第10話 忘れられた夢の刃

 嫌な夢を見たような気がした。けれど、内容はまるで思い出せない。薄暗い天井を見上げながら、クオトラは自分が現実に戻ってきたことを確認する。


 そっと起き上がり、右手で顔を覆うと、固い革の質感が触れた。昨日フレーリアがくれた手袋をはめたままだった。


「あぁ、そうだ……。彼女が、この手を隠してくれるために用意してくれたんだ」


 クオトラは右手を眺めながら、深く息をついた。この手袋の下に隠された、もはや「人間らしさ」を失った左手。右手ですら血の気を失い、赤紫に染まり始めている。けれど、手袋がそれを隠してくれているおかげで、心が少しだけ安らぐように思えた。


 ふと辺りを見渡せば、目を擦り疲労の色を明らかにしたフレーリアがすぐそばにいた。どうやらちょうど起きたところらしい。


「ありがとう……フレーリア」


 胸を覆っていた不安が一気に消えた気がした。根本的な解決には至っていない。それでも、この「正の感情」が、クオトラの黒く染まった負の心をわずかに浄化していく。感謝の気持ちは尽きないが、それをすべて言葉にすることはできず、「ありがとう」の一言にすべてを込めた。


「いえいえ」


 フレーリアは微笑みながらも、その顔の疲労は隠しきれていない。


「でもごめんね、少し疲れてしまったから、ちょっと休ませてほしいの。少し休んだら、今日は渓谷に行きましょう」


 そう言い残し、彼女は部屋の奥へと消えていった。木製の床が軋む音と共に、フレーリアの姿が視界から消える。その背中を、クオトラは自然と目で追っていた。


 ぼうっと自分の掌を眺める。甲は濃紺の手袋で覆われ、掌は黒に近い色だ。


「不思議と懐かしい気がする……」


 鼻腔に革の独特な香りが漂う。この街に来てから嗅いだのは二度目だ。初めてのはずの匂いなのに、なぜか懐かしさを感じ、気分が安らいだ。疲れが取れたような気がして、ゆっくりと立ち上がる。


 体は重く、だるさが残っているが、背中に感じていた痛みは消えていた。ふとベッドの下に目をやると、真っ白かった棒がいつの間にか透明がかった色へ変わり、薄らと発光している。


「なんだこれ……?」


 クオトラはそう思い、手を伸ばした。


「お、重い……」


 自分の体から抜け落ちたものだというのに、それが何なのかは分からない。骨か? だが、知っているはずの骨とは質感も質量もまるで違う。


「狂ってるな……」


 そう思いつつも、クオトラはこの物体を使えるかもしれない、と考え始めていた。不思議と、その考えに抵抗がないことに気づき、すぐに試さずにはいられなくなった。


 クオトラは腰をかがめて棒を持ち上げ、なんとか二本のそれを担ぐことに成功した。自分の体重と同じかそれ以上、少なく見積もっても百七十セルイはあるであろうこの物体。一本だけでもクオトラの体重を超えるだろう。


「はは……持てるじゃないか」


 そう呟きながら、クオトラは背中にその二本の棒を担ぎ、歩き始めた。歩みを進めるたび、腰が軋む。重量を受けて体が潰れないように背中が悲鳴を上げるが、それでも一歩一歩前に進むたび、なぜか体が修復されていくような感覚があった。


 「何だ、これは……」


 踏み出すごとに、力が湧いてくる。筋肉が爆発的に増加しているわけではない。それでも、筋力が明らかに増えている感覚があった。


 いよいよもって、自分がどうなってしまったか分からない。だが事実、体が変貌していた。


「ははははは」


 自分が笑っていることに気づき、驚く。面白い。だが同時に、苛立ちがこみ上げる。自分の体がこんなにも変わっていることが現実だと分かってしまうと、何かに抗えない怒りが心を覆った。


 怒りに突き動かされ、クオトラは一歩を踏み出す。体が発達したのか、背負っている三倍近い重量にも関わらず、もう姿勢を維持するのに意識を割く必要はなくなっていた。


「知っている……聞いたことがある……同じ筋肉量でも、種族によって出力が変わるとか……」


 点と点が繋がっていく感覚。自分の身体がすでに人間でないモノへと置き換わりつつある。そんな感覚がクオトラの中に広がり、恐怖がじわりと滲んでくる。


「……!」


 息を吐き、クオトラは頭を振った。これ以上深入りしてしまえば、もう戻れなくなる気がしてならない。冷静を取り戻し、何も考えずにひたすら歩き続けた。


 ただ、真っ直ぐに歩いた。


 気づけば、郊外のような場所に辿り着いていた。青々とした香りがふわっと漂い、周りには森が広がっていた。


「いつの間に……」


 クオトラは周囲を見渡し、そして歩いた時間を思い出してため息をついた。


「人影は……無いな」


 辺りを確認しても、誰もいない。


 クオトラは街外れの森に辿り着くと、深呼吸して空気を整えた。そして、持ってきた「骨の刃」を両手で握りしめ、目の前の大木に目を向ける。


「……どれだけの力が、あるんだ?」


 少し不安そうに、手の中の重い「刃」を見つめる。見た目こそ異様な白い骨だが、驚くほど手に馴染む感触がある。クオトラは力を込め、思い切りそれを振り下ろした。


 クオトラは一呼吸し、全力で棒を振り下ろした。遠心力によって体が振り回され、棒が木にぶつかると、反動でクオトラの体も後ろに跳ね返された。


「う、うぉあ!」


 激しい衝撃と痛み、そして痺れが手にまとわりつき、棒から手を離すことになった。手の痺れはなかなか消えず、クオトラは両手を振りながら痛みに耐えた。


 再び大きく深呼吸をする。「こんなんじゃ使い物にならない」と思いつつも、今度こそと決意を新たにする。痺れが残る手で棒を拾い上げ、再度木に目をやる。すると、驚くことに、いや、クオトラには分かっていたがその棒には傷一つついていなかった。


「もう一度……」


今度も、力任せに振り回す。


「ドシャッ!」


 嫌な音が響いた。切り倒すには至らなかったが、先程は鋼鉄のように感じた大木に、棒がめり込んでいた。クオトラは大木に足を掛け、深くめり込んだ棒を引っ張ろうとしたが、簡単には抜けない。


「仕方ない……」


 もう一本の棒で、今度は逆側から大木を殴りつけた。激しい衝撃音が響き渡る。そして、今度は木が切断された。勢い余って二本の棒が激突し、甲高い音がした。


 その瞬間、めり込んでいた方の棒が弾け飛び、地面に転がった。そして、その棒は折れ、二つに割れてしまっていた。一本は一メイル程度、もう一本は七十セルイほどだろうか。


「まるで刀みたい……だ」


「刀……?」


 クオトラは自問自答した。「刀」なんて単語は知らないはずなのに、なぜかその言葉が脳裏に浮かんだ。脳内に、形と単語が刻み込まれているような感覚に戸惑いながらも、割れた棒をよく見てみると、一部が恐ろしく鋭利になっていた。そして、折れていない方も、鋭利な切っ先を持つ「刃」として完成していた。


 「試してみようか……」


 クオトラは片方に割れたそれを手に取り、振り上げた。それは半分になったせいか片手でも軽々と持ち上げることができた。


 そのまま、切り倒した大木に向かって振り下ろす。今度は無駄な力を使わず、自然と力が伝わる感覚で、一振りで大木を両断した。


「使える……」


 クオトラはそう確信した。口元が自然と緩み、口角が上がるのが分かった。


「いける」


 手元の切っ先を確認する。木の破片が付着していたが、刃こぼれ一つ見当たらない。クオトラは木屑を軽く払い落とした。


「アレらを倒すなら……木なんて話にならないほど武器は消耗するだろう。それに、力任せでは体力がもたない……」


 クオトラは別の木を見据え、再び棒を振り下ろす。今度は、力を無駄なく使い、正確に振った。


 スっと、まるで空を切るように、棒は木を通り抜けた。クオトラは一瞬、空振りしたかと思ったが、次の瞬間には木が綺麗に倒れた。


「いける……!」


 確かな手応えに、クオトラは無意識に拳を握りしめていた。


「帰ろう」


 クオトラは満足した表情で三本になった棒を担ぎ、帰路に着いた。

 

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