47 少女と火蓋
クロエによって壊された扉の先。
人間とは思えない程に痩せこけ、チューブに繋がれたまま虚ろな表情を浮かべる無数の実験体。
セシリアはその非人道的な光景に眉間に皺を寄せると、部屋へと立ち入った。
「このチューブで最低限の栄養を送っていた様ね。下劣極まりない。」
「切ってしまっても構わないか?」
「ええ。お願いオーネット。それとクロエ、アリス。他の部屋の扉も壊して。全員の身柄を保護するわ。」
「わかりました。」
オーネットがチューブと鎖を切断し、ノアやアリス達が一人一人を救出すると、その人数は40人を越えた。そしてその誰もが皆、救助されたにも関わらず顔色一つ変えずに宙を見つめ、譫言の様に何かを呟いている。
「どうする?一旦こいつらは置いて先へ進むか?」
「ええ、この人達を安全な場所まで送る時間は無い。装置だけ壊して私達は先へ」
セシリアがオーネットに向かってそう答えた時、セシリアの魔道具がけたたましく音を立てて鳴り響いた。
「シオン?何かあったのかしら。」
胸元から魔法具を取り出すセシリア。
そっと魔力を流し込むと、そこからシオンの切羽詰まった声が聞こえる。
《セシリア・・・すまないが、かなりまずい状況だ。イザベル級、あるいはそれ以上のやつがいる。情けないが応援を頼みたい・・・それに、この学園にはそれだけやべぇもんが置かれてる。気をつけろ・・・っ》
それだけ残して乱雑に切られる魔道具。あのシオンが救助を求めている時点で、異常事態であることは確実であった。
「シオンが襲われている。それもイザベル以上の相手に。」
「・・・順当に考えれば、セシリアさんが向かうべきでしょうか。」
そう答えるノアの声は、明らかに不安に揺れている。未だ宿敵イザベルが仕掛けてきていない状況で、セシリアが抜ける事に対する不安が大きいのだろう。だが、そんなノアの肩にオーネットが手を置いて、セシリアに向けて告げる。
「セシリア、こっちは大丈夫だ。君はシオンの救援に向かってくれ。私達で必ずメティスを見つけ出す。」
「・・・分かったわ。」
覚悟の灯ったオーネットの瞳。ノアの不安を理解した上で、はっきりと告げるオーネットにそう返事をするセシリアであったが、シオンの言った警告をふと思い返す。
「この学園には、シオンすら脅かす程の咎人がいる。それだけ敵にとって重要なものが隠されてるって事よ。地下二階か、あるいはこのフロアに・・・」
そこまで言って、セシリアは違和感を感じた。
(胸騒ぎがする。戦力を割いてまで隠したいもの。ガイアの目的は人工的に咎人を量産する事なのは確実。でも咎人程度の力であれば、私達がいる限りその望みは叶わない。そうなると目的は・・・)
そこで思い出す、意識を失う直前の研究員の言葉。
(狙いは、ハルの魔力譲渡・・・!?)
「ハル、危ないっ!!!」
「え?」
セシリアがそう叫んだ時、ハルはちょうど救出した実験体達に巻きついた鎖を外している所であった。状況が飲み込めずにきょとんとした表情を浮かべるハル。
だが、セシリアが急いでハルの周囲に防御魔法を展開するよりも早く、ハルの目の前にいた実験体の一体がハルの腕へと噛みついた。
その力は甘噛みなどという生易しいものではなく、ハルの柔らかな肌を食い破り肉すら引きちぎろうとする程の強い力。
「痛っ」
「ハルから離れなさい!」
そう叫び水魔法を展開するセシリアであったが、その魔法は防御魔法によってあっさりと弾かれる。
「セシ、リア様、魔力がっ」
決して生半可な攻撃では無かったセシリアの水魔法。それすらもあっさりと防ぐ防御魔法に、セシリアの嫌な予感が的中した。
「目的はハルの魔力譲渡。それを咎人に渡す事だったのね。」
「ハ、ル、欲シイ、魔リョク、ヨコ、セ・・・」
するとたちまち、虚な表情で押し黙っていた実験体が群がるようにハルへと噛み付く。
「う、あ、嫌、だぁっ」
「ハル!?」
その異様な光景に、アリスとクロエも臨戦体制となるが更に状況を悪化させる声が部屋の入り口から響き渡った。
「うふふふふ、あらあらあらぁ、ハルちゃんは美味しく頂かれてるみたいねぇ」
「っ!?」
突如聞こえた、ねちっこく纏わりつく様な淫美な声。その声に、ノアが小さく悲鳴をあげて体を硬直させる。
「うふふふ、怖がらないでぇ。これからたぁ〜っぷり、愛を育みましょう。」
そう言って艶やかな髪先をいじりながら姿を現した、漆黒の魔女。
「イザベル・・・」
「嬉しいわぁ、ノアちゃんが覚えてくれてるなんてぇ」
(強力な咎人40体とイザベル。まずいわね。一先ず私の力で咎人全員を氷漬けに。)
生半可な魔法では先程同様弾かれる。そう思い部屋の床一面に魔法陣を展開したセシリアであったが、
「セシ、リア様、ダメですっ!」
セシリアへ制止を促すハルの声。ハルは何十体もの咎人に噛みつかれ、至る所から血を流しながら、セシリアに向かって叫んでいた。
「ここで、魔力を使っちゃ、ダメ、です。シオン、さんがっ・・・ぐっ」
「・・・でもっ」
ハルの言葉に一瞬戸惑うセシリア。確かに最大戦力であるセシリアは、順当に考えればイザベル以上の敵と戦っているシオンの援軍に割くべきである。だが、それでも目の前で襲われ苦痛に顔を歪めるハルを素通りする事など、とてもでは無いが出来なかった。
「セシリア、私もハルに同意見だ。」
心の葛藤に動けずにいるセシリアに、クロエが一歩前に出て言った。
「ここは私達に任せて、セシリアはシオンの応援に行くべきだ。それとも、そんなに私達が信じられないのか?」
(・・・自分だけでどうにかしなくては、まだ私はそんな事を思っていたのね。)
セシリアは展開していた魔法陣を消すと、覚悟を決めた様に部屋の入り口に向かって走り、意志伝達で指示を飛ばす。
《クロエ、アリス。ハルの魔力が全て奪われる前に40体の咎人を無力化しなさい。推測だけど、恐らく彼らはハルの体の一部を摂取すれば魔力が奪える様に改造されてる。時間との勝負よ。》
「おーけー!アリス、私が総量を削る。アリスはハルに群がる奴らを引き剥がせ!」
「わかった。」
《ノア、オーネット。無策でイザベルに挑むのは消耗戦。ノアのメティス捜索を最優先に、逃げながら戦って。》
セシリアがそう言うと同時に、ノアとオーネットの背後にあった地下3階への入り口がバキバキと音を立てて崩れ落ちる。そして同時に、目の前に立っていたイザベルの体が、地面から突き出した強大な氷の刃によって八つ裂きにされた。
だが当然そんな攻撃で倒れる様なイザベルでは無い。その証拠に、氷によって切断された両腕はすでにシュルシュルと音を立て、一瞬にして半分程が修復されていた。
「ノア!行くぞ!」
その間にオーネットとノアは地下3階へと向かう階段を駆け下りる。そんな二人の背後から響く、イザベルの笑い声。
「うふふふふ、私、鬼ごっこは大好きよぉ〜。どこまでも逃げなさぁい。その方が、絶望に歪む貴方の顔を見た時、興奮するものぉ〜〜」
《それと、オーネット。絶対に生きて。》
「当然だ、約束は守る。ノアを一人にはしない。」
まるで闇が口を開けた様にどこまでも下へ下へと続く長い階段。
オーネットはノアの小さな手を強く握りしめると、迷う事なく駆け下りていった。
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「ナタリー。君はグラソンに似ているな。」
「・・・久しぶりね、クロノス。イーリアから何か聞いていたのかしら?」
ここは静かになったグルゴ・パラン。
ガイアの元への転移魔法陣を作る為、一人作業していたナタリーの元にクロノスが現れる。
「聞いていなくても分かる。君の言う通り、あの日クロエは僕の元へとやって来た。」
「彼女なら貴方への扉を開く事ができる。5年程前に彼女と孤児院で出会った時、すぐにそう思ったわ。でも、それも全て見えていたんでしょう?」
ナタリーがそう言うと、クロノスは哀しげに笑った。
「ああ、そうだね。僕は分かっていた。クロエが僕の元に来る事も、君が・・・」
そこまで言って口を噤むクロノスに、ナタリーは優しく微笑む。
「未来が分かっていても何も出来ない。その気持ちは痛い程わかるわ。私もセシリアへ何もしてやれなかったから。」
「グラソンなら、そう言ってくれるだろうか。何でも見通せるつもりでいたのに、その最後を怖くて見れずにいた、こんな情けない僕に。」
「未来を見る力。その力は万能にも思えるけど、随分と難儀な力なのね。」
ナタリーの言葉に、クロノスは泣き出しそうな表情で俯く。
「未来が見えても、大事な事は何ひとつ変えられない力だ。」
「・・・だから、オーネットの事を黙っていたのね。」
何千回、何万回と繰り返し見てきた、見たくもない未来。変わってくれと願う程その未来は現実となり、何度もクロノスを絶望の底に陥れた。そしていつからか、自分が口にする事で悪い未来を引き寄せてしまっているのでは無いか、そう思う様になっていた。
「遠くに見える未来は日夜変わる。でも、彼女は今日、命を落とす。その未来はもう見えてしまっているんだ。」
「クロノス。だけど、貴方はその未来を彼女達に伝えた。その行動こそが、きっと未来を変える火種になる。私はそう信じるわ。」
それだけ言うと、ナタリーは再び本を開き転移魔法陣の構築作業に戻る。
「ほら、手伝いなさい。一週間以内に完成させないと、それこそ悪夢の幕開けよ。国内最高峰の生徒達の半数が咎人化なんて、それこそ戦争になるわよ。」
(グラソンを守る四賢聖達。必ず生きて帰りなさい。貴方達にはまだ、やるべき事がたくさんあるのですから。)
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