54 少女と神々の選択

 



 ある程度リューグルの騒ぎが鎮まると、ハル達はグルゴ・パランへと帰還した。


 聖レヴァンダに次いで、リューグル魔法学術院も機能不能となったニュースは、明日の朝にはグラソン国内を駆け巡るだろう。

 そして今回に至ってはリューグルを急襲したセシリア達の姿も目撃されている。国中の大騒動となるのは確実だった。

 本来であればその後処理、即ち隠蔽の為の根回し等に時間を割きたい所であったが、目下それ以上に今はやるべき事が山程ある。


 状況を整理すべく、セシリア達は眠り続けるノアを除き、グルゴ・パランの一室に集まっていた。


「会議を始める前にクロノス、オーネットは生還したわよ。」


 セシリアの言葉に、部屋の片隅の椅子に腰掛けたクロノスが頷く。

 オーネットが死ぬ未来は、クロエの予知とノアの命の半分を犠牲にして結んだ契約によって変えられた。それは悠久の時を生きる神々にとっては些細な変化。だが、ずっと変えられない未来を嘆いていたクロノスにとっては、大きな変化であった。


「・・・よく戻って来てくれたね。」

「未来を変えたのは私の力では無い。クロエ、ありがとう。」


 そう言ってオーネットが頭を下げると、クロエは照れた様に視線を逸らした。


「それで本題だけど、まず目的であったメティスの獲得は成功した。ただ何の力を得たのかはまだ分かって無いわ。それと、その代償としてノアが何を失ったのかも。」


 セシリアがそう言うと、クロノスが唐突に呼びかける。


「おいメティス。隠れて無いで出ておいで。誰も君をとって食ったりはしない。」


 するとクロノスのすぐ隣、何もなかった空間が淡く光りだした。その光は柔らかく、包み込む様な優しい光。

 やがて光は人の形を象り、一人の少女が姿を現す。


「別に怖くて隠れていた訳では無いのだ!」


 怒った様にクロノスにそう言う少女はクロノスよりも更に小柄で、紫色の瞳が特徴的な少女だった。


「貴方が叡知の神メティス?」

「そうなのだ!」

「想像よりずっと、なんというか・・・小さいわね。」

「なっ!?し、失礼なのだ!」


 セシリアの問いかけに自信たっぷりに答えたかと思うと、今度はプンプン言って怒っている。コロコロと変わるそうの表情はまるで小動物の様だ。


「メティス、貴方はノアと何を契約したの?」


 メティスは迷う様に視線を泳がせてから口を開く。


「メティスの知る、全ての回復魔法を与えたのだ。その代わり、ノアの知る他の魔法は全部貰ったのだ。でも、ノアから言い出した事なのだ!」


 悪事がバレた子供の様に必死でそう言うメティスに、オーネットが怪訝そうな表情で問う。


「本当に、それだけか?」

「こ、細い事はノアと二人だけの秘密なのだ!」

「そうか・・・わかった。」


 そう答えるオーネットの表情は暗い。今のメティスの回答によって、ノアが何かしらの形で自らの命を犠牲にしてオーネットを救った事が、確信に変わった為である。


「メティス、君も知っての通り、ガイア達が再び動き出している。だから君に、アテナ達の事が聞きたいんだ。未だに眠っているのはどれくらいいる?レーテ以外にガイア側についた神はいるのか?」

「ここグルゴ・パランで眠っていたタナトスは、一年前にガイアの手下、イザベルによって連れ去られているのだ。」

「やっぱりか・・・アテナはどうだ?」


 するとたちまちメティスの表情が曇りゆく。


「アテナは・・・アテナは、寝返ったのだ。でも、今もグラソン魔法学園の大聖堂にいるのだ。」

「えっ」


 その言葉に最も驚いたのはセシリアだった。


「でも私達はほんの数日前までグラソンにいたわ。学園内に知らない場所は無いし、怪しい気配もしなかった。」


 セシリア達がグラソン魔法学園を発ったのは大遠征の日。数ヶ月も前の事の様に思えるが、それは僅か1週間程前の事である。また、当然グラソン内部の構造は学生の誰よりも知っていた。未だその地にアテナがいるのだとすれば、気付かない筈がなかった。

 すると黙っていたナタリーが口を開いた。


「グラソン魔法学園の礎はイーリアがつくったもの。アテナが眠る地に建てたのには、理由があるのよ。」


 それに続く様に、クロノスが険しい表情で言う。


「アテナは、僕達神々の中で最も強力な力を持つ神だったんだ。そして、強いだけでは無く、崇高な精神の持ち主だった。再びガイアが復活する時、アテナは必ず味方してくれる、イーリアはそう信じてアテナが眠る地に学園を築き、その扉の鍵をグラソン魔法学園の内部に隠した。アテナの魔力は強力過ぎる。扉を開いたままでは、普通の人間はまず生活できなかった。」

「これがその鍵よ。」


 ナタリーが机の上に一冊の手帳の様なものを置いた。

 所々が破れて色褪せた手帳は文字こそ読めないものの、金の朱色の表紙があしらわれ、丁寧に装丁されたものである事が伺える。


「だけど私に扉は開けなかった。その理由はイーリアにも分からなかった。だからメティス、アテナへの扉の開き方を教えて。」


 だがメティスは物悲しそうに視線を落として呟く。


「けどアテナは、もうガイアの味方なのだ。目を覚ましたアテナは、自らガイアの元へ行ってしまったのだ。アテナはもう、壊れてしまったのだ・・・」


 するとセシリアが、机に置かれた手帳を手に取って言った。


「メティス。アテナがどんな神で、貴方との間にどんな絆があったのかは分からない。でも彼女は今、グラソン魔法学園にいる。必ず何か理由はあるわ。それに、それが罠かどうかは、貴方が一番良くわかっているのでしょう、叡知の神。」

「・・・・・罠では無いのだ。でも、味方でも無いのだ。」

「罠で無いのなら十分よ。メティス、私に扉の開き方を教えて。」


 例えアテナがどんな神であったとしても、行かなければならない。でなければ、この戦いは確実に負ける。 


 引き下がらないセシリアに、メティスはポツリポツリと話し出した。

 千年以上の眠りから目を覚ますやいなや、旧敵のもとへと飛び去った、最強の女神への道を。




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 様々な仕事を片付けてセシリアが部屋へ戻る頃には、日付が変わる時刻になっていた。

 最大の課題はガイアを打ち倒す事であるが、立て続けに起きた戦いとリー教徒によってグラソンの生徒が連れ去られた事件の後始末も、大きな懸念事項となってセシリアにのしかかっていた。


「セシリア様、お疲れ様です。」

「まだ起きてたのね。」


 部屋に入ると、ベッドに腰掛けていたハルが微笑んだ。ずっと着ていた制服は今は部屋着に着替えており、部屋の中には穏やかな雰囲気が漂っている。


「街の方はどうなっているのでしょうか・・・」


 そう言って窓の方を見るハルの瞳には、少しばかりの不安が浮かんでいた。


「問題ない、とは言えないわね。国内の3つの主要教育機関が次々と機能を停止した。グラソン魔法学園に至っては生徒の半数が行方不明。そして世間から見れば、四賢聖が突然リューグルを襲った。四賢聖が暴動を起こしたのではと危惧する声も大きいわ。」

「そんな・・・」


 大遠征からの帰還時に四賢聖がいなかった事は、保護された学生達の供述によって世間に知れ渡っている。そしてその後のリューグルへの襲撃。

 シオンによって匿われてはいるものの、四賢聖を見つけ出して討伐すべき、という声も小さくは無かった。


「でも幸い、私達を擁護する声もある。私を崇拝してくれていたグラソンの学生。ノアと繋がりのあった国内外の要人。オーネットと懇意だった騎士団、クロエが寄付を続けてきた孤児院とそれを運営する教会。そして、シオンに付き従うこのグルゴ・パランの生徒。」


 完全実力主義のグルゴ・パランで、圧倒的な力を持つシオンの判断は絶対。

 四賢聖を匿っている事は、有事に備えてごく一部の生徒に伝えていたが、不満の声を上げる者は誰一人としていなかった。それは過去、グラソンの四賢聖と直接剣を交えた際のトラウマがあった事も一因かもしれない。


 そして、グルゴ・パランの生徒だけでは無い。

 これまで四賢聖達が自らの努力によって培ってきた人脈・信頼が、大きな力となり、四賢聖を排斥しようという世論を押し返していた。


「彼らは私達がこの国の為に何かと戦い、必ず打ち勝つと信じているわ。その期待に私は応えなくてはならない。」


 でなければ、ガイアが作り出した咎人の軍隊によって、再びこの世界は混沌に呑まれ、今度こそ人間は滅ぼされる。

 それを食い止める為、何としてもまずは最大火力と謂われるアテナの力が必要だった。


「明日は、本当にセシリア様一人で行かれるんですか?」


 ハルが心配そうな表情でセシリアを見上げる。セシリアはそんなハルの頬に手をあてて頷いた。


「ええ。アテナの扉は一人でないと開かない。私が必ず、アテナを連れ戻す。」


 なぜアテナは寝返ったにも関わらず、今もグラソンにいるのか。まるで何かを待ち続けている様だーーーセシリアにはそう感じてならなかった。

 それはハルも同様で、


「アテナは、本当にガイアの味方になってしまったのでしょうか。」

「ガイア同様に人間を見限ったのなら、戻ってくる必要は無いはず。」


 そこでハルの頭に一つの可能性がよぎる。


「まだ、完全には寝返ってはいない?」

「どうかしら。そう信じたい所だけど、あのメティスの様子だと、そう簡単な話でも無さそうだった。」


 幸運と勝利の神、アテナ。未だその全貌は謎に包まれているが、その力は神々の中で最も強力と言われており、司る力の通りこの戦いの命運を握っているとも言える。味方となれば心強く、敵となれば最大の脅威。イザベルやククネロでさえ苦戦を強いられている現在の状況を考慮すると、何としてでも味方につけたかった。


「アテナと直接やり合うのはなるべく避けたいわね・・・。」


 珍しく弱気な発言をするセシリアに、突然ハルがセシリアの手を引いて後ろのベッドに倒れ込んだ。


「・・・ハル?」


 まるでハルがセシリアを押し倒したかの様な体勢。

 セシリアが首をかしげながらハルを見下ろすと、見上げるハルの桃色の瞳と視線が合う。その表情は穏やかで、口元は微笑んでいた。


「大丈夫ですよ、セシリア様。セシリア様には私の魔力がありますから。」


 そう言ってセシリアの首に回される、ハルの細い腕。その瞬間、頭の中にあった様々な悩みや不安が、紐解ける様にスッと消えていくのを感じた。


「・・・いつの間にこんな誘い方覚えたの。」

「ふふっ、秘密です。」


 そしてハルはセシリアを抱きしめる様にして耳元に顔を寄せると、誘う様に甘い声で囁いた。


「私の魔力、全部貰って下さい、セシリア様。」




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 夜明け前、空がようやく白み始めた頃、グルゴ・パランの本殿から一人の少女が出てきた。

 少女は外に出ると、すぐに飛び立とうと魔法陣を展開する。


「せめて日が昇るまで待ったらどうだ、オーネット。」


 突然かけられた声に振り返ると、いつの間にか本殿の扉の前にクロノスが立っていた。


「ノアがあんな姿になっていて、何もしない訳にはいかない。」

「だからって一人で行く必要は無いだろう。」


 クロノスはオーネットの傍まで歩み寄ると、懐かしむ様な表情を浮かべてオーネットを見上げる。


「君はアテナに似ているね。どこまでも正しくあろうとして自分の本心を見失ったり、大切なものを大切にするあまり、自分を壊してしまう。」

「随分と辛辣な物言いだな。」


 クロノスがオーネットの胸に手を翳すと、その掌はたちまち緑色の炎を上げ、やがて炎は一本の剣に姿を変えた。クロノスはその剣を掴むと、オーネットへ差し出す。


「これを君に渡そう。テミスはアテナやアモルと違って温厚な奴だけど、その折れた剣では心許ないだろう。」

「・・・恩に着る。」


 オーネットはクロノスが差し出した深緑色の剣を受け取ると、腰に携えた。


「その剣の名は光の剣クラウソラス。今の君なら扱える筈。テミスに会ったら宜しく言っておいてくれよ。じゃあな。」


 クロノスはそう言うと、本殿の方へとまた戻って行く。


 クロノスの言った事は、オーネット自身よく分かっていた。

 自分の命を犠牲にしなければ人一人守れない程、自分は弱い。守ろうと誓ったノアの命を、自らのせいで犠牲にした。セシリアやクロエがずっと先を走っている様に見え、オーネットを焦らせる。

 だが、以前の様に道を踏み外したりはしない。


 (強さは、人から与えられる物では無い。限界を越えて、初めて手に入る。)


 オーネットは剣の感触を確かめると、夜明け前の青白い空へ飛び立った。


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