56 少女とアテナの試練

 



 グルゴ・パランの広間では、変わらず大転移魔法陣の構築作業を進めるナタリーをシオンが手伝っていた。


「本当にこんなもん作っちまうなんて、やっぱりあんたはセシリアの母親だな。」

「あの子が私の歳になる頃には、こんなものなんてきっと一瞬で作るわよ。」


 作業スペースとしている大理石の床には様々な書物が並べられ、無数の文字が魔力によって刻み込まれている。その一つをそっと指で撫でながらナタリーが寂しそうな顔を浮かべる。


「私に残せるものは、これくらいね。」


 その言葉に、シオンはしばらく黙り込んだ。否定するのは簡単であったが、一人で戦い続けてきたナタリーに、何と声をかければ適切に届くのかが分からなかったのだ。

 やがてシオンは持っていた数冊程の魔法書をナタリーの側に置くと、その隣にどかりと腰を下ろす。


「・・・セシリアには本当に言わねぇんだな。」

「ええ、あの子は私の下に生まれたせいで、これまで人一倍の負担を強いてきた。今でさえそうよ。これ以上苦しめたくはないもの。」


 それだけ言うと、ナタリーは再び手を動かす。その表情はセシリアと同じ青い髪によって隠れており伺えない。


「あたしは、ナタリーさんのお陰で助けられて今もここにいる。セシリア達だってそうだ。皆あんたに救われた。」


 いつもの飄々とした態度では無く、重みのある言葉。

 ナタリーはシオンの言葉に手を止めて振り向くと、柔らかく微笑んだ。


「ありがとう。そう言って貰えたら、きっと私も報われるわ。」


 シオンの表情が更に悲しげに歪む。


 その時、広間の扉が大きな音を立てて開かれた。

 驚いてシオンとナタリーが振り向くと、顔色を変えたクロノスが飛び出してくる。


「シオン、大変だ。今すぐ僕と一緒にオーネットの救助に向かってくれ。テミスが、いやテミスは悪くないんだが、少し厄介な事になるようだ。」




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「おい、おいオーネット、起きろ!」

「・・・ん、ぐぁっ」


 ここはテミスの眠っていた祠の最深部。シオンの回復魔法によって何とか全身の傷を回復させたオーネットが、くぐもった呻き声を上げながら目を覚ます。


「・・・シオン、か。」

「一人で何やってんだ!クロノスがいなきゃ余裕で死ぬ所だったぞ!」

「・・・すまない。」


 クロノスの予知によってその瀕死を予感されたオーネットは、シオンとクロノスが祠へ到着した時には全身が内側から引き裂かれた様に血塗れとなって床に倒れ伏していた。


 何があったのか、そう聞きたくもなる光景だったが、それは聞かずともシオンの背後で繰り広げられている口論によって察する。


「君がこんな事をする奴だったとは思わなかったよ・・・」

「むむ、そんな言われをするとは心外だな。私はちゃんと止めたのだぞ。」

「だからってもう少し制御するとか他にやり方はあるだろうが。」

「ははは、これでもかなり抑えた方なのだがな、死ぬだろうと思ったが、クロノスがいた事を忘れていた。」

「笑い事じゃないだろ・・・。」


 クロノスは呆れた様に肩をすぼめるが、どっかりと芸術品の様な椅子に腰を下ろすテミスは、そんなクロノスの様子など気にもとめずに笑っている。

 オーネットは起き上がろうと体を動かしたものの、途端に全身を無数の針に貫かれた様な鋭い痛みが走り、視界が白黒と点滅した。


「・・・ぐ、ぅっ」

「ほほう、起きたか人間の騎士。だがしばらくは動かない方がいいぞ。内臓がボロボロだ。動けば死ぬ。」


 テミスの言った通り、僅かに動いただけで内臓から逆流した血が溢れる。

 だが満身創痍な体とは対照的に、全身を流れる魔力はかつてない程に満ち溢れているのを感じた。

 自分の魔力と、もう一つ。自らの体に深い根を生やした様に込み上げてくる新しい力。


「お前には僅かだが、私の法を操る力を与えた。強力な力だが、使えばお前の脆い体は忽ち今の様に壊れるだろう。使い時は選んだ方が良いぞ。」


 テミスはそれだけ言ってのっそりと立ち上がると、おもむろに部屋の奥へと歩いていった。どうやらまた眠るつもりらしい。

 そして、あくびをしながらオーネットを振り返る。


「私の力は与えた。後はお前次第だ、人間の騎士よ。」


 そしてふっと姿を消す。


「テミスは風変わりな奴だが、まあ悪い奴ではない。それより、君はもう少しここで休んだ方がいい。」


 クロノスの声を聞きながら、オーネットは何度も何度もテミスの言葉を反芻していた。


(代償の大きい力。この力で大切な者を守れるのなら、どんな代償だって喜んで受けて立とう。)




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 セシリアが大聖堂の闇の扉を通り抜けると、その先はだだっ広い空間が広がっていた。何処までも広がる地面、草木、遠くには広大な森や山々が見える。

 それだけ見ればどこかに転移したのかと思える光景であった。ただ一点、大空が禍々しい深紫色に覆われてる事を除いて。

 セシリアがその地に降り立つと、入ってきた入り口は瞬く間に消えて無くなる。


(途中離脱は認めないみたいね。勿論離脱するつもりはないけど。)


 すると突然、大地が下から突き上げられたかの様に、轟音を響かせて大きく揺れた。


「下っ・・・!!」


 咄嗟に空中へ飛び上がるセシリア。

 すると忽ちセシリアの立っていた地面が割れ、中から巨大な白い牙が現れる。


 ドゴォォオオオオオオオンッ


 やがて牙は岩ごと噛み砕き、その口を閉じると初めてその全貌が露わになった。

 大地を割いて突如現れたそれは、全身がびっしりと黒銀色の鱗に覆われており、毒々しい輝きを放っている。そして何よりも特徴的だったのは、頭だけでも家一軒分はありそうな程の巨体さと、18の黄色い瞳。即ち、9つの竜の様な頭部が、セシリアを今にも食い潰そうと見下ろしていたのである。


「9つの竜の頭・・・ヒュドラね。これが“無限の試練”」


 ヒュドラ。それは9つの頭を持つ古の魔獣。古とされている由縁は、遥か昔にグルゴ・パランの創設者である剣士によって討伐されて姿を消したという経緯と、何度首を切っても甦るという不死の伝承から来ていた。


「貴方みたいな魔獣すら呼び出せるなんて、アテナは随分と何でもありな神の様ね。」


 するとセシリアの周囲を白い冷気が包み込んだ。そしてセシリアが立つ周囲の地面に、みるみると霜が舞い降りる。


(ヒュドラ。伝承では全ての首を同時に落とさなければ、何度でも生き返る。)


 セシリアは大地を蹴って飛び上がると、纏っていた冷気をレイピアに纏って振るった。


「グラン・ゲルム!」


 レイピアから伸びる様にして凍り付いた氷塊が、鞭の様にしなりながらヒュドラの首めがけて斬りかかる。

 そして手前の首二つを一瞬にして撥ねるが、別の首から放たれた毒のブレスが紫の炎をあげる様にして氷の鞭を粉々に破壊した。

 僅かなその間にも、すでに切り落とされた首の切り口からは肉が盛り上がり、一瞬にして元の首へと生え変わる。

 そして間髪無くセシリア目掛けて毒のブレスを吐き出した。


「バジリスクが可愛く思えるわね・・・。」


 更に悪質な事に、ヒュドラの吐き出す毒のブレスは防御魔法を張っていても通り抜けて襲いかかって来る。

 セシリアは止むを得ず氷によって物理的な氷壁を築き、ブレスから身を守った。

 しかし、頭部は九つ。

 それぞれから吐き出されるブレスを氷壁で防ぐのは、想像以上に魔力を消耗していく。


「魔力はなるべく温存したい所だったけど、そうも言ってられない様ね。」


 このままでは消耗戦となる。

 セシリアはそう判断し、ヒュドラのブレスの合間を見極めると一気に空中へと駆け上がった。そしてその巨体に向かって両手を翳す。


「グラン・フィルグラウス!」


 バギバギバギバギバギバギィィィッ


 色を失っていく様に、一瞬にして真っ白な氷に覆われていく大地、草木、そしてヒュドラ。

 抵抗しようとセシリア目掛けてブレスを吐き出すものの、それすらも瞬く間に凍りついていく。


(動きを封じて、一瞬でかたをつける。)


 やがてヒュドラの鱗を覆う氷はその首へと伸びていき、急所の動きを止めた。そのタイミングを狙って、セシリアは再びレイピアを振るう。


「グラン・ゲルム!!!」


 氷によって伸びる刀身。真っ青な氷の鞭は大きくしなると、動きを止めたヒュドラの首を目掛けて、真っ直ぐと向かっていく。


 バギィィィィン


 氷の鞭は一瞬にして巨大な魔獣の上を駆け抜け、次々と首を切り落とす。

 その側からまた復活しようとする首を、セシリアの氷魔法が何とか抑えていた。


(これで、最後の一つ!!!!!)


 だが、


 ギャキィィィィィイン


 切り落とされた8つの首。残る最後の一つ目掛けて振られた鞭は、その太い首に触れるや否や、割れる様にして弾き返された。

 その首には傷一つついていない。


「これが、不死身の魔獣の本当の由縁ね。」


 粉々に散った氷の鞭。そしてセシリアの魔法によって凍り付いていたヒュドラの胴もバキバキと音を立てて動き出し、切り落とした筈の首がまた生え変わる。

 何事もなかったかの様にその首は蠢くと、高らかに雄叫びをあげた。


「ヒュドラが不死身の魔獣と言われる理由、それは不死の首。8本の首が断たれると、最後の1つを断つ事が出来なくなる。」


 首の一つが巨大な口を開いてセシリアへと迫る。それを躱した所に襲いくる毒のブレスと、鋭い爪。そのどれもを氷の壁で防いでも、直ぐにまた次の攻撃が迫る。


(ククネロよりも格段に威力が高い・・・っ)


 防御が間に合わず、至近距離で放たれそうになる毒のブレスに、咄嗟にその首を切り落とすも直ぐにまた新たな首が生まれる。

 そして距離を取ろうにも9つの首は巧みに攻撃を繰り出し、徐々にセシリアを追い詰めて行った。


 氷壁が毒のブレスによって破壊され、直ぐさま襲いくる牙を避けた途端に迫る次のブレス。

 繰り出され続ける攻撃に避けきる事が出来ず、その爪を正面から受けたセシリアの体は吹き飛び、地面へと叩きつけられた。


「ぐっ・・・」


 地に倒れたセシリアを、9つの頭が見下ろしている。


(なるべくここでは大きな魔法は使いたくなかったけど、そうも言ってられない様ね・・・。)


 硬い鱗に覆われたヒュドラの体には傷一つついておらず、何度切り落としてもその首は無限に湧いてくる。

 そして例え同時に切り落とせたとしても、最後の一つの首には攻撃が通用しない。

 そんな異次元の力の前に、セシリアに出来る事は一つしかなかった。


(全ての首を、同時に消し去る。)


 セシリアは立ち上がると、ヒュドラのブレスを躱しながら魔法陣を展開する。

 それは普段とは異なり、燃える様な赤い魔法陣。


(火魔法はあまり得意では無いのだけれど。)


 そして地面に着地したタイミングでヒュドラへ向けて両手を翳した。


「メテオ・ボルケーノ!!!」


 遥か上空に集まる無数の魔力。

 それはいくつもの燃え盛る巨大な火球へと姿を変え、一直線にヒュドラ目掛けて降りかかる、業火の流星群。


 ドドドドドドォォォオオンッ


 触れた大地は溶ける様に溶岩と化し、黒銀の9本の首を押し潰し、同時に燃やし尽くす。夜の様に薄暗かった筈の辺り一帯が、太陽が降ってきたかの様に照らされた。


 やがてセシリアの攻撃が止むと、そこには途方も無い程の大きさのクレーターと、黒い炭の様な塊だけが残っていた。


(どうやら上手くいったみたいね・・・ハルの魔力の40%は持ってかれたって所かしら。)


 セシリアの額にはほんのりと汗が滲んでいる。

 そして気がつくと、ヒュドラの体は闇に散る様に消えていた。どうやら一つ目の試練は終わったらしい。ホッと息をつきながら辺りを見渡す。

 残っているのは激しい戦いがあった事を知らしめる巨大なクレーターとセシリア、ただ一人。


 そして、それを待ちわびていたかの様に、辺りに蹄の音が鳴り渡った。


 カッカッカッカッカッ


「休ませてくれる気はない様ね。」


 そう呟くセシリアの正面の空間が突如引き裂かれ、奥へと続く闇が覗く。そしてそこから、次の試練が姿を現した。


 現れたのは、1頭の首の無い馬と、漆黒の甲冑に身を包んだ1人の騎士。そして騎士もまた首から上は失われており、その断面からは禍々しい魔力が迸っていた。

 馬と合わせると、騎士の高さは10メートルをゆうに越えている。

 身体中の皮膚が、ビリビリとその異様な気配を感じ取って命の危険を告げた。

 だが、逃げる事は出来ない。


「貴方が第二の試練、死をもたらす者。そして伝説の首無し騎士、デュラハンね。」


 その声に答える様に、デュラハンは漆黒の剣を抜いた。










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