57 少女と黒と赤の騎士
デュラハン。
それは北の国に伝わる伝説上の騎士。
その正体は諸説あり、戦争の中で散った騎士の遺恨が集まったものとする説や、遥か昔に斬首された高位の騎士の亡霊とする説もある。
だがその正体は依然謎に包まれていた。何故ならこの世界の誰一人として、その姿を見て生きて帰った者がいなかった為だ。
デュラハンが片手に握った手綱を引くと、首無し馬がその太い前脚を上げて嘶き、一直線にセシリアへと駆け出す。
隆々とした馬の脚が地を蹴る度に、重い振動が響き渡り地を抉った。
(あの高さには届かない・・・まずは馬をどうにかしなくては。)
デュラハンは猛スピードでセシリアの元まで駆けると、長さ2メートルはあろう黒剣を振るう。
バギィィィィィンッ
咄嗟に横に飛んで避けたセシリアだったが、そのすぐ横の地面が切り裂かれる様に大きく割れる。
(無茶苦茶なリーチね。伏せて避けていたら今頃真っ二つ)
そうしている間にも、デュラハンは再びセシリア向かって駆け出していた。
セシリアはレイピアを構えると、じっとその巨体を見据える。
(斬撃は早く、リーチも長い。でも標的が大きい分、ダメージは与えやすい。)
そして魔法陣を展開しながら、大声で叫んだ。
「グラン・ヴェスト!!!」
その途端、蹄を鳴らして真っ直ぐと駆ける首無し馬の足元から、巨大な氷塊が突き出す。
そしてその体を串刺しにしようと鋭利な先端が首無し馬の腹へ迫るが、セシリアの予想に反し、氷塊は首無し馬の体をあっさりと突き抜けた。
(通り抜けた!?)
その黒々しい巨体には傷一つ付いておらず、デュラハンは再び黒剣を高々と翳してセシリアの目前へと迫る
そして振り下ろされる重い斬撃を、咄嗟に繰り出した分厚い氷壁によって防いだ。
バギバギバギィ
たちまちひび割れていく氷壁。
氷壁による防御も長くは持たないと判断したセシリアは、飛び上がる様にしてデュラハンの肩、黒い鎧の隙間へとレイピアを突き刺す。
(お願いっ!!!」)
だが、その剣先は空気を裂いた様にまるで手応えが無い。
そしてあろう事か、セシリアの体はそのままデュラハンの姿を通り抜け、反対側へと着地した。
(まさか、肉体が無い・・・!?)
背後でデュラハンが黒剣を振るうのを感じ、再び氷壁によっめその斬撃を食い止める。
だが立て続けに振るわれる黒剣の威力に耐えきれずに氷壁は砕け、その衝撃によってセシリアは背後へと吹っ飛ばされた。
「・・・・・ぐっ」
そしてセシリアが体勢を整えるのを待たずして、追い討ちをかける様に迫る、首無し馬の蹄の音。
咄嗟に再び氷壁を繰り出すものの、正面からの突進を止め切る事は出来ず、その太い前脚がセシリアを蹴り飛ばした。
ドガァァァァァッ
「ぐあっ!」
地を転がる様にして更に吹っ飛ばされるセシリアの体。
恐らく何本か肋骨が折れたのだろう、セシリアの表情が痛みに歪んだ。
だが休んでいる暇はない。セシリアは片手で回復魔法をかけながら立ち上がると、今も尚こちらへと駆け出すデュラハンへ向けて手の平を翳した。
(物理攻撃がダメなら、魔法に頼るしか無いわね。)
セシリアの周囲でバチバチと青白い火花が上がる。
「フルメトルス!!!」
突如セシリアの足元が黄色い輝きを放ち、深紫色の上空から無数の雷がディラハンを襲った。
バギバギバギバギバギィッ
青白い稲妻の雨は怒涛の勢いで降り注ぎ、大地を割る。
それは神の業とも思える程の圧倒的火力。
その直撃を受けて死を免れる生き物はいないだろう。
そう、生き物であれば。
「はっ、はっ、・・・魔法も効かないなんて、嘘でしょ。」
落雷の落ちた先、黒煙が上がる場所。
そこには傷一つ負わずに立つデュラハンの姿があった。
デュラハンは辺りに漂う煙を吹き飛ばす様に黒剣を振るうと、首無し馬が高々と前脚を上げて再びセシリアへ向かって駆け出す。
「・・・くっ」
間髪入れずに繰り出される斬撃。それはまだ距離があるにも関わらず一瞬にしてセシリアへと到達し、氷壁を叩き割っていく。
ドガガガガガガガガッ
二撃。三撃。四撃。
何度氷壁を築こうとも悉く破壊され、止めない衝撃がセシリアの肉体を傷つける。
「ぐ、ぁっ!」
全身にはビキビキと骨に響く様な痛みが走り、内臓が傷ついたのか血が込み上げる。
そしてデュラハンが黒剣を掲げて目前に迫り来る時には、全ての氷壁は破壊し尽くされ、セシリアを守る壁は、何一つ無くなっていた。
咄嗟にレイピアを抜くセシリア。
そして振り下ろされた黒剣をその細い刀身で受け止める。
交わる黒い魔剣と白銀の剣。
ガギィィィィィィィンッ
だが当然、防御魔法も無しにその威力を押し殺す事はできず、セシリアの体はレイピアごと吹き飛ばされ、背中を地面に強く叩きつけられた。
「が、はっ」
痛みに一瞬遠のきそうになる意識を、奥歯を噛んで必死に堪える。
物理攻撃も魔法攻撃も一切通じないまさに絶望的な状況。
だがそんな状況でも、セシリアの瞳から光が失われる事は無かった。
ーーー剣を交えた時に違和感を感じた。
それは些細な違和感。だが糸口の見えない今の状況では、見過ごせない違和感だ。
首無し馬もデュラハン本体も全ての攻撃を透過するにも関わらず、黒剣だけは実体を持ち、レイピアと交える事が出来た。そして、黒剣の所々にあった刃毀れ。それは最初に至近距離でその刃を見た時には無かったものだった。
という事は間違いなく、先程の雷魔法によってついたものだろう。
(確かめる為には、もう一度やるしかないわね。)
セシリアは再びレイピアを構えると、迫り来るデュラハンをじっと見つめる。
だが、今度は氷壁は築かず、飛んでくる斬撃をひたすらギリギリで回避した。
そして目の前で振り下ろされる黒剣を、再びレイピアで防ぐ。
ギィィィィィィィンッ
先程よりも強い力。咄嗟に身体強化魔法を両腕にかけるものの、セシリアの筋力で受け止められる様なものでは無い。
力の拮抗は一瞬にして崩れ、その体は再び地面へと叩きつけられる。
「ぐ、ぅっ!」
背骨が軋みを上げ、両腕の筋肉が断裂した様に痛む。
だがそれでもセシリアは立ち上がり、衝撃によって朦朧とする頭を叩いて意識を保った。
(この世に完全に実体が無いものが存在するとは考えられない。推測だけど、デュラハンの本体は騎士ではなく、あの黒い剣。そこから溢れる魔力があの巨体を生み出し、動かしている。)
それが真実かどうかは分からない。
だが、他の打ち手がない以上、僅かな希望に賭けるしか無かった。
「あの落雷を食らっても刃毀れ程度。アテナはどこまでも試練を突破させる気が無いようね・・・。」
必要なのは、禍々しい魔力を放つ黒剣を打ち砕く、強力な魔法。
最高位の雷魔法ですら、僅かにその刃に傷をつける事しか出来なかった以上、必要なのはあの黒剣へ一点集中した技。
(こんな所で立ち止まる訳にはいかない。)
セシリアはこちらに向かって猛進しているデュラハンへ向け、再びレイピアを構えた。
「
身体中に流れていた魔力が血管の様に青白い輝きを放つ。
それはセシリアが編み出した、この世でセシリアしか使う事の出来ない魔法。
ハルから譲渡された膨大な魔力を用いて、細胞の一つ一つに身体強化魔法をかける規格外の魔法。
その魔力消費は凄まじく、ガソリンの様に絶えず燃焼されていく魔力が、蒸気の様に体から舞い上がる。
「正真正銘の、魔力のぶつけ合いをしましょう。伝説の騎士。」
デュラハンの振り下ろす黒剣が、セシリアの目前へと迫る。
だがその余りに長いリーチは、今のセシリアにとっては隙でしかなかった。
迷わず地を踏み蹴ると、一直線にその黒剣に向かって距離を縮める。
ドゴォォンッ
セシリアの僅かな踏み込みの衝撃で、地面が大きく抉れる。
そして0.1秒にも満たない間にデュラハンの目前に迫ると、黒剣へ向けてレイピアを突き出した。
ガキィィィィィィィィィィッ
響き渡る重たい金属音。
斬り込む角度が数ミリでも違えば、セシリアのレイピアは一瞬にして折れる。
だからといって刃を寝かせれば、黒剣を砕くほどのダメージを与える前に身体中の魔力が尽きる。
セシリアの精緻な剣技は、その危うい綱渡りを渡りきっていく。
ギィィィィィンッ
何度も何度も黒剣の攻撃を受け止めながら、高速で繰り出されるレイピアの突き。
全身に行き渡った魔力によって、その動きはシオンやオーネットですら比にならない程の速さだった。
(ぐぅっ、腕がちぎれそう・・・でも、絶対にこの黒剣を!!!)
カァァァァァァァンッ
セシリアの重く鋭い突きを受け、その衝撃に思わず体を仰け反らせるデュラハン。
体勢を崩してがら空きとなった黒剣目掛けて、セシリアは渾身の突きを繰り出した。
「折れなさい!!!!!」
今まで以上に全身から込み上がる蒸気と、それに比例して増幅する魔力。
その全てを乗せたレイピアは、漆黒の大剣の腹へと吸い込まれる様に突き刺さった。
そして、
バギィンッ
砕ける様な音を立てながら、真っ二つに折れる黒剣。
やがて折れた黒剣は、弾ける様にして粉々に砕け散った。
パァァアンッ
そして剣の様にボロボロと崩れ落ちていく、首無し馬とデュラハンの体。
デュラハンは消える直前、その右手をセシリアへと翳す。そして空中に響き渡る、男の声。
『汝、真理の試練に挑む者よ。光を求めれば闇が生まれる世で、何を・・・願うのか・・・』
それだけ残すと、デュラハンの体は散り散りになって消え去った。
デュラハンの消失を視界に収めるや否や、地に膝をつくセシリア。その体はとっくに限界を越えていた。未だ溢れる魔力が蒸気をあげ、身体中に焼き切れそうな程の痛みが走る。
「はぁ、はぁ・・・これでやっと二つなんて、帰ったら何度ハルを抱けばいいのかしら・・・。」
そう言って苦笑いを浮かべるセシリアの額から汗が垂れる。急速に膨大な魔力を消費した体は、痺れた様に力が入らなかった。
だが、当然敵は待ってなどくれない。
ドゴォォォォンッ
突如背後から響き渡る爆音と振動。
「とことん回復はさせないつもりね・・・。」
何とか痺れる手足に力を入れて立ち上がると、セシリアは音のした方を振り返る。
するとセシリアから数十メートル程の距離の場所で舞い上がる砂埃の中、薄っすらと赤いものが立っているのが目に入った。
「貴方がアテナへの最後の試練、真理の試練ね?」
「・・・・・・。」
現れたのは、セシリアと殆ど変わらない程の身長の、真紅の鎧によって全身を覆われた騎士。
赤い騎士はセシリアの問いには答えず、両手でロングソードを構えた。
そしてそれを見たセシリアが、レイピアを構えてその攻撃を迎え撃とうしたその時、
ザシュッッッ
「えっ」
突然顔にかかる生温かい液体と鉄の味。そして視界から消えた赤い騎士の姿。
意志に反して倒れる上体と赤黒く染まった地面を見て、セシリアは漸く自らが斬られた事を理解した。
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