49 少女と守られぬ約束
迷路の様に入り組んだ地下3階は先が見えず、メティスのいる気配も無い。
そんな地下道を二人は駆け続けていた。
オーネットは振り返らぬまま、背後に向けて無数の火球を放つ。
放たれた火球は薄暗い通路を照らし、妖艶な笑みを浮かべたままのイザベルの脇腹や肩を抉った。そして漆黒の身体を一瞬にして豪火が包み込む。
だがそれでも、イザベルは余裕そうに微笑んだまま。焼け落ちた部位は忽ち回復し、ノアとオーネットを追いかけ続ける。
二人が走る道の先、闇の中にあるのは二つの別れ道。
「左から強い魔力を感じるわね。」
「わかった。行こう。」
捕まればまず苦戦は免れない。そう考え通路をひたすら駆けていくノアとオーネット。
背後からは依然、イザベルの濃い霧の様な魔力が差し迫る。
(明らかに魔力の濃度が格段に上がった。きっとこの先にメティスに繋がる手掛かりがあるはず。)
だがそう思った矢先、ノアに先行して走っていたオーネットの足がピタリと止まった。その先には依然として真っ黒な闇が広がっている。
「オーネット?」
オーネットはじっと見つめる先を炎で照らすと、険しい表情で口を開いた。
「・・・どうやら行き止まりだ。」
「そんな!?」
炎によって煌々と赤く照らされた通路。その数十メートル先には、重厚な石の壁が立ちはだかっていた。
ノアは立ち塞がる壁にそっと手を触れるが、それは紛れもなく石の壁。特別な紋様や仕掛けもなく、ただただ冷んやりとした無機質さを伝えるだけであった。
追い詰められた状況に焦燥する二人の背後の暗闇から、足音を立てて、愉快そうな笑みを浮かべたイザベルが現れる。
「うふふふ、これで分かったかしらぁ?貴方達の探しものはここには無いのよぉ〜〜」
「・・・っ、メティスの事を知っていたのか。」
オーネットの問いかけに、イザベルは短剣を抜き去ると、毒が滴るその刀身をじっとりと舐めまわして答えた。
「当たり前じゃない〜〜。アーテ様とネメシス様には全てお見通しよぉ〜〜。でも残念。何度も調べたけど、ここにメティスは眠ってない。」
「その言葉、容易く信じる事は出来ないな。貴様らには見つけられなかった。事実はそれだけだ。」
オーネットは剣を抜くと、真っ直ぐにイザベルを見据えてそう言い放つ。
忽ちその刀身は真っ赤に燃え盛る炎を纏い、オーネットの怒りを具現化した様に辺りに火の粉を散らした。
「あらあらあらぁ、緑の騎士さんは健気ねぇ。貴方、気づいてる?私と2回戦ったけど、一度だって私に勝てた事無いのよ♡」
「今までは生憎、その前に先客がいたからな。だが今日は違う。」
「うふふふふ、それは楽しみねぇ、ゆっくりゆっくり、苦しませながら殺してあげる。」
そう言ったイザベルの赤い瞳が怪しげに光ると、その身を包み込んでいた魔力の濃度が上がり、むせ返りそうな程の瘴気が通路中に溢れ返す。
(毒を含んでいるな。密閉されてる地下では分が悪い。)
オーネットはすぐさま自身とノアへ防御魔法を展開し、体内への毒の侵入を防ぐ。そしてすぐ後ろにいるノアへ意思伝達を図った。
《ノア、聞こえるか?私がイザベルと交戦し、時間を稼ぐ。倒せる可能性は残念ながら五分五分といった所だ。その間にメティスへの入り口を見つけてくれ。》
《・・・わかったわ。》
ーーー勝率は五分五分。
そうノアには告げたものの、未だイザベルの弱点は見えていない。頭部を切り落とそうが、その身体を消し炭にしようが、すぐに不死鳥のごとく復活し、何事もなかったかの様に笑みを浮かべて襲いくる。
(まるで、悪魔の化身だな。)
だがそれでも諦めるわけにはいかなかった。それは共に戦い続けるセシリア達の為でもあり、背後にいる守るべき人の為でもあった。オーネットの握る剣の炎が、暗闇だった通路を一瞬にして真っ赤に染める程、燃え盛る。
(頼んだぞ、ノア。)
オーネットは炎を上げる剣を強く握りしめると、漆黒の魔女イザベルに向かって迷う事なく駆けて行った。
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(早く、早く見つけないと。)
ノアは背後で繰り広げられる剣戟の音と地下中に響き渡る振動を背に、行手を塞ぐ壁に雷魔法を繰り出しながらメティスへの手掛かりを探していた。
(魔法で壊そうとしても、全て壁に吸い込まれていく。)
立て続けに繰り出される雷撃。それは雷鳴を轟かせて石の壁を襲うが、壁に触れるや否や一瞬にして消失してしまう。
魔法による物理的な破壊を諦めたノアは、壁の側に膝をつくと壁を隈なく探った。
(材質は黒に近い火成岩。700年前にリューグルが出来た事を考えると、人間の手によって北の山々から運んだとは思えない。となるとこの地下自体、メティスが造ったものと考える方が自然。)
壁は所々欠けている箇所はあるものの、到底崩せそうなものではない。だがそれでも、壁からは絶えず、溢れる程の魔力を感じる。
(何でもいい、何かヒントは。急がないとオーネットが。)
ーーー今日、オーネットは命を落とす。
ノアの頭の中には、何度もクロノスの告げた最悪の未来がよぎっていた。想像したくもない未来。だが正しく事態は最悪の未来へと進んでいた。焦れば焦る程、はやる動悸が胸を締め付け、ついノアの背後でその身を削るオーネットを振り返りたくなってしまう。
(ダメ、今は目の前の事に集中しないと。時間を作ってくれている間に、何としても。)
だが、目の前に立ちはだかる壁は所々傷が入っているものの、崩せそうな気配は無い。表面の苔をこすり落としてもそこにあるのはただの黒くゴツゴツとした石面。鍵穴がある訳でも無ければ、暗号が記されている訳でも無い。
(私には考える事しか出来ないのに・・・こんな時、私じゃ無くセシリアさんがいれば・・・)
追い込まれ焦る気持ちと、そんな状況にも関わらず何も出来ない自己嫌悪。ノアはその思いをぶつける様に壁を思い切り拳で叩く。だが、壁は乾いた音を響かせるのみで、叩いた腕に鈍い痛みが伝わる。
(アモルはハルの願いに応えて現れた。それなら私だってきっと、)
そして更に何度も何度も願う様に壁を叩くが、何も変化は起きない。叩き続けた拳は皮膚が裂け、血が滲み出す。
(絶対に、諦めない。オーネットが諦めない限り、私だって、)
だが、現実は残酷でーーー
「うふふふ、時間切れね、ノアちゃん♡」
グシャ
唐突に耳元で聞こえる楽しそうな笑い声。気がつけば、背後から響き渡っていた剣戟の音も戦いの振動も、いつの間にか止んでいた。そして右隣から聞こえた湿った様な重たい音。その音はまるで、水気を含んだ洋服を床に叩きつけた様な音で、思わず壁を叩く手を止め恐る恐る隣を振り返る。
「オーネット・・・?」
そこではノアの隣に壁にもたれる様にして、制服を真っ赤に染めたオーネットが倒れ伏していた。身体中には至る所に傷を負い、右肩には深々とイザベルの短剣が突き立てられている。そして首や顔は何かしらの毒の影響か、黒く腐敗が進んでいた。
「オーネットっ!?」
そのあまりの惨状にノアが慌てて駆け寄るが、触れた指先は信じ難いほどに冷たく、閉じられた瞼はピクリとも動かない。
「そんな、嘘っ、嘘よっ」
「うふふふふ、嘘じゃないわぁ〜〜。まだ息はあるけど、あと数分で死ぬ。私の色んな毒をたぁ〜っぷり味わって貰ったの。最後はノアちゃんの目の前で殺さないとね♡」
ノアはオーネットの指先を握り、必死に回復魔法を施す。だがイザベルの魔法によって生成された毒は通常の毒とは異なり、解毒する事も回復させる事も出来なかった。衰弱したオーネットの脈はその間も刻一刻と弱まり、もはや触れていても生きているのかすら分からない。
泣きながらオーネットの名前を叫ぶノアに、背後からイザベルが身を絡ませる様にして抱き着く。
「回復魔法なんてかけても無駄よぉ〜〜。うふふふ、辛い?悲しい?ああ、これでノアちゃんは私のもの。私のお城で、何年もかけてたぁ〜っぷり可愛がってあげるわぁ〜〜」
そう言って嫌がるノアの首元に顔を寄せ、その白く細い首筋に歯を立てるイザベル。だが、一瞬眉を顰めるや否や、突如ノアの体を壁へ突き飛ばした。
壁に背中を打ち付けられ、痛みに顔を歪めるノア。そんなノアを見下ろすイザベルの表情は先程までの耽美な笑みとは打って変わり、憎悪に満ち溢れていた。
「お前、汚されたなっ!?不味い、不味い不味い不味い不味い!!!!!」
「あっがっ」
発狂した様に叫び続けるイザベルの蹴りが、ノアの脇腹を直撃する。その衝撃にノアの口から胃液が吐き出されるが、イザベルは気にせず何度も何度もノアを蹴り上げた。
「お前は!お前はっ!私のものなのにっ!!!!」
「うぐっ、がっ」
「なんで、どうして!!!」
「ぐ、あっ」
やがてイザベルは蹴るのを止めると、荒い息のまま今度はオーネットの方を見やる。横たわるオーネットの身体は未だ微動だにせず、瞳は固く閉じられていた。
「うふふふふふ、お前が、お前が私のものを汚したのね、うふふふふふ。」
そう言って不気味な笑みを湛えるイザベルの口元は裂けそうな程につり上がり、真っ赤な舌は興奮した様に舌舐めずりをしている。
イザベルは笑みを浮かべたまま短剣を抜き取ると、ゆっくりオーネットの方へと歩み寄った。
「こんなに頭に来たのは久しぶりねぇ。愛しの恋人の目の前で、しっかり殺してあげるわぁ〜〜」
「だ、め・・・」
そんなイザベルの足にボロボロになったノアがしがみ付く。イザベルはノアを振り返ると、再びその華奢な体を蹴り飛ばした。
「貴方に私を止める事が出来るのかしらぁ〜?私を止めた所で、どうせこの女は死ぬのよぉ〜〜」
イザベルの言葉に、蹴り飛ばされたノアは身を起こしながら全身に回復魔法をかける。戦闘慣れしていない体はろくに受け身も取れず、何度も頭部を打ち付けた事によって意識が朦朧とし、立ち上がる事もままならない。
(イザベルの言う通り・・・私にオーネットを助ける力は無い・・・このままじゃ、このままじゃっ)
イザベルの背後に倒れたままのオーネットの姿が見える。その顔は青白く、先ほどよりも毒による侵食が進んでおり、生きているのか死んでいるのかすら定かでは無い。
(ごめん。ごめんね、オーネット。私、やっぱり約束、守れなかった・・・)
ノアは全身に展開していた回復魔法を取り払うと、その場に両手をつき、額を地面に擦り付けて蹲った。
「お願いします、イザベル様。私を、イザベル様の好きな様にして下さい。何でも言う事を聞きますから、だからどうか、オーネットだけは、助けて下さい・・・。」
イザベルと共に行けば地獄の日々を送る事になる、そんな事は分かりきっていた。だが、オーネットを失って過ごす日々の方が、ずっと地獄ーーーそう思うと、ノアに残された選択肢は一つしか無かった。例えその選択を、何よりもオーネットが嫌がるとしても。
「うふふふふ、ああ堪らない。本当にノアちゃんは惨めで堪らないわぁ〜〜。そうよねぇ、まだ汚されて無いところもたくさん残っているし、持ち帰ってたっぷり美味しくいただこうかしらぁ〜。」
イザベルは土下座したままのノアの髪を乱暴に掴み、無理矢理顔を上げさせた。暗闇の中、血の様に真っ赤な瞳と目が合う。
「いいわよぉ。でもそうねぇ。連れて行く前に、逃げられない様に両脚を捥いでしまいましょうか〜。」
「・・・・っ」
愉しそうにそう告げたイザベルが、片手でノアの頭を持ち上げ、もう片方の手に握った短剣を振り上げる。ノアは諦めた様に瞳を閉じ、祈る様に掌を握りしめた。イザベルの振りかぶった短剣が、迷う事なくノアの脚の付け根に向かって振り下ろされる。
ブシャッッッ
「あら、しぶといわねぇ。」
「・・・・・っ」
ノアの顔に降りかかる血飛沫。だがそれは、ノアの脚からでは無く、目の前、イザベルの短剣を握っていたはずの腕の付け根から吹き上がっていた。そして離れた所に落ちる、イザベルの腕。その腕の切り口には赤い炎が燃え上がっている。
「オーネット、何でっ・・・」
そしてそのイザベルの背後では、今にも倒れそうな姿のオーネットが、片腕に炎を纏わせながら立っていた。
「・・・・・ノアは、行かせ、ない。」
譫言の様にそう呟くオーネットの顔は、既に4分の3程が毒によって黒く蝕まれ、深々と短剣が突き刺ささったままの肩からは血が溢れ続けている。だがそれでも、薄く開いた茶色い瞳には、強い意志が宿っていた。
「やめてっ!いいの!私はもうっ!!!」
ノアは必死に叫ぶが、オーネットは燃え上がる腕を再びイザベルへと振り上げる。だが、その時には既に切り落とされたイザベルの片腕は修復され、その掌にはまた新しい短剣が握られていた。
「そもそも、ノアちゃんのお願いなんて聞く必要は無いのよねぇ。だって、無理矢理連れて行けばいいだけなんだものぉ〜」
「お願い!!!イザベルやめてっ!!!」
「さよなら、緑の騎士さん♡」
ズバッッッ
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
笑みを浮かべたまま、振り返りざまに深々とオーネットの肉を斬り裂くイザベルの短剣。
そしてゆっくりと倒れてゆく身体と、響き渡るノアの悲鳴。
倒れたオーネットの腕からは、まるでその命の灯火かの様に、燃え上がっていた炎が消えた。
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