第5章 百合と魔法と赤い城
44 少女と魔法部
「どうしてお母様が!?」
セシリアが席から立ち上がり声をあげるが、ナタリーはそれを制止した。
「話は後よ。もう時間が無いわ。」
そう言ってナタリーが背後に広がった景色を指し示す。
そこでは遥か上空からオーロラの様に漆黒の闇が振り降りてくるのが見えた。
「思ったより早いわね。私が時間を稼ぐから、ハル達の事は頼んだわよ、ナタリー。思い残す事が無いようにね。」
「待ってイーリア!」
そのまま剣を持って部屋の外へ飛び立とうとするイーリアに、ハルが慌てて駆け寄る。そしてじっとイーリアの顔を見上げるが、その顔には困惑と不安が滲んでいた。
イーリアはそんなハルに表情を和らげ、抜いた剣を一度鞘に収めると慈しむ様にハルの頬を優しく撫でて呟く。
「突然こんな話をされても、困惑するわよね。」
ハルはじっと俯くと、ポロリポロリとこぼす様に口を開いた。
「どうして、アモルの力を得たのが私なの・・・。私は、私は姉を死なせて、自分勝手に力を欲しがっただけのどうしようもない人間なのに・・・。こんな私が世界を守るなんて、そんな事っ・・・」
ーーーできるわけがない。
いつの間にか、ハルの大きな瞳からはボロボロと涙が溢れていた。突然知らされたこの世界の真実。姉の様に慕っていた師匠の正体。何も知らずに生きていた自分。そんなに大切な力なのであれば、もっと見合う人がいるのでは?そんな思いが絶えず頭を巡り、『世界の運命』という大きすぎる文字がハルの両肩に重くのしかかっていた。
これまで、ハルの中ではどこかセシリアやオーネット等、ハルが神の域とすら感じる四賢聖達の力があれば大抵の事はどうにかなると思っていた部分があった。しかし、敵は正真正銘の神。もしも負ければセシリアどころか、この世界を失う事になる。そして何より、ハルの中では「本当に勝てるのか?」という恐怖がその胸を締め付けていた。
イーリアは震えながら涙を流すハルの背中にそっと手を回すと、その小さな体を抱き寄せる。
「そうね。私も初めて貴方を見た時、正直"本当にこの子が戦えるの"って思ったわ。アモルのせいとは言え殆ど魔法も使えない、こんなに小さな少女がどうしてって。でも、どんなに強力な魔法よりも強いものがこの世界にはある。」
「魔法よりも?」
「ええ、そうよ。」
そう言うとイーリアはハルから体を離し、部屋の方に視線を向けた。
「その力こそがあの日、私のもう一人の母であったガイアが失ってしまった力。それと同時にガイアを封印できた力でもある。貴方にはその力がある。きっといずれ分かるわ。それに、もう貴方の力は貴方だけのものではないのよ。」
するといつの間にかハルの隣に立っていたセシリアが、まるでイーリアからハルを奪う様にハルの腕を引き寄せる。
「言ったでしょう。貴方の力は私のもの。貴方がその力を疑う事は、私の力を疑う事でもあるのよ。分かったら黙って私を信じなさい。」
「・・・相変わらず横暴ですね。」
だが、セシリアのその言葉はハルがここに立つ理由を見つけるのには十分であった。イーリアはそんなハルとセシリアの様子を見守ると、剣を抜く。
「ハル、私はもう千年以上前に死んでる。だから貴方と触れ合った私も、今ここにいる私も、全て私の魔法が生んだものよ。だけどそれでも、貴方に会えて良かった。グラソンの想いは間違っていなかった。そう心から思うわ。」
「・・・私も、イーリアに出会えて良かった。」
「ふふ、そう言ってもらえると化けてまで出た甲斐があったわね。ま、とにかくそれじゃ、そう言う事だから後は任せたわよ。クロノスも、もう少し私のお願いに付き合って頂戴ね!」
そう言うとイーリアは剣を構えたまま漆黒に染まりゆく空へと飛び立った。
その先では暗闇から無数の黒い点の様なものが降り立つのが見える。
「あれは一体・・・?」
「ガイアの手先よ。いずれ奴らとも戦う事になる。イーリアが戦っている間に移動するわ。目的地はグルゴ・パランよ。」
「グラソン魔法学園の方が安全なのではないですか?」
セシリアの申し出に、ナタリーは首を横に振った。
「残念だけど、もうグラソンは安全な場所では無くなったわ。」
「そんな、もしかして学園内までリー教徒が!?」
「説明している時間は無いわ。とにかくこの結界から抜ける。全員この魔法陣の上に乗って頂戴。」
ナタリーはそう言うと床一面に転移魔法陣を展開する。やがて広がった魔法陣は強い輝きを放ち出した。
「す、すごい・・・大転移魔法・・・」
その光景に思わずハルが感嘆の声を漏らしていると、ナタリーが不思議そうな顔でハルを見やる。
「あら、そこの少女は魔法陣での転移は初めて?目を瞑るなり魔法をかけないと、失明するわよ。」
「ええっ!?」
そしてセシリアの手によってハルの視界が遮られ、再び視界が開かれた時には、目の前の景色はいつぞやに訪れたグルゴ・パランの本殿に変わっていたのだった。
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グルゴ・パランへ転移した一行は、本殿2階の大広間で机を囲んでいた。周囲ではシオンの女中達が動き回り、卓上へ所狭しと飲み物や料理を次々運んでくる。
「シオン。宴会をやるつもりはないのだけど。」
その光景にセシリアがあからさまに眉を寄せて不満を口にするが、シオンは豪快に笑って一蹴した。
「ははは、どうせ重苦しい話になるんだ。まずは腹ごしらえしねぇとな。それに、うちの女達は良いだろ。オーネットなんてすっかり気に入ってるみてぇじゃねぇか。」
「ノア違う、これは誤解だ、頼むからその物騒な手を下ろしてくれ。」
シオンの言葉にバチバチと音を立てて卓上を火花が舞い、オーネットが慌ててノアを嗜める。
クロエとクロノスはそんなやりとりなど一切気にせず、目の前の料理に片っ端からかぶりついていた。
「本当に緊張感の無い・・・」
その光景に思わず溜息をつくセシリア。だがそんなセシリアに、隣に腰掛けるナタリーが声をかける。
「良いじゃない。食べながらできない話でもないわ。」
「お母様がそう言うなら構いませんが・・・。そもそも一体なぜ、お母様はあの場所へいらっしゃったのですか?」
セシリアの質問に、箸を取りながらナタリーが答えた。
「そうね。まずは自己紹介をしないといけないわね。私はナタリー=セントリンゼルト。何人かは面識があるけど、初対面の人もいるわね。特にそこの女の子。」
そう言ってナタリーが見たのは、セシリアが料理に手をつけるまで律儀に両手を膝の上に乗せて待っていたハルだった。
(待ってこれってご両親の挨拶!?いや、でもそもそもセシリア様と婚約してる訳でも無いし・・・あれ?そもそも私達って付き合ってすらいなくない!?それってつまり、もしかしてセフレ!?)
頭をよぎる、とてもでは無いが魔法部のトップ、それも四賢聖第一位の母親の前で言えないワードに冷や汗が止まらない。
「は、はじめまして。ハル=リースリングです。あの、実家はセモール村で、セシリア様とはその、あの、えっと、魔力を渡す関係と言いますか・・・」
「そう。セシリアは昔から食いしん坊で強引な子なのだけど、結構魔力は渡しているのかしら?」
「あっ、はい、まぁ結構それなりに、ですかね・・・」
ハルがどもりながらそう答えると、意味深に微笑みを浮かべるナタリーに、セシリアが咳払いをした。
「ハル、私の母はハルの能力の事全て知ってるのよ。」
「そうなんですね・・・え、全部!?」
「当たり前でしょ。魔法部のトップなんですもの。それこそ貴方が罪人として捕らえられた時から知ってるわ。」
「罪人としてって・・・えええええっ!?」
蘇る連日連夜犯し潰された日々の記憶。その頃からハルの能力を知っているという事はつまり、セシリアとハルの関係を知ってる事でもあり・・・
「そう。随分セシリアに魔力を奪われたみたいね。」
「〜〜〜〜っ!!!」
意地悪く笑うその表情は、正にセシリアの母親といった雰囲気だ。ハルは羞恥に顔を真っ赤にして机に突っ伏したのだった。
「そんな事よりお母様、本題を話して下さい。」
「ああそうだったわね。まず私はセシリアの母にして魔法部の最高責任者よ。正確には責任者だった、の方が近いわね。」
「・・・それじゃあすでに魔法部も?」
「ええ。魔法部もリー教の傘下に下っているわ。でもそれはこの数週間の話じゃ無い。その兆候は何年も前からあった。」
ナタリーの言葉に、肉を頬張りながらクロエが聞く。
「それなら、最初のうちに全員殺しておけば良かったじゃん。黙って見てたのか?おばさ・・・いだだだだ」
「クロエ、言葉に気をつけなさい。」
隣に座るアリスがクロエの頬をつねる。だかナタリーは気にせず微笑みながら答えた。その瞳には僅かに物悲しそうな表情が浮かんでいる。
「最初に異変を感じたのは十年以上前。その頃の私はまだ魔法部の一幹部だったわ。そこで私は主に罪人の取り締まりや魔法関連の事件の処理などをしていたの。そしてある咎人について調べている中で、不意に違和感を感じた。咎人はこれまで、犯した罪の重さや残忍さから無条件に死罪とされて来たけれど、その経歴には不審な点があった。咎人になるきっかけが分からなかったの。」
「咎人になるまでして、力が欲しかった理由が分からなかったって事ですか?」
ナタリーの話に、アリスが口を開いた。その話の続きには身に覚えがある、そう感じたのだろう。
「そうよ。咎人は貧民街の出身者が多いから出自を調べる事自体殆ど無いんだけど、たまたま気になって聞き込みをしてみたの。」
「理由は、分からなかったのですか?」
「いいえ、分からなかったというよりは、調べられなかった。聞き込みを妨害されたのよ。当時の魔法部のトップによって。」
「そんな、十年以上前から・・・」
思わず驚きの声を漏らすアリスに、ナタリーは話し続けた。
「貴方のお母様以外にも多くの犠牲者がいる。分かっていたけど、手を出せなかった。私が気づいた頃には魔法部のトップの他にも、グラソン王国の国王や内政官達もすでに脅される、もしくはリー教の信者となっていた。」
「私の母を、知っているのですね・・・」
ナタリーは俯きながら声を震わせるアリスをじっと見つめると、口を開いた。その声は静かだが、力強い。
「ええ。知っていたわ。知っていて、助けられなかった。貴方のお母様だけじゃ無い。敵の強大さに気付いた私は信徒の振りをして敵の懐に入り込みながら、その正体を探った。そしてイーリアの元へ辿り着く事ができたけど、その間に何十人、何百人もの人間を見殺しにしたわ。でも、それでも守らなくてはならなかった。この世界を。」
それが、何度も命を選び取る葛藤を乗り越えて出た結論であった事は、ナタリーの目を見れば明白であった。
「その後の私は、グルゴ・パランへ手を出し始めた敵の動向を探って、シオンに情報を回した。」
「知っていたのならなぜ言わなかったの」と振り向くセシリアの視線に、シオンは気まずそうに目を逸らす。
シオン自身、イーリアの存在までは知らなかったものの、内通者がナタリーである事をセシリアへ打ち明けないでいる後ろめたさは確かに感じていた。だが、セシリアにナタリーの存在を明かさない事は、ナタリーからの要請だった。
するとノアが口元を上品に拭きながら、ずっと感じていた疑問を口にする。
「どうしてセシリアさんや私達四賢聖へ助けを求めなかったのですか?それに、ナタリーさんが敵の手の内であれば、真っ先にグラソンへ襲いかかりそうですが。」
「敵は人間が敵うような相手じゃ無い。討ち滅ぼす為には確実な手段が必要だった。それが分かるまで不用意にリスクを冒すのは避けたかっただけよ。」
「ナタリーさんが守って下さっていたんですね。グラソン魔法学園を。」
だがナタリーは俯くと、腕を組み「どうでしょう」とだけ呟いて、険しい表情で口を開いた。
「とてもでは無いけど、守れたと言えるような状況では無いわね。」
その言葉に一気に部屋中に重たい空気が立ち込める。
「今朝、貴方達がイーリアの元へ向かったのと同じタイミングで、リー教徒を始めとするガイアの眷属達が一斉に遠征中のグラソン学園の生徒を襲ったわ。」
「そんなっ!?」
ハルは一気に血の気が下がり、思わず卓上へ手をついて身を乗り出した。グラソン学園の生徒、当然その中にはリア達も含まれている。
「無事なんですか!?皆は!?」
「一部の生徒は何とか逃れ、近隣の村へ保護されたわ。でも半数近い生徒は捕まり、ガイアの元へと連れて行かれた。」
「何の為に!?」
「一つは裏切った私への当て付けね。もう一つは咎人を増やす為。ガイアの目的はこの世界から人間を滅ぼす事。その為に彼女は悪魔を生み出し、長きに渡って悪魔の眷属、つまり
「・・・それが近年増えている失踪者。」
腕を組みながらセシリアが呟く。ナタリーはより一層表情を険しくして話を続けた。
「そうよ。悪魔にも位がある。貴方達も出会ったでしょ。イザベルやクリアナの様に高位の悪魔の咎人を作り出す為にはそれなりの器が必要よ。その為に何人もの人間が犠牲になった。」
「酷い・・・」
ナタリーは「でも」と言って顔を上げる。
「これ以上、犠牲者は増やさせない。咎人にする為には少なくとも1週間は時間がかかる筈。その間に戦力を集めて本拠地に乗り込む。それが私達の最終決戦よ。だからクロノス、他の神々の居場所を教えて。」
するとクロノスは「最初からそのつもりだよ」と言って片手を上げる。たちまち卓上の中心、空中がほんのり緑色に輝き、走り書きの様に文字が宙を踊り出した。
「これが僕の知る限りの神々の場所だ。けど残念ながらレーテはいないと思った方が良いね。恐らくガイアと共に僕達の前に現れるだろう。当然敵として。」
その文字を眺めていたオーネットが、ハッとした表情を浮かべると、いつになく真剣な表情で言う。
「悪いが、テミスとやらは私に行かせては貰えないか。ここは思い入れのある場所なんだ。」
「そうだろう。君には曰く付きの場所に思える。」
するとじっと文字を見上げていたシオンが眉を寄せて口を開いた。
「テミスとかいう奴は構わねぇが、残りの三体はそれぞれの校内か。特にメティスって奴のいる所は随分厄介そうじゃねぇか?」
「・・・リューグル。」
メティスという名の下で指し示されるその場所は、三校の内の一つ、リューグル魔法学院のど真ん中である。その場所に、ナタリーは顎に手をあてて悩ましげに言った。
「だけど人工的な咎人化の研究にもリューグルは深く関わっていたわ。当然一筋縄ではいかないでしょうね。」
「でもリューグルはどの神よりも先に押さえておいた方が良いと思うよ。そこで眠るメティスは叡智の神。彼女を味方につけられれば、格段に戦いやすくなる筈だ。変わってるけど良い奴だよ。」
叡智の神。その力を味方につける事ができれば、敵のまだ知り得ない情報も知る事ができる。クロノスの言葉に、セシリアは立ち上がって言った。
「まずはリューグルへ総員で奇襲を仕掛ける。出発は明日の朝。ずっと仕掛けられてばかりだっけど、ここからは反撃よ。」
セシリアの提案に、一同は力強く頷く。
徐々に明らかとなっていく敵の全貌。これ以上蹂躙されてばかりではいられない。強い決意を胸に、ハルは拳を握り締めるのだった。
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