第5話 赤白の軌跡【後】

 酷い感覚。身体中をどろどろとしたモノがまとわりつき、自由に身動きが取れない。


「貴様の負けだ」


 胸部を貫くのは凶爪。強く脈打つ心臓は、まだ生きていたいと願うが、真横の悪魔がそれを許そうとしない。胸で光を放っていた欠片も、四つに割れてしまい弱々しい灯りとなっている。


 目覚めからなんて最悪な。地獄のような痛みを堪えて、霞んでいる気がした目を見開く。


「まだ……」


 視界で揺れる真っ白い髪は、所々に血液が付着している。力の入らない腕で、自身の腹部に刺さる腕を掴むがビクともしない。


「精々父上に媚びを売ることだ。神になった暁には貴様も他の敗北者も、消し去ってやるのだから」


 赤い女が、私の心臓から欠片を抜き取る。最期の視界には、女の笑みが残っていた。


「さようなら。我が親愛なるもう一人の私。レウェルシュ・ネフィリティアム。我が全てを貴様に託す」


 心を、身体中を根のように張り巡っていた竜種の存在が霧散して消えた瞬間であった。





 どくんと、胸部が激しく鼓動している。ルーシュの記憶なのだろう、その理由が分かってしまう。


 あの時赤い女に受けた傷。神龍ちちうえに体を修復された際に、赤の竜の権能が混ざってしまった故の痛み。だからこの胸の光は真っ白では無く、薄い赤を帯びている。


 息付く間もなく、理解と同時に襲ってくる頭痛。クオトラの眼球を内側から針で刺されるような耐え難い痛みが、脳天まで走っている。


「ま……たか……よ」


 途切れ途切れの声はルーシュのものだった。意識が覚醒したのもつかの間、意識はまた何処かへと吸い込まれていく。何回目だよ……。そんな声にもならない声を残して、クオトラの意識は沈んだ。




 体は動かない。そんなことにはもう慣れかけた頃、動く瞳で辺りを見回す。

 今度は先程とは明らかに違う。これは明らかに自身の瞳に写った光景であると断言出来る。理由なんて分からない。それでも、夢ではないとこの瞳が告げている。


 瞳に映る光景でありつつも、恐ろしく現実味がない光景。まるで瞳と脳の間に無理やり別のスクリーンが据え付けられたかのような違和感。自身が見ていることに変わりはないが、本来みるはずでは無いものを見ているような感覚である。



「どうして」


 映る世界は、記憶に新しい名も知らない街。しかし、その光景には見覚えがあった。


 忘れもしない、僕がきっと死んだあの地獄。


 異形が空中を泳ぎ、人々がゼリー状の何かへと変質していく。あの広場にいた子供たちも、露店を賑わわせていた青年も、祈りを捧げる人達も。


 形を失い、ただのゴミの山へと姿を変える街並みに、クオトラは激しい痛みを感じる。痛みは感情へと突き刺さり、だんだんと殺していく。残ってしまうのはやはり……行き場のない激しい怒り。


 助けを求める声が聞こえた。だと言うのに、身動きが取れない自身は、誰も助けられずただその地獄を見ていることしか出来ない。


「何故、何のために!? 」


 激しい怒りを露わにする。僕ではない、その怒りはルーシュのものだった。変えたい、何とかしたいという意思が激しく伝わる。


 止めてくれ。もう見たくないんだ……そう強く叫んだ時、目の前に張り付いていた不思議なスクリーンは消え失せ、気がつけば濁った白色の天井が視界を埋めつくしていた。


「何度目なんだ……辞めてくれよ……」


 ルーシュが自分の顔を殴りつける。痛みが僕にも伝わる。表情を見ることは出来ないものの、悲愴に歪んでいることが安易に想像できた。


 何度目なんだ。きっとあの日、彼が言っていた意味のわからないことも。


 ルーシュがゆっくりと立ち上がる。


「? 」


 窓越しに映る景色は先程と変わらない穏やかな街並み。少し寂しさはあるが、大人しい夜の気配を漂わせている。


 さっきの光景が一体なんであったのかが分からず、クオトラは混乱する。


 ルーシュがベットへ腰掛け、ぶつぶつと何かを呟く。脳に流れ込む情報で、なんとなくは理解できるが、その言語はこの大地で聞くものでは無い。どこか異国の言葉のように、ただ喋っているということしか理解が出来ない。


 激しい怒り。怒り。怒り。穏やかそうな見た目からは考えられないほどに、激しい爆炎のような怒りが意識の奥まで伝わってくる。それは気を抜いてしまえば自身の感情も、全てが飲み込まれてしまいそうな恐ろしさがあった。


 視界には自身の腕。右手はチカチカと点滅するように見えていた。酷い痒みが左眼に走り、耐えきれずに擦ると、視界が真っ赤に染った。


「何のために俺は産まれたんだ。なんで俺を産んだんだ。……誰にこの怒りをぶつければいい」


 ルーシュは袖口から真っ黒い何かを取り出す。周囲のもの全てを巻き込むような漆黒。生き物では無いことは理解出来る。なのに激しく鼓動しているそれは、見つめていると自身の存在すらも飲み込まれそうである。


 恐ろしい物体だが、ルーシュの思考のせいかそれが何かを理解出来てしまう。始源の龍神。彼の心臓の一部であると。


 使ってはいけない。ただの竜種の器に過ぎない体では受け入れきれるわけが無いと、身体が拒否する。だというのにルーシュはその反応を無理やり押し込めている。


「まだだ、まだ。何とか」


 ルーシュは口元まで持っていった。


 しかし、直前で止まった手がぎこちなく動き、最後には袖口へとしまい込まれる。あの最後の時、私の中にいた龍神が自身の存在を引き換えに残したその欠片を。


 ルーシュは、立ち上がり歩き出した。外へ出て空を見上げる。月が煌々と輝き、赤い星が燃えるように街を照らす。


 銀と赤が交わる美しい夜。しかし、月の影に悪魔が隠れている。大きな口は、月の光で靄が掛かっているにも拘わらず、そのいくつもの牙は研ぎ澄まされたナイフを想像させる。


 月が鼓動する。赤く踊る月は、まるで動物の内蔵のような気味の悪さと、洞窟で光るルビーの様な美しさの二面性を魅せる。


 ぎりっと、歯軋り。口内に鉄を放られた様な嫌な匂いが広がる。


 赤い星の光が強くなる。直後、星が地上へと降り注いだ。降り注いだ赤は地上に落ちてペンキのように色をつける。びちゃりと嫌な音を立てるそれは、ベッタリと張り付き地上を侵食した。


 おーおーと、遠くから、気づけば近くからも恐ろしい声が響く。


「また何も出来なかった」


 遅かった。例えば叫んでいれば。例えば暴れていれば。例えば……。考えても考えてもどうしようも無い。後悔の感情ばかりが流れ込んで来る為か、クオトラの中をどうしようもなく悲しい気持ちが心を埋め尽くす。


 ただ、呆然と立ち尽くすルーシュは、血涙を流していた。これが彼が見た地獄。どうすることも無い未来の予知。


 何度見ればいい。クオトラは彼の言葉の意味を理解した。


 地上にはゼリー状の何かが広がり、空には異形が泳ぎ出す。この光景を、体の全てが否定する。だが何かが違う。


「くそ」


 抑えきれない感情は体を火照らせる。心臓が脳が、燃えるように熱い。苦しい、辛い、悲しい。いくつもの感情が交わり、どうしたらいいか分からなくなる。そうしている間にも、被害が広がっていくことに気づいてしまう。


 煌と、燃えるような感覚に、自身の胸部を確認する。分かっていたが、この胸が燃えていた。白い激しい光と、内で揺らめく赤い光。


 小さく呼吸を整え周囲を見渡せば、無数の異形がこちらを睨んでいた。その姿は、まるでルーシュの光に釣られた、夏の虫のようだった。


 ルーシュは右手を振るう。風を切って走ったそれは、白く染まり当たりを真っ赤な血飛沫が舞っていた。


 何度も、何度も。溢れ出す感情を振り払うかのようにひたすらに腕を振るう。白く、透き通るような爪は滲んだ赤に染まり始め、表面が焦げていく様に剥がれていく。それでもルーシュは気にとめずひたすらに暴れ回る。


 引き裂いても、割いても、一向に終わりの見えない戦い。ルーシュは一方的な虐殺に涙を流す。


 だって、それらのほとんどは、きっと彼が関わってきた無垢な人々なのだから。


「なんで。なんでなんでなんで。どうして俺はここにいる……」


 いっそのこと、ここで楽になってしまえばと、そんな考えが脳内を侵食する。しかしそれを上塗りするのは激しい怒りであった。


 長らく無呼吸で動いていた影響か、気づけば振るう腕が重く、いつの間にか体は動きを止めてしまう。そんな状態になるまで自身の異変に気づけなかったのかと、ルーシュは笑った。


「これで二度目か……はは……」


 ルーシュは懐の書物へと手を伸ばす。書物の表紙には小さな宝石が装飾されていた。一箇所は無理やり抜き取られた後があり、残りは二つ。そのうちの一つを抜き取ると、ルーシュは震える手で口に放り込んだ。


 熱いものが喉をくぐり抜け、内蔵へと到達する。それはゆっくりとルーシュの体へ溶けだし、体全体を駆け巡る。恐ろしい活力。一歩踏み出せば、あの月まで届いてしまいそうな感覚に、クオトラは動かぬ体を震わせた。


 一歩駆け出す。軽く触った程度の腕は、旋風を巻き起こし辺り一面の異形を一掃した。一振。軽く振るった腕は、目の前の全てを薙ぎ払った。


 どろどろと何か大事なものが溶けていく。体の表面、人間という概念が剥がれていく。それでも彼は止まることなく、全てを壊した。


「ははは」


「はは」


「ははは」


 ルーシュは壊れた玩具のように、感情無く笑う。何度も、何度も。


 そして彼は倒れ込む。真っ赤な水溜まりの世界の中へ。

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