第10.5話 真紅に染まった記憶

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「貴方々は私達の支配下で暮らして頂きます」


 唐突にそう告げられた。


 血にまみれ、気を失っているクオトラを抱え、王都を目指していた矢先のことだった。その言葉が現実のものとは信じ難かった。


「どういうこと?」


 震える声で問いかけたが、兵士の顔は無骨な兜に隠れ、表情は見えない。無骨な兵士たちが背後に控え、ただ無言で立っている。その沈黙はわたしの不安をさらに煽った。


「言葉のままでございます。我々はこの街の生存者を保護するために参りました。ここから先にドイシュタイムという街があります。そこで、貴方方は暮らしていただくことになります」


 彼の声は冷たく、抑揚がない。その無機質な言葉が、わたしをますます混乱させる。抵抗したところで、勝ち目がないことは明白だった。下手に動けば、クオトラまで巻き込まれてしまう恐れがある。そんな考えが、体を硬直させた。


「我々に貴方方を傷つける意図はありません」


 彼の言葉はそう続くが、その冷たい声は一層、わたしを警戒させた。


「目的は何……?」


「王から、この悲劇の生存者を集めろとの命がありました。我々はその指示に従っているまでです。詳細は、あちらの街で」


 彼がそう言うと、背後に控えていた兵士たちが動き出し、一人がわたしの手を掴み、強引に馬車に乗せようとする。


「兵長、この者はもう生きておりません」


 別の兵士がクオトラの体を揺すり、確認している。


「埋めておけ」


 その言葉で、兵士がクオトラを雑に扱い始めるのが見えた。


「やめて、お願い!」


 わたしは反射的に叫び、掴まれた手を振り解こうとするが、力が入らない。クオトラはまるでただの死体のように扱われている。目の前で、その光景が現実として迫ってくる。


「お願い、わたしはどうなってもいい!だから、この子と一緒にいさせて! まだ死んでいないの!」


「ほう……どうなってもいいか?」


 兵士の声が変わった。それは今まで無機質だった彼の声に、冷たい皮肉が混じった瞬間だった。


「ならば二人分の運命を背負うことになるぞ。覚悟はあるか?」


 わたしは、ただ必死に頷いた。体は震え、動かすのも精一杯だったが、クオトラの元へ駆け寄ろうと足を踏み出した。






「夢……」


 バチン、と張り詰めた糸が切れたような感覚が頭を突き抜けた。あれは夢ではない。だが、夢であって欲しいと願ってしまう。


 わたしは溢れ出す負の感情を押し潰し、一息ついて周囲を見渡した。木造の質素な部屋。額に手をやると、汗がにじみ出ていた。冷たい体を起こすと、寒気が全身を覆った。


「どうせ夢を見るなら、もっと良い夢を見たかった」


 心の中でそんなことを呟きながらも、あの続きを見ずに済んで良かったと安堵する。わたしは汗で湿った服を脱ぎ捨て、新しいものに着替えた。寝室を出て、視線を向けた先には見慣れた光景が広がっている。


 部屋には一つのベッドと、最低限の家具。あの日から、何も変わらない毎日。あまりにも長く待ち続けていたせいで、この感情が何なのか、自分でも分からなくなっている。


「どうして欲しいのか、どうなりたいのか、どうすればいいのか……」


 問いかけても、答えが出ない。そんな自問自答を何度も繰り返してきた。


「何も食べなくて、平気なのかな……」


 その問いもまた、答えがないと知っている。けれど、わたしは毎日、そんな言葉を投げかけずにはいられない。


 目の前に横たわるのは、安らかな寝顔。とても、死にかけていたとは思えないほど穏やかな顔だ。この数年間、彼は何も食べていないのに、見た目にほとんど変化はない。彼の頬にそっと触れる。冷たく、人形のように美しいその顔。


「生きていてくれると信じてる」


 わたしはそう思い続けている。だが、毎日、自分にそう言い聞かせないと、この信念が揺らいでしまいそうだった。


「クオトラ、わたし、今日も仕事に行ってくるね」


 わたしは、鉄製の重苦しい扉を開けて外に出る。扉が閉まるまでのわずかな時間、起きてくれるのではないかと淡い期待を抱くが、それはいつも通りの儚い願いに過ぎない。




 少し歩くと、馬車が待っていた。竜馬ではないところを見ると、あちらも余裕があるわけではないのだろうと思う。馬車に揺られながら、わたしは窓の外をぼんやりと眺めていた。しばらくすると、無機質な建物の前に到着する。


 その建物には、またもや不似合いな、重苦しい扉が据え付けられている。


 扉を開けると、そこには冷たい白い世界が広がっている。外観は石造りで、白と黒のコントラストが美しいが、中は白一色だ。


「よくいらっしゃいました、フレーリア様」


「ルミナ、その適当な敬語はやめてって言ったでしょう」


 ルミナは、布のような奇妙な服を身に纏い、無造作に伸ばした黒髪を垂らしていた。無表情な顔と、光のない瞳が彼女の特徴だった。


「今日は?」


「今日は内蔵を」


 淡々と告げられた言葉に、わたしは顔をしかめた。


 初めは髪の毛だった。次に爪、皮膚、そして今度は内臓。少しずつ命の核心に近づいているようで、気分が悪くなる。だが、この七年間で、その感情すらも薄れてしまっていた。


「進捗は?」


「ありません。所詮は薄れた血ですから、すぐに成果が出るはずもありません」


「そう……」


 彼女の言葉に、苛立ちを覚えた。薄れた血を求めたのは彼女たちのほうなのに、こんな扱いを受けるとは。わたしは彼女を睨みつけたが、ルミナはただ無表情のまま、静かに見つめ返してくるだけだった。


「さあ、お入りください」


 無言のまま、ルミナの後について歩く。白一色の無機質な部屋。中央には寝台があり、金属が擦れる不快な音が響いてくる。飽きるほどに何度も見た光景だ。


 壁も床も天井も、置いてあるものすらも真っ白な、完全に白一色の部屋。天井で発光する円状のもの、中央にある物々しい寝台。その他には移動式の台車がある限りで、殺風景に感じられるだろう。


 何もかも丁寧に整えられているのに、ひたすらに悪趣味な部屋に感じられる。


「痛みには慣れたのかしら」


 わたしが寝台に寝転ぶと、彼女は半笑いの表情でそんな問いを寄越す。下らないと思いつつ、気づけばわたしは奥歯を噛み締めていた。


 何も考えないようにと瞳を閉じれば、かちゃかちゃと嫌な金属音だけが響いてくる。


「おいおい、一人で行うつもりか? 」


 男の声に、目を開くとフードを被った男、ユスティレヌが、隣に立っていた。


「また来たの?」


「来ちゃいけないのか?」


「まさか、そんなつもりは」


「やるなら早くしてもらえる? 」


 二人は放って置けばいつまでも話してそうである。飼い殺しになっている状況に嫌気がさし、感情の一部を吐き出した。


「おおっと。お姫様がお怒りですぞ」


「からかわないの。彼女の要望ですよ、さっさとやりましょう」


 ユスティレヌは、小さな刃物を取り出し、それを軽く振り回しながら歩み寄ってくる。そして、何の躊躇もなく、腹部に刃を突き立てた。


「ぅっ……!」


 耐え切れず、わたしの口から悲鳴が漏れた。だが、彼らはその悲鳴などお構いなしに作業を続ける。まるで命を削り取るためだけに磨き上げられた技術が、わたしの体を切り裂いていく。


「いつ見ても素晴らしい」


 ユスティレヌがそう呟く。血が溢れ出し、体から流れ落ちていくのがわかる。だが、その傷はすぐに塞がり始める。いつもの光景だ。何度も見てきた――けれど、それが自分の体であることが、いつも悲しくなる。


「死なないとはいえ、ここまでの犠牲を払う価値があるのかしら」


 ユスティレヌが皮肉めいた笑みを浮かべる。


「仕事中ですよ、慎みなさい」


「分かったよ。まあ、これで手打ちにしようじゃないか」


 彼は小さな笑いを漏らし、抜き取った内臓を持って部屋を出て行った。


 わたしはぼんやりと、自分の腹に目をやる。赤く染まった床。血が固まり、傷口が徐々に修復されていく。何度見ても、この光景には慣れない。


「あー、今日はおしまいです。治り次第勝手に帰ってください」


 二人がその場から去っていく。鮮血が、音を立てて水気を失う。どろどろと半固体になったそれは傷口の内側へ内側へとまとわりついてくような感覚と共に、細胞を修復していく。認めたくないと思いつつ、研究対象となっている体を呆然と眺めてしまう自分に気づく。


「これだけは何度見ても慣れないわね」


 わたしは、ぽつりと呟いた。そうして、重苦しいため息が自然とこぼれ落ちる。


 何時間経っただろうか。体内に刻まれた赤い痕跡が、ようやく薄れ、傷は表面だけのものになっていた。わたしは自分の体をゆっくりと起こし、まだ覚束ない足取りで歩き始める。


「毎回……こんな風に再生してるんだもの。慣れるはずがないわ……」


 まだ体が冷えている感覚が続く中、重く感じる真っ白な扉を押し開けた。扉の先には無機質な白い廊下が続いている。振り返れば、先ほどまでいた部屋は血の飛び散った痕が残っている。白い床と対照的な赤い染みが、ひどく不快だった。


 廊下を歩いていると、黒衣の女性が近づいてきた。


「フレーリア様、こちらをどうぞ」


 彼女は無表情のまま、小包をわたしに手渡した。その包みの重さが、わたしの心にもずっしりと重くのしかかる。


「ありがとう……」


 その場を後にし、建物から出る。澄み渡った青空の下、冷たい風が頬を撫でるが、どうしてもその風を心地よいとは感じられなかった。わたしの胸には、不安と疲れが渦巻いているだけだった。


「……いつまで、こんなことを続ければいいの?」


ふと口から漏れた言葉に、自分でも驚いた。今まで、考えないようにしていたことだ。だが、考えれば考えるほど、頭の中は泥沼のように深く暗く沈んでいく。その思考に抗おうとすればするほど、もがくわたしの手足は、その泥に飲み込まれていくようだった。


「……考えない、考えないで……」


 わたしは小さく息を吐き、無理やりその思考を振り払おうとした。だが、何も考えないつもりでいても、内心で不安は消えてくれない。どうして? どうすればいいの?


 気がつけば、自宅の前に立っていた。目の前の木製の扉に、わたしの震える手が触れる。次の「仕事」は二日後だ。心の奥底で逃げ出したいという衝動が渦巻いている。けれど、それをしてしまえば、もう戻ることはできない。


「……わたしはどうしたいの?」


 そう自問しながらも、扉を押し開けた。

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