第27話 竜の血脈

 作戦を立てる余裕はなかった。久々に動かした体は予想以上に重く、あれだけ自在に振れていた太刀筋は、この二日で鈍っていた。気づけば既に昼を過ぎており、案内されるままに「室内闘技場」と呼ばれる場所へと連れてこられていた。


 鉄製の二枚扉を通り過ぎるまでは、ただの普通の部屋だと思っていた。しかし、扉の向こうには円形の広場が広がっていた。足元は土の地面で、天井は真上だけが綺麗に切り抜かれ、そこから陽光が降り注いでいる。周囲には観客席があり、こちらを見下ろす形だ。


「驚いたかい。ここは昔、王族が道楽のために作った闘技場だよ。現国王は兵士たちの育成のために解放してくれているけれど、単体の闘技場施設にも引けを取らない出来だよね」


「ごめん、他の闘技場ってものを見たことがないから、ここがすごいってことくらいしか分からないや」


 クオトラは気を引き締めるため、足元を固めた。トゥルエイトは笑っていた。彼の手には、刃のない剣が握られている。長さは一メイル程度だろうか。クオトラがいつも使っている刀の半分の長さしかない。しかし、その剣はかなりの重厚感があり、当たれば一撃で致命傷となるだろう。


 クオトラが剣をまじまじと見ていると、トゥルエイトがいつの間にか目の前にまで近づいていた。驚いて一歩引こうとしたが、トゥルエイトが何かを伝えようとしているのに気づき、その場に留まった。


「君たちがあの街の被害者だってことは皆知っている。だが、君が竜族の力を使えるってことは誰も知らない。だから、人間に見えるように努力するんだよ」


 トゥルエイトはそう言うと、手を振りながら元の位置に戻った。「人に見えるように努力しろ」という言葉は、つまりクオトラの力を使えという意味に違いなかった。


 クオトラとトゥルエイトの間には十メイルほどの距離がある。本気で踏み込めば、一瞬で届いてしまう距離だ。竜の力を使って周囲に力を見せつけるのか? しかし、それでは竜の力が露呈してしまう。欠片の力も使えない……。


 変色した右手が小刻みに震えているのが分かった。小さく吐き出した息は、白く濁って溶けていく。観客たちは異様な声をあげ、罵倒や応援が混ざった騒音に包まれていた。


「そろそろ始めるが、準備はいいか?」


 団長がいつの間にかクオトラたちの間に立っていた。


「クオトラの好きなタイミングでいいよ」


 トゥルエイトは剣を弄びながら、余裕の表情でこちらを見ている。クオトラは、剣を握り、腰を落とし、半身の構えを取った。


「それでは、私の笛の音をもって開始の合図とする」


 団長は胸元から黒い板状のものを取りだした。一見しても笛には見えないが、彼はそれを口元へもっていった。


 内臓を揺らし、地を這うような低い音が響いた。次の瞬間には土が舞い上がり、重圧の塊となったトゥルエイトが目の前に迫っていた。反応する間もなく、クオトラは横に跳躍し、剣で位置を避けようとしたが、それを追うように剣が振り下ろされる。なんとか受け止めるも、衝撃に体が大きく揺れ、体勢を崩してしまった。


「くぁッ!」


 踏ん張って剣を振り返すものの、まるで読んでいたかのように軌道ギリギリの所でトゥルエイトは止まっていた。驚いたと同時に、脇腹目掛けて振られた剣。体勢を崩し、不可避の攻撃となった剣を左手の甲で受け流す。


 甲高い金属音が響き、衝撃が走る。それは人間の手ではあり得ない音だったが、トゥルエイトは驚く様子もなく、顔に冷静な表情を浮かべたまま、返しの剣を顔面目掛けて振り下ろした。


「――ッ!」


 クオトラは体をさらに崩し、倒れこむような姿勢で剣を避け、後方へ跳躍した。トゥルエイトも、連撃を続ける余裕はなかったようで、その場に留まって再びクオトラを睨む。


「いい反応だ、だけどまだちょっと甘いな」


 周囲の観客席からは歓声や罵声が飛び交い、雑然とした雰囲気が漂っていた。クオトラは自分の呼吸音に集中し、周りの雑音を遮断する。彼の心の中には、左手で防御した瞬間の音がどう周囲に映ったかが気がかりだったが、今は考える余裕がなかった。


 トゥルエイトが、何かを伝えようとするように口元を緩め、笑った。見下した笑みではないが、明らかな余裕がそこにある。


「そんなもんじゃないだろう。まだまだ君の力は見せられるはずだ」


 クオトラの頭の中で、声が響いた気がした。それは自分自身の内側から聞こえる、説明できない本能的な直感だった。トゥルエイトは一歩踏み出すと、砂埃を巻き上げ、再び攻撃を仕掛けてきた。クオトラは引きながらも、その動きに合わせて回避を試みる。


 だが、トゥルエイトの攻撃は速すぎた。刃のない剣がクオトラの脇腹を目指し、猛然と突き出される。クオトラは体をくねらせて何とかかわすが、トゥルエイトの動きはそれを予測していたかのように、素早く脇腹に蹴りが入った。


「ぐっ……!」


 肺から強制的に空気が吐き出され、クオトラの体が地面へと投げ出される。全身がしびれるような痛みが広がり、息苦しさに襲われる。それでも、何とか体勢を整えて立ち上がった。


 トゥルエイトは、まだ余裕の笑顔を浮かべたまま、こちらに向き直っていた。


「そんなもんじゃないだろう、クオトラ」


 彼の声には、挑発とも取れる軽さがあった。それが余計にクオトラを苛立たせた。彼は、今までの攻撃が全て読まれていたことを痛感していた。トゥルエイトは、まるで未来を知っているかのように動いている、そう感じざるを得ない。


「ちくしょう……!」


 クオトラは血の味がする唾を吐き捨て、剣を左手に持ち替えた。怒りが彼の全身を駆け巡り、体温が上がっていくのを感じる。


 一歩、本気で踏み込み、トゥルエイトに向かって突きを繰り出す。狙いは首元だ。しかし、トゥルエイトはまたもピンポイントで剣を合わせ、軌道をずらして回避した。だが、それで終わりではない。クオトラはその瞬間、左手の甲で火球を小さく爆発させた。 


「――ッ!」


 爆風で加速したクオトラの剣は、トゥルエイトの防御をかいくぐり、彼の軍服の金属部分に直撃した。激しい金属音が響き、トゥルエイトの体がわずかに後退する。


「……いい攻撃だ」


 トゥルエイトの声には、これまでとは違う感情が含まれていた。楽しんでいる――彼はこの戦いを純粋に楽しんでいるのだ。


 互いに距離を取り、視線を交わす。クオトラは火球をいつでも出せるよう、全身に意識を集中させた。足元、手の裏、剣の背面どこからでも攻撃ができるように準備を整える。


 そして、再び一拍を置いて、クオトラは踏み込んだ。足元を強く踏みしめると、地鳴りが響き、土煙が舞い上がった。視界を遮る砂埃が、トゥルエイトの意識を乱すには十分だった。


 クオトラはその隙にトゥルエイトの背後へと回り込み、剣を構えた。だが、彼の剣が振り下ろされる瞬間、トゥルエイトは信じられない速度で振り向き、その剣を弾き返した。


「クッ……」


 ここまで読まれているとは……。驚きと焦りが入り混じる中、クオトラは背面の火球を破裂させ、剣をさらに加速させた。今度はトゥルエイトの胴に向かって、突きが放たれる。


「2度目は無いよ」


 トゥルエイトの声と同時に、クオトラの剣は空を切った。左手首を殴られ、剣が弾き飛ばされた瞬間、腹に強烈な衝撃を受けて後方へ飛ばされた。


「くそっ……!」


 再び体勢を立て直すが、トゥルエイトの追撃がもう目前に迫っている。狙い通りの状況ではないが、今はこの状況を利用するしかない。クオトラは、背中で火球を破裂させ、体をトゥルエイトに向けて突進させた。間合いはわずかに外れていたが、その一瞬の差が生死を分ける。


 右手を振りかざし、クオトラはトゥルエイトに全力で攻撃を繰り出した。剣を手に取り、砂埃を舞い上げながら振り下ろす。


 ガィィインと金属音。砂埃を舞いあげながら目の前に現れた剣を掴み取り、そのまま切り付けた。直撃はしなかったものの、肩を掠りトゥルエイトがたじろいだように見える。


 こちらは剣を振り切り、完全に隙を晒している状態。目の前のトゥルエイトが前傾姿勢を取ったのが見えた。


 ……来る。


 剣を手放し、一歩引いた瞬間、トゥルエイトの体が目の前に迫っていた。状況は同じ。もし予測通りなら。砂埃が大きく舞う様に足先で地をなぞり、もう一度地面を踏みつけた。


 目の前で起こった小爆発。直後、二本の剣が宙に消えていた。剣を弾かれ、硬直したトゥルエイトの腹部へ蹴りを繰り出す。初めてのクリーンヒットだった。確実な手応えだったが、トゥルエイトは平然としていた。

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