55 少女と試練の扉

 



 クロエ、アリス、ハル、そしてセシリアの四名はグラソン魔法学園の西塔に降り立った。

 全ての門はセシリアの指示によって閉ざされており、学園内を歩く人の姿は無い。


「良かった・・・特に荒らされた形跡も無い見たいですね。」


 ハルが塔から身を乗り出して校内を見渡しながら呟いた。

 リー教徒やガイアの手下によって占拠されてる可能性を考え、念の為クロエやアリスも着いてきていたが、杞憂だったようだ。


「目指すは大聖堂でいいんだな?」

「ええ。メティスの話では、そこでアテナへの扉を開く事ができるわ。」


 メティスの話ではこうだった。

 まず、アテナへの扉の鍵は、他ならぬアテナ自身の手によって、イーリアの施したものより改変が加えられていた。

 もともとアテナを封印する為の扉では無かった為、鍵さえあれば開く事は容易な筈であったが、その改変によってアテナへの扉を開ける者は限られ、ナタリーも弾かれたのだと思われた。


 大聖堂は、校舎程ではないもののかなりの高さがあり、壁にあしらわれた色とりどりのステンドガラスが特徴的な建物だ。

 近年は宗教的な行事は行われておらず、滅多に学生が訪れる事は無かったが、その圧倒される程美しい内装や装飾品から、観光地として学外の人々がよく来訪していた。


「一応私達はここで見張ってるぞ。一人じゃ無いと入れないんだろ?」


 大聖堂の正面まで来ると、クロエはそう言って早速木陰のベンチに寝転がる。

 ハルはセシリアの手を取ると、透き通った琥珀色の瞳を見つめて言った。


「セシリア様。私もここでお待ちしてます。必ずご無事で戻ってきて下さいね。」

「ええ、勿論そのつもりよ。貴方は大人しく待ってなさい。」


 辺りは恐ろしい程静かであったが、セシリアが歩き出すと待ち構えていたかの様に風が吹き、木々がざわめき出す。

 だが、セシリアは足を止めない。

 固く閉ざされた重厚な扉を開くと、その中へと足を踏み入れた。




 扉が閉まると、バタンッと大きい音を立てて大聖堂の中の空気が震えた気がした。

 中はアーケード型の天井まで続く凝った内装がセシリアを見下ろし、ステンドガラスから様々な色の光が差し込んで床を彩っている。その光景は厳粛そのものだった。

 セシリアはその中を、靴音を響かせながら真っ直ぐ歩いていく。

 そして祭壇の前で立ち止まると、その上にそっと赤表紙の手帳を置いた。


「お願い、開いて。」


 アテナは扉を開く条件として、高潔な魔法師と霽月な心を条件に掲げていた。それは即ち、曇り一つ無い純心。セシリアは一歩下がると、両手を組んでひたすら祈った。

 しかし数分程待っても何も起きない。


(なぜ・・・?)


 思わず一度手帳を取ろうと手を伸ばしかけたその時、


 バサッ


 置かれた手帳がひとりでに開き、ページが捲られる。

 そのページはどれも白紙。それは事前にセシリアが確認した通りであった。だが、


 バササササササッ


 勢いよく捲れていくページから、次々と文字が浮かび上がり、それらはやがていくつかの文となって宙を漂った。




『聖戦に抗拒する者よ』


『神に叛く者よ』


『此処は幸運と勝利の女神が眠る場所』


『剣を持って無限の試練、死の試練、真理の試練を乗り越えた時』


『女神への扉が開かれる』




 そしてセシリアの前に現れる、闇が渦巻く漆黒の扉。


「想像はしてたけど、剣を持てなんて随分と穏やかでは無いわね。」


 だが、どんな試練が待ち受けようとも、先に進まなければならない。そこで待つ、最強の神に会う為に。

 セシリアはレイピアを抜くと、迷わず闇の扉をくぐった。




 ・

 ・

 ・

 ・

 ・




 天候は晴天。木々の合間から差し込む日差しが、進む道を柔らかく照らしていた。そよ風が青々しく生い茂る葉の香りを乗せて通り抜けて行く。

 オーネットは太陽の下、街にほど近い森の中の小道を歩いていた。


「この場所にまた来る事になろうとはな。」


 そして数分程進むと、大小様々な石が並べられた遺跡の様な場所へ辿り着いた。

 先程とは打って変わり、異様な雰囲気の漂うその中を、オーネットは迷う事なく更に真っ直ぐと進んで行く。


「ここで私の全てが終わり、全てが始まった。そうだろ。」


 そう言って立ち止まるオーネットの先には、洞窟の様に口を開いた祠。そしてその入り口を塞ぐ様にして、太陽の光をまるで一点に集めたかの様に神々しく輝く魔獣、グリフォンがオーネットを待ち構える様に立っていた。


「グリフォンは確かに上位の魔獣。だがあの日、ローラの命を奪ったグリフォンは明らかに別格の強さだった。」


 グリフォンは片目を失っており、もう片方の目でオーネットを静かに見下ろしている。それは正しくあの日、オーネット達を襲い、ローラの命を奪ったグリフォンだった。


「お前は千年の時を越え、この場所を守っていたのだな。」


 そう言うと、オーネットは剣を抜く。クロノスから受け取ったその剣は、抜かれるや否や暗緑色に燃え上がった。対するグリフォンも幅10メートルはあろう程の翼を大きくはためかせると、蹄をかき鳴らして雄叫びをあげる。


「グォォォォォォォオオッ」


 その叫び声はまるで地響きの様に辺り一帯の森を震わせ、木々をざわめかせた。


「もうお前の役目は終わりだ、神の番人。ローラの仇、取らせてもらおう。」


 そしてグリフォンが駆け出すと同時に、オーネットも静かに剣を構え、そっと瞳を閉じた。

 グリフォンが踏みしめるたびに揺れる地面。迫る息遣い。空気の振動。そのどれもがオーネットの中の時間を止めていたあの日の惨劇を思い出させる。だが、思い出しはしても、嘆きはしない。人間は悲しい記憶によって強くなる生き物なのだから。

 オーネットは瞳を開いた。そして目前に迫ったグリフォンが、目にも止まらぬ速さで鋭い鉤爪を振り下ろすよりも早く、剣を振り上げる。一瞬にして噴き上がる緑の炎。


「ギャャャャャヤアア」


「眠れ。」


 そして流れる様にグリフォンの首にもう二太刀を浴びせると、その巨体は重い音を立てながら地に倒れ、光の粒となって消えていった。その姿に、オーネットは剣をしまうとふっと息を吐く。


「もうこれ以上、ここで立ち止まっている訳にはいかないんだ。」


 そして一言そう呟くと、口を開けて待つ祠の中へと入って行った。




 祠の中はしばらく階段が続いていた。階段、といっても無造作に石が積み上げられた様なもの。決して整えられているとは言えない。薄暗いその中を、オーネットは手元に出した火の玉で照らしつつ注意深く降りて行った。

 やがて最下段まで辿り着くと、そこは薄暗い大広間程のスペース。

 その中央で、一人の女性が横たわっていた。


「・・・テミスか?」


 しかし返事は返ってこない。警戒しながら近付くと、規則正しい寝息が聞こえる。


(眠りについたとクロノスは言っていたが、本当に神も眠るのか?)


 だが側に立って起こそうとしても、一切反応は無い。


「おい、起きろ。」


 やがて肩を掴んで大きく揺すると、ようやく女性は目を覚ました。


「・・・・むむ、ここは・・・。」


 女性は瞳を開くと上体を起こし、辺りを見渡してオーネットに気付く。


「ほほう、君が私を起こしたのか。些か眠り過ぎていた様だ・・・む?君は人間では無いか。あぁそうか。君が私のグリフォンを倒したのか。」


 女性は納得した様にそう言うと立ち上がった。その身長は比較的背の高いオーネットよりも更に高く、2メートルは越えており、腰元まである長い髪が威圧感をより感じさせていた。


「改めて名乗ろう。緑の騎士よ。起こしてくれた事、礼を言う。我が名はテミス。この世の法を司る神だ。」

「私の名はオーネット。ガイアを鎮める力を求めて、貴方に会いに来た。」


 オーネットがそう言ってテミスを見上げると、テミスは顎に手を当てて不思議そうな顔を浮かべる。


「ほほう、それは立派な使命だ。だが、帰りなさい。君には私の力は渡せない。」


 テミスの口から放たれた予想外の言葉に、オーネットが眉を寄せた。


「なぜだ?何が条件があるのか?」


 するとテミスは部屋の奥、いつの間にか現れた石の玉座に腰掛けると、憐れむ様な視線を向ける。その頭の上にはいつの間にか銀色に光る王冠が載っていた。


「君は他の神々にも会った様だな。懐かしい気配がする。」

「クロノスとメティス、そして神では無いがイーリアとも会った。」

「イーリア・・・懐かしい名だ。」


 テミスはそう言うと、肘掛けに頬杖をついて懐かしむ様に目を細める。


「良いか、人間の騎士オーネットよ。神とて同列では無い。その力の大きさには差がある。それがこの世のルールだ。」


 テミスが指を動かすと、薄暗かった部屋中に明かりが灯る。部屋はオーネットの想像以上に広く、壁一面にはびっしりと様々な絵画が並んでいた。


「まず、アテナとガイアの力は突き抜けて強大だ。ガイアがその指を少し動かせば大地は裂けて海すら割れる・・・もちろん比喩だがな。そしてアテナ。彼女がいればどんな戦いもまず負ける事は無いだろう。なぜなら、この世の全ての幸運が彼女に味方をする。」


(この世の全ての幸運・・・セシリア一人で大丈夫なのか?)


 オーネットはごくりと唾を飲み込んだ。だがテミスの話はここでは終わらない。


「そしてその次が私だ。私の力はこの世界の森羅万象、ありとあらゆるものの法則を操る力。この複雑にして強大な力を並大抵の者に与えれば、その肉体は耐え切れずに滅ぶだろう。」


 その言葉にオーネットは押し黙った。それはその力を受ける事に臆した為では無い。そう告げるテミスの薄紅色の瞳が、まるでオーネットの弱さを見透した様に見えた為であった。

 案の定、テミスは続ける。


「オーネット、君は弱い。それは君が一番良く分かっているのだろう。確かに普通の人間を遥かに凌駕する魔力量と鍛え抜かれた私好みの美しい体だ・・・おっと、今のは忘れてくれ。君は所詮は人間。神の力を手にするには弱過ぎる。」


 しかしオーネットもそう簡単に引き下がる訳にはいかなかった。セシリア、クロエ、そしてノアの隣に立って戦い続ける為に、強さを手にしなくてはならない、そう思っていた。


「確かに私は弱い・・・だが、仲間が戦っている時に、自分だけが命を惜しんで逃げる事はないできない。」

「ほほう、立派な信念だな。勇気のある行いだ。だが、繰り返そう、人間の騎士よ。お前は私の器には弱過ぎる。」


そう言うと座っていたはずのテミスは一瞬にしてオーネットとの距離を詰め、気が付いた時にはその体を硬い地面の上へ押し倒していた。


(速い・・・何も見えなかった。)


 テミスは仰向けで倒れるオーネットを冷たい眼差しで見下ろすと、その心臓の上に人差し指をそっと乗せる。その途端オーネットの全身が恐怖に支配されたかの様に強張り、爪の先すら動かせなくなった。


(指一本なのに、体が動かないっ・・・)


 そしてテミスは無表情のまま口を開く。


「問おう、人間の騎士よ。お前の強さはなんだ?他人の命によって生かされる者に、私の力の器が務まるのか?」


 その言葉にオーネットは奥歯をきつく噛んだ。他人の命、それがノアの命を示している事はすぐに理解した。


「他人の命にクロノスの剣、そしてその剣技すらも自分のものではないだろう?」

「・・・・・っ」


 オーネットの剣技。それは当然血を吐く程の鍛錬を積み上げて培ってきたものに違いは無い。だがその原点には、ローラがいる。


「お前は空っぽだ。自らを犠牲にしなければ、戦うことが出来ない。自らの為に戦える者こそが強者。お前はただの空っぽの人間だ。」


 テミスの言葉は今のオーネットの心を深く抉った。自らを犠牲に何かを守る、それがオーネットの中の一つの美徳であり、弱さとなっている事はイザベルとの戦いで痛い程思い知らされていた。

 そしてそれは同時に、オーネットとクロエ、セシリアを隔てる大きな壁。自らの命を大切に出来ない者に、他人を守れる筈が無かった。

 だが、オーネットの信念は揺るがない。


「・・・それでも私は、他人の為に戦う。」


 ジャリ…と音を立ててオーネットの指が僅かに動く。


「だからお前は弱いのだ、人間の騎士よ。尚更この力を渡す事はできない。」


 それでも、オーネットは譲らない。


「私は弱い、そんな事などこの身をもって知っている!だが、それでも私は自分の為ではなく、他人の為に戦う。それは何と言われようと変わらない!」


 強さは努力でしか手に入らない。忘れたい程辛い経験、後悔、苦しみ、その全てがオーネットを強くした。そしてその経験を乗り越えられたのは全て、隣で笑うノアがいたからだ。今更この力を自分の為に振るう事など、出来なかった。


 オーネットの右腕が、ブチブチと筋が切れる音をあげながら、無理矢理テミスの腕をガシッと掴む。


「ほほう、これはまた随分な胆力だな。」


 変わらず無表情で見下ろすテミスを、オーネットは充血した瞳で見上げた。


「何度言われようが、私は他人の為に戦う。それが例え私の弱さだとしても!」


 腕を掴むオーネットの手が燃え盛る炎を噴き上げた。テミスが僅かに驚きの表情を浮かべる。


「私はもう、誰にも負けない!私の為に、命を賭して戦ってくれる仲間がいるんだ。もう、私だけが負ける訳にはいかないんだ!!!」


 自らをすぐに犠牲にして戦うのは確かに弱さだ。だが、だからこそ出せる力がある。その事も昨日、思い知らされた。

 オーネットのもう片方の腕が、炎をあげてテミスの胸ぐらを掴む。そして叫んだ。


「だから、私に力を渡せ、テミスッ!私はもう、己にも、誰にも負けない!!!」






「ーーーそうか、良いだろう、私はお前が気に入った。代償は不要だ。理由は直ぐに分かる。」


 ブシャッッッ


 テミスが微かに口角を上げてそう告げた瞬間、オーネットの全身は内側からズタズタに切り裂かれた。


「死ぬなよ、君の選んだ茨の道だ。」


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