45 少女と前夜

 



 時刻は19時過ぎ。

 ハルは部屋のベランダからグラソン学園がある方角をじっと見つめていた。グルゴ・パランの学園の外、家々が立ち並ぶずっと先に、薄らと輝くグラソン魔法学園が小さく見える。


(リア、大丈夫かな・・・)


 リー教の信徒、ガイアの眷属によって大遠征中のグラソン学園の一行の半分が連れ去られたという事は、グラソン学園の学生の凡そ半分が襲われたという事だ。四賢聖の庇護も無く、満足に抵抗する事も出来なかったに違いない。そんな状況下にも関わらず半数の生徒が逃れられた事は、むしろ幸運であったとすら言える。しかしながら何名か負傷者が出たという話も聞いている。それに加えて咎人化ともなると、死者が出るのも時間の問題だろう。


「リアが心配?」


 気がつくとセシリアがマグカップを二つ持ちベランダに出ていた。まだ夏の気配を色濃く残した、じめっとした夜風がセシリアの長く青い髪を撫でる。

 ハルは差し出されたマグカップの一つを両手で受け取ると、お礼を言い、じっと俯いた。紅茶に浸かった氷がカラリと音を立てる。


「一度咎人になってしまえば人間に戻す方法は無いんですよね。」

「そうね。オリビアが早急に連れ去られた生徒の詳細を把握をしてる。一先ずその返答を待つしかないわ。」


 仮にもし、リアが咎人となったら自分は剣を取る事が出来るのだろうか?ーーー恐らく無理であろう。そう思うとリアの無事を願わずにはいられなかった。


「ねえハル。もし私がガイアに敗れて命を落としたら、貴方はこの世界を恨む?」

「え?」


 突然投げかけられた質問に、一瞬ハルはきょとんとした表情を浮かべるが、すぐにその問いかけの意図を悟る。


「いえ、私は恨みません。もちろんガイアやイザベル達の事は許せませんが、ずっと私達の側にいてくれた人達も沢山いますから。」

「そう・・・。」


 セシリアは珍しく歯切れ悪そうに言うと、腕を組んだまま柵にもたれた。


「・・・セシリア様は、ガイアの気持ちが分かるんですね。」

「不謹慎なのは分かってる。でももし、自分の命に換えても守りたかった人が理不尽に殺されれば、きっと私もこの世界の全てを憎み、敵の全てを凍て尽くす。例え相手にどんな事情があろうとも。」

「私が、それを望んでいないとしてもですか?」

「・・・ええ。例えそれがハルの望みでは無いとしても。モルスの谷で貴方を蹂躙しているリリーを見た時、一瞬浮かんでしまったの。生捕りにするのでは無く、死を望む程の苦痛を与えて、その体を八つ裂きにして嬲り殺しにしてしまいたいという思いが。その時の私は、まるで私が私で無いみたいで・・・この力が怖い・・・。」


 そう呟くセシリアの瞳は夜の為か仄暗く、まるで沼の底の様に澱んでいる様に見えた。ハルはそんなセシリアのその手をそっと握ると、街の方に目を向けたまま言う。


「私、姉のシリカが自分のせいで亡くなった時、自分の存在そのものが憎くて堪りませんでした。きっと対象が自分自身だっただけで、その頃の私はガイアと紙一重だったと思います。」


 思い出すのは自分が愚かで憎らしくて堪らなかった日々。朝なのか夜なのかも分からない毎日の中で、何度も死のうと思った。夜中に家を抜け出し、街の外れの高台から身を落とそうと思った時もあった。


「でも、死ぬ事は出来なかった。当時は勇気が無いからだと思っていましたが、今なら分かります。」


 ハルはそう言うと、セシリアの手を握る指にそっと力を込める。


「私は、逃げたくなかった。もしシリカが私を生かした事に何か意味があるのなら、シリカが残したものを、守りたかった。私の中に確かにあるシリカの魂を。」


 ハルの言葉に、セシリアはじっと俯いている。その表情からは感情は読み取れない。だが構わずにハルは話し続けた。


「全てが憎くて堪らなくても、それで全てを壊してしまえば全部消えてしまうんです。シリカの思いも、私の思いも。二人だけの記憶も、何もかも。」


 セシリアの瞳が僅かに揺らぎ、漸くその瞳にハルを映す。ハルはその瞳をじっと見つめ返した。


「何事にも理由があるなんてのは綺麗事です。でももし、大切な何かを失って、全て壊してしまいたい程の悲しみに飲み込まれても、信じて下さい。セシリア様は強いです。優しさを失わなければ、必ず希望はあります。私はもうセシリア様の一部で、セシリア様も私の一部なんですから。」


「・・・随分と飛躍した論理ね。」


 そう言うと、セシリアはぎゅっとハルの体を抱き寄せる。その背中にハルもそっと手を回した。


「・・・ありがとう。少しだけ正気を取り戻したわ。情けないわね、四賢聖のトップである私が道に迷うなんて。」

「そんな、私なんて迷ってばっかりですから。」


(でもそれだけセシリア様の力が増しているのは事実だ。望ましい事だけど、その力は一歩間違えれば第二のガイアになりかねない。)


 日夜の情事、そしてアモルから与えられた、性行為を伴わずとも魔力譲渡できる力によって、セシリア内の魔力量が爆発的に上がっている事はハルも薄々感じていた。それは嬉しい事でもあり、一歩間違えれば脅威ともなりうる。


(セシリア様の闇落ちは考えただけでも恐ろし過ぎる・・・)


 ふとそんな事を考えていると、ハルの背中に回されていた手がいつの間にやらハルの腰に降りる。そして耳元で囁かれるセシリアの声には、いつもの夜の様な意地悪さが戻っており、


「私が寂しさでうっかり世界を滅ぼさない様に、ハルにはもっと頑張って貰わないとね。」

「寂しさではなくただの欲求不満では!?」


(切り替えが早すぎる!これが四賢聖なのか!?)


 そうして結局今夜もハルは、迷子の子犬の皮を被った狼によって夜が明けるまで弄ばれるのであったーーー


(私が死ぬとしたらセシリア様が原因な気しかしないね!?)




 ・

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 ハルがセシリアに襲われたのと時を同じくして、アリスとクロエの部屋に来客があった。


 コンコンコンッ


「はい。オーネット様に・・・ノア様。」

「アリスか。悪いがクロエはいるか?渡したい物があってな。」


 開けた扉の先に立っていたのはオーネットとノアだった。二人がアリスに促されるまま部屋の隅に置かれた椅子に腰掛けると、チョコを頬張っていたクロエが僅かに顔を上げる。ベッドの上に寝転がるクロエの周りには、所狭しとお菓子の袋が並んでいた。


「なになに?ノアも来るなんて珍しいじゃん。」

「また虫歯になるぞ・・・」


 そう言いながらオーネットがおもむろに布に包まれた茶色い包みを取り出し、クロエの方に投げる。


「何?プレゼント?」

「つけてみろ。」


 クロエが放り投げられた包みを開くと、真っ黒に輝く細長い鉱石の塊の様なものが顔を出した。


「これって・・・義手?」

「ええ。クロエちゃんの魔力になるべく馴染む様に作ってみたんですが、試しに魔力を流し込んでみて貰えますか。」


 クロエは上着を脱ぐと、ずしりと重い義手へ僅かに魔力を流し込む。すると義手の重みが体内の魔力と一体化する様に薄れ、失われた右腕の代わりとなる様にその肩に吸い寄せられた。そして肘、手首、指の関節がぎこちなく折れ曲がり、やがてその動きは自然の腕の動きと遜色ないほど滑らかな動きへと変わる。


「うわ、すごっ。動く・・・」


 感触を確かめる様に肘や指などを折り曲げ興味津々で見つめるクロエに、ノアは微笑みながら言った。


「上手くいったみたいで良かったです。魔力は循環するので消費する事はありません。材質はオーネットが懇意にしている商人から取り寄せたものの寄せ集めですが、並大抵の魔法では傷一つつかないはずですよ。」

「すげーなんかカッコいいー!」


 クロエはノアの話など聞いていないかの様に右手を開いたり閉じたりしている。


「これ魔法も使えんの!?使ってみていい!?」

「ええ。使えますが壁に穴を開けるのはやめてくださいね。」

「すごーーー!!!」


 玩具を与えられた子供の様にはしゃぐクロエをノアはほっとした表情で見守っていたが、そんなクロエを複雑そうな顔で見つめるアリスに気付くと、ほんの少し思案して口を開いた。


「・・・ただし、絶対にお風呂では外して下さいね。お湯に浸けるとそこから錆びてしまい、錆を餌にする気持ち悪い魔獣達が内側からうじゃうじゃ湧いてきますから。」

「えええっ!?キモっ!!!」

「なので入浴時は必ず外してください。アリスさん、クロエちゃんがお風呂に入る際のお手伝い、お願いしますね。」

「えっ!?」


 それだけ言い残すと、ノアは何か言いたげなアリスを置いてそそくさと部屋を後にした。

 二人がいなくなった後の部屋。相変わらずクロエは目を輝かせながら義手で様々な魔法を作り出して遊んでいるが、そんなクロエの隣でアリスは罰が悪そうにして突っ立っていた。


「・・・クロエ、お風呂は一人で入れるよね?」

「はー?面倒くさいから嫌だよ。ノアも手伝えって言ってたじゃん。」

「いや、でもお風呂だよ?!」

「あれ、誰のせいで右腕失くしたんだっけな〜」

「それはクロノスが・・・っ」

「あれれ、誰のせいでクロノスの力が必要になったんだっけ〜」

「うぐぐっ」


 クロエは珍しく翻弄されているアリスを見ると、満足そうに笑うのだった。




 ・

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「風呂入るのになんで服着てるのさ。」

「ちょっとクロエ!?」


 ここはグルゴ・パランの大浴場。先に入っていたクロエの魔法によって衣服を一瞬で消されたアリスは、慌ててタオルで全身を隠しながら、観念した様に渋々クロエの後ろに座る。そしてクロエの下された長い銀色の髪に、ゆっくりとお湯をかけた。


「一体どんな生き方をしたら服を脱がせる魔法を覚えるの。」

「こんな生き方だよ〜」

「(イラッ)」


 気持ちよさそうに頭を洗われながらニタニタ笑うクロエに、頭にきたアリスがクロエの頭上から水魔法を放つ。


「うわ冷たっ!?ちょっと魔法はずるくない!?」

「最初に魔法を使ったのはそっちでしょ。」

「ぐぬぬっ・・・おりゃっ!」

「きゃっ!?」


 水をかけられ怒ったクロエが、仕返しとばかりに振り返り、アリスの体を隠していたタオルを乱暴に剥ぎ取った。すると咄嗟にタオルを掴んだアリスの体が椅子からずれ、バランスを崩したアリスの体がクロエに押し倒されるかの様に浴室の床へと滑り落ちる。

 突然の事に一瞬驚いた表情を浮かべたアリスだったが、持っていたタオルははるか頭上。すぐに状況を理解するや否や、その顔は悲痛そうな表情に変わり、クロエから視線を逸らすように横を向く。


「・・・見ないで。醜いから。」


 そう言われてもアリスの体は一糸纒わぬ姿でクロエの下。体を隠す様に腕を交差していても、その美しい白い裸体の至る所には、鞭で殴打された痛々しい傷跡が見えていた。


「・・・貴方は私を苦しめるもの全てを終わらせるって言ったけど、この傷がある限り私の中の罪は消えない。これは罰なの。正しく生きることを諦めて、楽な道を選んだ自分への。貴方にも、私にも、この傷跡は消せない。」


 そう吐き捨てる様に言ったアリスの碧眼の瞳は僅かに揺らいでいる。クロエにはそんなアリスがまるで、母親に怒られるのに怯える、幼い少女の様に見えた。


(私も、もし孤児院に保護されていなかったら今頃・・・)


 そう考えると、無意識にクロエの指がアリスの傷跡の一つをそっと撫でていた。ピクリと震えるアリスの体。


「・・・この傷、まだ痛むの?」

「傷跡になってるのは古い傷。新しい傷は全部回復魔法で治したから痛まない。」

「そう。」

「ちょ、ちょっとクロエ!?」


 アリスの返事を聞くや否や、クロエは唐突にその傷跡のうちの一つに唇を寄せ、歯を立てた。


「痛っ・・・」

「アリスの罪だなんて、誰が決めたの?」


 そう言うとまたクロエは位置を変え、硬くなった傷跡にまた歯を立てる。


「痛い、クロ、エ・・・っ」

「母親を失って心が空っぽになったのは、生きる為でしょ。」


 クロエの瞳には、僅かに苛立ちの色が浮かんでいた。それはアリスに対してでは無い。このか弱く儚い一人の少女から全てを奪ったクリアナが、自らの母親に重なっている様に思えてならなかった。

 今度はアリスの胸元にクロエの歯が食い込む。


「・・・っ」

「生きる為に、楽な方に逃げてどうしていけないの。」


 奪う者はいつも変わらない。膨れ上がった自らの自分勝手な欲望の為、平気で人を傷つける。許せなかった。自分の様に誰かが力によって理不尽に搾取され、泣き寝入りする事が。その為に得たクロノスの力だったつもりでいたが、目の前のアリスはそれすらも「自らのせいだ」と自らを責める。


「私達には皆、自由に生きる権利がある。アリスがどんな道を選ぼうと、私が誰と生きようと、誰にも口出し出来ない。」

「・・・・痛いよ・・・ひっぐ、痛い・・・クロエ」


 いつの間にかアリスの瞳からは涙が溢れ、体を隠していた両腕は顔を覆っていた。クロエはその腕をそっと掴むと、震える唇に唇を重ねる。ほんの一瞬の、触れるだけの口づけ。

 だがアリスには、そのキス一つでジクジクと心を蝕む様に感じていた痛みがふわっと和らいでいく様に感じた。そして涙で滲む視界の中、真っ直ぐ射抜く様に自分を見つめる、真っ赤な瞳を見上げる。


「アリスの運命はアリスだけが決める事。他人に左右されるなよ。」


 ポタリポタリと銀色の髪を伝ってアリスの頰に落ちた水滴が、涙と混じる。思わずその体に腕を回そうとしたアリスだったが、


ガラガラガラガラッ


 突然豪快に開かれた浴室の扉と、入ってきた何人もの女性。それはシオンとその女中達であった。


「おうクロエとアリスか!ん?2人ともどうしたんだ?」

「・・・何でも無い。」


 クロエの転移魔法によって一瞬で湯船に転移した二人であったが、アリスは顔を紅色させ俯いており、クロエは明らかに不機嫌そうな表情を浮かべている。


「おっアリス、あんた結構良い体してるじゃねぇか。剣士に傷は付きものだからな!ほら見ろ、これはドラゴンの巣に落ちた時にできた傷だ!」

「やめろシオン。」


 そう言って背中の大きな傷跡を自慢げに披露していたシオンであったが、湯船に浸かるアリスの胸元の傷を見るとニヤリと笑った。


「・・・どうやらついさっきつけられた傷もあるみてぇだな。クロエ、子どもじゃねぇんだから独占欲くらいセーブできる様になれよな。」

「な!?」


まるで全て見透かした様に笑うシオンに、思わず立ち上がって抗議しようとしたクロエであったが、おもむろにその手首をアリスに掴まれる。


「・・・クロエ、もしかして痕、つけたの?」

「えっ!?いや、だって夢中だったし、それどころじゃ無かったっていうか、あははは」


そう言いながら振り返った先では、アリスが鬼の様な形相で怒りと羞恥に肩を震わせていた。そしてその胸元には、しっかりと綺麗な噛み跡が残っている。


「そうだ回復魔法、回復魔法で消せば大丈夫!」

「風呂場で面白いもの見たってセシリア達に言っておかねぇとな。」

「おいやめろぉ!!!」


 シオンが愉快そうに笑って言うと、たちまち浴槽の床からいくつもの石で出来た腕が出現し、クロエの体を捕らえる。


「えっ待って、何これ!?きもっ」

「丁度さっき、新しい魔法を思いついたの。」

「話せば分かる!話せば分かるから!ーーーひぃっ」




 こうしてこの日、ハルに次いでもう一つの悲鳴がグルゴ・パラン中に夜通し響き渡ったのであったーーー




「うふふ、うまくいったみたいね。」

「何だかご機嫌だなノア。」




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