43 少女と神話の神々(3)
創造神と人間との間の子ども。
それは死という概念が無く、子を成す必要も無い神々にとっては前代未聞のものであった。
しかしながら叡智の神メティスの推測通りか、はたまた幸運の女神アテナの導きか、新しい命は確かにグラソンに宿った。
そうして産まれた赤子に、グラソンとガイアは「イーリア」と名付けた。
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「グラソン、もう仕事に復帰するのですか?まだ体力は戻っていませんし、人間の出産は母体への負担も大きいんですよ?」
「また西の方で大きな戦争が起きた。これ以上休んではいられないわ。」
よろけながらクローゼットへと向かうグラソンを、ガイアが優しく嗜める。
「最近の争いの多くはアモルの蒔いた種が原因です。メティスやクロノスが火消しに走っていますし、せめてイーリアが1歳になるまでは休んだらいかがですか。かけがえのない、あなたの子なのですから。」
そう言うとガイアはベッドに寝かされているイーリアをそっと抱きかかえた。イーリアはきょろきょろと目を動かしながら、じっとガイアの胸に抱かれている。その様子にグラソンは目を細めると、イーリアのぷっくりとした柔らかい頬をそっと撫でた。
「・・・ガイアにそっくりね。耳の形も、緑色の瞳も。」
「ふふ、髪の色はグラソンに似て美しい黒髪になりそうですね。」
イーリアはガイアに抱かれたまま、透き通った瞳にグラソンの姿を映している。
「ねえ、ガイアにも子供の頃ってあったの?」
「どうでしょうか。私は生み出された時から、すでにこの姿でしたから。アテナやテミス達も、産まれた時からあの姿のままなんですよ。性格は多少変わりましたが。」
イーリアが撫でるグラソンの指をぎゅっと握るが、その力はあまりにも弱く、少し力を入れればひしゃげてしまいそうな程儚い。
「私もこれくらいの時、こうしてあなたに抱きしめられていたのね。」
「懐かしいですね。グラソンをあの森で見つけた時は、まだ本当に小さかったですから。」
「そう・・・そうね、せめてもう少し傍にいてあげた方がいいわね。あなたがそうしてくれたように。」
グラソンがそう言って微笑みかけると、イーリアは嬉しそうに笑い声をあげるのだった。
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やがて何度も季節が移り変わり、あっという間にイーリアは5歳になった。
数年前から経営を再開した診療所にはまた多くの病人・怪我人が訪れる様になり、休院前と変わらない程の賑わいを取り戻すどころか、むしろ以前よりも来院する患者は増えていた。イーリアは初めの頃はクロノス達に預けられていたが、いつしか忙しく動き回るグラソンを、幼いながらも一生懸命手伝うようになっていた。
慌ただしくも、充実した日々。変わり映えしない日々ではあったものの、その平穏さこそが連日怪我人や病人への対応に追われる日々において、何よりもグラソンの心の支えになっていた。
「グラソン、ププリさんがまた来てるんだけど、呼んでもいーい?」
「はーい大丈夫よ!」
イーリアの声にグラソンがそう答えると、すぐにふくよかな女性ププリが汗をかきながら診察室に入って来た。その姿は5年前と殆ど変わっていないが、ほんの少し痩せた様にも見える。
「ごめんなさい〜特に怪我をしたって訳じゃないんだけど、渡したいものがあって。お昼はまだかしら?もし良かったらこれ、私の村で取れた野菜を使ったサンドイッチよ。イーリアちゃんと召し上がってちょうだい。」
「いつもすみません、ありがとうございます。ほらイーリア、サンドイッチだって!」
「やったーーー!」
ププリが鞄の中から差し出した赤い布の包みの中には、丁度二人分のサンドイッチが綺麗に包まれていた。
「いいのいいの、いつもお世話になってるから。それじゃあ私は失礼するわね。」
「またいらして下さいね。」
そう言うとププリは鞄を持ち、そそくさと診察室を出て行った。
「ふふ、ププリさんが今では一番の常連さんね。最近は怪我も減ったみたいで良かった。」
グラソンはそう言って包みを開き、サンドイッチを一つイーリアに手渡す。そして自身もまた、ふわふわのサンドイッチに口をつけたのだった。
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「なぜ宗教や肌の色の違いでこうも人間は争うのでしょうか・・・」
「僕にもわからないよ。でもどうしても人間は内と外を分けたがる。善悪、上下、何もかも線を引いて白黒つけたがるからね。僕達から見れば一つの生き物に過ぎないのに。」
「本当に理解できない生き物だぜ。」
ガイアとクロノス、そしてレーテは広がる森の遥か上空を飛んでいた。その背後ではあちらこちらからもくもくと黒煙が上がっている。
「今回の戦いは特に酷いものでした。私達が手を下すのが数時間遅れていれば、この森の大半は失われていたでしょう。」
「どんどん使う武器も殺傷能力が上がっているからね。それだけ文明が進歩してるって事ではあるけど。」
基本的に神は人間を始め、いかなる生き物の営みにも介入しない。それは強大すぎるその力によって、この世界の均衡を容易に傾けてしまう為でもあった。だがそれでも、近年の人間同士の小競り合いには目に余るものがあり、その力を行使する頻度も少しずつだが増えている。
「レーテに人々の記憶を塗り替えて貰いましたし、一先ずこれでしばらくは落ち着くでしょう。」
「そうだね・・・ん、なんだろう?」
飛んでいる先に、クロノスが何か倒れた人影の様なものを見つける。
「行き倒れか?でもあのあたりなら確か、グラソンの・・・」
「イーリア!!!!!」
クロノスがそう言いかけた瞬間、ガイアが音速で飛び立ち、倒れた少女を抱き起こす。
「イーリア!?どうしたの!?グラソンは!?」
「・・・グラ、ソンが、、たす、け、て」
それだけ言って意識を失うイーリアに、ガイアの中に恐ろしく嫌な予感が広がる。
(グラソンはどこ?まだ診療所?それならなぜイーリアだけが…)
イーリアを抱きかかえたまま、ガイアは道の先にある筈のグラソンの診療所に向かって一直線に飛んだ。
(大丈夫。大丈夫よ。きっといつも通りまだ診察してる筈だわ。)
早まる心臓の鼓動に、ガイアは必死でそう自分自身に言い聞かせるも、鼻につくのは焦げ臭い匂いと生臭い異臭。
(大丈夫、きっと大丈夫よね。お願いだから無事でいて、グラソン。)
そして辿り着いた見慣れた診療所。
だがその扉は乱暴に破壊され、一部分の壁に至っては部屋の中が見えるほどまで崩壊していた。
そして辺りに血を流して倒れている、患者と思われる人間や働いていた修道女達の山の様な亡骸。
そのあちらこちらには、明らかに殺意を持ってつけられたのであろう剣や斧の傷がはっきりと残っていた。
「嘘、嘘よ・・・そんな・・・」
そして、更にその奥。
最も診療所の近くにある黒い塊。
恐らく患者や修道女達を最後まで逃がそうとし、逃げる事すら出来なかったのだろう。
幾つもの槍が突き刺さり、真っ黒に焼かれた人間の形をした様なものが、仰向けに倒れていた。
人間の死体なら飽きるほど見てきた。
だが、その黒焦げの遺体の胸元には、輝く様に凍ったままの四葉のクローバーが、焦げも溶けもせずに献花の様に乗せられていた。
それは、間違いなく仕事中いつもグラソンが胸ポケットに入れていた、ガイアの作った氷のクローバーだった。
「ああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
ガイアの叫びに呼応する様に崩れた壁の奥で、微笑んだままのガイアとグラソンの絵が破れ落ちた。
ーーーその後、世界は混沌に包まれた。
憎しみと復讐に荒れ狂った一人の邪神によって、一瞬にしてその大半が炎と氷に包まれたのである。
やがて長き戦いの末、7人の神々によって邪神が封印される頃には、二つの大陸が海に沈み、五つの山が消し去られた。
そして残った神々もまた力を使い果たし、ある神は哀しみ、またある神は人間を恨みながら眠りについたのだった。
「・・・雪、降り止まないね。」
「そうだね。でもきっともうすぐ降り止むよ。寒くないか?イーリア。」
「クロノスがいれば大丈夫だよ。」
「・・・・・そうか。」
遮るものの無い広大な地に降り積もる雪。
その中を、二人の足跡がどこまでも続いていた。
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「私の母グラソンには、多くの村からその魔力を我が物にしたいと申し出が来ていたわ。ここからは憶測だけど、恐らくププリという女性はその内の一つの村の差し金だった。きっとその力が他の村のものになる事を恐れた者が、グラソンの暗殺を目論んだのね。私もろとも。」
今こうして緑豊かに広がっている世界が、ほんの数千年前に一度滅びかけていた事など、とてもでは無いが信じられる話ではない。
だがイーリアの瞳に浮かぶ深い哀しみの色が、その口から語られた壮大な物語が作り話等では無い事を物語っていた。
「幸い、しばらくはクロノスが眠りにつかずに側にいてくれた。だから私は荒野になった大地を巡り、生き残りの人間を探したの。」
「・・・一体何の為に?」
ハルの問いかけに答えたのはクロノスだった。
「僕の力は時間の流れを掌握し、未来を見る力。ガイアは封印されたものの必ずまた力を取り戻す時が来る。それに備えたんだ。またこの豊かな自然を更地にされるのはごめんだからね。」
「そうして作られたのが、グラソン魔法学園・・・」
セシリアの呟きに、イーリアが優しく微笑む。
「その通りよ。もちろん昔はそんな大層な名前じゃなかったけどね。私はクロノスの力と共に、三つの種を蒔いた。一つはガイアの力に対抗できる魔法師の育成。恐らくガイアが以前の力を取り戻すのには途方も無い時間がかかる。だからきっと最初に、長い時間をかけて徐々に人間の心を支配していく筈。」
「なるほど。その為の四賢聖か。」
イーリアはオーネットの方を見て頷いた。
「そうよ。何としてでもこの施設だけは、いかなる権力にも屈しない必要があった。」
「それなら何故、ガイアの存在を隠していたのだ?」
「最初は正しく伝承されていたわ。だけど途中から人々の記憶から綺麗にガイアの存在が忘れ去られた。恐らくレーテの仕業ね。でも、それでも構わなかった。いつか必ず、自力でこの世界の真相に辿り着く人が現れる。」
「それが私達?」
するとイーリアは首を横に振り、チラッとセシリアの方を見て言った。
「いいえ、貴方達の前にも一人先客がいたわ。もうすぐここへ貴方達を迎えに来る筈よ。」
「他にもいるのね、この事実を知ってる人間が・・・」
セシリアがそう言うと、イーリアが頷く。
「教育機関を作った後は、クロノスへの扉を開く空間魔法を伝承させた。そしてアモルと出会う少女が生まれるこの地に、私の思念体を残した。全ての力が一つになる様にその少女、ハルを導く為に。私に出来た事はそれだけよ。」
コンコンコンッ
そこまで話し終えたタイミングで、頃合いを見計らったかの様に家の扉が叩かれる。
「・・・迎えが来た様ね。私が貴方達に伝えられる事はこれくらい。この世界を守りたいのなら、残った神々の力をかき集め、ガイアの元へと向かいなさい。一日一日とその力は増しているわ。」
「イーリアは恨んでないの?人間達の事・・・」
ハルの質問に、イーリアはすっと目を細めると優しく、だがはっきりと答えた。
「恨んでない、と言えば嘘になる。私の母親を奪ったのだもの。でも恨みで世界は変えられない。私は母、グラソンが守りたかったものを守りたい。貴方の様な心優しい人間を。きっとその先で、邪神となったガイアも救えるはず。」
そう言ってイーリアは立ち上がると、部屋の扉のドアノブに手をかけた。
「他の神々が眠る場所はクロノスに聞いて。彼らの力無しでガイアに抗うのは不可能よ。そして、ガイアの居場所はこの扉の向こうにいる彼女に聞きなさい。その場所、リー教の教祖への鍵は彼女に渡してあるわ。」
そしてゆっくりと開かれる扉。その先には洗練された装いの、齢40程の女性が立っていた。
女性はショートヘアの青い髪を耳にかけると、鋭い視線を部屋の中へ向けて言う。
「はじめまして。魔法部のナタリーよ。それと久しぶりね、セシリア。」
「・・・お母様!?」
そこに立っていたのは魔法部最高の権力者にして、セシリアの母親、ナタリー=セントリンゼルトだった。
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