41 少女と神話の神々(1)

 



 ここは人間の住む村から遠く離れた森の中。

 空高く登った満月に照らされた太い木の幹。その根本には石で造られた腰の高さ程の祠があった。

 数人の白い装束を身に纏った人々が祠を取り囲み、その内の1人が祠の前に白い包みを置いて跪くと、呟く。


「戦神様。どうかあの憎きヒビ族に正義の鉄槌を、我らに勝利を。」


 そして何度か両手を地に着け頭を下げると、ぞろぞろと足早に立ち去って行った。


「アテナ、ご指名だぞ?すごいな、今月に入ってもう5回目じゃないか?」

「うるさい。そんな事よりあの包みは何。」


 おちょくる様に言うクロノスに、アテナと呼ばれたオレンジ色の髪の女性が不機嫌そうに答える。

 すると別の女性が白い包みに駆け寄り、振り返って叫んだ。


「アテナ!クロノス!大変、これ人間の赤子ですよ!」


 その言葉に遠くから眺めていたクロノスとアテナがギョッとする。


「ついに赤子まで生贄にするなんてよっぽどみたいだな。」

「信じられない。」

「ガイア!とりあえず一旦こっちに連れてこい!」


 クロノスの言葉にガイアは白い包みをそっと抱き上げると、落とさぬ様に小走りで戻ってきた。


「うわ、本当に赤子じゃん。まだ生きてる。これ目は見えてるのか?」

「見えてても私たちには関係無い。どうせ見えないもの。」


 ガイアに抱きかかえられた赤子を覗き込みながら、クロノスとアテナが囁き合う。

 クロノス達の姿は、実体化させようとすれば当然人間にもその姿を見る事が出来るが、そうでもしない限りまず見られる事は無い。だが、


「エッエッ、エギャァァァ」

「うわ泣き出した!どうする!?」

「村へ返す?でも生贄を村に返してもまた死に損ないとか言って殺される。」


 困惑するクロノスとアテナ。そんな二人を前に、ガイアは抱えた赤子を優しくあやす様に揺すった。


「いい子いい子。もう大丈夫よ。大丈夫。」


 やがて収まる赤子の泣き声と、じっとガイアを見つめる赤子。


「・・・ガイア、君まさか実体化したの?」


 クロノスの問いかけに、ガイアは困った様に笑って答えた。


「ええ。このまま返してもアテナの言う様に殺されるだけですから。置いていく訳にもいきませんし、一人で生きられるまでは預かるしか無いでしょう。」

「本気で育てるつもり!?魔獣ならまだしも人間だよ!?」

「分かってます。ですが見捨てる訳にはいきません。」


 慈しむ様に腕の中の赤子を見つめるガイアに、クロノスは怪訝そうな表情を浮かべる。


「人間と関わりを持つと、碌な未来にならないよ?僕の力がそう言ってる。」


 だが、意外にもアテナもガイアに味方した。


「でも確かにここで見捨てれば私たちが殺したも同然。」

「うーん、それはそうだけど・・・」


 尚も眉を顰めるクロノスに、ガイアが優しげに微笑む。


「大丈夫ですよクロノス。この世界には善良な人間も多くいます。悪い道に染まらない様、私達が育てれば良いんです。この子の名前は・・・そうですね。グラソン、とでも名付けましょうか。」


 この出会いが、全ての始まりであった。




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 ガイアが保護した少女は正式にグラソンと名付けられ、四方を崖と川によって断絶された地で神々によって大切に育てられる事となった。


「アモル!また変な事をグラソンに教えましたね!?」

「うふうふうふ、ガイアってばウブねぇ〜」


 そう言ってガイアから飛び回る様に逃げるアモルを、アテナが呆れた顔で捕まえる。


「アテナ!二対一なんて卑怯よ!」

「アモル。今度はグラソンに一体何をしたの。」


 冷たい視線を向けるアテナから逃れようと暴れるアモルだったが、そこに5歳程の黒髪の少女が駆け寄った。


「あー!アテナがアモルをいじめてるー!」

「違うグラソン。これはいじめじゃない。そんな事よりアモルに何を教わったの?」

「えっとね、アテナとガイアママと私を、さんかくかんけーって言うんだって!」


 グラソンの口から放たれた言葉に、アテナが無言でアモルの体に何度も剣を突き刺した。


 ブスブスブスッ


「痛い痛い!あっでもなんか気持ちよくなってきたわぁ!」

「(イラッ)」




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 グラソンは健やかに成長し、やがて8歳になった。


「あら、珍しいですね。メティスが外にいるなんて。」

「たまには自分の目で世界を見ようとしたら、この有様なのだ。」


 草花に囲まれる様にして座る少女にガイアが声をかけると、少女は振り返って困った様に笑った。その膝の上には、グラソンがスヤスヤと寝息を立てている。


「ごめんなさい。少し目を離した隙にいなくなったと思ったらこんな所にいたんですね。」

「寝る人間はよく育つらしいのだ。」


 起こそうとガイアがグラソンの頭を撫でると、薄く瞳が開く。


「んーガイア・・・」

「おはようございます。こんな所で寝ていると風邪を引いてしまいますよ。」

「あれ、寝てた?あ!そうだこれガイアにあげる!」


 そう言ってグラソンはガイアに何かを差し出す。


「これは?」

「四つ葉のクローバーって言うんだって!メティスが教えてくれたの。人間はこれを大切な人にプレゼントするそうよ。」

「そうですか、では貰う訳にはいきませんね。」

「どーして?」


 首をかしげるグラソンの手を両手で包み込む様に優しく握り、ガイアは微笑んだ。


「グラソンにはいずれ大切な人間が出来ます。これはその人にとっておいて下さいね。」


 そう言ってガイアの指先がグラソンの手に握られたクローバーに触れると、クローバーは忽ち凍てつき真っ白な輝きを放つ。


「うわーきれー!」

「ふふ、ドラゴンの息吹でもこの氷は溶けませんよ。」


 グラソンは宝石の様に煌くクローバーを大切そうに握ると、メティスに嬉しそうに見せた。


「メティス見て見て!キラキラしてる!」

「それは世界に一つだけのクローバーなのだ。私が言うからには間違い無いのだ。」

「本当!?嬉しい!」


 そう言って抱きつくグラソンを、ガイアはそっと抱きしめて返すのだった。




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「そろそろグラソンも10歳になる。遠巻きに人間の村を見せては来たけど、本格的に人間の世界に返す準備をした方がいいんじゃない?」


 アテナが遠くでメティスに魔法を教えてもらっているグラソンを見つめながら言った。その言葉にガイアは少し悲しげな表情で微笑む。


「そうですね。人間が生きる早さはこんなにも早いのですね。知りませんでした。」

「そうね。人間は私達と違ってせいぜい数十年しか生きられない生き物。にも関わらず、その僅かな間に憎しみ合い、罵り合い、同族でさえも殺す。」

「・・・アテナは人間が嫌いですか?」


 ガイアの問いかけに、アテナは無表情で答えた。


「嫌い。私利私欲の為に他人を蹴落とし、神に勝利を願う時だけ善良な振りをする人間が、私は嫌い。でも、グラソンは好き。」

「ふふ、そうですね。きっとグラソンの他にも、心優しい人間は沢山いますよ。」


 するとそれまで黙って隣で会話を聞いていたクロノスが口を挟む。


「もっと人間に慣れさせるなら、月に数回くらい修道女の振りでもしていくつかの村に交代で連れて行こうか。アモルとかレーテは連れて行かない方が良いけど、他の奴なら手伝ってくれるだろう。」

「そうですね。お願いしてみましょう。」

「全く、僕達は随分過保護な神様だな。」


 こうしてグラソンは度々、数名の神々付き添いのもと、村見学に繰り出す事になったのだった。




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「い、一回目から私の付き添いで良いのでしょうか・・・」

「大丈夫。ただ村に行って家々を回るだけだから。もし何かあれば私が村を消し去る。」

「アテナさん、そんな事しちゃダメですぅ」


 今にも泣きそうな表情を浮かべる長い髪の少女に、グラソンが元気一杯に声をかける。


「大丈夫だよ!タナトスは私が守るっ!」

「ううっグラソンさんっ」


 自信満々にフンスと鼻息を吐き出すグラソンに、タナトスとよばれた小さな少女が抱きついた。

 三人は今、紺色の膝下まであるローブを被り、片手にはそれぞれ分厚い本を持って山の中を歩いていた。メティス曰くこれが今流行りの修道女衣装らしい。


「村が見えてきた。まずは私が話をしてくるから、二人はここで待っていて。家々を回って回復魔法を施すのにも許可がいるらしい。」

「はーい!」

「はいですぅ!」


 二人が元気よく返事をすると、アテナは村の入り口を見張る様に立つ2人の男女に声をかけに行った。


「どーして病気を治すのにも、許可がいるのー?」

「人間にも色んな事情があるんでしょうか・・・」


 そうしてじっと待つ事数分、やがてアテナが戻って来る。だがその表情は心なしか苛立っている。


「あの村は部外者の訪問はお断りらしい。」

「ぶがいしゃー?」

「知らない人は危ないから、入れないって事。」

「ええーっ!」


 アテナの言葉に、グラソンが残念そうな表情を浮かべる。タナトスも悲しそうに呟いた。


「あの村では流行病で、何人もの人が苦しんでいるはずですぅ。何もできないで帰るなんて・・・」

「本来私達は人間に干渉するべきじゃない。放っておこう。」


 その後3人は他の村々を回ったものの断られ続け、5ヶ所目にしてようやくグラソンを直接人間達と交流させる事が出来たのだった。




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「ほほう、また村に行っていたのだな。グラソン。」


 更に時は流れ、グラソンは15歳になっていた。声をかけられたグラソンは机の上に鞄を下ろすと、椅子に腰掛け万年筆で何かを記す白い髪の女性に尋ねる。


「テミスただいま!あれ、ガイアとの話し合いは終わったの?」

「今さっき終わったところだよ。どうも最近は人間同士の争い事が増える一方だからね。私の力で縛りを与えようとしているのだよ。それよりどうだ?村は。馴染めそうか?」


 テミスの問いかけにグラソンは向かいの椅子に腰掛け、頬杖をつく。


「うーん、何となく村でのルールとか人間同士の繋がりとかは分かって来たけど、不思議な事があるの。」

「ほほう、どんな事だ?」


 テミスはそっと万年筆を置くと、興味深そうに顔を上げた。


「村の中で、私でも治せる様な病人や怪我人が大勢苦しんでいるのは、村の人達の魔力や知識が足りないからだと思ってた。でも最近気づいたんだけど、村には十分に魔力や知識を持った人もいる。」

「なのになぜ治療しないのか、という訳だな。」


 グラソンは黙ってこくりと頷いた。


「答えは単純だ。」


 テミスはそう言って再び万年筆を走らせながら続ける。


「ここには無いものが人間社会にはある。それが回復魔法を使えなくしているのだろう。」

「ここには無いもの?」

「人間の持つ嫉妬や恐怖、欺瞞や嘘、見栄などだ。」

「どういう意味・・・?」


 グラソンは首を傾げた。


「理由はその村、その人によって異なるだろう。例えば回復魔法の使用は一部の特権階級の人間にのみ制限されていたり、その使用自体を禁忌としている村もあるかもしれない。」

「どうしてそんな事を?」

「さあ。人間の考える事はいつになっても分からないものだな。ほら出来たぞ。」


 そう言うとテミスは一枚の紙をグラソンに渡す。


「くれるの?あっガイアと私!」


 渡された紙には微笑むガイアとグラソンの絵が描いてあった。


「嬉しい!やっぱりテミスは絵が上手ね。でも私、ちょっと太ったかな?」

「ほほう。人間が容姿を気にするのは恋をした時だとアモルが言っていたな。まあ相手は聞くまでも無いが。」

「ち、違うわよテミス!」


 怒った様にそう言いながらも、グラソンはその紙を大切に鞄へしまうのだった。




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 ある日、8人の神々達とグラソンはとある広い石の部屋に集まっていた。部屋には円形の机が置かれ、各々椅子に腰掛けている。


「レーテも出席しているなんて珍しいのだ。それにグラソンもいるなんて初めてなのだ。」

「ガイアに今日は出ろって言われたんだよ。しょーがないだろ。」

「会議に出席するのはこの世界を平定する者の当然の義務なのだ!」

「うるさいな頭でっかち。別にアモルみたいに変な事もしてないんだからいいだろ。」


 メティスの言葉に隣で不機嫌そうに座る少女が答えていると、それぞれの顔のほんの数ミリ隣に剣が2本突き刺さる。思わず固まり、身震いするメティスとレーテ。


「ガイアが話す。静かにして。」


 レーテの対角線上に座るアテナがそう言うと、ガイアが口を開いた。


「皆さん、集まって下さりありがとうございます。今日はグラソンの事で話をしたく、会議を招集させていただきました。グラソン、後は直接話しますか?」


 ガイアがそう言うと、隣に座るグラソンがこくりと頷いて口を開く。その場に集まった者達の視線がグラソンへと向けられた。


「皆さんにご報告なのですが、私、人間の世界で暮らしたいと思います。ガイアと。」



「「「 え? 」」」



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