第5話

 追手は人形だけに留まらず、街角から現れたのは先程の装甲車群であった。自分達が駆る車両の番号を通達されたらしく外観は全く同じだというのに、迷う間もなく的確に左右へ横並びにし、タイヤへと車体を打ち付けてきた。しかし、ああいった手段は一般車両で行うべき捕縛術の一種。戦車に対して行う技術では無かった─────削られる車体の音は不快ながらも、逆に言えば向こうも予想外の事態に直面していると告げたのと同意義だった。騎士団の本隊、『聖櫃』の進行を止められずにいるのだ。

「フィフス様」

「わかってる。焦ってない、だけど悠長にしている暇もない」

 屋根へと降り立った人形の足音が頭蓋を叩く。目に見えぬ者に対しての不安は断続的に恐怖へと変貌する。しかし、サーティーンに命令を下す筈もなかった。正体を知ろうと近付けば返り討ちに遭い、そのまま行方をくらませる。全て教師より習った心得だった。

「迎撃する必要はない。誘われているだけだ。騎士団も『聖槍』の乗組員が出撃し、セカンドが砲塔を担っているのなら、自動人形も外殻の防衛も任せられる。俺達は、俺達に集中すべきだ。サーティーン、このまま単体で北部の山脈まで走った場合、どれだけ掛かる」

 間近に見える北部の大門。鋼鉄と電子センサーに形造られた巨大な壁の袂には、自分達が使用していた格納庫、車両や武装が収められた巨大な倉庫が顔を見せていた。本来ならば、開かれている格納庫へと直行し、武装が搭載された車両へと乗り換えるつもりではあったが、それは叶わない—————駆る装甲車も、広義の意味では戦車という枠に入れられる車両ではあったが、あくまでも輸送用。滑空砲も武装も積んでいる訳がない。あの門は越えられなかった。

「迷っていられるのですね。また、お忘れになったのですか?」

 僅かにアクセルから足を離し、エンジンブレーキを発動させる。急激な減退について来れない左右の車両は自分達を大きく越え、ブレーキも踏まずにハンドルを切った結果横滑りをしコントロールを失う。それは横転という結果に陥る。そして自分の繰り出したブレーキの余波は、それだけには留まらない。

 慣性に従って前方へと投げ出された、翼を持つ人形の二体が地面へと叩きつけられる。アスファルトに黒い装甲を擦りつけ身体を破損させる姿を視界に収めながら————自分は構わずアクセルを踏みつける。細胞と鋼に覆われた身体とは言え、10tにも及ぶ質量で轢かれた結果、関節の砕ける硬い音が耳に届き、死に掛けの虫の如く手足を痙攣させる光景がミラーで確認できる。

「お見事。バイオレンスでごさいます」

「褒め言葉として受け取っておく。————ああ、また忘れそうになってたよ」

 差し出されるデバイスへ声を掛けた。

「セカンド、頼みたい事がある」

「ええ、実は私もあなたに言いたかった事があるの」

 





 砂塵が舞い上がる光景を艦橋から望み、青い皮膚から突き出された砲台へ狙いを付ける。巨大な壁の頂上より向けられる砲台は、本来は接近禁忌種に対しての最期の砦。現在、自分達の知る所では今までジャバウォックによる徒党を組んでの襲撃が無い以上、伝家の宝刀と化していたのだろう。だから————自分は一切の躊躇なく、迎撃し続けた。

 赤熱化した榴弾は星の如く。自身の質量が摩耗するまで一直線に飛行する。音を置き去りにする巨大な狙撃は人ひとりは収められる巨大な砲口へ突き刺さり、内側から破裂、自壊させる。

 やはり自分には躊躇や手心と呼ぶ、人心の余裕を持ち合わせていなかった。

 念の為、一応の為、万が一に為に。

 そういった装備を一度でも駆動させる光景を見れば、僅かに心にさざ波が立ったかもしれない。けれど、我々洋館の遺児が完成した暁には、全て自分達に討伐任務を押し付けていた。傷に苦しむ彼にも、構わず命令を下した『学府』に、なんの戸惑いがあろうものか。本来ならば、今も『学府』の中心で煌々とする『塔』を狙いを付けたい程だった。

「第四砲塔左中間二番に広域榴弾砲装填開始————」

「了解」

 左右に銃身を切り、対象を捕捉。縦に狙いを定め距離を計算。後は引金に指をかけるのみ。

 唯一の精神感応戦艦たる『聖釘』は、私の意識と完全に一体化する。首を曲げれば外部カメラがその方向を向き、目を凝らせば推定10キロの彼方まで視線を飛ばす事すら可能であった。戦艦たる私は意識の中で拳銃を持ち上げ、単に引金を引くだけである——————砲身を貫通した弾丸は『学府』の天窓に当たる皮膚を内側から突き、威力を全て奪われた時自然落下を始める。可能な限り破壊活動は最小にとサードより通達されていたが、自分は薄くに笑んでしまう。

「感謝してね、フィフス。これでまたあなたは私に救われた」

 自分には星見————占いなどではない、星から見降ろす力が授けられていた。落下した弾丸は、彼の車両を阻むべく壁となっていた装甲車群の中央へと突き刺さり、まとめて破壊する。死んだかどうかはどうでも良かった。火柱が上がらない事から、あくまでも車体を破壊し、エンジンだガソリンには引火しなかったと判断する程度。自分にとって人間の命も、命のひとつに過ぎなかった。ただの残骸となった鉄片の最中を疾走する彼を見渡し、瞳を閉じる。

「甲板のあの子はどうしてる?」

「既に8体を撃墜。負傷もないとの事です」

 思わず自分へ苦笑いをしてしまう。彼が選び、手ずから指南した部隊員なのだから、この程度驚くまでもない。むしろ、彼女は当然だと朗らかに元気よく答えるだろう。

「————そう。もし負傷したのなら、速やかに艦橋へ向け入れて下さい。可能なら水分も」

「了解です」

 西部外殻より逃走を始めた『聖櫃』は北部外殻へその鼻先を見せつけていた。現在『聖槍』の指揮権はフォースと搭載したAIに渡っているが、余りにもフォース隊を過剰に酷使している。誘導弾を混線により無力化、発射口内で自壊させる働きすらも。これ以上、彼女に負担を強いる訳にはいかない—————後は、山脈へと全力で発進させるしか任せられない。

「————ふふ、噂をすれば」

 フォースより通信が届いた。モニターに映し出される彼女の顔は疲労困憊ながらも、未だ自分の役割に徹しようとという気概が感じられた。それは背後の団員、耳元のマイクを声を掛けながらコンソールを叩く者達も漏れなかった。『聖十字架』はあらゆる通信、電子戦に対抗できる設備を積んだ結果、彼女のように集中力が長く続く団員が選ばれているのだから。

「フォースからセカンドへ!!『聖槍』滑空砲の準備は整ったよッ!!」

「セカンド、了解しました。セカンドからフォースへ————こちらも、『小さな怪物』の装填準備が終了しました。余剰に用意して正解でしたね。セカンドからサードへ。既にフィフスは格納庫へ侵入成功。今も逃走を続けており、いつでも構わないとの事です」

「サード、了解しました。あなた方のタイミングでの発射を許可します。シックスも新たに装甲をパージしたとの事。彼との合流の機会は、これを以って他にありません。セカンド、彼は『聖釘』への搭艦を望んでいるのでしたね、現状を鑑みてこれ以外の選択肢もないと判断。甲板の準備を終えて下さい」

 ついモニターに映る自分の顔を確認してしまう。式典に備えて準備を終えていた我が顔は、いつにも増して眩かった。それは、この危機的状況でも変わらない。甲板を整えるよりも容易かった。

「セカンド了解。装甲車も保有するでいいのね?」

「ええ、思わぬ収穫です。私の『聖杯』に搭乗させて貰います」

 いよいよ、この脱走劇は終焉を迎える。『学府』より与えられた命は『学府』によって奪われる。そう信じて疑わなかった過去もあった、なんて愚かな思考であった事だろうか。

 今も空を飛ぶ人形達を撃ち落とす者の背が見える。その人は、甲板にて舞を実演。頭上より飛来する槍を迎え入れるように一歩前へ踊り出て両手を開き、紙一重で躱す。その間隙、新たな塵が身体に付着する時間すら与えず、自身のスカートが僅かに捲れるのも厭わず、すれ違いざまに頭部に銃口を突き付ける。破裂した頭部の持ち主は、眼下の砂塵の海へと呑み込まれる。

 美しかった。その姿から感じ取れる面影には、やはりあの人がいる。

「サーティーン。最近、あの人との距離が気になっていたけど、やはり好敵手は避けられないものね。そして居なければならない壁でもある。高い確率で甲板のあの子だと思っていたのに————思わぬ伏兵は、望む所————やはり、あなたは私の物にしなければね」





 戦闘ヘリから戦闘機、多種多様な武装の最中にはホバー移動可能な戦車の姿すら発見できる。これほどまでに戦力が揃っていたのなら、自分達にも貸し付けてくれればと、苦笑いを浮かべる。追随の手は止まなかったが、追撃の構えは感じられない————格納庫であり武器庫でもある施設で、火花を散らす愚行は成せないと、悟ったらしい。

「『小さな怪物』、外殻のみを喰い荒らし、細胞壁の一部分と共に対消滅する細胞でしたでしょうか。私すら風の噂でしかなかった技術を、現実の物とするなんて。もしや、フィフス様が持ち出した物の一つ?」

「教官より賜った特務の過程で出会ったんだ。『学府』が一枚岩じゃないのは、物心付いた時から察してはいたが、強権制度が余りにも裏目に出たらしい。それぞれの研究機関で作り上げた物は全て『塔』に召し上げられる、なんて事をしていれば反感が生まれるのは当然だろう。だとしても、あの『委員会』の事だ、反感も反骨精神も、科学技術、学問発展の礎と宣っているかもしれない────」

 冗談半分で口にした戯言であったが、隣へと戻ったサーティーンは「確かに」と至極正面から受け取ってしまった。生まれた時からずっと、あのドームに封じられていた彼女からするとあながち冗談どころか、思い当たる節の幾つかがあるのかもしれない。さもありなん、学府の闇は何処もでも深い。

「フィフス様、」

 サーティーンの言いたい事はすぐ様理解出来た。背後から響く罪状を数える声へ耳を澄ませる。

 ─────上官殺しは重罪である。『倫理委員会』へと出頭し、事実を全て説明せよ。また団員へと命令し『学府』の資産である戦艦の返還、並びに『学府』への敵対行為を直ちに停止し降伏せよ。さもなければ更なる実力行使も厭わない。既に本隊である騎士団は包囲され、駆動を静止している。これ以上の反抗を繰り返せば、無用な血が流れる事だろう。繰り返す、『騎士団』よ。これは紛れもない反逆である。直ちに『学府』へと帰還せよ─────。

 自分に投げられた言葉はこの程度。侮られているのは理解しているつもりではあったが、煙たがられているのは承知していたが、まさかこんなにも、ガキの説教の延長線上を言い渡されるとは思わなかった。ハンドルを握る手に力が入る。踏み付けるアクセルが反発し、速度を更に吐き出す感覚さえ覚える。

「────まるで挑発。追い立てられてるな」

「では、どうされますか」

「どうもしない。俺達は選び終えた。『学府』の銃口ではない、俺達は、もう『騎士団』なんだと」

 ─────まるで啓示でも受けた様だった。

 視線を向けた先には、巨大な鋼鉄の門がそびえている。自分達が駆る装甲車の突進など物ともせず弾き返す事だろう、そしてその瞬間、自分達は騎士団最初の囚人にして、最後の死刑囚と呼ばれる。我々『騎士団』は自身の上官を殺め、配備された戦艦を奪って脱走し、自らの隊長すら見捨てる最悪の犯罪者と後世まで謳われる。ついぞ、あの人の本心を聞き出す事は叶わなかった。

「フィフス様」

「サーティーン、どうか俺を信じてくれ」

 更にアクセスを踏み締める。エンジンは轟音を立て熱を吹く。コンクリート床へ焼け跡を残すタイヤは悲鳴にも似た鳴動を引き起こす。目指す場所は門に閉じられていた、分厚い黒い鋼は許された者にしかその身を開けない。『学府』という主から逃げ出し、あまつさえその秘宝を奪った者など断罪して然るべきだと叫ぶに違いない──────既に我々に主などいなかった。既に我々の主は、我々であった。

「サーティーン。俺を選んで正解だったか、お前の望んだ外は正しかったか」

 世界の全てから鳴り響く宣告は、自分には鋭かった。背中の皮を引き裂き、後頭部にまで届く断罪に泣き出しそうだった。『学府』の為、仲間の為、発展の為、あらゆるを、尽くを、自分は守ったのに。

「フィフス様、私はずっと囚われていました。選択する機会が訪れるなんて想像もしておりませんでした─────ええ、私はあなたを選んでしまった。あなたの手が余りに眩しかった、羨ましかった。だから決して後悔などしていません。あなたが見せてくれた外は砂塵塗れだとしても、私には優しかった」

 眼前で炸裂する門が熱となって装甲車を弾いた。前輪が浮き上がる感覚を無視し、一心にアクセルを踏み続けた。その数秒にも満たない時間が、背後の車両と耳を掻き毟るスピーカーすらも奪い去る音が、自分には優しかった。光の中を駆けた車両の前方より届くのは、柔らかな砂にタイヤを乗せる衝撃だった。

 衝撃は前輪を伝い、ハンドルからシートへ、そして後輪まで駆け抜ける。

 身体を打ち付ける痛みが現実へと引き戻してくれた。あらゆるしがらみを断罪してくれた気がした。

「‥‥突破しました。フィフス様、私達は外殻を越えました」

 直ちに舞い戻る青い皮膚を背後に、新たな敵影へと意識を向けた。外殻から突き出された砲口と誘導弾の発射口。未だ『聖十字架』のジャミング圏内には届かず、ましてや徹甲弾の射程圏内だった。

「セカンド─────」

 呟きは飛来する弾丸の音によって奪われる。発射された対ジャバウォック用徹甲弾は頭上へと飛来した弾丸に撃ち落とされ、装甲車を押す追い風へと移り変わる。直後に鼓膜をつんざく炸裂音が響き渡り、視界を狭めようとも、砂塵に覆われたフロントガラスには輝く鋼の身体を持つ戦艦を見落とす筈もない。

「『聖釘』、セカンド様の」

 これが最後の機会だと微笑まれた気がした。夥しいクレーターは広がる北部一帯は、ここでの激しい戦闘を物語っている。早々に離脱せよ、と全員で決めていた作戦を変更してでも自分達を待ってくれていた。装甲車を一際巨大な砂塵のクレーターへと飛び込ませ、砂の翼を広げる様に走り続けた。

「この様な荒い運転初めてで、私の心は踊っています」

「こんな荒い運転久々だ。俺もやっと心から踊れる」

 黒い翼をはためかせ、巨大な刀身と銃身のそれぞれを持ち合わせた人形達が追い掛けてくるが、それら全てが飛行する弾丸、降り注ぐ砲弾より迎撃される。移動予想位置からの角度計算という、処理能力を多大に消費する榴弾砲をこのタイミングで使うとは思わなかった。フォースも、手を差し伸べてくれている。

「サードからフィフスへ。憂いは断てましたか?」

「フィフスからサードへ。いいや、きっと持ち続ける。いつか、帰ってくるまで閉まっておく」

「‥‥ええ、そうすべきでしょう。あの方への報告をしなければならないのですから」

 上へ上へ。天へ天へと自分達を誘う砂塵の壁を踏み越えた瞬間──────地は装甲車を手放した。天へと迎えられた車両は、僅かな時間だとしてもその身を縛る枷から解放される。内臓と頭が持ち上がる、浮遊する身体の心地良さは、しかして瞬く間に奪われる。それも世界へと逆らった我々を、絶対に許さない引き込む見えざる手によって。

 だから、また新たな痛みを選び取る。再度打ち付けられた身体は痛みを庇う間も与えず、すぐさま支配権を自分へと預け渡す。転がり出た自分はサーティーンへと目配せをし、自分の部隊員へ視線を向けながら頷き──────『聖釘』から『聖槍』へと跳んだ。

「フォース、出番だッ!!」

 『聖槍』の甲板から浮き上がる滑空砲の正体は自分の星体兵器だった。

 出迎える形で開かれた銃身の中心、露出した銃身を掴み取った瞬間、自分は既に船首を守っていた団員の一人と肩を並べる。無言で頷いた隣の一人が長髪をかき上げながら背を向けたのを悟り、自分も同様に背中を預ける。

「フィフスからサード、並びに全艦へ。フィフス、サーティーン共に帰還完了。鹵獲した装甲車はセカンド艦『聖釘』へ駐車した。フィフスはこれより『聖槍』甲板より迎撃を開始、見計らって『聖骸布』へと移動する——————撤退の準備は整った。これより『聖櫃』は『学府』から離脱する」

 追随する人形は空を飛ぶ個体のみではなかった。初めて見た時、同様に地面を這いずる姿は、やはり不気味でありながらも、自分達ヒューマノイドとは別の生物性を感じさせる。四足歩行から二足へと変わった人形が、その強靭なジャバウォック由来の脚力を用いて『聖槍』甲板へと打ち上がる。働きを労う筈もない、肩を並べている団員と共に銃口を向け————胸と頭を破裂させる。

 飛び散る破片には装甲と皮膚で入り混じる。赤い血の濁流を吐き出す身体は、大きくよろめくが失った部位は瞬く間に再生されていく。厄介ながらも、その再生力では我らの銃弾には敵わない—————。

「隊長。一体か二体、捕獲する?」

 セカンドよりも長く、背を覆い隠す髪を持つ団員が呟く。それに対して自分は首を振った。

「敵対勢力は殲滅に限る。これに尋問を施して無駄だろうから————射殺しろ」

 自分とは別構造を持つ銃身から発射された弾丸は巨大な杭であった。大質量を持ちながらも、彼女の兵器内はまるで弓のそれだった。銃底にはバネと弦が仕込まれ、歯車を用いて自動的に弾丸を薬室へと閉鎖する—————薬室は弦とバネのすぐ目の前に設置されている。よって。

「ふふ、いい音」

 腕への負荷はほぼなく、巨大な杭状の弾丸は容易に人形の腹へと突き刺さり、そのまま彼方へと連れ去っていく。質量、速度、硬度の中で、最も破壊力に影響を与えるのは銃弾の質量である。自分にも匹敵する背格好、骨格を持つテンスだからこそ可能な携行用カノンの発砲。

「大方、テンスが代行になると思ってた」

「サーティーンはとてもいい子。だから、彼女を指名した。私は悪い子だから」

「これからもよろしく頼むよ」

 自分の視界に、新たな人形が姿を現し無言で銃口を向ける。

 甲板側面にへばりつきながら狙いを定める姿は、人体とはまるで違う肉体構造だからこそ可能な性能だと頭の何処かで納得した。完全に我々を敵だと認識した人形は、自分の頭に向けて腕と一体化した銃口をせり出させるが—————余りにも悠長だった。

「遅い遅い————」

 一歩踏み出した自分は人形の手の中央に、銃口を突き付け引金を引く。破裂する腕は肩から外れ、バランスを失った人形を足蹴にして砂塵の海へと落とすと、その直後に『聖杯』が真上を素通りするのを見届ける。形ばかりは人間に近いからこそ、青くなる光景から視界を振り切る。

 薬室へと送り込まれる感触を確かめ、引き金を指で擦る。重く、体温で温められた丸みを帯びた鉄とカーボン、細胞と反物質の塊は手足の様に言う事を聞いた。けれど、銃弾には限りがある。自分とテンスは可能な限り、引き付けてから人形を下す最中、

「見て、隊長。『学府』があんなに小さく」

 と呟かれる。気付けば視界の中には人形の姿は数える程もなく、既に追手の大半を撃退した後だった。テンスの指さす方向、自分達が逃げ続けている『学府』へと目を向け、その全貌に息を呑んだ。自由となった自分達からすれば、なんとちっぽけな姿だろうと。

「————俺は『聖骸布』へ移動する。テンスはこのまま『聖槍』の防衛を。既にサーティーンが戻った筈だ」

「了解、サーティーンの指揮下に入ります。フィフス隊長、どうか無事に戻ってきて」

「すぐに戻る。また後で」

 テンスの言葉を背にし、自分は『聖槍』の慣性に逆らって艦尾へと走った。

 操舵室である艦橋の隊長席にはサーティーンが収まり、他の艦と通信を取っている姿が見受けられる。必死に報告と伝達を処理するサーティーンが僅かに、視線をこちらへ向けたのを確認した時、自分達は軽く頷いた。勢いを止めず、再度宙へと飛んだ時、背後から吹き荒れる風に身体を押され、一際巨大な『聖杯』へと踏み込んだ。

「フィフスからサードへ。『聖槍』には人形はほぼいない、これより『聖骸布』へ移動する」

「サードからフィフスへ。了解しました。フォースの熱源探査によれば、既に人形の大半は『学府』へと撤退を開始しているそうです。残るは『聖櫃』に傷を付けようとする後処理班のみ。必ず、残らず撃ち落として下さい————」

 硬い甲板に足音を残し、「了解」と頷いた自分は銃身とマガジンを走りながら確認する。数十も弾丸を吐き出した星体兵器は排熱を完全には終えておらず、触れれば火傷を負うと立ち込める半透明の煙で目算できた。しかし、この状況で銃身を交換するなど望めない。

「あともう少しだけ、耐えろ」

 全長100メートルにも及ぶ甲板の中程を越えた所で、硬質ガラスと最高硬度を誇る鋼に覆われた艦橋の中心に収まるサードの、鋭いけれど勝利を確信した顔を眺めた。声を出した確認するまでもない、彼は最も苛烈な戦場で自分と共に肩を並べて戦っていると————艦尾にたどり着いた自分は、再度飛び越えと腿の筋肉に力を入れた時。

 ————艦尾の影、艦体の側面に潜む人形から横殴りにされる。

 視界の隅、足元から不意に現れた影に辛うじて腕が反応した。咄嗟に頭を片腕で庇うが、そもそもの体重が違い、軽々と殴り飛ばされた身体と頭は、鋼で覆われた甲板に打ち付けられる度に意識が遠のく。身の丈に匹敵する星体兵器を構えるが、薄れゆく意識では引き金の位置を測れなかった。迫りくる巨体にただ無力であった自分は容易く『聖杯』から蹴り落とされた。

 




「セカンド‥‥」

 呟いた言葉が頭に響く。これが代償なのだと目を閉じた。

 全てが成功するとは思っていなかった、きっと誰かが欠けると、確信めいた予想を立てていた—————『学府』より支給された工具工場、討伐任務の過程で持ち帰った資材、特務として派遣された現場の情報の数々。全て持ち合わせて完成させた計画が、静かにその役目を終えただけなのだろう。ならば、その想像を絶する代価を支払うのは自分であった。見えざる手に自分が選ばれただけだ、落とされる側に自分が来ただけだ。だって、持ちかけたのは自分なのだから。

「—————皆は逃げられたかな」

 身体中が痺れている。自分は横になっているのか、それとも砕けてバラバラになっているのかも定かではない。ただ何も感じない、開くべき瞼すら重く、癒着していくようだった。

「あっけないな」

 思わず鼻で笑ってしまう。あれだけの逃走劇をサーティーンと共に経てきたというのに、何がフィフス隊長だろうか。兵器は手元にあり、ジャバウォックも人形も多くを葬り去ってきた。

 死は誰に対しても平等に降り注ぐ、地位と名誉、人種に使命に関わらず、すぐ隣に付き添っていた————嘘みたいに。死んでしまった。無知にも、死を取り違えていた。

 死と生の許された狭間にて生き続けた自分が、最後には自由なる終わりを迎えている。投げ出された手足は砂塵に喰いつかれ、零れた血は砂の大地に吸い尽くされる。全ての幸福は、全ての報いは必ず微笑みかけてくれると信じていた、だけど下された報いは罪であり贖罪に抗えなかった。

 最後に空を見上げた——————そして、僅かに後悔する。

「あれが月か」

 資料なんて役に立たない。元は同じ星であったが、惑星衝突の勢いで砕けて別れた大地の片割れと書かれていた。けれど、あれが同じ大地の筈がない、だってあんなにも赤い星が三つも。

「いつ、流されてきたんだろう。これが『死の砂塵』の外」

 光を悉く奪った闇の世界。その中で佇む三つの赤い星に、自分は見下ろされている。忌々しくも、自分の死はひとりではなかった。袂に誰もおらずとも、あの星の真なる名を知らずとも、確かにそこにいてくれる。何も言わずに、断罪もせずに、まるで祝福と歓喜でも浮かべ見えた。

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