第24話 血の契約

「やはり、竜の器か……。一体何年前からこの状態で……」


 気付けば、彼女が掘り起こされていた。目を離していたつもりはなかった。ただ少し意識がそれていただけだというのに、彼女の墓は荒らされていた。


「やはり、これは竜なのか?」


「そうだろうな。見たところ、誰かが掘り起こそうとした形跡はあるが、恐らくここに何年も埋まっていたんだろう。竜の残滓の影響か、この女はもう人間ではなかったのかもしれん」


 クオトラは言葉を失った。目の前で話されている内容は理解できないが、どうやら彼らは勝手に勘違いしているらしい。


 ゆっくりと近づき、掘り返された穴を覗き込むと、先ほど埋めたばかりのその体の肉は霧散し獣と人間が融合したような骨だけがそこにあった。その様子はまるで数十年そこにあったかのように見えた。


「そこの少年が、掘り起こそうとしたのではないかね?」


「軍団長、流石にそれは……。いや、この土地で被害を受けた者の生き残りだと考えれば、竜の血に惹かれたと見なすのも、妥当ではないでしょうか」


 黒い長髪の男が軍団長らしい。そして、もう一人は陰に隠れてよく見えないが、かすかに白い癖っ毛が見えている。


「ふむ。報告にはそんな話は無かったが……彼が白の器の影響を多大に受けているのは明らかだ。そう考えると、イレギュラーな事象が起きてもおかしくはないな」


「団長、彼をただの保護対象として扱うのは、少々勿体ないとは思いませんか?」


 白髪の男が、ついに姿を現した。灰色の瞳に、穏やかな表情。しかし、その落ち着いた雰囲気の裏には、どこか冷たいものが感じられる。


「トゥルエイト、意見を聞かせてみろ」


「団長がそうおっしゃるのなら、私から提案があります。彼を軍に入れてみてはどうでしょう。仮に彼に竜の血を察知する力があるならば、それは非常に有用です。さらに、短期間でこれだけの距離を移動した体力を考えれば、入団試験を突破するのも難しくはないでしょう」


 トゥルエイトはにやりと笑って言い切った。


「興味深い提案だな……。良いだろう。試験内容はお前に任せる。ただし、他の兵士に示しがつくような内容にするのだ。そこで力尽きるようならばそれはそれで良い。ああ、後は街からの報告によれば、もう一人女がいるはずだが……」


 トゥルエイトはわざとらしく辺りを見回す。


「見当たりませんね。少年、もう一人の女はどこにいるんだ?」


 本気で探されれば、見つかるのは時間の問題だろう。仮に見つからなくとも、今ここで別行動を取るのは大きなリスクだ。


「知らないわけではないのですね」


「フレーリアは、体調を崩して休んでいる」


 クオトラの体もすでに限界に近い。視界がふらつき始め、隠す意味も無いと悟った彼は、正直に答えることにした。


「そうですか。では一度ドイシュタイムへ戻りましょう。今回の脱走は、団長に権限で不問としてもらいます。ただし、体調が回復次第詳しい話は聞かせて頂くことになると思いますが……」


 クオトラは小さく頷いた。もし本当に団に入ることが決まれば、内部の情報を得るチャンスかもしれない。問題は、彼らの誤解がいつまで続くかだが……。ちらりとトゥルエイトを見ると、彼は意味ありげに微笑んでいた。


「では、少年。もう一人の居場所を教えてくれないか?」


 団長がため息をつきながら尋ねる。クオトラは周囲を見渡した。すでに敵意を向けてくる者はいない。これで彼女が掘り起こされずに済むならば……。


 クオトラは後方を指さした。すぐに兵士たちが道をあけ、その先に崩れかけた建物が見えた。


「そこにいるのか?」


「そう。僕が連れてこようか?」


 団長は何も言わず、ただ頷いた。それを見て、クオトラは一目散に駆け出した。


 どうして彼女を置いて飛び出してしまったのか……今となっては分からない。ただ、彼女の無事を一刻も早く確かめたかった。兵士たちの間を駆け抜け、建物の中へ入る。


「クオトラ……」


 フレーリアは地面に倒れ伏していた。まだまともに動けないようだ。その苦しそうな姿に、クオトラは心が痛んだ。


「ごめん……」


 小さく呟くと、彼女を背負い、歩き出す。


「ごめん、フレーリア。もう、なりふり構ってられないけど……きっと大丈夫だから」


 彼らを信用しているわけではない。それでも、今はフレーリアの体調を優先せざるを得なかった。少なくとも、彼らは僕たちを殺すことはできないはずだから。


「随分と具合が悪そうだが、何かあったのか?」


 トゥルエイトがそう尋ねたが、クオトラはただ首を横に振るだけだった。しかし、トゥルエイトはフレーリアの右手を掴み、じっと見つめている。


「なるほど、その子そのままじゃ確実に死ぬよ」


 その言葉に、クオトラは信じられない思いで彼を見つめた。トゥルエイトの目は真剣で、嘘をついているようには見えない。


「殺したくないなら……」


 トゥルエイトの言っている言葉の意味は分からなかった。どうしてそんなことを知っているのかも分からない。もしかすれば、彼は僕の正体すらも知っているのかもしれない。


 だが、何がどうだとしても試してみるしか無かった。


「団長、私は彼らを治療し次第戻ります。ここに大人数で留まるのは危険ですし、先に戻ってください」


「トゥルエイト……。分かった、任せる。我々は先に第六補給地点で待つ」


 帝国軍はさすがに迅速だった。数刻後には兵士たちは全員撤退していた。


「さて、君は病気持ちじゃないだろうな?」


「多分……大丈夫だと思う」


「仮にうつっても、死ぬよりはマシだ。君の血は特別に濃い……一滴で十分だろう」


 トゥルエイトは小さな刃物を差し出してきた。クオトラはそれを受け取り、自分の指先を切った。刃物は驚くほど簡単に指の皮膚を切り裂き、赤い血がじわりと滲み出てきた。


「やっぱり……ね」


 トゥルエイトの口元がわずかにほころぶ。クオトラは自分の血を絞り出し、それをフレーリアの口元へ運んだ。一滴の血が彼女の口に消えていく。


「それでいい。少し待てば彼女の体調も良くなるだろう」


 しばらくすると、フレーリアの顔色が次第に良くなっていくのが見えた。


「へぇ、思った以上だ。もう治ったんじゃないか?」


 その言葉にクオトラは驚き、フレーリアの顔を覗き込む。彼女は目をぱちくりとさせ、驚いた表情でこちらを見返していた。


「さっきまで、あんなに苦しかったのに……どうして……」


「良かったね。それじゃ、戻ろうか」


 トゥルエイトに促され、クオトラとフレーリアは馬に乗せられた。その馬は今まで見たこともないほど大きく、三人が乗ってもびくともしない。やがて馬は、トゥルエイトの合図で静かに走り出した。

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