第23話 異次元の神
ソリューション事業部システム開発課のフロアを、俵積田部長がゆったりゆったりと歩いていく。細身ながら引き締まった身体をした俵積田部長が、冷や汗を流しながらパソコンのディスプレイと向き合う、
「
「あ、部長……」
優しく声をかけられ、長谷川さんの作業の手が止まった。その表情は緊張というよりも、恐怖の色が濃い。長谷川さんの鱗に覆われた顔が、明らかに引きつっている。
そんな長谷川さんの反応なんてまったく気にしない風に、俵積田部長が笑いながら言った。
「しっかり仕事してくれよ、またあっちの店に連れていくって時に、お客さんから電話がかかってきて中断、ってなったら困るからな、はっはっは」
「う……」
その言葉に、長谷川さんの身体が固まり、表情も強張った。それはそうだ、「あっちの店」なんてぼかしているが、どう考えたって風俗とかそういう、いかがわしいお店だ。
俵積田部長の風俗通いは社内でも有名だ。部下だろうと他部署の部長や課長だろうと、のべつ幕なしに声をかけては引き連れていく。それに加えてボディタッチだのそれと匂わせる声掛けだの、枚挙にいとまがない。
だが、長谷川さんも言葉に詰まるだけで抵抗も出来ない。何しろ、俵積田部長は社内でも有数のやり手、本部長の椅子も間近と言われる存在なのだ。おまけに見た目も整っている。反抗したらそれこそ、社内で何を言われるか分かったものではない。
そんな様子を、ソリューション事業部の入り口付近で隠れるように見ながら、俺と六反田は顔を見合わせた。
「相変わらず、やってんな、俵積田部長」
「男相手でもセクハラしてんのか……予想以上にひどいな」
六反田が呆れたように声を潜めつつ漏らすと、俺もため息交じりに返事を返した。
確かに、俵積田部長のセクハラ魔神ぶりは有名だ。他部署の俺にも話が漏れ聞こえてくるんだから、その酷さはよく知っていたが、ここまで酷い、というか、節操なしだったとは。
四十物さんも呆れの色を隠さないままに口を開く。
「はい、俵積田部長のセクハラの被害者は、男性女性関わりなく報告されています。部署の枠も超えて被害が報告されていますが、特にソリューション事業部内で被害が大きいです……自分の直下ですから無論の話ですが」
四十物さんの口調からも、俵積田部長のセクハラに苦慮している様子が伺える。実際、総務部の四十物さんに相談に行くメンバーも少なくないだろう。直接話を聞いたりした分、よりリアルにセクハラを見聞きしているはずだ。
と、そこで六反田がくい、と親指をソリューション事業部のエリアに向けた。
「それで、見ただろトソちゃん。俵積田部長の、あれ」
「ああ……うん」
眉間の毛皮にシワを寄せつつ言った六反田に、俺もこくりと頷くしかなかった。
その親指で指されているのは、当然俵積田部長である。ソリューション事業部を闊歩する俵積田右作の、その姿について、六反田が言及していることは俺にだって分かった。
だって、見れば見るほど、神としか言えない、というよりも、仏像みたいな見た目なのだ。仏像が意思を持って動き回っている、としか言いようのない姿なのだ。
何とも言えない表情をしながら、二人を見る俺である。
「なんていうか……反応に困るな」
「だよな」
「はい。あの外見では、『神』としか呼称できないのも、無理の無いことと思います」
六反田も肩をすくめつつ言えば、四十物さんも小さく首を振った。二人とも、如何ともし難いと言いたげな表情だ。
俺より何倍も別次元の事情に詳しく、仕事にも通じており、技量もある二人が、この反応なのだ。どれほどの難物なのか、想像に難くない。
と、顔を見合わせる俺たちの中で唯一、俵積田部長の方を向いていたわらびが、これまた首を傾げながら言った。
「でも、四次元の神様だとしたら、私やフレーデガルに見覚えがあってもおかしくないですか?」
「キネスリス、お前な。俺らの次元の神を甘く見るんじゃねーぞ。姿を変えるなんて朝飯前、性別や性自認まで変えられるもんだろうが」
わらびの言葉に、鼻を鳴らしながら六反田が答える。曰く、四次元存在が変身したり幻を見せたりして姿を隠すのの、もっと高度なことを四次元世界の神なるものは出来るらしい。何なら、身体の大きさまで自由自在に変えられるのだそうだ。なんだそれは。
俺があんぐりと口を開けていると、六反田が額をぽりぽりと掻きながら言う。
「ま、だから俵積田部長も、男女構わず声かけてはセクハラするんだろうけどよ」
そう言いながら、再び彼は俵積田部長の方を見た。見れば、同じくソリューション事業部システム開発課の
全くもって、度し難いセクハラ魔だ。しかし、そのセクハラ魔が神様だから、ということもあってか、スキがない。
「でも……あれをどうにかするって、相当難しくないか?」
「難しい」
困ったように俺が言うと、六反田がすぐに頷いた。
『ひずみ』切除のプロフェッショナルな彼が、即座にこう言うとは相当だ。ということは、俵積田部長が生み出している『ひずみ』も、きっと相当なものなんだろう。
桑水流さんの尻尾の生えた腰に手を回している俵積田部長を憎々しげに見ながら、六反田が吐き捨てるように言う。
「だから、どうにかしてスキを見つけないといかんわけだ。無為無策であれに立ち向かうなんて無茶、俺だって出来ねーよ」
彼の言葉に、俺も四十物さんも、わらびも頷いた。確かに、あの存在は今までの『仕事』で対応してきた異次元存在とは格が違う。
「はい。あれはかなりの難物です。まず、説得する糸口が掴めません」
「そうですよね……神だとしたら、どう話を切り出していったらいいか、分からないですし……」
四十物さんが困ったように触手をうねらせながら言えば、わらびも尻尾を揺らしつつ言った。
俺も、二人の言葉を否定する気にはなれない。実際、どうやって話を持ちかけていけばいいかも、今すぐにパッと思いつかない。
「だよな……俺たちの話、すんなり聞いてくれるかどうかも怪しいだろ」
「ああ、そういうことだ。だから、おいそれと切り込んでいくわけにはいかねー」
俺が言葉をこぼすと、六反田も腕を組みながら再び鼻から息を吐いた。
どうするか、どうやって俵積田部長と、そこに巣食っている神の牙城を崩すか。これは、相談に相談を重ねる必要があるだろう。しかし今週金曜日に研修がある以上、長い時間はかけられない。
四十物さんがいつもの涼しい眼差しで、六反田に視線を投げた。
「どうしますか、六反田さん。こうして実際に目にしただけでも、簡単にはいかない相手だと再認識する形となりましたが」
「ああ……そうだな」
その言葉に、少々困ったように考え込み始める六反田だ。
そのまま、無言の時間が1分少々流れたところで。何かを思いついたらしい六反田がこくこくと何度も頷きながら言った。
「よし、ここはあれだ。周りから切り崩していこうぜ」
「ま……周りから?」
「詳細をお伺いしてもよろしいですか」
突然話しだした六反田に、俺も四十物さんもピンとこないで聞き返す。周りから、とは、一体どういうことだろうか。
要領をつかみかねている俺たちに、ウインクしながら六反田が言う。
「簡単なことだよ。ま、見てなって。二人とキネスリスは小会議室行っててくれ」
そう言うと、六反田はすたすたとソリューション事業部の居室内に入っていった。特に誰に咎められるわけでもなく、六反田は一人の人物の背中の傍に立った。それは、長谷川さんの傍だ。
「よう、長谷川ちゃん」
「え……ろ、六反田? どうしてここに」
声をかけられ、驚いたように振り返りながら長谷川さんが言う。それは確かに、驚くだろう。なにせ部署がぜんぜん違う人間だ。
驚いた様子の長谷川さんに、にっこりと笑いながら六反田は言った。
「会社内なんだから、俺がここにいたって不思議じゃねーだろ……それより、辛そうな顔してるが、大丈夫か?」
「あ……う……」
六反田にズバリと切り込まれた長谷川さんが、視線をさまよわせながら言葉に詰まる。完全に図星を突かれた、というやつだ。
そのあまりにもあっさりと切り込めた六反田を、俺はぽかんとしながら見ていた。あんなにあっさり、話を持ちかけることが出来るのか、あいつは。
俺の肩の上でふわふわ浮きながら、感心した様子でわらびが言う。
「さすがですね、フレーデガルのあの話術は」
「他人に好意的に見られること、話を持ちかけていって望ましい反応を引き出すことにかけては、六反田さんは随一ですからね。さあ、二人が来る前に小会議室に行きましょう」
「あ、ああ」
俺の隣でそう言い残して、四十物さんはさっさと小会議室の方に向かっていった。程なくしたら六反田が長谷川さんを連れて、小会議室にやってくるだろう。
そうしたら、いつものように話を聞きつつ切除の仕事だ。俺はすぐに仕事を始められるように、スタンバイするべく会議室へと足を向けた。
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