第12話 静寂の剣術

 草を編んで作られた床が足の裏に柔らかく伝わってくる。外からは想像できないほど広々とした部屋だ。物が散乱しているが、乱雑というより、むしろ整理された混沌といった印象を受ける。壁一面には無数の刃物や鈍器が掛けられており、その異様な雰囲気がただの鍛冶屋ではないことを示していた。


「音が響くのは仕方ねぇ。ちょっと我慢してくれや」


シズキが、二人を残して去ろうとしたその瞬間、ふと思い出したように振り返った。


「ああ、そうだ。自己紹介がまだだったな。名前はソウガ・シズキだ。お前たちは?」


「クオトラ」


「私はフレーリア」


「クオトラにフレーリア、覚えたぜ。俺のことはシズキって呼んでくれりゃいい。何かあったら声をかけてくれ」


 そう言って、シズキは軽く手を振りながら来た道を戻っていった。重厚な扉がゆっくり閉まり、低い音が響き渡る。部屋に取り残されたクオトラとフレーリアは、お互いに少し気まずそうに顔を見合わせる。クオトラは持っていた棒を横に転がし、そのまま無造作に腰を下ろした。フレーリアもそれに倣い、同じように静かに座り込んだ。


「なんだか……不思議な部屋ね」


フレーリアがぽつりと呟いた。


「不思議……か。僕は別にそんな感じはしないけど」


「でも、こんな家、私は見たことがないわ。でも、なぜか懐かしい感じがするっていうのも、少し分かる気がする」


 フレーリアは天井を見上げ、ふわりと深呼吸をした。

 

「ねぇ、クオトラも少し感じない? なんだか、落ち着くというか……不思議と安心できる感じ」


 クオトラも天井を見上げた。高く広がる天井と、その空間全体がどこか戦いを前提とした構造に見えてくる。


「確かに……言われてみればそんな気もする」


 クオトラが応じた瞬間、不意に部屋の静寂を破る声が聞こえた。


「他人を招き入れるなんて、あの人も随分変わったことをするのね」


 クオトラとフレーリアが振り向くと、小柄な女性が立っていた。暗い緑色の長髪が腰まで垂れ、両目は固く閉じられている。手には杖を持ち、それで地面を確かめながら慎重に歩を進めていた。


「あなた……もしかして目が……」


フレーリアがためらいながら声をかける。


「そう、見えていないの。でも気にしないで。私は慣れてるから」


 彼女は穏やかな笑みを浮かべた。その微笑みは、静かな湖面のように落ち着いている。


「私の名前はソウガ・ヴィレッヒニア。フィニアって呼んでくれればいいわ」


「じゃあ……フィニア、って呼ばせてもらうわ。私はフレーリア。こっちはクオトラ」


 フィニアは優雅に膝を折り、床に座り込んだ。杖を傍らに置く動作すらも洗練されており、その優美さにクオトラは目を見張った。


「驚いてるようだけど、どうしたの?」


フィニアが微笑みながら尋ねる。


「フィニアさん……見えていないのに、私たちがここにいることが分かるの?」


 フレーリアが恐る恐る問いかける。


「ええ、目では見えないけど、感覚が鋭いの。あなたたちの動きや気配、全てを感じ取れるわ」


 その言葉に、クオトラは不意に背筋がぞくりとする。「見えていない」のに、彼女は自分たちを確かに「感じ取っている」。まるで背後に立たれているような得体の知れない感覚が、クオトラの胸に広がった。


「あら、クオトラ。感がいいわね」


 フィニアは楽しげに微笑んだが、その笑みには一抹の謎めいた含みがあった。


「フィニア、あなたは一体何者なの?」


 今度はフレーリアが切り込む。武器の作成を依頼しに来たとはいえ、フィニアの持つ雰囲気には謎が多い。


「私たちは、武器の作成を依頼したくてここに来たんだけれど……」


 フレーリアが尋ねると、フィニアは少しの間考えるように目を閉じたまま口を開いた。


「私とシズキは、ある流派の師範代なの。シズキは今は鍛冶屋に夢中みたいだけどね」


 その言葉に、クオトラは自然と納得した。フィニアとシズキが持つ「ただ者ではない」空気感。その理由が見えてきたようだった。


「私の流派は『新陰流』。あなたたちが知っているかは分からないけど、まあ、名前はそれほど重要ではないわ」


「新陰流……? 聞いたことはないな」


 クオトラがそう答えると、フィニアは静かに微笑んだ。


「そうでしょうね。でも流派の名前なんて大事じゃない。大事なのは、その技術と、それをどう伝えていくか、よ」


 フィニアは軽く肩をすくめながら続けた。


「フレーリア、あなたは長い剣と短い剣、どちらが得意?」


「うーん……私は力が強くないから、短い剣の方が使いやすいかな」


 フレーリアが答えると、フィニアはほんのわずかに口元を緩め、静かに立ち上がった。


「じゃあ、実際に試してみましょうか。そこにある長刀と短刀を使ってね。安心して、私からは攻撃しないわ」


「えっ? 見えないのに戦えるの?」


フレーリアは驚いた表情を浮かべるが、フィニアは自信に満ちた笑みを浮かべた。


「やってみれば分かることよ」


 クオトラが壁に掛けられていた長刀と短刀を取り、二人に手渡す。フィニアが長刀を軽々と構える姿は、その小柄な体格からは想像もできない威厳を放っていた。


「準備ができたら、いつでもどうぞ」


 フレーリアは短刀を握りしめ、覚悟を決めたように深く息を吐いた。数歩の距離を詰め、横薙ぎに剣を振る。しかし、フィニアは微動だにせず、フレーリアの刃は空を切った。


「……本気で来なさい」


 フィニアの低く響く声。先ほどの穏やかさは消え、冷たく鋭い刃のような気配が漂う。その圧倒的な雰囲気に、フレーリアは思わず身震いした。


「行くよ!」


 今度は躊躇わずに、全力で踏み込みながら真っ向から斬りかかる。刃がフィニアに迫り、間合いに入り込んだ瞬間、フィニアは体を滑らせるように一歩横へずらす。その動きは、彼女の姿が「消えた」と錯覚させるほどの速さと優雅さだった。


「嘘……」


 フレーリアは空振りに驚き、体勢を崩す。しかし、フィニアは追撃を仕掛けず、淡々とその場に立ち続ける。再びフレーリアが短刀を振りかざすも、フィニアは軽く長刀の柄を動かすだけで全てを受け流す。


 長刀は縦にも横にも、まるで盾のように立ちはだかる。それに合わせて、フィニアは柔軟に自らの体を移動させる。まるで長刀が「フィニア自身」となり、全ての攻撃を防いでいるかのような錯覚を起こさせる。


「これが……防御……?」


 フレーリアが再び短刀を振り下ろす。斬撃は速いが、フィニアの反応はそれ以上だ。彼女は腕一本で、長刀とその柄だけを使ってフレーリアの攻撃をいなし続けた。


 その度に、刃と刃がぶつかり合う激しい音が響き、火花が散る。しかし、フィニアは一切動じない。まるでこの場に溶け込んでいるかのように、無駄のない動きで攻撃を回避し、受け流していた。


「長刀の間合い……近接でも崩れないなんて……」


 フレーリアが息を切らし、肩で息をしながらつぶやく。彼女はすでに何度も全力で斬りかかったが、フィニアにかすりもしなかった。


「近距離が弱点だと思っていたのなら、改めなさい。武器の長さに頼らないことが、剣術の本質よ」


 フィニアの声には冷静さがありながらも、どこか優しさが感じられた。







 フレーリアは荒い息を吐き、肩を上下させていた。体中に疲労が蓄積し、もう限界に近づいている。だが、フィニアは微動だにせず、まったく息を乱していない。長刀を地面に軽くつけたまま、初めの構えから一切崩れることはなかった。


「素人にしては良い動きだ。ただ、適応力に欠ける」


 フィニアの表情は読みにくいが、わずかに口元が笑みを浮かべているように見えた。その静かで的確な指摘に、フレーリアは悔しそうに息を吐き出す。


「クオトラ……だな? お前は私の剣術よりも、シズキに教わった方が合っているだろう」


 フィニアの静かな戦いぶりは、まさに「無音の剣技」とでも言うべきものだった。相手の動きを完全に封じる鋭い反応速度。視覚に頼らず、全てを感じ取りながら的確に距離を取る姿——彼女の技術はまるで次元の異なるものだった。


 クオトラはその完璧な技を目の当たりにし、尊敬の念を抱きつつも、自分には遠い、合わない存在だと感じた。


「……確かに、そうかもしれない」


 クオトラがそう答えた理由は、単純に自分の未熟さを痛感したからではない。自分の中にある「怒り」の感情、それを抑えきれる自信がなかったのだ。冷静さを失えば、簡単に自分自身を見失ってしまう。そんな状態では、フィニアのように冷静で理知的な剣術を身につけるのは難しい。


 フィニアは彼の答えを聞いて軽く頷いた。


「少し休むといい。私も、こう見えて少し疲れた」


 そう言って、フィニアはすっと軽やかに座り込んだ。その動作は無駄が一切なく、優雅ですらあった。先ほどまでの張り詰めた緊張感は和らぎ、柔らかい空気が漂い始めた。


「教えてもらうことは出来るの? 」


 まだ息の整いきっていないフレーリアが、ぽつりと漏らす。ぴくりと、フィニアの肩が揺れ小さく笑ったように見えた。


「安くはない。覚悟はあるか?」


「もちろん! ……手持ちの分なら、なんとか……」


 慌ててフレーリアが立ち上がろうとしたが、フィニアは冷静に彼女を見上げた。


「お前、意外と現金なやつだな。金の話じゃない。私に教わるということは、それ相応の覚悟を持つということだ」


 フレーリアの顔が赤く染まり、もう一度その場に座り込む。彼女は小さく「もちろん分かってたわよ……」と呟いたが、その仕草すらも可愛らしく、クオトラは思わず笑い声を漏らしてしまった。


「クオトラ!」


「ごめん、フレーリア」


 睨むような目でフレーリアはクオトラを見るが、その姿すらも可笑しくて、クオトラはさらに笑いを堪えるのに苦労した。


 フィニアは真剣な表情を保ち、指を二本立ててフレーリアに告げた。


「条件は二つ。まず一つ、途中で諦めることなく、最後まで成し遂げること。時間は関係ない。どれだけかかろうが、必ずやり遂げること。二つ目、お前が技を完全に会得した時、伝承者を一人だけ選べる。それまで技を他人に教えることは禁ずる。伝承者は一人だけだ」


「口外は禁じられるけど、戦闘で使うのは大丈夫なの?」


 フレーリアの問いに、フィニアは冷静に答えた。


「対外で使えない技術を習得する意味はあるか? 私が言っているのは、教える相手を選べということだ。全てを理解し、全てを伝えられる者にだけ、技を継承することが許される」


「分かったわ」


 フレーリアはその言葉に決意を込めて答えた。彼女の目には覚悟の色が浮かんでいる。フィニアは立ち上がり、フレーリアを手招きした。


「では、クオトラ。お前にはこれ以上聞かせることはできない。ここで待っていろ。退屈しないよう、そこにある武器は好きに使っていい」


 そう言うと、フィニアはフレーリアを促し、奥の扉の先へと消えていった。一人残されたクオトラは、軽くため息をつきながら独り言を呟いた。


「なんか……変なことになったな」


彼は草編みの床に仰向けになり、ぼんやりと天井を見上げた。視界の端には、壁に掛けられた数々の武器が並んでいる。それぞれが鋭い刃を持ち、生き物の命を奪うために存在しているかのようだった。


「まるで墓場みたいだ……」


 クオトラは床の編み目に指を這わせ、思考を巡らせた。無数の傷跡が床に刻まれており、ここで幾度となく激しい訓練や戦闘が繰り返されてきたのだろう。深く刻まれた傷跡は、まるでこの場所に刻まれた記憶のように彼に訴えかけてくる。


「なんだか、寂しい気分になるな……」


 クオトラの胸の奥から、不思議な感情が湧き上がってきた。自分でも理由が分からないが、心のどこかでぽっかりと穴が空いたような寂しさを感じていた。


 その時、長い間続いていた工場からの金属音がピタリと止み、扉が重々しく開く音がした。




「ふぅ〜」


 シズキが工場から戻ってきたのだ。彼は工場の煙と焦げたような匂いをまといながら、部屋に入ってくる。


「クオトラ、お前一人か?」


「フレーリアは、フィニアさんと奥の部屋に行ったよ」


 クオトラが答えると、シズキは短く笑った。


「やっぱりな。あいつは少しばかり世話焼きだからな」


 そう言いながら、シズキはクオトラの隣に腰を下ろした。少し焦げ臭い香りが鼻をくすぐり、クオトラはその匂いに少しだけ目を細めた。


「もう少しで仕上がるが、少しだけ待ってくれや」


 そう言うと、シズキは立ち上がり、再び工場に戻っていこうとした。だが、突然足を止めて振り返った。


「そういえば、クオトラ。お前も、剣を習いたいか?」


 その突然の問いに、クオトラは少し驚きながらも、落ち着いて答えた。


「……剣を?」


「ああ。フィニアの流派とは違う、俺の直感的なやり方を教えるって話だ」


 シズキは鋭い目でクオトラを見つめている。彼の言葉には、どこか真剣な響きがあった。


 

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