第6話
脳の裂け目から鋭い刃がその身を持ち上げ、頭蓋骨を貫通する痛みに口を歪めた。頭が割れそうな痛みは、幾度となく経験してきたが、この痛みは現実的だった。まぶたを引く筋肉に力を込めるだけで頭皮にまで痛みが走る。頬を伝う温かな体液は汗と血が入り混じったべたつく油分だった。
「まだ起きないで」
頬を擦る、この冷たい手を知っていた。怪我の熱と痛みに苛まれた身体を、癒してくれる彼女の物だ。俺の背を見届けながら、ふたりで温めたシーツの奥底から傷を撫でる彼女の物だ。
—————傷には人肌がいい。私に傷を舐めさせて————彼女はそう言って俺を引き込んだ。暗い部屋の更なる闇に包まれたシーツの中へと誘う彼女の吐息と蜜の芳香に嗅覚が奪われた。舌舐めずの音に恐怖を覚えながらも、妖しく光る目に手を伸ばした自分を止める事は出来なかった。身体が包まれる、生温かな母胎に回帰する感覚は抗い難かい、そして傷と本能を諌める彼女の虜となる。全ては彼女の脳で造り出された籠絡への道筋、あの人さえも利用した傾国。
「セカンド、」
「え、ふふふ、ええ、私はセカンド。あなたの大切なセカンドです」
伸ばされた手に頭を持ち上げられ、柔らかな地面との間に膝を差し込まれる。冷たい素足に一瞬、背筋に悪寒が走るも額からまぶたまでを撫でる手に意識を奪われた。
「焦らないで。確かに私はセカンドですから。だって、あの子が私に意識を与えたのだから。だけど、大きく変わってしまいました。この星界に適応するには、この姿形が最も相応しいと、世界に刻まれているようです。ふふ、この黒髪、今しか楽しめないなんて。少しだけ残念ですね」
声色で気付いた。セカンドではないと。瞬く間に身体へと走る緊張感と改めて感じる痛みの数々に、自分は曖昧な存在と成った。何処にいるのかも、何故、この存在が微笑み掛けているのかもわからない。————少なくとも。この存在は人間ではない。ましてや————。
「‥‥あなたは誰だ—————なぜ、この星に降り立った」
「まさか原因たるあなたから問われるとは。困った人、ますます監視したくなってしまう」
口が真横に開かれる。巨大な眼が開かれる。この感触は、決して幻影ではないと悟った。
「だけど、それは私の子に任せましょう。彼女も、そろそろこちらに気付く筈。ただ、独占欲の強い子ですから、私に触れたあなたには決して近づかないでしょうね。ねぇ、天使様」
「天使—————?」
「ええ、天使様。だって、あなた達は理から外れた御使いなのだから。天使という名が相応しいでしょう。それに、あの方の子供なのならやはり天使が正しい。ああ、だけど、騎士団と名乗っているのでしたか。—————それが良い、あなた達は騎士団と名乗り続けて下さい」
目が覆われた状態では、この存在を見る事さえ叶わなかった。だけど、自分達『遺児』とも人間とも格が違う在り方に、今までの見識を当てはめる方が間違っている。ジャバウォックは『消去』の弊害で生まれた特異な生物、ならばそれを喰らう為に訪れる『存在』が降りたっても不思議ではないと、理解していた。星間飛行すら可能な究極的な生命体を知らせる文書を得ていた。
「あなたは、俺に何をする気ですか。ジャバウォックを喰らいに来たのでは」
「ジャバウォック?ああ、確かに少しだけ嬲って来ましたが、思った以上に簡単に死んでしまってつまらなくて。彼らも、この星の常識に合わせて造り変えられてしまった生物なのですね。では、質問にお答えします、私はあなたを見つけに来ました、そしてこうしてあなたを癒しにも」
別方向から手が伸びた。その手に、砕けた胸を撫でられる。
折れた骨が内臓と血管、皮膚を突き破っていたのだと、その時に気付いた。触れた手が胸から突き出す固体に触れた振動を感じた瞬間、途端に身が引き裂かれる痛みに血を吐き出した。
「あは♪可愛い。彼女には申し訳ありませんが、私も生物ではありますから。苦しむ者は好きなのです。そして、抗う者も好き。ふふ、ごめんなさい、だけど許して。これはセカンドの深層に潜んだあなたへの加虐心が顕在化した行為。苦しむあなたが好きなのは、セカンドもなの」
身体を擦る手はひとつやふたつではなかった。身体中に伸ばされる手が、肌の全てを包み込み遂には顔にまでも届く。まるで巨大な何かに喰われ、徐々に分解され吸収されている様だった。
「さぁ、あなたに新たな身体を与えましょう。これは私からの贈り物だと思って下さいね」
身体が動かないのは手足が無かったからだった。中程から無くなっていた腕と足、胴体を掴み取り————そのまま新たな肉の塊が宛がわれる。
それは一瞬の出来事だった、身体の上から降り注いだ光線によって確かに身体が溶かされた。
悲鳴を上げる間も無かった、かろうじて残っていた肌と筋肉と骨が身体から完全に逸失し、残るは眼球と脳だけと成った瞬間に携わっていた手達に新たな身体が縫い付けられる。
溶かされた身体と寸分違わぬ筋肉と腱が、骨と共に与えられ、血管と神経が通される。零れ落ちそうな身体は更に手によって抑えつけられ、上から皮膚が被さった。そして手の触覚、皮膚の痛覚を取り戻す。同時に身体中を擦る手の感触に、懐かしさを取り戻した。
「教官の手だ」
与えられた気道は正常に動いた。吐き出す息は生暖かく、弛緩している身体は熱を帯びる。脳に届けられた血と酸素によって視界が正確に映し出され、黒い薄手の布に覆われた手がはっきりと確認できる。その手はセカンドの物ではないと確信を持って断言できた。
「あなたは一体」
「ふふ、私と視界を合わせて交渉の席に付かせるなんて。なんて悪い子達。だけど、だからこそ楽しいと思ってしまったの。今後は、もう少しだけ私を楽しませて、そうすればまた今度———」
「フィフス」
今度は意識が判然としていた。呼び掛けられた声に反応すべく、自分は喉を張った。しかし水を失った喉は一言だけでひび割れ、咳き込む力さえ無く身体を軋ませるのみ。だけど、砂塵の地面を掴む指の感触に心が落ち着いた。起き上がる胆力は無かろうと、寝返りを打つ為に残り少ない意識の全てを注いだ。ゆっくりと頂点を捉え、その勢いでパタンと転がる。
「え、どこ?」
今度こそセカンドの声だと察した。たったそれだけで血に熱を感じた。
「もう一度音を立てて、必ず見つけるから」
静まり返る砂塵の上、最後の機会だと意気込んだ自分は顔の大半を砂塵に押し付けながら砂に拳を落とした。力ない虫の囁くような音、きっと諸人ならば風が吹いただけだろうと無視する砂のさざめき。だけど、たったそれだけでセカンドは自分の頬へ手を差し伸ばしてくれた。
「脈はある。急いで装甲車に————セカンドからサーティーンへ、フィフスを発見しました。至急『聖杯』に通信を求めます、そして一秒だけ信号を送るからこの場に急行して下さい」
あのセカンドがここまで取り乱すとは思わなかった。同時に至急と急行とを使うセカンドが、救難信号を送るべくデバイスへ指を押し当てた後、すぐさま身体をを抱きかかえ頭を抱き締めてくれる。髪を乱して、必死に探索してくれていたのだと微笑む顔で想像がついた。
「あなたの所為で目元が腫れてしまったの。髪も落ち着かないし、肌も荒れてしまって。完治するまで『聖槍』には戻らせないから————私の『聖釘』の部屋で休ませるから。サードにもフォースにも渡さない、あなたの全ては私の物。私しかあなたの傷には触れさせませんから」
地面を揺らす装甲車は数分も掛からず到着した。転がるように飛び出た足音は、数歩歩んだだけで耳元に到達。顔を合わせる力は無かったが、身体に落とされる影の大きさでサーティーンだと悟った、そして膝を突いていたセカンドと共に身体を引きずられる。
「申し訳ないけど、こうしないと運べなくて。我慢してね」
「誠に申し訳ございません。しかし、こう運搬するのが最も身体には負担を掛けない方法だとセカンド様と話し合った結果です。私は担架のひとつでもと思っていたのですが、」
「こうやって隣に居座る悪い子だからフィフスも気を付けて」
両腕を取られ、脱臼でもしかねない力で引きずられた自分は、やはり背中を強く打ち付けられながら装甲車の中へと引き込まれる。天井と壁を見渡すとサードの指示で改築されたらしく、車内にはベットと点滴といった医療設備が搭載されている。そして「一緒に」とセカンドとサーティーンが腕に力を込めた結果、自分は牢に蹴り込まれるようにベットへ投げ出された。
「点滴の準備は終わっています。セカンド様は腕の殺菌を」
枕元のスタンドに吊られた、血のパッケージの管の先を掴み取りながらサーティーンが発言。
二人共冷静に見えて、内心は驚嘆していたらしい。右腕を殺菌し始めたセカンドに左腕を視線で知らせると、「あ、ごめんなさい」と謝られる事から始まり、左腕の殺菌が終わった暁には輸血をしようとサーティーンが身を乗り出す。全力で首を振って、必死に視界をスタンドに向けてようやく間違いに気付かせられる。意識を失くしたままなら、自分はどうなっていただろうか。
「え、水。わかった、だけど沢山は飲まないで」
三度、視線で袂のペットボトルを指し示すと、世話を終えたセカンドが蓋を開けて飲ませてくれる。しかし背中に腕を渡しながら、唇が湿る程度にしようと僅かに傾けるに留められたから、自分は抗って全力で水を啜った。驚きながらも最後まで飲ませてくれたセカンドへ。
「助かった‥‥ありがとう。やっと伝えられたよ」
「酷い声ね。だけど良かった。─────あの方とは話した?」
腕に針が通され、血管へ到達する。僅かな抵抗感を覚える点滴の処置に顔を歪めながら頷いた。それに対してセカンドは「後で話しましょう」と運転席へ踵を返し、無言のサーティーンはその後もシーツを胸にまで掛け、酸素マスクを顔に装着させる。これ以上は聞くなと暗に告げられている気がした。
「セカンド、何を代償にした」
「何も。少なくともあなたが気にする事じゃないから安心して。私達は軽く会合をしただけですから。まず、フィフスは声も止めて休んで、しわがれて本当に酷い声よ。サーティーンさん、その人の世話をお願い──────セカンドからサードへ。今から『聖櫃』への合流を目指します」
アクセルを静かに踏み付けるセカンドに操られた装甲車は、砂の大地を踏み付けた発進する。仰向けになっている自分、ひいてはベットの袂に設置された椅子に座るサーティーンに年下をあやす様に胸を叩かれた。自分の想像以上に、この身体は疲弊していた、胸を手で温められるだけで眠気が誘われる。
「粉塵が舞ってるのか」
窓の外へ視線を向けながら、微睡みを楽しむ。夢心地な環境に笑みが溢れる。
「いいえ、違いますよ。ここは砂塵の中。地中深くです」
瞬時には理解が追い付かなかった。また、それ以上の質問も掛けられなかった。先手を打ったサーティーンが首を振る物だから、大人しく点滴と酸素マスクに身を任せ、装甲車を叩く風の音に耳を澄ませた。
だが、襲撃は突然訪れた。
車体を大きく揺さぶる一撃にセカンドが苦し気な声を漏らし、サーティーンが俺に覆い被さってベットから落ちない様に努めてくれた。だが、この状況で大人しく眠れる程、自分は豪胆ではなかった。間近にあったサーティーンの顔へ瞳を向けると、当然にサーティーンは首を振って「動いてはいけません」と迫るが、自分は彼女の背を撫でて微笑み返す。
咄嗟の隙を付き、今も横滑りしている車体のベットから起き上がりサーティーンと共に車体へとしがみ付く。サーティーンの頭の先を見据え、自分はある一連の過去を呼び戻した。それは彼女に名前を与える前の一夜、彼女と共に『塔』まで戻るまでの過程であった。あの夜も、同じ様に装甲車へと乗り込んだのだと。
「セカンドはそのまま直進。サーティーンは俺の星体兵器の準備を———」
呆れたと言いたげに鼻で笑うセカンドと、頬を膨らませながらも準備に取り掛かるサーティーン、二人に自分は背を向け、あらゆる生命維持装置を取り払い、ベットから転がり降りて装甲車の背面窓から外を窺う。可能だと自分に言い聞かせた。追随しているのは地面を這って移動するジャバウォックであったからだ。
「ここは地中だと言ったか。なら、飛翔種はいないと判断していい、違いないか?」
「私達も、ここを発見できたのは最近だから何とも言えません。しかし、ここに到着するまでは見かけておりません。フィフス様、準備が整いました—————どうぞ、手に取って下さい」
先ほどまで背中を置いていたベットから対岸側、そこは三つの巨大なカプセルに占領されていた。
縦に置かれたカプセルのひとつが広がり、サーティーンの兵装が姿を見せる。装甲服に乱戦用デバイス、サイドアームに軍靴。頑丈な武具の数々を装着し始めたサーティーンは、やはり迷う事なく衣服を脱ぎ捨てる。
「サーティーン、せめて影に隠れて」
「緊急事態です。それとも、フィフス様はこのような場でも私の素肌に欲情するのですか?『遺児』には子を残す力が無いとしても、生命の危機に子孫を残そうと画策、尽力するのは男性の性なのでしょうが、時と場合をお選び下さい。その勃起した陰茎は装甲服に収められますか?」
運転席からセカンドの微笑が聞こえた気がするも、構わず自分も砂まみれで切り裂かれたままの軍服を脱ぎ捨てた。最短で準備を整えたサーティーンから肩を貸して貰い、コートを纏った後に暗視ゴーグルと望遠機器を頭に被せたのを確認——————最後に一際巨大な銃身を手に取った。
「フィフスからセカンドへ。装甲車背面の解放を要求する、ここから迎撃する」
「セカンドからフィフスへ。要求を受諾。今度こそ、あなたの手で迎撃して」
サーティーンと共に装甲車床へと腹這いとなると、許可を与える様に背面の扉が広く開かれる。影を作る天幕へと姿を変えた甲板から、左右に開かれる衝撃吸収板が完全に視界から取り除かれた時─────追跡するジャバウォックの装甲車にも匹敵するほど巨大さに視界が埋め尽くされる。その上、その凶悪な貌に相応しく強靭な牙までも生え揃って見えた—————気が抜けてしまう程、恐ろしい存在だった。
「いつ見ても恐ろしい姿ですね。あのタイプとの遭遇、これで何度目でしょう」
「サーティーンとの初討伐以来、派遣される度に見かけているんだ。過去数年直近の任務数で数えた方が良い。それにあれは獲物の一つ、売り払う毛皮に過ぎない。狩りの対象に過ぎない」
「その通りですね。あなたとの派遣任務の数こそが証」
狙いを定めたと、固定した銃口で合図を見せるサーティーンへ自分は軽く手を下ろした。
車内に反響する音は楽器にも似ていた。鋼の唸る甲高い銃声が耳の奥へと届き、排莢された金属音が床に転がった時、追跡する鎌首を貫通した巨大な弾丸は直ちにジャバウォックの息を奪った。
そして力を失った巨体が前のめりに転がり、装甲車へと激突─────するだろうと想像通りのコースを飛んだ死体へ自分は銃口で迫った。
数瞬で合計4発の弾丸、弾丸内の鉄片を受けた巨体は見る見る内に粉々に移り変わっていく。鼻腔に届く鮮血の香りが忌々しくもあったが、それが自分達の討伐終了の合図でもあった。首は中程で切り落とされ、胴体は血が噴き出す穴だらけに、強靭な牙と巨大な眼球はその姿を完全に失い砂へと落ちる。
「熱源確認を開始します─────追手は発見出来ず。サーティーンからセカンドへ」
「セカンドからサーティーンへ。探知レーダーには近辺にジャバウォックも人形も人間も発見出来ず。私達はこれでようやく自由に成れという事なのね。隔壁を封鎖、扉を閉めるから注意して」
電動システムの轟音を立てて、元の位置へと戻る三枚の扉を見届け、自分はようやく大きく息を吐けた。思えば、車両に乗ってからという物、深呼吸などしていなかったのではないか。一足先に立ち上がって銃底を床に置いたサーティーンが「手を取って下さい。一人で無理はしない様に」と声を掛ける。
「サーティーンさん、しばらくそのままにして上げて。きっとまだ人前では立てない状態だから」
「失礼しました。しかし、私は構いません。宜しければ確認させて頂いても」
「ああ、少し疲れたから大人しく休ませて貰いたい。サーティーン、足が痺れているから手を貸してくれ。セカンドはサードに熱源探知を始める様に通達、フォースには画面回線を繋ぐ要請を」
割と世俗的な事を言う清楚な二人から好意に甘えて、自分は再度ベットに。そして車内に設置されていたモニターへ横になりながら顔を向ける。サーティーンが酸素マスクや点滴、更にはシーツを下腹部に乗せるのを無言で見納め、軽く頬をつねると、「今までこんな事された試しなんて」とでも言う様に驚嘆の声を発する。何か言い返す時間もなく、映し出されるそれぞれの顔に声を発した。
「フィフスから『聖櫃』へ。これより帰艦する。しかしご覧の通り身体は動かない。セカンドからの提案により、しばらくは『聖釘』で安静に回復に努める。隊長不在時にはサーティーンへ通告されたし、『聖槍』の団員達もサーティーンの指揮下に入って貰う。脱出早々に姿を消してと疑うだろうが、よろしく頼むぞ。俺から以上だ────」
そして、今まで何処に居たんだという当然の疑問を筆頭に、あらゆる質問が洪水となって耳に届いたが、察してくれたセカンドがモニターとスピーカーを消した事により、自分はサーティーンに手を握られながら安眠に付くことが出来た。車体を揺らす砂の山すら自分には揺籠と感じた。
「まさか生きてるとはなぁ。テメェもよくよく悪運が強いみてぇじゃねぇか」
「俺の悪運は『騎士団』に戻って来れた事か?なら、悪運の権化は騎士団そのものに成るんじゃないか」
「ハッ!!違えねぇ。だけど俺達はフィフスの悪運に導かれて生きてんだ、やっぱりテメェが一番の悪運の持ち主だ。話は聞いたな、今んところは『学府』からの動きはなし、追手も交渉も届かねぇ。登山予定口まで到着した俺達は一時的に、今も山脈の陰に隠れてる。地下からお前の反応があったのはただの偶然だがな」
「やっぱり悪運かよ」
見舞いという名の報告に来たシックスを横に置き、自分は天井を見つめていた。腕に繋げられた点滴によって、幾らか唇が瑞々しくなったと自負し、流動食も多少は飲み込める程となっている。シックスらが率いた『聖櫃』は、山脈越えの装備装着と共に物資回収の為に数日の停泊を続けた結果、件の地下洞穴を発見したとの事だった。
「お前がいなくなった日から数日間は最悪だったぞ。セカンドは昔に戻ったみたくぴくりとも笑わねぇ。サードも報告と伝令以外、何も興味を持たない。フォースは狂って、毎日同じ事を繰り返して笑い続ける。正直、騎士団分裂も遠くない、それぞれがそれぞれ『教府』に向けて出発する寸前だった─────まぁ、俺が提案する気だったんだがよ。セカンドはこのままフィフス探索に当たれって言ってな」
「今は、今はどうなんだ?」
「『遺児』も人間も結局は変わらねぇなって思っちまった。つまるところ慣れだ慣れだ。サードが山脈超え兵装が完成した暁には、フィフス隊長は死亡認定するって宣言した。たったそれだけでどいつもこいつも、お前の死も現実も受け入れて騎士団は元に戻った。ちょっとした休暇を挟んで昨日、改修は完了。今日の朝、お前は戦場で死亡したから二階級特進。晴れて大尉殿って通達されて、全人員で黙祷したら皆んなが皆んな、そういう風になった。惜しかったな、今日まで発見されず、明日にでも出発してたらお前の最終階級は大尉。サードもセカンドも超えて、直々の教官部下に成れたかもな」
らしくなく、饒舌なシックスに自分は苦笑いを向けた。満足気に頷いたシックスが肩辺りを叩いて「ジャバウォック討伐はフィフスが居ねぇーと始まらなかった。精々、束の間の休息を楽しめや。サードにも伝えて来てやる」と退室した。彼も彼で、狂う寸前だったのかもしれない。自分達の指針でもあった教官を失って数日も経っていない中の自分の失踪だ。最も軍属として生き続けた、さしものシックスでも堪えていた。
そして見計らっていたらしく、セカンドが入れ替わりに入室。
出迎え為に起き上がった身体に手で押され、横に戻ると「待っていて」とシンクへと立った。迷いなく水を流す手に視線を向けると、振り返ったセカンドが答えを知らせてくれる。
「あなたが失踪した日の夜。酷い大雨、いえ嵐に巻き込まれたの。お陰で水は大量に確保できるし、循環装甲は喜んで機関部に熱を供給してくれる。『学府』も戦艦を差し向けられなくて、あっけなく逃げ切れてしまう上、ジャバウォックも身を潜めて素通りさせてくれる。現在の北西深部に停泊出来ている状況は、サード曰く奇跡の様だって。このままなら山越えにおける水の心配は要らないだろうって————あなたが導いてくれたみたいだって」
「‥‥喧嘩はしてないだろうな」
「まさか。そんな心の余裕もなかったわ。本当にみんなには迷惑をかけてしまった」
ポットを火にかけたセカンドがベットへと戻るも、背を向けて座ってしまう。顔を見たくなった————肩に手を伸ばし胸の内へと引き寄せ、顔を埋めさせる。
「どうかした?」
「セカンド、俺の役割は討伐と斥候。現地に赴いての実力行使だ。確率だけで見るなら、俺が最も死にやすい。シックスから聞いたんだ、昔へ戻ったみたいに笑わなくなったって。団員を放置して消えた俺が言えるガラでもないけど、皆の前ではセカンド隊長として振る舞ってくれ」
「————酷い人。何も言わず、私をひとりにしたくせに」
「ごめんな。だけど、聞き届けてくれ。この騎士団にはセカンドが必要だ。きっと俺以上に」
起き上がったセカンドが馬乗りに成り、顔を掴まれ瞳を覗かれる。無言と静寂の中で、セカンドの香りが漂うシーツの衣擦れの音が響く。そこでようやく気付いた、彼女の思考が。
「勝手に消えて悪かった。もうひとりになんてさせない、セカンドの恋人は俺だから」
「やっと謝ってくれましたね。あと数秒でも遅ければ、罰として————楽しみにしていて下さい。ええ、フィフスの言う通り私は隊長として振る舞うべきだった。無理をしてでも気丈に振る舞うべきだったのです。しかし、教官もあなたも失った私には、この世界は酷く息苦しかった、あまりにもあなた達の記憶が私には重すぎた—————あなたの記憶を胸に走る事が出来なかった。抱えるだけが私には限界でした。だから、どうか私の生きる意味と成り続けて、重荷を共に背負う伴侶と誓って下さい」
「誓う、俺はあなたの生きる理由に成ろう。セカンドの隣に居続ける伴侶と名乗ろう。意味と理がなければ、俺達はあまりにも脆すぎる。『遺児』である我々が、世界で生き続けて生を謳歌するのはあまりにも虚し過ぎる。だからせめて、誇れる存在と成り続けよう。俺はセカンドの伴侶にして『聖槍』を率いる討伐部隊隊長、フィフス少尉。この星の誰よりもジャバウォックを討伐した騎士にして天使のひとり」
薄く、諦めた様に。受け入れて覚悟した様に。笑みを浮かべたセカンドが身体へと覆い被さる。
点滴を打たれた腕がもどかしい、引き寄せるべきセカンドが身体を慰撫するのみで、自分はされるがままだった。身体がセカンドの舌で嬲られ、セカンドも己が行為に興奮しているのが血の気の刺す肌で見て取れた。自身の私服たるスカートを脱ぎ払ったセカンドがシーツの中へと潜り込む─────水を差したのはポッドの呼び声だった。大きく溜息をした彼女は脱いだスカートを腰に戻しシンクへと歩む。
「あなたは、まだ本調子ではありませんでしたね。お互い、しばらくは清い時間を過ごしましょう。あの地下空間をあなたも知らないのなら『学府』も発見出来ていない。そして全員で交代にジャバウォックへの見張りを続けているので、あなたが無理に出撃するまでもありません。山脈を越えるまで休んで」
「ずっと、この部屋で良いか?この身体だと連絡通路を渡るだけでも一苦労なんだ」
「幾らでも居座って下さい。事実として、あなたは今死に掛けているから、縛ってでも休んで貰います。だけど彼女、サーティーンの事も気に掛けてあげてね。今も頑張って指揮を続けているから、しばらく休ませて上げられていない。安心させる為にも『聖槍』の団員達にあなたの声を聞かせてあげて」
わかったと頷いた自分は、艦内通信の受話器を手に取って『聖槍』の番号へと繋ぎ、「先程言った通りだが、俺はしばらく『聖釘』で治療する事となった。要件がある者はサーティーンを通して俺へ通達する事。サーティーンは、内容の大小に関わらずまず俺に報告する事。全員、抱えている物は共有する様に。しばらく討伐と監視に気を配る生活が続いているみたいだが、もうしばらく頼む。すぐに俺も戻る」
と言い終え、受話器を元の位置に戻そうとした時だった。待ってましたとばかりにサーティーンが部屋に飛び込み、タブレットを差し出した。抱えていた案件と思わしき文章の羅列に気絶しそうになった所で、「やはり、フィフス様はもうしばらくお休み下さい。異議は認めません」と囁いた。
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