52 少女と神の力

 




 腹部に出来た穴の様に大きな傷。

 イザベルは流れる自らの血を指で掬って舐めると、目の前で剣を構えるノアを見て笑みを浮かべた。


「うふふふふ、ああ、素敵ね。その瞳。抉り取って飾っておきたいわぁ〜〜」


 そう言っている間にも、すでにイザベルの腹部の傷は塞がっている。

 ノアは剣を振ってイザベルの血を拭うと、両手で剣を構えた。


(剣を持つのなんて久しぶり。ちゃんと動けるかしら。)


 オーネットの剣は一般的なものよりも幾ばくか重く、少し振るだけでもノアの筋力では重心が振り回される。


「うふふふふ、メティスと契約したのに剣を使うなんて、そうねぇ、全ての攻撃魔法を代償に、強力な回復魔法を手に入れたって所かしらぁ?」


 イザベルはそう言うと、ノアを警戒する様に僅かに距離を取った。

 悪魔との契約と、神との契約は似ている。

 代償が大きければ大きい程、得る力も大きい。

 ノアが慣れない剣を使って戦っているという事は、それだけ大きい力を得たという事だ。


(・・・やっぱり見破られたわね。でも、やるべき事は同じよ。)


 ノアは剣を握って駆け出した。

 だがイザベルにとってはノアの剣技など、子供の遊戯に等しい。


「まずは足からいただこうかしらぁ♡」


 イザベルは片手の短剣でノアの剣をいなすと、もう一方の短剣をノアの足目掛けて振り下ろした。

 だが振り下ろされた短剣は、クロエの防御魔法によって弾かれる。


「あらあら、まだ魔力が残ってたのね。」

「このくらい、魔力が無くたって余裕だよ。」


 だがそう笑ってみせるクロエの口元は苦しそうに歪んでいた。


「強がらなくっていいのよぉ〜無理をすると、魔力切れでしんじゃうわぁ。」


 そして立て続けにノアへと繰り出されるイザベルの攻撃。

 その攻撃の威力は決して衰える事無く、徐々にクロエの防御魔法にヒビが入り、その大きさも縮小していく。


(クロエが防いでくれている今の内に!)


 だがノアの振るう剣はことごとくイザベルに躱され、その体に傷ひとつつける事すら出来ない。

 やがてクロエの防御魔法を掻い潜ったイザベルの短剣が、ノアの太腿を深く切り裂いた。


「あ゛あ゛っ!!!!!」

「ノア!!!!」


 脚を引き千切られたかの様な痛みが走り、一瞬にして全身へ回った猛毒が、強い吐き気と共にノアに襲いかかる。

 その激痛に思わず蹲りそうになるノアだったが、剣を構えたまま、震える足で地に踏ん張った。

 そして叫ぶ。


「ヒール!!!」


 ノアの言葉に、太腿を深く切り裂いた傷は忽ち修復され、みるみると全身に回る毒も消えていく。


「うふふふ、やっぱり私の推測は当たっていたみたいね。」


 通常の回復魔法ではイザベルの毒は消せない。また、体の内部まで損傷した傷が一瞬にして癒える事も無い。

 だが、メティスの扱う回復魔法は文字通り神の域。

 この世界の叡知を司る神の、珠玉の魔法。

 だが当然痛みが消える訳では無く、蓄積されたダメージは体内に残り続ける。


「あらあら、回復できても私と違って痛みは残る様ねぇ。足、震えてるわよ?」


 そう言って微笑んだまま、イザベルの短剣が今度はノアの右肩を切り裂いた。

 咄嗟にクロエが防御魔法を展開するも、それはただの緩衝材にしかならずノアの肩口から血飛沫があがる。


「ぐぅっ」


 再びノアの体がよろめくが、それでもまた両足を地につけ、魔法を唱えた。


「ヒール!!!」


 そしてまた塞がる肩の傷。

 苦痛に歪むノアの表情を楽しむ様に、イザベルは立て続けに短剣を振り続けた。


「うふふふふふふ、ああ、素敵、もっと、もっと見せて、ああ綺麗。なんて美しいの。」


 飛び散る血の中、舞う様にしてイザベルの短剣が怒涛の様にノアを襲う。

 それはノアの腹部を切り裂き、耳を削ぎ、腕を切り落とした。

 だが、それでもノアが倒れる事はない。

 感覚が失われる程の激痛が、何とか意識を繋ぎ止める。


「があっ・・・ヒールッ!!!」


「ぐぅっ、ヒール!!!」


「ヒールッッッ!!!!!!」


(絶対に、絶対にこの剣は離さないっ)


 ノアはイザベルの攻撃の合間を縫って剣を薙ぐように横に払った。

 すかさずその腕さえもイザベルの短剣が切り裂くが、すぐにノアの回復魔法がその数を修復していく。


(もう少し、あと少し、今度こそっ)


 激痛に顔を歪ませながら、ノアが力一杯に剣を振るう。

 だが、


 ガキィィィィィンッ


 振り払った剣の刀身は、イザベルの体を切り裂くよりも早く、短剣によって甲高い音を立てながら根本から折られる。


「うふふふ、可哀想に。まともに剣も扱えないなんて。」


 一気にリーチが短縮した剣。

 だが、それでも諦めない。

 ノアはその剣を再び固く握りしめると、迷う事なくまたイザベルへと斬りかかった。


「ああああああっ!!!!!」


 そして折れた切っ先でイザベルの胴を狙うが、当然それよりも早く、イザベルの短剣がノアの体を引き裂く。


「ぐ、あっ・・・ヒールッ!!!!」


 再び塞がっていく傷。


(私は、諦めないっ・・・!!!!)


 血塗れになりながらもノアは、イザベル目掛けて剣を突く様に腕を伸ばした。


「いい加減諦めなさい、無駄よ。」


 伸ばした腕が、一瞬にしてズタズタに切り裂かれる。だがノアは剣を握った手を決して離さなかった。


「ヒールッッッ!!!!」


(絶対に、絶対に諦めないっ!!!)


 千切れそうなほど断たれた血肉がまた修復し、修復した側から再びイザベルによって切り裂かれる。

 それでも、ノアは腕を伸ばし続ける。


「しつこいわっ!!!」


 差し迫ったノアの剣に、イザベルは忌々しそうな顔でその腕を切断しようと短剣を振るった。

 イザベルまでの距離はあと僅か。ノアは無意識に叫んだ。


「クロエぇぇぇぇ!!!」


 ノアへと振り下ろされた短剣が、最後の力を振り絞ったクロエの防御魔法によって弾かれる。


「くっ、この、鬱陶しいネズミがっ!!!」


 イザベルのドス黒い魔力がクロエへと襲いかかり、その体を思い切り瓦礫の山へと叩きつけた。その衝撃によってクロエも意識を失う。


「あと、頼んだぞ・・・ノア・・・」


 立っているのは、正真正銘ノアとイザベルのみ。だが、クロエが生み出した隙はノアがイザベルとの距離を縮めるのに十分だった。

 そして折れた剣をイザベルの腹部めがけて真っ直ぐ突き出す。


「届いてぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 ザグッッッッッッ


 剣は深々とイザベルの腹部に突き刺さり、ドボリと赤黒い血が溢れ出した。


「ああ、あああ・・・うふ、うふふ、うふふふふ、」


 それでも余裕たっぷりの笑みを浮かべるイザベル。


「ノアちゃんのつけてくれた傷も素敵ねぇ、たまらないわぁ〜〜。でも、ごめんなさいねぇ。私、傷はすぐに治っちゃうの。」


 そう言うと同時に塞がるイザベルの傷。ここまでは今まで通りの話。

 異変は直ぐに起きた。


 ゴボゴボゴボッ


「え?」


 イザベルの傷があった腹部の肉が、瘤の様にみるみると隆起していく。


「何、何よこれっ」


 そして拳の大きさ程であった瘤はたちまちボール程の大きさに膨れ上がり、さらに数を増殖させた。


「嫌っ何っ、醜い、醜いわっ」


 僅か数秒の間に瘤はイザベルの腹部を覆い、風船の様に膨れていく。その姿はもはや人間では無く、正に悪魔。


「お前、お前ぇ、私の体にっ何をしたぁぁぁぁっ!!!」


 醜い自身の姿に発狂したイザベルが、短剣を振りかぶってノアへと襲いかかる。だが膨大に膨れ上がったイザベルに、以前の様なスピードは無い。その胴体は至る所から瘤がボコボコと増殖し、身動きを阻害する程まで膨れ上がっていた。


「貴女の力は毒と一体化した力。その体中の細胞は絶えず破壊され、その度に超回復している。」


 歪な体となりながらも、尚もノアへと襲いかかるイザベルに向かってノアは剣を構える。


「初めに貴女の胴を貫いた時、過活性の回復魔法をかけた。普通の人なら欠損した部位の回復を促進する魔法。でも貴女にとっては、破壊と回復のバランスを崩す脅威となるわ。」


 ノアの剣が何度もイザベルの体を切り裂き。たちまちそこからまた細胞が増殖、さらにまたボコボコと隆起していく。


「メティスの話を聞いた時、不思議だったの。なぜ破壊も同時に繰り返しているのに。貴女の体を崩れないのか。」


 人の数倍ほどの大きさの肉の塊となったイザベルは、もう何処に顔があるのかすら分からない。

 その肉塊にノアは何度も何度も斬撃を加え、さらに膨張を加速させる。


「そこから推測したの。貴女と一体化した毒は、貴女の正常な細胞は攻撃しない。だから私は、貴女の細胞をただ活性化させた。それなら貴女の毒で永遠に破壊される事は無いから。」


「あ・・・・・あ、あ・・・・・」


 肉の塊の奥からくぐもった様な呻き声が聞こえるが、その声が何を言っているのかすら、もう定かでは無かった。


「終わりよ、イザベル。死ぬ事もできない地獄の中で、自らの罪に思いを馳せなさい。」


 そしてやがて、イザベルであった肉塊は幅5m程の球体になると、動くのを止めた。


「・・・・オーネットっ!!!!!」


 勝利の余韻もつかの間、ノアはイザベルの動きが停止したのを確認すると、地下の片隅で横たわるオーネットの元へと真っ先に駆け寄る。

 だがその体は青白く、冷んやりと冷たくなっていた。

 ノアはすぐさまその手を取り、必死で叫ぶ。


「リアラルーア!!!!」


 忽ちノアの腕は青く眩しい程の輝きを放ち、オーネットの体を包み込む。

 だが、その光が消えてもオーネットの閉じられた瞳が開く事は無かった。


「そんなっ、ダメよっ、どうしてっ」


 涙を零し、何度も何度も回復魔法を唱えるノアに、メティスが姿を現わす。だがその表情は固い。


「ノア、止めるのだ。彼女の肉体はもう死んでいるのだ。回復魔法では死人は生き返らす事は出来ないのだ。」

「嘘っ、嘘よ、そんなっ・・・勝ったのに、イザベルに勝ったのに・・・。」


 思わずオーネットの手を握ったまま、泣き崩れるようにして、ノアはうずくまった。

 オーネットは身を呈してノアを救った。そしてオーネットが繋いだ命によって、ノアは宿敵イザベルを討ち果たした。だがその代償はあまりにも大きい。


「メティス、オーネットを、オーネットを生き返らせる方法は無いの・・・っ」


 縋る様にして問いかけるノアに、メティスは怪訝な表情で俯く。

 その反応に、ノアは顔を上げた。


「方法があるのね!?どうしたらいいの、お願い・・・教えて・・・。」


 だが、メティスの表情は未だに固い。

 そして僅かに沈黙した後、苦しそうに答えた。


「・・・一つだけ、あるにはあるのだ。今であれば、肉体は死んでも、まだ魂はここにある。でも、回復魔法では無理なのだ。」

「それじゃあどうすればいいの・・・?」


 メティスは複雑そうな表情のまま口を開く。


「・・・もう一つ、メティスと契約を結ぶのだ。ノアの命を削り、彼女の命を延ばすと。」


 ノアの命を代償に、オーネットの命を引き伸ばす。それはつまり、ノアの寿命を削ってオーネットの寿命を延ばす事に等しい。だが当然、ノアに迷いなどない。


「そんな事なら喜んで契約するわ。」

「でも、それだけじゃないのだ。」


 メティスは険しい瞳でノアを真っ直ぐ見つめた。


「寿命を削るのには、途方も無い負担が体にかかるのだ。でも、契約では彼女の肉体が元通りになるわけでは無いのだ。彼女が息を吹き返した時、ノアは彼女へ回復魔法をかけ続けなくてはならない。でないと、結局彼女は命を落とす事になるのだ。」

「・・・私の魔力が尽きれば、二人とも死ぬという事ね。」


 だが当然、その程度の事でノアが諦める筈がない。


(オーネット、私は貴女は今度こそ貴方との約束を守る。)


 ノアは迷う事なく頷いた。例えこの先どんな恐怖や苦痛が訪れようとも、もう二度と心は折れない。自分の弱さを認めた上で再び立ち上がったノアに、怖いものは何も無かった。


「叡知の神メティス。私の命を代償に、オーネットに命を宿して!!!」






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 長い夢を見ていた気がした。


 ローラや家族達と共に暮らす日々がずっと続く、幸せで長い夢。


 だが、その夢は突然燃え盛る炎によってかき消されていく。


 ーーー懐かしい炎だ。


 真っ赤に燃える炎は憤怒や憎しみの色を帯び、過去の記憶を忽ち焼き尽くした。

 そしてその中に佇む、泣きそうな瞳をした、真っ白でか細い、一人の少女。


 ーーーああそうだ。私は、君を守る為の炎だ。






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「・・・・・ノ、ア」


 オーネットが瞳を開くと、崩れかけた天井と辺り一面に広がる、誰のものとも分からない血溜まりがそこにあった。

 それと同時に耳元でバタリと何かが倒れる音が聞こえる。

 思わず顔を音のする方へ向けると、ノアがすぐ側に倒れていた。


「ノアっ!?」

「大丈夫なのだ。体が限界を越え、意識を失っただけなのだ。」

「それは大丈夫なのか!?」


 オーネットは恐る恐る起き上がると、声のする方を見た。


「・・・君が、メティスか。」

「君の傷はノアが回復魔法で塞いだのだ。ノアはしばらく眠らせてやるといいのだ。少なくとも2-3日は起きないのだ。」


 オーネットはイザベルとの激闘の途中から記憶が無い かった。

 だが制服中に飛び散る血が、その凄惨さを物語っている。


「ノアが、私を助けてくれたのだな・・・」


 オーネットは、隣で気を失った様に眠るノアの髪をそっと撫でるのだった。


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