第13話 剣を握る夜

「お前ェにとっちゃ、少しばかり軽かったかもしれねぇが、振り続ければ体に堪えるだろう?」


 シズキの声が遠く感じる。クオトラは肩で荒い息をつきながら、自分の手に握られた白銀の刀をじっと見つめていた。どれだけの時間、振り続けていたのだろうか。自分の体の疲労感を無視して、ただその美しい刀身に目を奪われていた。


「これが……完成品なのか?」


「おぅよ。二本しかまだ終わってねぇがな」


 シズキが作り上げた長刀と短刀。その透き通るような刀身は、先程までの無骨な棒が信じられないほど美しく輝いている。クオトラは、その異次元的な変貌にただ呆然とした。


「完成品を見た途端、疲れがどっかに飛んだか? お前ェもなかなか現金な奴だな」


 シズキが豪快に笑い声をあげたが、クオトラはそれに答える余裕がなかった。ただ、目の前の武器があまりにも完璧すぎて、何も考えられなかったのだ。まるで美術品のようなそれを、自分が振るうイメージが頭の中に浮かぶ。


「おい、子供みてぇな顔しやがって。触ってみるか?」


 シズキが刀を、クオトラへと差し出す。クオトラは飛びつくようにそれを受け取る。持てないほどではない。それでも、ここにある武器に比べればやはり重い。


 シズキが長刀を差し出すと、クオトラはまるで引き寄せられるようにそれを手に取った。重量感が手に伝わる。持てないわけではないが、思ったよりも重い。


「どうだ? さっきみたいに振り回せるか?」


「分からない……でも、やってみる」


 クオトラは短刀をそっと脇に置き、両手で長刀を握る。腰を落とし、慎重に構える。そして、息を止めて一気に振り抜いた。風を切る音が鋭く響く。


「悪くねぇ。俺が半日かけて作った甲斐があったかもしれねぇな」


 シズキが笑みを浮かべ、手についた煤を払う。クオトラは改めて長刀をじっくりと眺めた。その刀身は、一点の曇りもなくまっすぐに整えられ、先端だけがわずかにカーブを描いている。その重量は手に持つと重いが、振り抜いた時には驚くほど軽く感じられた。まるで刀が自分の一部になったような感覚だった。


「凄い……」


「もう一本の短刀は、少し待ってくれや。俺もちょっと疲れちまったからな」


 シズキは、ため息混じりにその場に座り込み、クオトラも促されるまま隣に座る。少しの静寂が流れた後、シズキがゆっくりと口を開いた。


「さて……契約だ。お前ェの話を聞かせてもらうぜ。そいつを渡す前にな」


 クオトラは深呼吸をし、どこから話せばいいのか考えた。自分の頭の中には、あまりにも多くの情報が混ざり合っていた。それでも、復讐の思いだけは明確だ。だから、そこから話すことにした。


「僕は……僕の故郷を地獄に変えた神に、復讐したい」


 その言葉に、シズキは少しだけ眉をひそめた。彼の顔には、どこか納得したような表情が浮かんでいた。


「復讐、か……なるほどな」


 シズキの声は低く、重みがあった。それは単なる同情ではない。彼自身も似たような感情を抱えたことがあるかのような響きがあった。


「復讐を果たすためには、力が必要だと思う。でも……」


 クオトラは躊躇いながらも、自分の手袋を外す。そして、変色した自分の右手をシズキに差し出した。


「なるほどな、竜種か。なんとなく分かっていたが、ただの変異種じゃねぇな」


「シズキは、竜について詳しいのか? 僕は、自分のことが分からないんだ」


「詳しいってほどじゃねぇが、竜とは少し縁があってな。見りゃ分かるんだよ……お前ェが竜種の『器』だってこともな」


「器……?」


「そうだ。器ってのは、竜神が転生するための『容れ物』となる存在だ。伝説の話だが、竜神が転生する際には必ず人間の器が必要だと言われてる。まぁ、広く言えばお前ェは竜に最も近い存在ってこった」


 クオトラの体の奥深くで、何かが反応しているような感覚があった。まるでその言葉が、自分の中の何かを呼び覚ますような……。


「ある……僕の中にも、そんな感覚があるんだ。自分が、竜の力を持っているって……」


「だろうな。だが、まだそれだけじゃないんだろ? 続きを話してくれ」


 シズキは静かに促した。クオトラはさらに深呼吸し、思い出すように口を開いた。


「僕の村は、ある日突然消えた。村が無くなるっていう伝説があったけど……その通りに、僕の故郷は無くなった。そして、僕は……この体にされた。どうして神がこんなことをしたのかは分からない。でも、僕は神を殺す。絶対に復讐する。そのためには、力が必要なんだ。竜を狩るための力が……」


 クオトラの声には怒りが滲んでいた。それは自分でも抑えきれないほどの感情だった。


「だからここに来たってわけか……」


 シズキが深く頷く。その眼差しは、今までとは少し違うものだった。まるで、同じ戦士としての理解がそこにあったかのようだ。


「でもよ、俺には分からねぇ。お前ェはその腕が使えるんだろ? 何でわざわざ武器なんかを使おうとする?」


 シズキがクオトラの右手を指差す。確かに、この手が使えるなら武器など必要ないかもしれない……だが。


「この手は……僕の言うことを聞かないんだ。それに、使えば使うほど、僕じゃなくなる気がして怖いんだ」


 その言葉に、シズキはじっとクオトラを見つめ、しばらく黙っていた。そして、ふと静かに言葉を漏らす。


「なるほどな。本気で復讐を果たすつもりなら、いずれその心配もできなくなるかもしれねぇが……まぁ、今はその武器に頼っておけ」


 どうしてか、そう言うシズキの顔がとても穏やかに見えてしまい、冷たい言葉との温度差に混乱した。しかし、シズキが協力的であることが分かり、クオトラも安堵していた。


「僕の目的は話した。これでいいか?」


「ああ、いいだろう。だがな、お前ェのその拳がどうしても必要になった時……。いや、何でもねぇ。とにかく、俺がお前に教えてやれることは最低限だが、それでも覚悟は決めておけよ」


 シズキは立ち上がり、短刀を軽々と拾い上げる。そして、再びその独特の構えを取った。まるで風が切り裂かれるような音が周囲に響き、クオトラの髪が揺れる。


「ソウガ流って流派だ。俺はこれで戦うが、長刀と短刀を同時に使うから、片手で長刀を扱うには力が必要だ。お前ェにできるかは分からねぇが、期待はしてるぜ」


 クオトラは長刀を右手に持ち、見様見真似で構えを取った。しかし、やはりその重さに耐えきれず、刀が地に触れてしまう。


「おっとっと……」


 クオトラは慌てて長刀を持ち直すが、うまくバランスを取ることができない。


「腕力が足りない……。シズキ、ソウガ流の構えを教えてくれ」


 クオトラが刀を渡す。シズキはニヤリと、らしくない笑みを浮かべる。


「いいだろう」


 シズキは短刀を右手に、長刀を左手に持つ。右手の短刀は体の側面へ沿わせるように、長刀はクオトラに向け真っ直ぐ、地面と水平気味に構えられていた。半身に構え、体勢を低くしたその構えは見たことも聞いたことも無かった。


 間合いが遠い。向けられた長刀を回潜らなくては近づけないが、無造作に構えられた短刀は近づいた者を容赦なく切り裂くだろう。


「左手は、牽制と相手の誘導をするんだがよ。こいつが意外と難しいらしいんだ。右手は緩く握って、何時でも振れるように構える。ここは、好きに構えていいがよ、左手の構えは常に行っておくぐらいの気持ちでねぇと、使いこなせないだろうぜ」


 シズキは、二本の刀をクオトラに手渡す。クオトラは、シズキの姿を思い浮かべる。左腕に持った長刀をゆっくり持ち上げる。カタカタと、勝手に腕と刀が震え、左腕は悲鳴を上げる。水平には構えられず、斜めで構えるのが精一杯だった。


「そいつは一本でも八十キルトあるからな。お前の体重より重いだろうが、持ち上げられるだけでも大したもんだ」


「……そうなら良いんだけど」


「だがな、才能があっても、真髄まで至った奴は九人しかいねぇ。お前ェも時間がねぇなら、たまには顔を出して課題をこなしてけよ。まずはこの構えをマスターすることからだ」


 シズキは再び工房へと向かい、消えていった。


「分かった。とにかく、明日は渓谷で竜狩りをしてくるよ」


 ぴたりと、シズキの足が止まる。だがシズキは振り返ることは無い。


「お前ェなら死竜如きには負けないだろうよ。だがよ、何かあったら無理はするな……。後は……とにかく気をつけろ」


 シズキはそのまま奥へ消えていった。


 何かを知っているような口振りに、問い詰めたくなる気持ちを押し殺し、天井を見上げる。


「やるか……」


 クオトラは大きく息を吸い込み、再び長刀を構えた。腕の震えが抑えられない。それでも、もう一度。何度でも。先程のシズキの動きを思い出しながら、長刀を持ち上げる。だが、振り上げた刃はすぐに地面に触れてしまう。自分の腕力ではまだ、この長刀を自在に扱うことは難しかった。


 何度も、何度も持ち上げては、落ちる刀。右手に持ち替え、次は左手に。両腕が交互に悲鳴を上げる。額からは大粒の汗がしたたり落ち、視界がぼやけ始めていた。それでもクオトラは止まらない。自分にできることを一つずつ、地道にやるしかないのだ。


 ついに、両手に力が入らなくなり、刀の先が完全に地に落ちた。クオトラは、地面に膝をつき、その場に崩れ落ちる。


 何時間そうしていたのだろう。右手に持ち変え、左手に持ち変え、それを繰り返してクオトラの両手は既に力が入らなくなりかけていた。額を伝う大粒の汗を拭い、クオトラは腰を下ろす。


「はぁ……はぁ……」


 荒い呼吸を整えることもままならない。手袋を外し、仰向けに寝転がる。無意識に天井を見上げた。どこか冷たい空気が肌に触れ、少しずつ疲労が表面に出てきた。刀を振るうことだけに集中していたせいで、今になって全身が鈍い痛みを発している。


「クオトラ……そんなに、疲れてどうしたのよ」


 聞き慣れた声が響いた。クオトラは顔を横に向ける。そこには、フレーリアが立っていた。彼女の姿はひどく疲れ切っており、肩で息をしながら、フィニアに肩を借りている。支えがなければ、すぐにでも倒れてしまいそうな様子だった。


「フレーリアの方がよっぽど疲れてるじゃないか」


 クオトラは力なく笑う。


「ええ……こんなに体を動かしたのは、人生で初めてよ。こんなにも限界まで動けるなんて……楽しいものね」


 フレーリアもその場に座り込む。しかし、背を預けられるものが無く、後方に引かれるようにして仰向けに転がっていた。


 フレーリアは笑顔を浮かべたが、その表情には疲労が色濃く表れていた。彼女はその場にゆっくりと座り込むと、背もたれがないことに気づき、そのまま仰向けに倒れ込んだ。


「楽しい、か……」


 クオトラも同じように、虚ろな目で天井を見上げる。体の疲労とともに、心の中にも何かが沈んでいく感覚があった。


「悪くはなかった……が、まだまだ時間はかかるだろうな」


 フィニアが冷静に言葉を投げかける。彼女は、杖を静かに握りながら立っていた。その佇まいは相変わらず優雅で、どこか他者と違う空気を纏っている。


「でも……私の技を継承するのが惜しくない程度には、気に入ったわ。定期的に顔を見せるといい」


「ありがとう、フィニア」


 フレーリアが疲れた声で返事をすると、フィニアは小さく頷いた。彼女の穏やかな表情には、師範代としての威厳がにじみ出ていたが、その言葉にはどこか温かみが感じられた。


「クオトラ、フレーリア。私は感覚が鋭いから、いろんなことが分かるんだ。だから言っておくが……クオトラ、死に急ぐでないぞ」


 フィニアの声はまるで、遠くの未来を見通しているかのように、優しく響いた。その言葉がどこか警告のように感じられたクオトラは、無意識に心の中で反応していた。だが、言葉にするにはその意味が曖昧すぎた。


 フィニアはそれ以上何も言わずに工房の方へと向かい、ゆっくりと消えていった。


「……眠い」


 クオトラは瞼が重くなっていくのを感じていた。疲労がピークに達し、抗おうとする意志もすぐに途絶える。気づけば、体が眠気に吸い込まれていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る