48 少女と老いた魔女

 



 セシリアが一瞬にしてシオンのいる正門前へと駆けつけると、整理されていた筈の大通りは跡形もなく破壊され尽くしていた。

 リューグルへと続く道は至る所が叩き割られ、荘厳に聳えていたはずの巨大な柱は崩れ堕ちている。


「シオン!?」

「・・・セシリアか、すまねぇな。」


 セシリアの声に応える様に、シオンが瓦礫を叩き割って姿を現すが、その全身からは今も血が滴り、満身創痍な状態なのは明らかだった。セシリアはそんなシオンに回復魔法をかけながら尋ねる。


「敵はどこ?」

「そこの折れた柱の影だ。手数が多くてかなり相性が悪い・・・」


 シオンがそう言うと同時に、二人の前方から一人の女性が現れた。その体は影の様に真っ黒な鞭に覆われており、見るからに禍々しい雰囲気を放っている。女は濃い赤色の髪をかき上げながら、忌々しそうに口を開いた。


「あら、セシリア=セントリンゼルトね。あの憎き裏切り者の娘。」

「・・・貴方は誰。」

「イヒヒヒヒ、私は神聖なるゲーラス様の力を与えられし者、ククネロ様さッ!!!」


 ククネロがそう告げるや否や、その身体を覆っていた8本の黒い鞭が目にも留まらぬ速さでシオンとセシリアに向かって襲いかかる。


「イザベルとはまた違った能力の様ね。」

「気をつけろ!あれに少しでも触れるとマズい!」


 シオンはそう叫ぶと大剣で黒い鞭を薙ぎ払った。だが鞭は切断されるや否やまた長さを伸ばし、四方八方から絶えず攻撃を繰り出す。


「速いわね。凍らせてもすぐに動き出す。」

「ああ。本体への攻撃以外は無効と思った方がいい。」


(鞭が邪魔で近づけない。例え近づけたとしても、恐らく鞭によってその身体を覆い防がれる。)


「確かにかなり厄介だわ。」


 セシリアはレイピアを抜くと、踊る様に迫り来る鞭を数本突き刺して地面に叩き伏せた。串刺しにされた鞭は、まるで一本一本が意志を持った魔獣の様に暴れ狂う。その想像以上の力にセシリアは整った顔を僅かに歪ませた。


「この瓦礫の山を見れば分かると思うが、力自体もかなり強力だ。」

「触れたらまずい理由はそれだけ?」

「いや、あそこにある騎士の山が見えるか?恐らくククネロは若さを食らって力にする。あいつの攻撃を受けた奴らは、みんな一瞬でミイラみたいに皺々になっちまった。」

「・・・まるで悪夢ね。」


 押さえ込んでいた鞭達の猛攻に、思わずセシリアはレイピアを引き抜く。そして隣で息を絶え絶えにしながら戦うシオンを見やると、隙を見計らってドーム状の防御魔法を展開した。

 だがそれすら叩き割らんと襲いかかる怒涛の攻撃に、防御魔法にもすぐにヒビが入る。


「悪いな。あんたに守られるなんて、グルゴ・パランの首席が情けねぇ。」

「このままじゃ近づく事すら出来ないわね。」


 最も煩わしいのは8本という鞭の数と、その再生速度であった。


「触れれば死ぬわけじゃねぇが、栄養を吸い取られた様に萎れちまう。」

「吸い取る・・・という事は、あのククネロの姿は本当の姿ではないという事?」

「ああ。初めは老婆の姿だった。それが騎士達を襲ってあの姿だ。」

「そう。それならこの力を使える時間にも、限りがあると考えるのが妥当ね。」


 セシリアがそう分析した瞬間、二人を覆う様に展開されていた防御魔法が、鞭の殴打によって粉々に砕かれる。


「ヒヒヒッ、あのセシリアと言えども、ゲーラス様の力の前では無力だねぇ。」


 数十メートル先では、一歩も動かないままのククネロが勝ち誇った様な笑みを浮かべている。セシリアであれば1秒もあれば縮められる距離。だがその道のりを阻む様に、ククネロの背後から伸びた8本もの鞭が触手の様に蠢いていた。


「例え、ククネロの力がゲーラスとかいう悪魔の力であったとしても、使っているのは何かしらの魔法の筈。魔力と同じ様に上限は必ずあるわ。」

「ならどうする?防御魔法で弾いているだけではこっちが持たないぞ?」


 するとセシリアは、ククネロに向かってすっと両手を翳した。吸い寄せられる様にその掌へと、セシリア中の魔力が集まっていく。


「イヒヒヒッ、凍らせようたって無駄だよ。私の可愛い可愛いこの子達は私の魔力の塊。凍らせることなんて出来やしない。」


(やはりあれは魔力。)


「シオン!まだ動けるわね?私が全ての鞭の動きを鈍らせる。その間に8本それぞれに、全て均等にダメージを与えて。」

「随分と無茶な注文だな!どれを切ったかなんてあたしでも見分けつかねぇぞ?!」

「私の魔力を読むの。」


 セシリアはそう言うと同時に、立て続けに5つの魔法陣を展開し、魔法を解き放つ。


「グラン・ラングル」

「グラム・ラングル」

「テラ・ラングル」

「フラム・ラングル」

「ビエン・ラングル」


 5つの魔法陣はそれぞれ5色の光を放ち、氷、雷、土、炎、風の魔法が濁流の様にククネロの黒い鞭へと絡みつく。それらを振りほどく様に鞭が暴れ回るが、絡みついた魔法は決して離れようとしない。


「おいおい、あんたも相変わらず規格外だな・・・」

「これでいくらか判別できるでしょ。私が抑えている間に、頼んだわよ。」


 シオンはその言葉を聞くや否や、大きく大剣を振りかぶった。


「ああ。任せなっ!」


 バギバギバギバギッ


 シオンの腕を伝った雷魔法が、青白い火花を散らしながら大剣へと迸る。真っ黒だった刀身は青白く輝き、辺り一体を眩しく照らした。


ためッ」


 シオンの両脚に身体強化魔法が展開されると、その周囲の地面がドゴッと音を立ててめり込む。


雷霆万鈞らいていばんきんッ」


 一瞬にしてシオンの姿が消え、一筋の雷が黒く暴れる鞭の中を駆け巡った


「ヒヒヒッ無駄だよ虫どもがっ!」


 雷鳴を轟かせながら絶え間なく繰り出されるシオンの斬撃。それは重く、深く、抉る様に次々と鞭を一刀両断していく。だがその側からまた鞭が伸び、再生し、シオンへと襲いかかった。


(もう少し。あと少しよ、シオン。)


 ドゴォンッ


「ぐぁっ」


 鞭の一つがシオンの足を狙う様に繰り出され、咄嗟にそれを剣で防いだシオンの体が吹っ飛ばされる。だがそれでも、シオンは再び地面を蹴って斬撃を繰り出す。


「とっととくたばれ、この化け物がっ!」


 叫びながら、シオンがセシリアの風魔法を纏う黒い鞭を切り裂いた瞬間、僅かにだが鞭の動きが止まった。

 それはほんの一瞬の隙。だが二人はその一瞬を見逃さない。


「シオン!今よ!」

「うぉぉぉらぁぁぁ、死ねっ!!!」


 セシリアが新たな魔法陣を展開し、氷魔法によって瞬間的に全ての鞭の動きを止める。シオンはセシリアの魔法と息を合わせる様にして、凍った鞭の上を駆け上がり、一直線にククネロとの距離を縮めた。


「ぐぬぬぬ、くそっ!!!」


 セシリアとシオンの意図に気づいたククネロは苦悶の表情を浮かべ、その顔にはみるみると皺が浮かびあがる。そして黒い瞳が白く淀んでいくのと同時に消えていく黒い鞭。


(どうやら魔力を使い切った様ね。)


 だが、ククネロの表情はセシリアの予想を裏切る様に、苦悶の表情から勝ち誇った様な笑みへと変わった。


「ヒヒヒヒヒヒヒッ、なーんてね。私にとっては、この学校中の人間が生贄。この力が尽きる事は無いのさぁぁぁ!!!」


(学校中!?まさかっ)


 セシリアの嫌な予感に呼応する様に、ククネロの背後、リューグル魔法学術院の方から聞こえる数々の悲鳴。


「シオン!まずいわ!逃げて!」


 咄嗟に叫ぶセシリア。だがその時には既に、シオンはククネロの頭上。その身体を大剣で真っ二つに切り裂かんと振りかぶっていた。


「終わりだ。ククネロ。」

「ヒヒヒッ終わるのはお前だよ。シオン=ディーツェル!」

「なっ!?」


 一瞬にしてククネロの体を黒くうねる魔力が覆い、その顔はひしゃげた老婆から、30代程の若さを再び取り戻す。そして同時にシオンの背後に出現した黒い鞭が、シオンの身体をはたき落とした。


 ドゴォォォォンッッッ


「が、あっ」

「シオン!!!!!」


 たちまち魔力が失われ、干からびた様に萎れていくシオンの身体。その身体はまるで屍の様に、パサリと乾いた音を立てて地面に倒れ伏した。

 そしてそんなシオンと反比例するかの様にククネロの身体中に魔力が満ち溢れる。

 その顔つきは、最早セシリアと遜色ない程の少女となっていた。


「ヒヒヒヒヒヒヒッ、これがあのグルゴの豪傑の魔力!感じる!感じるぞ力を!ヒヒヒヒッ」

「・・・本当に不気味な力ね。」

「お友達がやられたのに随分な落ち着きようじゃないか、絶零の魔女。心まで凍りついてるのかい。」

「貴方には関係ない。」


(魔力を吸い取られた人間に息があるという事は、ククネロを倒せば魔力は取り戻せるはず。望みはまだある。)


 セシリアは瞳を一切揺らす事なく、レイピアを構える。そして足元に青く輝く魔法陣を展開すると、無数の氷の刃を浮かべた。


「ヒヒヒッ、まだ諦めないかい?このリューグルには300人を越える生徒達がいる。その全員が私の餌さ。持久戦に持って行こうが勝ち目は無いよ。大人しくお前の魔力を寄越しな。」

「奇遇ね。私も事情があって魔力の量には自信があるの。」

「ヒヒヒヒッ、小娘が。これを見てもそう言えるかい?」


 ズズズズズ…


 笑うククネロの背後に更に8本の黒い鞭が現れ、計16本の鞭が今にもセシリアに襲いかからんと蠢く。


(倍の手数・・・これを掻い潜るのは骨が折れる。シオンなしではかなり苦しいわね。)


「さぁ始めようじゃないか。グラソン全土の人々が憧れる、セシリア=セントリンゼルトの処刑をッ!!!」


 ククネロがそう叫ぶと、16本に増えた漆黒の鞭が空を覆う様にしてセシリアへと襲いかかった。




 ・

 ・

 ・

 ・

 ・




「フラム・ウォール!!!」


 ゴォォォォッ


 オーネットの掌から放たれた炎が壁の様に石の通路を覆い隠す。


「あああっ、熱い、熱くて熱くて、堪らないわぁ〜〜〜」

「普通ならそのまま骨まで溶けるんだがな!」


 ここは地下3階。

 暗くどこまでも続く石の通路を、オーネットとノアはひたすら走っていた。

 壁は訪れる人がいないのか至る所に苔がむし、今の所メティスがいそうな魔力の気配は無い。


(早く、早く私が見つけないと。)


 確実に迫り来る黒い影。その瘴気の様な毒々しい気配が、イザベルがすぐ背後まで迫っている事を教える。


「ノア、大丈夫だ。焦るな。君なら必ず扉を見つけられる。」

「・・・・・っ」


(見つけられる?この私が、本当に?)


 一刻も早くメティスへと辿り着く扉を見つけなければ、クロノスが予言した未来が訪れ、オーネットが命を落とす。ノアは悪い未来ばかりが頭をよぎり、震えが止まらなかった。


(どうしてオーネットはそんなに冷静でいられるの。)


 ぎゅっと両手を握りしめ、薬指にはめた指輪の硬い感触を確かめる。そうしてノアは何度も、あの日の夜に交わした約束を思い出していた。




 



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「お帰りなさい、オーネット。」

「ああ、遅くなってすまない。」


 それはモルスの谷での大遠征が終わった日の夜。

 突如始まったハル、シオン、オーネットの宴会から帰ったオーネットが自室の扉を開くと、壁にもたれる様にしてベッドに腰掛けていたノアが本から視線を上げた。


「体調は良くなったか?」

「ええ。お陰で大分元通りよ。」


 アリスによって深く斬られた傷は、宿敵イザベルの回復魔法によって塞がれてはいたものの、失われた血液が戻る訳では無い。

 ノアは気丈そうに笑ってはいるが、ただでさえ白い肌は青白く、普段よりも一層儚い花の様に感じられた。

 オーネットはそんなノアの隣に腰掛けると、僅かに俯く。


「私はいつも、君が苦しんでいる時に側にいない。」

「いつもそんな私を助けに来てくれるのはオーネットじゃない。」


 オーネットは「だが」と口を開くか、その口をノアの柔らかい唇が塞いだ。触れるだけの一瞬の口付け。そっと唇を離すと、オーネットの美しい緑色の髪を撫でて言う。


「私の方こそ、いつも貴方に守られてばかり。本当はもっと強くならなきゃいけないのに。イザベルだって・・・」


(イザベルだって私一人で倒す事ができれば、貴方にそんな顔させないのに。)


 ノアは紛れもなくグラソン国内トップクラスの実力者である。だが、四賢聖の中では最も魔力量が少ない。恐らくアリスがノアを狙ったのも、それが理由である事は明白であった。

 儚く微笑むノアに、今度はオーネットがノアの言葉を遮る様にして言う。


「ノア、君は守られているだけじゃ無い。君がいるから、私はいつも強くあれる。」

「オーネット・・・?」


 いつも以上に直球のオーネットの物言いに、ほんの少し赤面しながらノアが首を傾げる。するとオーネットは制服のポケットから小さな包みを取り出した。


「この先、君が辛い時に私が側にいられない事もあるだろう。だから、これを君に渡しておく。大した物では無いがお守りだ。きっとこの先、何があっても君を守ってくれる。」


 そう言って差し出されたオーネットの指先には、一つの指輪が握られている。それはまるで、差し出しているオーネットの茶色い瞳の様に、優しい輝きを放っていた。


「・・・・っ」


 突然、ノアの藍色の瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。


「なっ!?ど、どうしたノア!?そんなに嫌だったか!?無理に受け取れとは言わないから、泣かないでくれ・・・」

「違う、違うの、オーネット・・・」


 突然泣き出したノアにギョッとして慌てふためくオーネット。その姿にノアは笑みをこぼすと、泣き笑いの表情でオーネットに告げた。


「嬉しいの。まさかオーネットからプロポーズしてくれるなんて。」

「プ、プロポーズ!?」

「あら、違うの?」


 今度は悪戯っ子の様な表情でノアが笑いかけると、オーネットの耳がたちまち真っ赤になっていく。


「それは、その、そんなつもりでは無かったのだが、」

「じゃあ私とは結婚しないって言うのね?薄情な人だわ。指輪まで渡しておいて、結婚はしたく無いって言うなんて。」

「いや、別に結婚したく無いという訳では!」

「それじゃあ、プロポーズしてくれるの?」


 ノアがからかう様にそう言うと、一瞬の間の後、オーネットは指輪を傍の照明台に置いてノアの両手を突然掴む。そしていつになく真剣そうな表情を浮かべ、鼻と鼻が触れる程の距離でノアをじっと見つめた。


「お、オーネット!?」

「ノア。私はローラの分も、この身をかけて君を守る。これは一生の誓いだ。だから、自分勝手なお願いだが、私に君の人生の全てを守らせてくれないか。私と共に生きて欲しい、ノア=ラフィーネ。」


 照明に照らされ煌くオーネットの瞳。その瞳には普段の様な気高さや強さだけでは無く、湧き上がる様な優しがが溢れていた。突然の事に戸惑うノア。だが、その返事など最初から一つしか無く、


「・・・はい。私も、貴方とともに生きる事を望みます。オーネット=ロンド。」


 そっと薬指に通される、カーバンクルの茶色い指輪。それは約束の指輪。例えどんな未来が訪れようとも、共にある事を誓った者だけに許される、たった一つの約束。




 

 



ーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーー

 



(・・・これからも隣にいてくれるのよね、オーネット。)


 信じる様にそう心の中で呟くノア。だが先の見えない通路は、まるで二人の未来を暗示するかの様に、どこまでも漆黒の闇に包まれていた。






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