第4話 夢境の継承者

 何が起きたのか分からない。僕はきっと死んだはずだ。今感じているのは、浮遊しているような不思議な感覚。初めてのはずなのに、僕はこれを知っている、夢の感覚だ。


「直に我々の人格は消え去る」


「人格……ねぇ……」


 目の前で二人の人間がそんな会話をしていた。一人は赤い髪を腰まで伸ばした女性。切りそろえられた前髪と、鋭い瞳が不機嫌そうに輝いている。そのオーラは、整った顔立ちをしているにもかかわらず、近づきがたい印象を与える。


 もう一人は、短く切りそろえられた緑色の髪を持つ少年。所々雑に切られた髪と、大きく明るい緑色の瞳が、まだあどけなさを感じさせる。柔らかそうな布でできた服には、金属質のものが何もない。それが妙に親近感を感じさせた。


「ヤツは我々を元とは違う土地に飛ばすそうだ。それがどうかしたか……と言ったところではあるが」


 少年が口を開く。その声は、見た目とはまるで反する低く重いもの。まるで老齢の騎士が語っているような威厳を感じさせ、誰かに体を乗っ取られているのではないかとすら思ってしまうほどだ。


「完全に消失するわけではないって聞いたけど、その辺どうなのかしらねぇ? 先代たちもとっくに還った頃でしょうし、今知る術なんてないんでしょうけど。レウェルシュはその辺、何か聞いたりしていないの?」


 赤い髪の女性が、聞き覚えのある名前を口にした。


「俺は、負ける気なんてさらさら無かったから、そんなことを調べてないよ。君たちにそんな余裕があったのが驚きだ」


 僕は喋っているつもりはないのに、体が勝手に動いている。いや、これはきっとルーシュの記憶だ。彼の言葉が、自分の口から流れ出ているように感じる。クオトラはその言葉に反発することも、止めることもできず、ただ体験することしかできなかった。


 険悪な空気が漂う。だが、声も仕草も、自分が知っているレウェルシュとは全く別人だった。


「負け犬同士、随分楽しそうじゃないか。こちらは今後について考えなくてはいけないというのに、そんなくだらないことで言い合いする余裕があるとは、羨ましいことだ」


 一人だけ、姿が異質だった。それは、間違いなく先程見た男、レクティラだった。


「悪かったな。お前はさっさと次についてでも考えていろ」


 自分の体がそう発すると、レクティラは明らかに不機嫌な表情を浮かべ、大きくため息をついた。


「気が変わった。セカンドステージといこうじゃないか」


 その一言で、周囲の空気が一変した。


「なんの目的?」


「そんなこと決まっている。代々、敗北者たちが復活を夢見て、残った秘炎核を寄せ集めてきた。どうなるかは知らないが、興が乗ったのでな。そこでも私が一番であることを証明してやろうと思ったまでだ」


 赤い髪の女は今にも飛びかかりそうなほど怒りを露わにし、口を開こうとする。


 そんなタイミングでレクティラが口を開いた。彼は大きく腕を広げてアピールするような仕草を見せる。


「参加する……と言っても、私はこの世界を統治する身。であるから条件は貴様らと同じだ。ただの器を地上に返すのみのこと」


「何故そんなこと……」

 

 感情が、まるで文章のように自分の脳内に流れ込んでくる。どうして救えるはずの命を救おうとしないのか、という怒りが渦巻く。


「お前は器になんの感情も抱いて居ないのか?」


「抱いているとも。だからこそ信頼している。私が私として存在し、器が器として存在するのなら、それでいいではないか」


 レクティラは飄々と告げる。


 悔しさと憎しみが沸き上がる。この体の持ち主から、思考が逆流してくるのを感じる。


 敗北者たちの争い。それは竜の器として体を酷使し、死を待つだけの人間を、残った力で竜種として完成させ、生存させるための争い。


 神竜を目指していた頃の感情は失われ、ただ竜たちが器となった人間たちに最期の感謝を伝える機会となっていた。


 本来、神になれば器も滅びることはないはずだった。それなのに……。怒りの炎が身体中を駆け巡る。


「お前には絶対に渡さない!」


「もちろん、渡されるつもりはない。奪うまでだ。だが、レウェルシュ――お前にはお仕置きが必要だな」


 レクティラは左手を僕、いやレウェルシュの左手に重ねた。レクティラの胸部が青白い光を放ち、その光はレウェルシュの腕を握る右手の先まで伝播した。すると、僕の腕が強い光に包まれ、肩から先が消えてしまった。


 すべての思考が吹き飛ぶほどの激痛。言葉にできない痛みが、消えたはずの腕の骨が砕けるかのように走り抜けた。思わず声が漏れて肩が大きく竦んだ。


「な、何を……!」


「心配することはない。ただ竜種としての力を奪っただけだ。地上に降り立つころには、人間として復元しているだろう」


 レクティラは笑った。


「さようなら、竜としての皆さん。元・赤の竜、ユスティレイ。元・緑の竜、スーミア。元・白の竜、レウェルシュ。せいぜい壊れかけた器の修復でも頑張ってくれ」


 レクティラが天に手を掲げると、光が世界を焼き払った。


 なぜ自分がこんな光景を見ているのか。疑問がひたすらに浮かび上がるが、そんな疑問すら焼き払うかのように光が全てを支配した。







「レウェルシュさんって名前凄く呼びにくいね」


 僕は気づくと、知らない場所にいた。僕の体なのに、自由に動かすことができない。言葉すら発することができない、まるで誰かに乗り移られているような感覚だった。


 再び夢に引き込まれるような感覚に、クオトラはただ映る視界に意識を凝らしていた。目の前に広がるのは、ルーシュの記憶、過去の断片だと直感で理解していた。だが、ルーシュの思考と感情がクオトラの中に流れ込み、まるで自分が彼の人生を生きているかのように錯覚させる。


「じゃあ、なんて名前だったら呼びやすいかな」


 落ち着いた声。優しく、人当たりの良い声が自分の体から発せられていた。


「うーん……レウェさん? ウェルシュさん? ルーシュさん? うん、ルーシュさんがいいと思う!」


 真っ黒な髪、真っ黒な瞳を爛々と輝かせる少女。彼女はその場でくるくると踊りながら、気に入った呼び名を「ルーシュ」と連呼している。


「そうかい。君が気に入ってくれたなら、今日から俺はルーシュでいいよ。ルーシュさんって呼んでくれたまえ」


 ルーシュが微笑みながら答えると、少女は兎のように飛び跳ね、嬉しそうに笑い声をあげた。


 『平和だ』それはルーシュの思いか、クオトラの感じたことなのか。二人の意識が混ざり合い、どちらの考えが浮かんでいるのか、クオトラ自身にも曖昧だった。


「ルーシュさん、今日はどんなお話をしてくれるの?」


「今日は、世界の神様が生まれた時の話をしようと思うんだ」


「えー、それって難しい?」


 少女は少し顔を曇らせる。


「ううん。リィちゃんなら、ちゃんと聞けば分かるはずだよ。大人たちが『伝説』って呼んでる話だから、ちゃんと知っておけばみんなに自慢できるかもしれないよ?」


「ほんとー? じゃあ頑張って聞く!」


「じゃあ、広場で待ってるね!」


 ルーシュはそう言うと、リィと呼ばれた少女に手を振り、ゆっくりと歩き出した。舗装された道、木造だが比較的新しい建物。僕がいたアルフィグの街とは違う。もう少し田舎の雰囲気が濃いが、街の空気は澄み渡り、どこか心地よく感じられる。広さは僕の街の一部くらいしかないだろうが、至る所に露店が並び、人々が行き交い、活気に満ちていた。


 ルーシュはそんな街をゆっくりと歩いていた。やがて、広場の中央に置かれた四角形の石に腰を下ろし、ふぅっと息をつくと、懐から一冊の書物を取り出した。目の前には、数人の子供たちが何かを待つように座り込んでいる。


 その子たちの年齢は、見た目からしてクオトラとさほど変わらないだろう。


 ルーシュが取り出した本の表紙には、何やら文字が書かれているが、上手く読み取れない。どうやら僕が知っている言語ではないようだった。パラパラと古びたページをめくる。変色し、劣化した質感から相当な古物であることが窺える。


「そろそろ集まったかな」


 気がつくと、狭い広場が埋まるほどに人が集まっていた。


「今日は神様がどんな存在か、その話をしようと思う。みんなは、『四つの大地の伝説』『龍神様の伝説』『崩壊の予言』『赤の大地の伝説』――どれか聞いたことがあるかい?」


「うん、知ってるー!」


「「「知ってる!」」」


 ルーシュが問いかけると、子供たちが口々に答えた。その反応に満足した様子で、ルーシュは書物の一ページ目をめくる。


「遥か昔、白銀の翼と漆黒の翼を持つ竜がいた。彼はまだ枯れた大地に種を撒き、大地に命が生まれた。我々はその竜を『始源の神龍』と呼んだ。彼はなぜ生まれ、なぜ存在しているのかを知る術がなかった。なぜなら、彼より先に生まれたものは何もなく、彼を生み出した者も何者か分からなかったからだ。彼は考えた。自身の分身を作ることで、自分がなぜ生まれたか、その意味を見出すことができるかもしれないと――」


 ルーシュが話を始めると、クオトラの意識の中に景色が浮かんでくる。






 片翼が白銀、もう片翼が漆黒の竜。体は白い体毛と鱗に覆われ、所々が青白く光っている。その竜は、枯れ果てた大地にただ一匹で立ち、ゆっくりと大地を踏みしめていた。神竜の体から輝く光の雫がぽたりと大地に落ちるたびに、荒れ果てた土からは草花が芽吹き、生命が小さく息づき始めた。


「私は何のために存在しているのか……」


 その竜は、なぜ自分が存在しているのか、なぜ『始源』として生まれたのか、その理由を探していた。彼は翼を広げ、自分の胸を恐るべき鋭さの爪で掻き切る。溢れ出た血を空中に集めると、四つの小さな欠片を作り出し、それはやがて小さな竜へと姿を変えた。


「お前たちが、この大地を支配するのだ」


 神竜はそう告げると、空高く昇り、姿を消した。




 

 クオトラは目の前の光景に圧倒され、胸の奥から湧き上がる違和感を覚えた。しかし、体は動かず、声も出ない。まるで誰かの記憶の中に囚われたような感覚が永遠に続くように思えた。夢の中の夢……その夢から覚めた瞬間、視界のスクリーンには無数の人々が映っていた。どうやら話は終わったようだ。


 ルーシュの視界に映る幼い子供たちは、彼の話を理解しきれなかったのか、目を擦ったり、そっぽを向いたりしている者もいた。それでもルーシュはその様子を確認し、再び書物に目を戻した。


「神龍は完璧であった。しかし、完璧であるがゆえに、その権能を本体に宿すことはできなかった。なぜなら、その力は生き物の枠を超えたものであり、生き物自体が権能と化してしまうからだ」


「何言ってるのか分かんないよー!」


 一人の子供が駄々をこねる。ルーシュは小さく息を吐き、その子に優しく目線を移した。


「例えば、そこに転がっている石の一部がダイヤモンドだったら、みんなはそれをどう呼ぶ?」


「ダイヤモンド!」


「そうだね。でも、ダイヤモンドが見つからなければ、それはただの石ころだ。価値が低いものは、価値が高いものに存在を飲み込まれてしまう。きっと生き物も同じで、本体が権能に飲み込まれてしまうんだ。


 だから、始源の神龍は生き物の内部に力の貯蔵庫を作り、権能と生き物を同時に存在させるようにした。僕たちはそれを『秘炎核』と呼んでいる。神にのみ存在する器官さ」


「今日のお話、難しくて分からないよ……」


 いじけたように呟いたのは、リィだった。ルーシュの中に、悲しげな感情が流れ込んでくるのが分かる。


「ごめんね。僕は話すのが下手だったかな。伝説の話はここでやめておこう。また続きは別の日に」


 ルーシュは書物を閉じ、懐にしまい込んだ。大人たちは大きなため息をつきながら、広場を後にする。ルーシュは子供たちにもみくちゃにされ、身動きが取れなくなっていた。


「幸せそうだ……」


 誰にも聞こえない声が心に響き、涙は流れていないはずなのに、瞳が湿ったように感じられた。


 ルーシュの穏やかな心音が、クオトラの胸にじんわりと響いてくる。懐かしい気持ち……だが、それは僕自身の感情なのか、ルーシュのものなのか、もう区別がつかない。目の前の人物は一体誰なのだ?そして、この想いは一体……誰のものなんだ?


「さて、みんなもそろそろ帰る時間だ」


 気がつけば、日が落ちかけていた。橙色に染まる景色に、なんとも言えない感情が芽生える。ルーシュはゆっくりと歩き始めた。子供たちは散り散りに姿を消し、騒がしかった街も段々と静まり返っていく。その様子に、どこか寂しさが胸に広がっていく。


 やがて、ルーシュは小さな古民家へと入っていった。初めて見る彼の部屋は、質素で、家具といえばベッドと小さな箪笥だけ。ふぅ、と息を吐くと、ルーシュの体から力が抜けていく感覚が伝わってきた。


「あれ……?」


 クオトラはルーシュの視界が揺れ、まるで地面が傾いたかのように体が急回転するのを感じた。だが、それは疲れで力が抜けたわけではなかった。視界がぐるぐると回り、次第に暗闇に飲み込まれていく。意識が反転し、目の前が真っ黒に染まっていく。

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