第25話 揺れる覚悟
「この時間からでは、下手に休むよりも街に向かうことを優先した方が良いだろう」
団長の言葉に従い、第六補給地点で休憩していた兵士たちは一斉に立ち上がり、馬に乗った。あっという間に整然とした隊列が組まれ、団長の号令で列が動き出す。
やはり、帝国軍の馬は普通の馬とは違うのだろう。馬の駆ける速度は、クオトラが知っているどの馬よりも速い。これなら、夜明け前にはドイシュタイムに戻るだろう。
風を切る馬の蹄音と一定の揺れが心地よく、これまでの疲労が一気に押し寄せてきた。極限状態の体を無理やり動かしていたせいか、力が急に抜け、クオトラの意識は瞬く間に遠のいていった。
「起きて」
誰かが優しく声をかける。クオトラは目を覚ました。過去一番、意識がクリアに戻るのが早かった。
「……着いたのか?」
「よっぽど疲れていたんだろうな。出発してすぐ眠ってしまって、丸一日寝ていたよ」
フレーリアの声が耳に届いた。丸一日も眠っていたとは、クオトラ自身、驚きを隠せなかった。
「これからどうなるの? クオトラが起きたら分かるってトゥルエイトさんが言ってたけど、私は今の状況がよく分からなくて……」
フレーリアの困惑した様子が伝わってくる。どうやら、トゥルエイトは彼女に何も説明していないらしい。クオトラは少しトゥルエイトを睨むが、彼はただ微笑み返してくるだけで、悪意も特に感じない。ため息をつき、フレーリアに向き直る。
「あの人数差では逃げ切るのは無理だと思った。だから、わざと捕まることにしたんだ。でも、そのトゥルエイトのおかげで、フレーリアを助けることができた」
「そうだったの……ありがとう、トゥルエイトさん」
トゥルエイトはその言葉に一瞬驚いたようだったが、すぐに表情を元に戻し、にこやかに微笑んだ。
「帝国軍、大将兼兵士団副団長、トゥルエイト・フェイスト・レスティーアだ。今後は“白髪の人”と呼ばないように」
どうやら彼は、帝国軍の副団長らしい。
「珍しい名前……」
フレーリアがぽつりとつぶやいた。確かに長い名前だが、彼は特に気にする様子もなく、ただ微笑んでいた。
「さて、もしまだ休みたいならそれも良いが、体調が回復しているなら、今後の話をしようと思うのだが、どうだね?」
馬はまだゆっくりと進んでいる。目的地がどこなのかは分からないが、すでにドイシュタイムの街からは遠ざかっているようだった。王城へ向かっているのではないかと、クオトラは直感的に感じた。
「いいよ、今後の話をしよう。帝国軍に入れというなら覚悟はできているし、僕たちについて話せと言われれば話すよ……ただ、他の兵士たちにはあまり聞かれたくない」
クオトラがそう言うと、トゥルエイトはやはり笑みを浮かべた。その微笑の背後にある真意は、まったく読み取れない。フレーリアも不安そうにクオトラを見ていたが、黙って彼を見つめていた。
「そうか、分かった。他の兵士には聞かれないようにする。帝国軍に関しては、昨日話した通りだ。ただし、試験も無しでは兵士に示しがつかないからな。私と模擬戦をしてもらう」
「模擬戦……?」
クオトラは反射的にオウム返しをしてしまった。聞きなれない言葉に戸惑うが、トゥルエイトはそれが伝わらないのが不思議とでも言いたげな様子で見つめている。
「本当に知らないのか……模擬戦とは、互いに命を奪わないことを前提とした戦闘だ。どちらかが降参するまで戦う。細かいルールは、話しても伝わらないだろうから、君は本気で戦えばいい」
トゥルエイトの言葉には、敵意も善意も感じられない。彼は自分がただの人間ではないことを知っているようだ……だというのに、本気でかかってこいと言うなんて。
「本気でいいの?」
「いいよ。君の力を、皆に見せつければいいさ。そもそもそこで他の団員に認められなければ入る意味もないだろうからな」
クオトラは深く頷いた。彼の真意は依然として読み取れないが、迷っている暇はない。
馬が歩みを止めた。周囲を見渡すと、他の兵士たちはすでに離れている。
「さぁ、他に話を聞くような兵士はどこにもいない。着いてきなよ」
トゥルエイトは馬から降り、足早に歩き出した。フレーリアはまだ体調が完全に戻っていないようで、クオトラは彼女を背負って歩き出す。
「わたしは大丈夫だよ」
背中越しにフレーリアが小さくつぶやいたが、彼女の体はまだ力が入っていない。灰色の石造りの通路は、歩くたびに大きな足音を響かせた。薄暗い道を進んでいくと、小さな広場が現れた。
「冷たい椅子で済まないが、腰掛けるといいよ」
広場には古びた石の長椅子があり、まるで崩れそうなほどに老朽化していた。言われるがまま、クオトラはその椅子に腰を下ろす。
「リラックスしていい。話したいことがあれば話してくれればいいよ。だが、話したくないことは無理に話さなくていい。辻褄を合わせるのは私の得意なことだからさ。ただ、もし話す気があるなら、どうしてあの場所にいたのかを教えてほしい」
トゥルエイトの真意は分からない。彼の表情は真剣で、適当なようには見えなかった。
「ただ自分の生まれた街に帰りたかった。ただそれだけです。そう言ったら信じてくれますか?」
「うん。信じるよ。そう言って暴れる人は少なくないんだよね。たまたま君たちはそこら辺の人間よりも実行力があって、力があった。そう思うことはある意味自然だと思うからね」
彼の口調は穏やかだが、その真意は全く読めない。だが、押し切れそうな気がした。
まさか国の人間に対して、本当のことを言う訳にはいかない。だからと言って、ただ故郷に戻りたいからとの理由で言い逃れできる気がしない。どうするべきかと悩んでいたが、唐突に目の前でトゥルエイトが笑った。
「君は本当に嘘が下手なんだね。いいよ、じゃあもし模擬戦で兵士たちを納得させることができたら、さっきの理由で逃げ切ってもいい。ただし、不甲斐ない結果だったら、本当の話をしてもらうよ。君にはそういう分かりやすい方がいいだろう?」
トゥルエイトの挑発に乗るしかなかった。彼に借りを作る形にはなるが、探り合いをするよりもこの方が気が楽だ。隣に座るフレーリアを見ると、彼女はただクオトラを見つめ返してきた。
「分かった。そうしてくれると助かる」
隠していることは、すでに見透かされているのだろう。それでも、彼が見逃してくれるというなら、それに乗らない理由はない。
「契約成立でいいな。模擬戦は明日の昼から行う予定だけど、詳しいルールは今聞くかい?」
「うん、聞かせてくれ」
「ルールは至って簡単だ。攻撃は素手か、専用の刃のない刀のみ。どちらかが降参するか、審判員三人全員が片方の勝利を支持した時点で試合は終了する。違反は、指定以外の武器を使うこと、相手の命を奪うこと。この二点だけだ。簡単だろう?」
トゥルエイトは、身振り手振りを交えながら説明した。基本的なルールはシンプルであり、認められていない武器を使わなければ問題ない。
「分かった。内容は理解出来たよ」
「そうかい。なら明日は大丈夫そうだね。けれども君に俺を殺すことは絶対にできない。だから、殺す気で掛かってきなよ。じゃないと、とても観衆からの支持なんて得られないよ」
トゥルエイトの瞳には、笑いは見られない。彼が本気であることが伝わってきた。
「分かった」
「うん、楽しみにしているよ。今日はもう休むといい。君たちの部屋はすぐそこだ。二人で一部屋になってしまうが、監視対象だから仕方ないと思ってくれ」
トゥルエイトは、広場のすぐ近くにある扉を指さしている。そして何処からともなく、二人の兵士が現れると、先程歩いてきた広場の入口に立ち塞がった。
「それじゃあ、また明日。朝には迎えに来るよ」
彼は手を振り、元の道を戻っていく。クオトラはフレーリアに目をやるが、彼女はまだ疲労が抜けきっていない様子で、瞳を閉じかけていた。小さくため息をついて、クオトラはフレーリアを背負い、扉を開けた。
部屋には簡素な寝床が三つ並んでいるだけで、ほかに何もない。フレーリアを一番奥の寝床に寝かせ、自分も寝床に体を投げ出した。
「さて……」
明日の模擬戦を思うと、不安が胸を締め付ける。それでも、体は緊張から解き放たれ、気づけば深い眠りに落ちていた。
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