42 少女と神話の神々(2)
「皆さんにご報告させて下さい。私、人間の世界で暮らしたいと思います。ガイアと。」
グラソンの突然の申し出に、一番最初に声を上げたのはアテナだった。
「グラソンが人間社会に戻るのは分かる。最初からその予定だった。でもガイアはなぜ。」
怪訝そうに眉を顰めるアテナにガイアが答える。
「未来に起こりうる災いへの備えです。そうですね、クロノス。」
「そうだ。」
ガイアの言葉に頷くクロノスの顔つきは、どこかいつもよりも暗い。
「僕の予言は絶対ではないし、何でも見える訳でもない。あくまで見えているのは最も起こる可能性が高い未来のうちの一つ。先になればなる程その精度は落ち、見える未来も変わっていく。それなのにここ数十年、ずっと変わらず見えている一つの未来がある。」
クロノスが円卓の中央に手を翳す。すると忽ちそこには水が集まり、球体となってその中に広大な大地を映し出す。そこには森が広がり、豊かな自然と動物達が営みを育んでいた。
「この先のいつかの未来で、人間は神をも殺さんと反乱を起こす。そして争いによって幾つもの山が消え去り、川は枯れ果て、幾万の命が失われるだろう。やがて神々は争いに疲れ、長きに渡る眠りにつく。それが僕に見える未来。」
クロノスがそう言うと、広がっていた大地は真っ赤に燃え上がり、ボロボロと崩れていった。クロノスは話し続ける。
「人間がなぜ反乱を起こすのか。どれ程先の未来なのか。人間に山を根こそぎひっくり返す程の力が果たしてあるのか。疑問は尽きない。でももし、人間が本当にそれ程の力を持っているのだとすれば、より詳細に監視しておくに越した事は無い。」
人間達が使用する魔法はレベルが低く、武器と言っても切れ味の悪い銅の剣や木製の弓矢程度だ。仮にこの未来が回避できないのだとすれば、それはずっと先の未来だろう、そうクロノスは分析していた。
すると黙って頷いていたテミスが、白く長い髪を弄りながら口を開く。
「ほほう。話は分かった。確かにここ最近の人間は争いが絶えず、どうもきな臭い。だがガイアのその選択すら、破滅の未来に続く一歩となる可能性も考えられるな。」
「その可能性も考えました。ですが恐らく、どちらの選択をしても未来は変わらないと考えるのが自然です。それならば最小限に被害を食い止められる様、備える方が良いと判断しました。」
するとアテナの厳しい声が割って入る。
「私は反対。仮にクロノスの見る未来が事実なら、この世界から善良では無い人間を全員消し去ってしまえば良い。そうすれば人間の身勝手な行動で、多くの自然や命が犠牲になる事もない。」
「うふふふ、うふうふ、アテナったら、ガイアが居なくなるからって嫉妬してるのねぇ〜〜かわいいわぁ〜〜。でも、悪い人間と良い人間、どうやって見分けるのかしらぁ?」
「それは・・・」
アテナが答えに窮していると、ガイアが諭す様に言った。
「アテナの言いたい事は分かります。確かにクロノスの予言が事実なのであれば、人間はどこまでも愚かです。ですが、きっとそんな人間ばかりでは無いはず。私は諦めたくありません。グラソンの様に心優しく善良な人間も多くいると。そしてもし、本当に人間が神さえも殺そうとするのであれば、その時はこの美しい自然が失われる前に、止めるしかありません。」
その言葉に、アテナも押し黙る。納得がいった訳では無いが、ガイアの願いを断れるほどの理由は思い浮かばなかった。
そして流れる重苦しい雰囲気を割る様にグラソンが声をあげる。
「それに私、人間の世界に回復魔法を施せる施設を作りたいんです!」
「・・・ほほう。それはつまり、病院を作るという事か。」
「はい。大きな村には既にあるそうですが、一部の人しかその恩恵を享受できていないと聞きます。どこの村の人でも通える施設を作って、人々の痛みや苦しみを少しでも和らげたいです。」
グラソンはこれまで村々を周り、多くの苦しむ人間を見て来た。中には膿んだ傷に弱々しく呻く事すらできない村人がいるにも関わらず、「彼らの治療は不要だ」とただの骨折しかしていない裕福そうな家に連れて行かれた事もある。グラソンが施設を作ることで何かが変わるとは限らない。それでも、行動を起こさずにはいられなかった。
「私はいいと思うぜ。」
そう言ったのは、机の上に足を乗せた粗暴を絵に描いたような態度のレーテだった。
「もし、変な真似しようとする奴がいるなら、そいつらの記憶全部消し去ってやるよ。」
「レーテ、それではアテナと言ってることが同じなのだ。」
「うるせぇ!とにかくグラソンが新しい事やりたいって言ってんだ!応援してやるのが筋だろ。ガイアが付いて行けば尚安心じゃねぇか。」
「レーテは随分グラソンに甘いのだ。でも、メティスもレーテと同じ意見なのだ。」
メティスがそう言うとグラソンは「ありがとう」と言って微笑んだ。そしてアテナの方を向く。
「アテナ、だめかな?」
「・・・・・ガイアがそれで良いなら、グラソンの好きにしたら良い。」
「ふふ、ありがとう。アテナ。」
こうしてグラソンは、ガイアと共に18年間過ごした崖の上の神々の地を離れ、人里近くで暮らす事となった。
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「さ、ガイア!これからきっと忙しくなるわ!たくさんアテナ達にお土産話を聞かせなきゃね!」
「そうですね。徐々に人間達との交流を増やしていきましょう。」
ここはいくつかの村へと繋がる比較的整備された道沿い。そのひらけた場所に、グラソンは一件の青い屋根の家を建てていた。
ガイアが家の前で片手を上げると、入り口の扉の横に木製の板が立てかかる。
『グラソン診療所』
「私は直接手を貸すことはできません。ですがきっとグラソンなら、人々の心安らぐ、素敵な場所を作ることが出来るでしょう。」
「そうね、ガイアが側にいてくれるだけで心強いわ。」
そう言ってグラソンはガイアの手をぎゅっと握る。するとガイアは優しく微笑み、グラソンの頭をそっと撫でた。
「あんなに小さかったのに、あっという間にこんなに大きくなったんですね。」
「もう、子ども扱いばっかりして!」
不意にグラソンが頭を撫でていたガイアの腕を掴んで引き寄せ、その頬に口付ける。
「ちょ、ちょっとグラソン!?」
真っ赤になるガイアに、グラソンは悪戯っぽく笑った。
「ふふ、私もいつまでも子どもじゃないんだから。」
「さてはアモルの入れ知恵ですね!」
「あはは、今度アモルに会ったらお礼を言わなきゃ。可愛いガイアが見れたって。」
こうしてグラソンの回復魔法師としての診療所経営生活と、女神と少女の人間社会での共同生活が始まったのだった。
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「グラソンさーん。お手紙でーす。」
「アルバ受け取っておいてー!」
「グラソンさん、またププリさんがいらっしゃってますー」
「わかったわ!ちょっと待っていてもらって!」
「今日の分の薬草が届いてますよー!」
「はいはーい!」
グラソン診療所の経営は、最初こそ村々を放浪する旅人や好奇心の強い村人しか訪れなかったが、その回復魔法の便利さとボランティアとも言える負担の少なさ、そして裏表のないグラソンの人柄に、忽ち訪れる患者は増えていった。
そして開院から3年も経つ頃には施設は拡張され、数人の修道女が忙しなく働く立派な施設となっていた。
「どう?あそこに飾ってある青い花、見える?」
「ありがとうございますグラソン様。再びまた物が見える様になるなんて、なんとお礼を言ったらいいか。」
「お礼なんていいよいいよ。それより、これから顔を洗う時はちゃんと綺麗な水で洗うのよ。もし違和感があったらすぐにまた来てね。」
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
グラソンはそう言って腰の曲がった老婆を見送ると、修道女に声をかける。
「ププリさんを呼んで貰えるかしら。」
「はーい」
やがて足を軽く引きずるようにして診察室に入って来たのは、40歳近い小柄で少しふくよかな女性だった。
「グラソンさん、すみませんまた来てしまって。」
「ここは診療所ですから何回来たって良いんですよ。少ないに越したことはありませんが。それで、今日はどうなさいました?」
「実は先週から右の足首が痛いのよ。」
「外傷でしょうか、思い当たることはありますか?」
「この間山道で転んだから、その時かしら。」
「少し見させてください。」
グラソンがププリの長いスカートをほんの少したくし上げると、紫色に変色した足首が露わになる。
「腫れていますね。魔法で痛みは取り除きますが、無理矢理全て治すと筋肉や関節に負担がかかります。なので魔法薬をお出ししますから、それを飲んで数日は安静になさって下さい。」
「いつも悪いわねぇ。」
グラソンの手がほんのり淡く輝き、ププリの腫れた足首をそっと包み込んだ。
「ププリさんは本当に怪我が絶えませんね。」
「おっちょこちょいなのよ。この診療所が私の村にあれば良いのに・・・グラソンさん、私の村に引っ越してくるつもりはない?」
「以前にも言いましたが、私はどこかの村の専任魔法師になるつもりはありません。こうしてのんびりやる方が性に合っていますから。さ、終わりましたよ。ちゃんと安静にしていて下さいね。」
ププリは立ち上がると「残念ねぇ」と言って診察室を後にする。その姿を見送って、グラソンは大きく伸びをした。
「はぁ〜やっとお昼だ〜」
「お疲れ様です。グラソン。」
そう言ってグラソンの隣に姿を現すガイア。
「ガイアもう戻って来てたんだ。」
「ええ。最近はアモルとレーテの悪ふざけも減っていますから。タナトスの癇癪も減りましたし。それより最近は病人より怪我人の数が多いですね。」
「そうそう、そうなんだよ。争いは減るどころか増える一方。さっきみたいに村専属の回復魔法師になって欲しいって言ってくる人もいるくらい。」
「嫌になりますか?」
ガイアの質問に、グラソンは首を振った。
「いや、むしろ怖くなるよ。私がこの道を選んでいなかったら、何人もの人が命を落として、苦しんでた。それはつまり、私が今こうしている事で、別のだれかが命を落としている事でもある。もちろんイフの話だから、そんな事考えたってどうしようも無いんだけどね。」
「そうですね。ですがきっとここに訪れる人は皆、グラソンに心から感謝していますよ。それだけは事実です。」
グラソンが甘えるようにガイアにもたれかかる。
「はぁ〜さらっとそういうこと言っちゃう所、好きだなぁ。」
「ふふ、私もグラソンの事大切に思っていますよ。」
「もう!そうじゃないでしょ!」
「はいはい。好きですよ、グラソン。」
そう言ってガイアはグラソンの額にキスを落とす。
その言葉に満足したのか、グラソンは幸せそうに笑ってガイアを見上げた。
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「ガイア。私、子供が欲しいの。」
「は、はい!?」
その発言は突然の事だった。
夕食後、ベッドで寝転んでいるグラソンを片目で見ながらガイアが本を読んでいると、急に飛び起きたグラソンがそう言い出したのだ。
「子供が欲しいのなら、まずは相手を探さなくては・・・」
「違うの!私、ガイアとの子どもが欲しいの!」
その言葉に、ガイアは頭痛を抑える様に片手を頭にあてた。
(いつかそう言い出す気はしていましたが、思ったよりも早かったですね・・・)
ガイアはグラソンの隣に腰掛けると、困った様な表情で言う。
「気持ちは嬉しいですが、私は神でグラソンは人間です。神と人間が子どもを作るなんて事、聞いたことも無いですよ。」
「そんなの分からないじゃない!メティスは理論上はできるって言ってた!テミスもアテナも!」
「いつの間に皆に聞いていたんですか・・・」
「試してみるだけならいいでしょ!」と一歩も引かないグラソンに、ガイアは渋々頷いた。
「まあメティス達がそう言うなら危険性も無いでしょうし、試すくらいはいいでしょう。ですが一回だけですよ?」
「ほ、本当!?」
そう言ってなぜか急に押し黙るグラソンに、ガイアが首をかしげる。
「グラソン?」
「え!?い、いや、なんか言い出したのは私だけど、いざそうなると、なんか急に緊張しちゃって・・・ごめん、でも神様なら普通の事だよね!」
「ちょ、ちょっとグラソン?!何してるの?!」
そう言っていきなり服を脱ぎ出すグラソンに、ガイアが慌ててその手を引き止める。すでにグラソンは着ていたシャツもスカートも脱ぎ、下着姿になっていた。
「え?だって子ども作るんでしょ?」
「そうですが、その為になぜ服を脱ぐのですか!?」
「だってそうしないと子どもは作れないってアモルが・・・」
そこまで言ってグラソンとガイアが顔を見合わせハッとする。そのタイミングを見計らった様に部屋の窓がノックされ、そこからひょっこり顔を覗かせる事の犯人、アモル。
部屋の中の二人の様子に、アモルは窓枠に腰掛けてこの上なく愉快そうな笑みを浮かべると言った。
「うふうふうふ、いつもお堅いガイアに私からのプレゼントよぉ〜〜〜私の力で、たっぷりキモチイイコトしないと、魔力が渡らない様にしてあげたの。つ・ま・り、セックスしないとグラソンとの子どもは出来ないってコト♡もちろん、グラソンだけじゃなく世界中の皆にそうしてあげたから、うふふふうふ、世界中が快感を求めて乱れに乱れるわぁ〜〜〜」
「!?」
言葉も出ずに唖然とするグラソンに、ガイアが珍しくきつい口調でアモルに言う。
「アモル。悪戯にしてはやり過ぎです。今すぐ世界を戻しなさい。」
「うふうふうふ、そう言うと思ったわ〜〜でもでもでも、無理なのよ〜。だってテミスにこの世界の理を書き換えて貰ったんですもの〜〜」
「テミスまで巻き込んだのですか!?」
「あらぁ、テミスは結構乗り気だったわよぉ?うふふふうふ、テミスはむっつりだからぁ。あはあは、それとこれも奥手なガイアへのサービスよ〜〜」
そう言ってアモルがグラソンに向けて指を弾くと、ピンク色の光の矢がグラソンの胸を射抜き、一瞬にして消える。
「心配はしてないけど、ちゃんと可愛がってあげないとグラソン、死んじゃうわよ〜〜」
「待ちなさいっ!」
アモルは言いたいことだけ言うと、煙の様に姿を消した。恐らく崖の上の神々の住処に戻ったのだろう。本当は今すぐにでも追ってその悪行を全て吐き出させ、早急に手を打ちたいガイアであったが、背後からがくっと床に膝をつく音がして振り返る。
「グラソン!?」
「ガイア・・・っ」
そこではグラソンが、苦しげに息を吐きながら跪いていた。アモルが最後にグラソンに放った弓矢。ガイアの中に悪い予感が広がる。
「体が、熱くて苦しい・・・っ」
(アモル・・・帰ったらただじゃ置きませんからね。)
そう思いながら、一先ずグラソンをベッドに寝かせようと腕を伸ばしたガイアだったが、その腕はグラソンにしがみつかれ、思わず顔を上げてグラソンの潤んだ瞳を見てしまった。そしてその瞬間に、目を合わせなければ良かったと悟るガイアであったが、時すでに遅く、
「ガイア、お願い・・・私を抱いて。」
熱い吐息と掠れた声。強く香る甘い匂い。そして扇情的な表情と、露わになっている真っ白な太ももや鎖骨に、思わずゴクリと唾を飲み込み、今まで感じた事の無い感情が自身の中に激しく湧き上がるのを感じる。
(ダメよ。落ち着きなさい。私はガイア。このままではアモルの思う壺です。)
そう念じて必死に理性を保とうとしたガイアであったが、
「・・・私を、全部ガイアのものにして?」
グラソンのその一言に、この世界の創造神の理性はあっけなく崩れ去ったのだった。
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