を騎士団が拒絶した」

 鋼で形造られた鞘から刀身を引き出し、その繊細で強固な回路状の刃を光に充てる。

「‥‥‥平和な騎士団だ。団員のひとりが死亡した事すら受け入れられなかったなんて。いよいよ、俺も隊長として、艦長として陽の当たる場所に踊り出る必要があるじゃないか。いい加減、影に潜んで特務に専念するのは止める時か。『聖槍』の全員に通達する、持ち場に戻れ」

 それぞれの席へと戻ったのを皮切りに、背後の座席である副官サーティーンが『聖槍』全体の通信回路を開く。電源が入るマイクとスピーカーの音に耳が貫かれ、光が灯されるモニターの煌びやかさに目が焼かれる。そして、それらを無視しても有り余る全員の視線、機関部と兵器調整室に当たっている全員の息遣いすら感じた。

「この度、『聖槍』の艦長として就任したフィフスだ。今更自己紹介はしない、それよりも自分の役割を思い出し、先陣を切っている戦艦の一員としての自覚を持って欲しい────俺達は『聖櫃』と騎士団を守る盾であり、敵を砕く矛でもある。『聖槍』が無事ならば背後の騎士団は生き残れる。俺達がジャバウォックを一種でも多く狩れば、その情報が全体に行き渡り生存率は大きく跳ね上がる。戦闘専門として選ばれた意味を吟味し、常に自分の刃を研いでおくように。以上だ。仕事に戻れ。俺は─────自分の身体を治す事に専念する」

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