50 少女と望み

 



 ああ、体中の感覚が失われていく。



 体が動かせない。



 私を揺すっているのはノアか。



 すまないが、何も聞こえないんだ。



 ノア、泣いているのか?



 嗚呼、そうか。




 ーーー私は、約束を果たせなかったのだな。






ーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーー







「嘘よ!オーネット!嘘っ!!!」


 倒れたオーネットの体。

 その体はイザベルによって深々と切られ、いくら回復魔法を施しても治癒する気配を見せなかった。


「うふふふ、無駄よ〜この子はもう死んだわ〜〜」

「嘘、なんでっ、約束したじゃないっ」


 泣き叫びながら動かなくなったオーネットの亡骸に縋り付くノアに、イザベルが残虐な笑みを湛えて言う。


「あぁ、最高ねぇその表情。やっぱり貴方の目の前で殺して最高だったわぁ〜〜」

「オーネット!オーネット!!!」


 必死でオーネットの名を叫ぶノア。だが閉じられた瞳が開く事も、指先が握り返される事もない。どんどんと固く冷たくなっていく体が、到底受け入れられない現実を突きつける。


「そろそろいいかしらぁ〜?大丈夫よ。すぐに苦痛と快楽の事しか考えられなくしてあげる♡」

「あぁ…あぁ…」


 イザベルはノアの肩を掴むと、無理矢理オーネットの亡骸からその体を引き剥がした。そして抜け殻の様になり、ただただ涙を流すノアの顎を掴むと、そっと唇を寄せる。

 ノアにはもう、イザベルに抵抗する力も気力も残っていなかった。


「うふふふふ、これでもう貴方は私だけのもの。その瞳に私以外のものを映すことは許さないわぁ。」


 そしてイザベルの唇が、ノアの唇へと重なりかけたその時、


 ドゴォォオオオオオオオンッ


「何・・・?」


 轟音を響かせて崩れ落ちる通路横の壁。一瞬にして辺りは土煙が舞い上がり、破壊された瓦礫が土砂の様に流れ込む。そして積み上がった瓦礫の奥、煙の中から姿を現したのは一人の少女。


「人がいる方に向かって真っ直ぐ来たら大当たりだな。アレ、お前誰だっけ?」

「・・・クロエ=ウェストコリンね。貧民上がりの卑しい銀兎。邪魔をするなら貴方も殺すわぁ〜」


 イザベルは苛立った表情でそう言うと、瞬時に短剣を数本クロエ目掛けて投げつけた。だがクロエは空間を歪ませその全てを躱すと、瞬く間にイザベルとの距離を詰め、義手となった右腕をイザベルの心臓目掛けて突き刺す。


 ドゴッッッ


 突き刺さったクロエの右腕はイザベルの身体を深々と貫通し、その心臓を抉り取った。クロエの白い顔にイザベルの返り血が降りかかる。


「おいおい、急所に腕突っ込まれてもその顔かよ。」

「うふふふふ、私は雑魚な人間達と違って急所なんて無いの♡」


 忽ち胸に空いた穴を埋めようとするイザベルの魔力を感じ、咄嗟にクロエが義手を引き抜こうとするが、手首から先がイザベルの体内に埋まり引きちぎれる。


「あらあら、折角の義手おもちゃが台無しね。」

「別に。作り主は奪還したからな。」


 そう言って笑うクロエの右腕には、ノアが抱えられていた。


「おいノア。あんな野郎とキスなんてしたら、オーネットのやつが発狂するぞ?」


 クロエから発せられたオーネットの名前に、ノアはおずおずと顔を上げる。だが僅かに開かれた口からは何も言葉を発する事が出来ず、ボロボロと涙を流しながら体を震わせるばかりであった。

 そんなノアの様子に、クロエはノアを地面に下ろすと、唐突にその頬を叩く。


「しっかりしろ、ノア!四賢聖だろ!?あそこに倒れてるのがオーネットな事くらい分かってる!でも諦めるなよ!諦めたら本当にオーネットは死んじまうんだぞ!!!」


 そう言ってノアを叱咤するクロエであるが、ノアの震えは止まらない。地面にうずくまったまま、泣き縋る様に言う。


「無駄よ、クロエ・・・イザベルの毒でもう、オーネットは、もうっ」

「うるせえ!!!」


 クロエはノアに向かってそう叫ぶと、再びイザベルの方へと向き直り掌を翳した。そんなクロエに、余裕いっぱいの表情を浮かべたままのイザベルが笑いかける。その胸にあった傷はもう跡形もなく消えている。


「うふふふふ、ノアちゃんの言う通り、もうこの女の子は助からないわ。」


 だがクロエは臆する事なく、鋭い目で真っ直ぐイザベルを見据えたまま叫んだ。


「生憎、私の力は運命を捻じ曲げる力なんだよ。力を貸せ!!!クロノス!!!」


 クロエがそう叫ぶと、透き通る様に赤かった右目が深い濃紺へと染まってゆく。そして全身に漲る魔力をその掌いっぱいに込めると、風魔法を解き放った。



「メテオ・ボレアス!!!!!」



 ゴゴゴゴゴゴゴゴッ



 忽ち地下はいくつもの嵐に襲われた様に暴風が吹き乱れ、イザベルの体中を切り刻む。だがその傷はどれも決して浅く無いにも関わらず、数秒も経たずに回復していった。


「あはははは、無駄よ。どんなに細かく私を切り刻んでも、すぐに元通り。私を殺すことなんて誰にも出来ないの。うふふふふふ」


 だがクロエは攻撃を止めない。絶えず狭い通路内に風魔法を叩き込み続け、やがて魔獣の様に荒れ狂う暴風は周囲の壁を破壊し、粉々に砕いてゆく。


「どっかにいんだろ!?黙って見てねぇで、とっとと起きろよ!メティス!!!」


 クロエがそう叫んだ瞬間、幾度も風魔法の攻撃を受けた通路を塞いでいた壁に、僅かに亀裂が入った。


「ノア!亀裂の先だ!きっとその先にメティスがいる!私が道を必ず開く!だからノアが呼び戻せ!」

「・・・無理よ、私には。」


 クロノスの言葉に、ノアは膝をついたままじっとその両手を握りしめる。

 ずっと誰かを守れる強さが欲しいと思っていた、だがいつも辿り着くのは、自分を守る為に誰かが命を落とす未来。その事実にノアの心はもうとっくに折れていた。

 ずっと真っ直ぐ前を向き、過去を乗り越え強くあろうとするオーネットに憧れて生きてきた。どんな逆境をも打ち砕き、前へと進むセシリアとクロエが、いつも眩しかった。

 三人と自分との間にある深い溝。それをもたらしているのは魔力量の違い等ではない事は、ハルと出会って気付かされた。


「私には、何もできない・・・」


 争い事が嫌いな性格は、平和主義なんで大層なものではない。ただ、怖かったのだ。自分のせいで、その掌からまた命がこぼれ落ちる事が。だから戦う事から目を背けて生きて来た。

 四賢聖とは名ばかりで、回復魔法や薬学の研究に勤しむ振りをして、平穏な日々を手に入れようとした。

 セシリアの様に、一瞬で敵を凍りつかせる力も無ければ、オーネットの様に誰かを守れる人間でも無い。そして、クロエの様に、アリスを救う事が出来る程強い人間でも無い。

 たった1%、魔力濃度が高かっただけで、この立場にいるだけの存在。

 イザベルという絶対的強者に食われる為だけにここにいるとすら、今は思えた。


 ノアはただ、受け入れられない現実と自分の弱さに打ちひしがれ、じっとうずくまったまま涙を流し続ける。

 だがそんなノアの胸ぐらを、乱暴にクロエが掴み上げた。


「だったらなんでその指輪を受け取ったんだ!!!」


 そして思い出す、左薬指に未だ輝くカーバンクルの指輪。それはオーネットがノアを守る為に授け、共に生きようと約束してくれた、この世にたった一つの指輪。

 オーネットはノアを守る為にその命を捧げると誓い、その誓いを全うした。

 そしてノアも願いは同じでーーー



「私も、オーネットを、守りたかった・・・一緒にいるって約束したから・・・だがら私も、オーネットを守りたい。」



 ドゴォォォォンッ



 涙と血に塗れぐしゃぐしゃになった顔でそうノアが答えた時、クロエの暴れ狂う風魔法によって入った壁の亀裂が更に深くなる。


「あらあら、これは少し厄介ね。行かせないわよっ!」


 異変に気付いたイザベルが、両手から真っ黒い粘液の様な魔法を放出した。どす黒い粘液は広範囲に広がると、毒の瘴気を発しながら猛スピードで二人へと迫る。

 クロエは宙へ飛び上がってそれを躱すと、ノアの腕を掴み、空間魔法を発動して壁の傍へノアの体を瞬間移動させた。


「ノア!だったらまだやれる事があるだろ!行けぇぇぇ!!!」


 他人を瞬間移動させる魔法。それは並大抵の魔法では無い。セシリアですらその使用は困難と思われる程に異次元な空間魔法。それを使ったという事は、それだけ魔力を消費した事を意味する。そんなクロエを一人残して行く不安はあったが、だがノアはもう振り返らない。ただ自分に与えられた使命の為、真っ直ぐ亀裂の奥へ向かって走り出す。

 だがノアが転移した先にも、行かせまいとイザベルの毒の粘液が一直線に差し迫った。


(お願い!もう少し、あと一歩でっ!!!)


 だが、イザベルの魔法はノアのスピードよりも格段に速く、一瞬にしてその距離を縮める。そしてノアが亀裂の奥へと隠れるよりも早く、その脚に絡み付き、骨ごと溶かそうしたその時、


 ゴオオオオオォォォッ


 突然ノアへと迫っていたイザベルの漆黒の魔法から青い炎が燃え上がる。そして炎は一瞬にしてイザベルの魔法を燃やし尽くすと、弾ける様にしてカーバンクルの指輪が粉々に砕け散った。


「ちっ、どこまでも邪魔をするわねぇ!!!!!」


(オーネット・・・)


 ノアは宝石が失われた指輪を握りしめると、自分の使命、たった一人の少女を強く胸に思い描きながら、一直線に亀裂の奥へ向かって駆け出した。




 ・

 ・

 ・

 ・

 ・




 壁の亀裂の奥、人一人通るのがやっとな程の隙間を潜ると、そこは変わらず黒い石に囲まれた狭い空間になっていた。その先の壁は所々ひびが入り、地下3階にあったものよりも更に年季が入っている様に感じられる。


(この傷、魔法でも武器によってつけられたものでも無い・・・)


 ノアは壁に手を当て、蝕む様に入ったひびをそっと指でなぞる。その傷一つ一つは非常に細かく、まるでひび割れたガラスの様であった。


 ピシッ


 ノアが傷を撫でるその側から、また一つ亀裂が入っていく。年季が入っているとはいえ、頑丈な石の壁。だが、ここにあるそれはまるで、繊細な陶器の様に感じられた。


(掌から伝わってくる、哀しい思い。)


 ノアは両手を壁に当てて瞳を閉じる。なぜだかは分からないが、そうすべきだと感じたのだ。そして掌からゆっくりと魔法を送った。それは壁を破壊するための雷魔法では無く、その傷を癒そうとするかの様な、回復魔法。


 ピシッピシッ


 壁にあったヒビがまた一つ、更にまた一つと増えていく。だが、ノアは魔法を流すのを止めなかった。回復魔法は人の傷を癒す魔法。物を修復する力は無い。


 ミシミシミシッ


 壁に入ったヒビは更に広がり、瞬く間にノアのいる空間中の壁全体へと忽ち広がっていく。そして、


 ガシャァァァァンッ


「何!?」


 突如割れる様にして壁全体が崩れ落ちた。だがその倒壊は瓦礫と化す様なものでは無く、破片の様に粉々に砕け散り、割れた破片の奥から真っ白な光がノアを照らす。


「光・・・?」


 突如地下の空間を強く照らす様に差し込む白い光。思わずその眩しさに目を細めて辺りを見渡すが、そこにはもう入ってきた入り口も、砕け散った石の破片も、立っていたはずの床ですらどこまで真っ白い光に包まれ、消えていた。

 そして眩い光の中、正面に一人の小さな少女がこちらに背を向け、椅子に座っているのを見つける。

 その少女の正体は直感で分かった。


「あなたがメティスね。」

「・・・・・・。」


 少女はノアの問いかけに答えず、背を向けたまま動かない。


「お願い。あなたの力を貸して欲しいの。」

「・・・・・・。」


 だが変わらず少女は何も答えないまま、微動だにせず椅子に腰掛けている。


「このままでは私の友達が死んでしまう。お願い、力を貸して。」

「・・・・無駄なのだ。」


 ノアの訴えに答える様にして、ようやく少女が口を開く。初めて聞いたその声は想像以上に幼く、それでいて想像よりずっと冷たいものであった。

 少女は変わらず椅子に腰掛けたまま、振り返る事もせずに言う。


「無駄なのだ。メティスは全知の神。だから知っている。イザベルに勝てる者はセシリア=セントリンゼルトだけ。オーネット=ロンド、ノア=ラフィーネ、クロエ=ウェストコリンは勝つことが出来ない。それが事実なのだ。」


 少女、メティスの言葉にノアは一瞬息を飲んだ。だがここで諦めるわけにはいかない。


「確かに、今の私じゃイザベルの足元にも及ばないわ。でもメティス。貴方の力があれば」

「無駄なのだ。」


 メティスがノアの言葉を途中で制止する。その冷たい声は、怒りや憎しみでは無く、ただただ空虚さが伝わる哀しい声だった。


「なぜ?だって貴方は全ての叡智を司る神なのでしょう?」

「何もかも、無駄なのだ。メティスという神には、知識しかないのだ。」

「全ての知識があればなんだって・・・」


 ノアは思わず手を伸ばし、椅子に座ったままのメティスを振り返らせた。

 だがそこに座っていたのは、クロノスの様にどこか余裕さを拵えた神では無く、今にも溢れそうな程の涙を瞳に溢れさせた、幼い一人の少女。そこでノアは気づく。先ほどの崩れそうな程に無数のヒビが入った壁は、彼女の心だったのだと。

 メティスはその大きな瞳でノアを見つめたまま、また同じ言葉を繰り返した。


「無駄なのだ。知識だけでは、何も守れないのだ。」


 そう言うと、またメティスは持っていた分厚い本へと目を落とす。

 そしてあるかも分からない心の中でじっと思い返していた。自分の無力さを痛感した、あの長い長いガイアとの戦いを。



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