第18話 悪霊の帰還
早速、六反田と四十物さんがせわしなく動き始める。またしても俺は置いてけぼりだ。置いてけぼりになりながらも、なんとか動き続ける二人に声をかける。
「あ、あの、二人ともちょっと待って」
戸惑いがちに発した俺の言葉に、六反田と四十物さんが動きを止める。それを見てから、俺は静かにゆらめくウームベアトゥの方を見ながら言った。
「切除するのはいいとして、どうやってこの人に二次元に帰ってもらうんだ? 佐々本さんの時とは状況が違うんだろ」
俺が困惑しながら問いかけると、うなずいたのは四十物さんだ。人差し指を立てて、それを左右に動かしながら静かに話す。
「そうですね、佐々本さんに根付いていたデメトリアスは、本体が二次元に残されたまま三次元に根を伸ばしていたため、切除と同時に三次元から切り離されました。今回は本体が三次元に来ているため、三次元から二次元に向かってウームベアトゥを送り返す必要があります」
そう、この前にレクリエーションで切除を行った佐々本さんのデメトリアスは、佐々本さんに根付いてこそいたけれども根付いていたのが端末と言うか、デメトリアスの一部だったから、切除すればそれで佐々本さんとの繋がりは断たれた。
しかし今回は違う。ウームベアトゥは本体が三次元に来ていて、小飯塚課長の身体に深く根を張っている。だから単純に肉体から切り離しても、異次元存在はこの世界にいる状況なのだ。
ウームベアトゥと小飯塚課長の座っている椅子を動かした六反田が、尻尾をばさりと振りながら話す。
「そーゆーこと。身体からの切除は四十物ちゃんが、二次元への『扉』を開くのは俺がやる。トソちゃんには身体から切り離されたこいつが『扉』にスムーズに入れるように導いてほしい」
「み、導くって」
事も無げにそう言われて、俺はますます戸惑った。導くだなんて、そんな抽象的なことを言われて、一体何をどうすれば導くことになるのだ。
すると四十物さんが、机の位置を直しながら話し始めた。
「肉体という寄る辺を失った異次元存在は、とても不安定なんですよ。油断するとすぐに新たな寄る辺を求めて拡散してしまいますし、存在が不確かになってしまいます。『扉』の場所はこちらですよ、と教えてあげる必要があるんです」
曰く、異次元存在というものは存在するために依り代を必要とするらしく、それがない状態だとどこにも存在できず、安定してその世界にいられない幽霊みたいな形になるのだそうだ。
依り代がない異次元存在が、新たな依り代を求めてどこか別の人間に取り憑いてしまう危険性もある。そういうことを防ぐために、開いた『扉』に導く役割が要るのだと言う。
ウームベアトゥが歯をカチカチと鳴らしながら、憮然とした様子で言った。
「どうせ貴様らはこの男の傍に『扉』を開くのだろう。1メートルも無い距離とは言え、導きの声くらいは欲しいわけだ」
「な、なるほど……」
俺が納得して声を漏らすと、六反田がウームベアトゥの目の前から見て、僅かに右側に立った。四十物さんがウームべアトゥのすぐ隣に立つのを見ながら話し始める。
「とりあえず、そうだな。四十物ちゃんが課長のすぐ隣に立って切除をする。俺はこの位置に立って『扉』を開く。したらトソちゃんはここ、この辺に立って課長の方を向いて、ウームベアトゥに呼びかけてくれ」
「分かった……やってみる」
そう言いながら六反田が指し示したのはウームベアトゥの真正面だ。
俺が恐る恐るウームベアトゥと向かい合うようにして立ち、六反田が
「では、よろしいですか。ウームベアトゥ」
「さっさと始めろ。帰ると決めたわしの気が変わったら、貴様らの企みは水泡に帰すのだぞ」
その嫌味を含んだ声を聞いて、小さく肩をすくめた六反田がさっと手を動かす。
俺の目の前、ウームベアトゥとの間にほのかに光り輝く空間が生まれ、ウームベアトゥと四十物さんの姿がぼんやりと霞む。
「へいへい。じゃ、四十物ちゃん、よろしく」
「かしこまりました、切除を始めます」
六反田が声をかけたところで、四十物さんの右手の触手がウームベアトゥの身体に絡みついた。絡みついて、身体に突き刺さり、うぞうぞと蠢き始める。
「ぐ、う、うぅ……」
「っ……」
だが、四十物さんが随分苦しそうな声を口から漏らしていた。佐々本さんの時とは状況が大きく違う。あの時は全く苦しそうな様子もなく、すんなりと引き剥がして切除していたのに。
「お、おい、大丈夫なのか、四十物さんがあんなに苦しそうにするなんて」
「肉体の深いところまで食い込んでいるから、切除する側にも負担なんだよ……ま、見てな」
俺が心配になって六反田に声をかけると、彼は四十物さんに視線を向けたままくいとあごをしゃくった。
と、次の瞬間。四十物さんの全身を覆い尽くす触手が、どくんと大きく脈を打った。それと同時に四十物さんの口から、この世のどの言語ともつかない謎の言葉が、強烈な圧力を伴って発せられる。
「髣?↓蝮舌☆蛛牙、ァ縺ェ繧狗視繧ヲ繝シ繝?繝吶い繝医ぇ縲∝セ。霄ォ縺ョ閧我ス薙r縺ゅk縺ケ縺榊?エ謇?縺ォ驍?@邨ヲ縺」
「う、ぅっ!?」
俺は思わず両手で耳を押さえた。声が大きいとかそういうわけではない。物理的に圧を伴って、謎の言語が俺の耳と、鼓膜を揺さぶってくる。鼓膜どころか三半規管を揺らしてくるほどの、強烈な圧力だ。
思わず視線を六反田の方に向ける。彼は俺とは違って、平然と立ちながら『扉』を維持していた。
「なんっ、こっ!?」
「大丈夫だ、四次元の魔物が使う真言だよ。四十物ちゃんのメルキザデクはそっちのプロだからな」
そう言いながら、六反田の口角がにんまりと持ち上がる。その視線が向く方を見れば、触手が絡みついているウームべアトゥの身体が、ぐ、ぐと音を立てながら小飯塚課長の身体から浮き上がっていた。
「お、お、おオォォ」
「蜍輔°縺壹↓縲√b縺?☆縺舌〒蛻?勁縺ァ縺阪∪縺」
四十物さんの口から発せられる真言はまだまだ止まらない。だが、真言が一音発せられるとともに、小飯塚課長の姿は顕になり、ウームベアトゥの身体はどんどん空中へと持ち上げられていた。
もうすぐ離れる、というところで六反田が声を上げる。
「さあ、来るぞトソちゃん、呼べ!」
「う、こ、こっちです、こっち!」
彼に言われて、俺はすぐさまに声を上げた。同時に大きく両腕を振って、ウームベアトゥに見えやすいように主張をする。
一瞬だけ、俺の視線とウームベアトゥの顔が向かい合った。次の瞬間だ。
「螳峨i縺九↓」
「オ――!!」
四十物さんの静かな、しかし強烈な圧力を伴う真言とともに、ウームベアトゥが大きな声を上げた。同時に小飯塚課長の身体からその異形が完全に離れ、その肉体が形を失う。
まるで光の球のようになったウームベアトゥは、俺の方にまっすぐ飛んできた。下手をすれば『扉』を突き抜け、俺にぶつかるのではないかと思うほどだ。
「う、わ……!!」
思わず両手を顔の前に持ってきて防ぐ。だが俺との間に開かれた『扉』にぶつかったウームベアトゥは、俺に何の影響を与えることもなく『扉』をくぐって消えていった。
それと同時に、俺の目の前にあった『扉』が閉じられる。
「あ……あれ?」
全く何も、俺の身体に起こらなかったことが驚きで、きょろきょろとあたりを見回す。もう、ウームベアトゥの異形はこの場にはいない。俺の身体に何か変化が起こったわけでもない。
六反田がパンパン、と手を打ちながらため息を吐いた。
「ふー……行ったか」
「はい。これで対応終了です。お疲れさまです、下唐湊さん、六反田さん」
四十物さんも肩の力を抜きながら、俺と六反田に視線を投げた。
どうやらこれで、無事に切除は完了したらしい。ちらりと小飯塚課長の方を見れば、そこにいるのは元々人間だった時の姿をした小飯塚課長だ。
無事にウームベアトゥを小飯塚課長の身体から引き剥がし、二次元世界に返すことができた、ということのようだ。
「お……終わり?」
「ああ、これでウームベアトゥは二次元世界に帰った。万事解決だ」
「いえ」
六反田がからりと笑いながら言うも、それをすぐさま四十物さんが諌める。
そう言いながら四十物さんが手を置くのは小飯塚課長の肩だ。そこには普通の人間に戻った小飯塚課長がいるが、動きは当然止まっている。しかしそれだけではない。
どこか、魂が抜けたような、覇気のない状態なのだ。
「六反田さん、まだこちらの処理が残っています」
「おっと、そうか」
四十物さんがそう告げると、六反田も身体をそちらに向けながら肩を回す。
「こちらの処理」がどういうものなのかさっぱり検討もつかなくて、俺はどうすればいいのか分からないまま、きょろきょろと視線をめぐらせるのだった。
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