第19話 抜け殻
四十物さんと六反田、わらびの見つめる先にいる小飯塚課長は、「魂が抜けた」という表現では生易しいほどに気の抜けた顔をしていた。
「……」
時間軸はズレていて、この時間軸には俺たち三人しかいない。とはいえ目の前にいる小飯塚課長は、目がうつろで口をだらしなく開いて、何と言うか、随分と存在自体がぼやけているような感じだ。
「これ……小飯塚課長、大丈夫なのか?」
「いえ。大丈夫、とは言い難いですね」
俺がこぼすと、四十物さんが小さく頭を振りながら言った。
大丈夫とはいい難い、と四十物さんが言うほどに、小飯塚課長の状況は良くないらしい。とはいえ俺の目から見ても、小飯塚課長の状態が普通でないことはすぐに分かった。
ただ、意識を失ってぼんやりしているというだけではない。視線はあらぬ方向に向き、呼吸自体も弱々しい。このまま放置していたら、明らかによくないことは分かる。
六反田が腰に手を当て、ため息をつきながら口を開く。
「まぁ予想はできていたわな。課長の身体の深いところまで、ウームベアトゥは根を張っていた。四十物ちゃんが綺麗サッパリ切り離して、残りカスすら残っちゃいないが、その分今の課長の身体は空っぽだ」
そう話しながら、六反田は小飯塚課長の傍に歩み寄った。頭をひじで小突きながら、ため息交じりにそう話す。
空っぽ、という言葉を強調するように話しながら、六反田が言う。
「抜け殻ってのはこういう状況のことを言うんだ。このまま放っといたら魂の削られた身体は何も分からないまま、勝手に死を選んじまう」
そして六反田の話す言葉を聞いて、俺は息を呑んだ。
異次元存在を身体に宿した状態で放置していてもいずれは死を選んでしまうと言うのに、切除した後でも放置していたら死を選んでしまうとは、結果的に同じ危険性を持ってしまうではないか。
俺が思わず、身を乗り出しながら口を開く。
「そ、それって、結局異次元存在に侵食され尽くした後と同じってことだよな!?」
「そうです。なので魂を補填してあげる必要があります」
俺が言うと、四十物さんが机の上を片付けながら言った。
その言葉に目を見開く俺だ。魂を補填するとは、どういうことだろうか。
「補填?」
俺がキョトンとしながら言葉を返すと、俺の身体から抜け出したわらびがふわりと浮かびながら言ってきた。それと同時に俺の、わらびとの融合が解除されて身体が再び人間に戻る。
「三次元存在の魂というものは、それ自体が異次元存在と言っても変わらないものなんですよ、ご主人様。三次元の肉体に収まり、なじませることで、それはその存在の魂となり、人格を形成するのです」
「じ、人格を……形成?」
わらびの言葉がどうにも理解できなくて、オウム返しをしてしまう俺だ。
魂を補填して、人格を形成して。それで果たしてどうなるかなんて、俺にはさっぱり予想もつかない。
すると、六反田がぺろりと舌をなめずりながら小飯塚課長の頭をもう一度小突いた。
「そ。つまりこれからやることは、『小飯塚亘』という人間を新たに構築するってことだ。記憶は脳味噌の中にあるからいいが、人格、性格、心情に思想。そういうもんを新しく詰め込む」
「えっ、えっ」
そしてその言葉に、俺は明らかに困惑した。
小飯塚課長の人格、性格、心情。そういうものを新しく作り上げて詰め込むだなんて、それはどう考えたって、それまでの小飯塚課長とは、文字通り別人になってしまうことだろう。
戸惑いながら、俺は六反田に言葉をかける。
「い……いいのか、それ? 会議室に連れられていって、戻ってきたら別人みたいになっていたなんて、そんな」
「まぁ、しばらくは変な目で見られることもあるかもしんないわな」
俺の言葉に、ため息をつきながら六反田が話す。それはそうだろう、変な目で見られないはずはないのだ。それまで粗暴で事あるごとにキレていた小飯塚課長が、急に品行方正になったりなどしたら。
だが、そんなことはどうでもいいとばかりに、六反田が話す。
「だけどなトソちゃん、人間、心変わりすることなんてのは結構あるもんだ。そんで性格だの人格だのがそれまで悪い感じだったのが、一気にいい感じになる。戸惑いこそすれど、結果的には受け入れられて周りの人間もいい方向に向かうもんだ」
「う、うーん……確かにそうかも……そうかも……?」
そう言われて、半ば押し切られるような形になりながらも俺は頷く。
確かに、それまで乱暴だった人間がいきなり誠実で好意的な人間になって、しかもそれが一時のものではないとなったら、最初は怪しむだろうけれど後々はそれを受け入れるだろう。
四十物さんがこくりと頷きながら、俺に向かって話しかけてくる。
「下唐湊さんはあまり実感したことはないかと思いますが、こういう性格ががらりと変わることは頻繁にあるんですよ、この会社。むしろ異次元存在の接触によって性格が変わったというケースも多いんです」
「えぇ……マジですか……」
その話を聞いて、げっそりとしながら俺は言葉を返した。
確かにこれまで、異次元存在に取り憑かれて性格が変わったりとか、疲れすぎて心の働きが鈍ったりとか、そういう話はちょくちょく聞いてきた。切除によって随分と気持ちが晴れやかになって、行動を起こせるようになった話も聞いている。
だが、そんなにも変わるものなのか。そんなに変わって、こうして魂を補填することになっても許容されるものなのか。
俺が悶々としている間に、六反田が窓の外に手を伸ばした。そこから何か、光の塊のようなものを掴むと、こちらに戻ってくる。
「ところで、六反田さん、詰め込むものは集まりましたか」
「おう。ちょうどいいところにうちの親戚がいた」
四十物さんが声をかけると、六反田が手に握った光の塊を解き放ちながら言う。彼の手の中に収まっていた光が大きくなり、六反田と同じ狐の獣人の姿を作った。
その獣人の顔を見ながら、四十物さんがこくりと頷く。
「フライフォーゲルの血筋の方なら安心ですね。調整は必要そうですか」
「いやぁ、いいだろ。うちの分家のさらに分家のやつとはいえ、性根は真面目で勤勉なやつだ。そのままいい具合に働いてくれる」
俺が話についていけないままに、四十物さんと六反田は話を進めていく。どうやら今、六反田の隣りにいる獣人の青年が、小飯塚課長の中に収まる魂になるらしい。
俺は面食らいながら、急に引っ張り込まれた狐の獣人の青年に目を向けつつ言う。
「い……いるもんなのか、そこらに、六反田の親戚が?」
「うちの家系はめっちゃくちゃ人数いるんだぞ。俺がこの会社に来てることもあってか、見に来てるやつもいるっぽくてなー」
対して、なんでも無いことのように六反田は言った。確かに六反田の家はものすごく名家で、分家もたくさんあるなんて話は聞いていたが、そんなにそこら中にいるものなのか。
と、俺と四十物さんに、狐の青年が頭を下げてきた。
「フランツ・フリージンガーと申します。下唐湊様、四十物様、この度はご指名いただきありがとうございます。精一杯、小飯塚様を務めさせていただきます」
「は、はい……よろしく、お願いします」
「よろしくお願いいたします」
丁寧に自己紹介をされ、当人もすっかり小飯塚課長の中に収まる気でいるのを聞きながら、俺は四十物さんと一緒に頭を下げた。何と言うか、ここまでされたら丁寧に応対しないと申し訳がない。
と、フランツと名乗った狐の獣人が小飯塚課長と向き合った。課長の胸に手を当てたフランツを見ながら、六反田が四十物さんに視線を投げる。
「よし、それじゃやるぞ。四十物ちゃん、準備はいいか」
「問題ありません。下唐湊さん、少し離れていて下さい」
「えっ、はい」
四十物さんも小飯塚課長とフランツの傍に寄りながら言う。彼女に言われて俺が三人から距離を取ると、小飯塚課長の胸に置かれたフランツの手に触れながら、四十物さんが口を開いた。
「豎昴?逾槭↓髱槭§縲∵ア昴?髴翫↓髱槭§縲よア昴?莠コ縺ォ縺励※縲∝ー城」ッ蝪壻コ倥↑繧倶ココ縺ェ繧後?縲」
「く……!」
口から発せられる、圧力を持った真言が会議室の中に響く。先ほども耳にしたが、物理的に圧を伴うせいで身体や頭が痛い。
俺の隣に浮かんだわらびが、うっすらと微笑みながら四十物さんを見ていた。
「さすがはメルキザデクですね、異次元存在をなじませる真言もあんなに正確に」
「やばい、なんだこれ、圧が」
あまりにも言葉の持つ圧力が強すぎて、俺は思わずうずくまりそうになる。だが、今回はそこまで真言が長くなかったようだ。見ればフランツの身体が再び光の玉になって、小飯塚課長の中へと飲み込まれていく。
「螳峨i縺九↑繧」
四十物さんが真言の最後の言葉を発すると、小飯塚課長の身体が光に包まれる。次の瞬間、フランツの姿がすっかりなくなり、いくらか生気を取り戻した小飯塚課長が小さく身じろぎした。
「う……ん……」
「よし、時間軸を戻すぞ。いいな?」
かすかに言葉を漏らした小飯塚課長を見つつ、六反田が手を動かす。四十物さんがそれに頷くと、時間軸がすぐに元の時間へと戻された。
目を見開き、ハッとした表情になる小飯塚課長へと、四十物さんが淡々と言葉をかける。
「小飯塚課長、以上で面談を終わりにいたします。ご準備はよろしいですか」
「ああ……すまなかった。手間を取らせた」
四十物さんの言葉に、小飯塚課長は返事を返しながら頷いた。そして椅子から立ち上がり、会議室の扉を開けて出ていく。
口調も、声色もそれまでの小飯塚課長と大差はない。だが、雰囲気が明らかに違う。丁寧と言うか、落ち着いた雰囲気になっていた。
これが人格の補填、魂の補填ということか。
「これで、一段落だな」
「ええ」
「お……終わり、なのか」
すっかり一仕事を終えた様子で息を吐き出す六反田と四十物さんが、小飯塚課長を追いかけるように会議室を出ていく。俺もその場で留まっているわけには行かず、二人の後を追って会議室を出るのだった。
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