40 少女と片道切符

 



 遥か昔。この世界にはどこまでも続く白い空間しか無かった。

 ある時そこに三柱の神が降り立ち、この世界を生み出した。


 万物に時の流れをもたらした神クロノス。

 大地を創造した神ガイア。

 生きとし生けるものに終わりをもたらす終末の神タナトス。


 やがて生み出された大地には時の流れと共に木々が生い茂り、陸や海には動物、魔獣そして人間が生まれ様々な文化を形成した。

 それから更に長い時が流れ人間が村を形成し始めた頃、増える争いと人々の願いによって新たに五柱の神が世界に降り立つ。


 この世全ての叡智を司る知の神メティス。

 万物に規律をもたらす法の神テミス。

 人々に愛を授ける性愛の神アモル。

 奇跡を生む幸運と勝利の神アテナ

 そして森羅万象の記憶を司る神レーテ。


 神々は人間と直接関わる事は無かったが、それでも人間は神々を尊び、神もまた全ての生き物の繁栄を願った。


 ある日、神々の前に一人の少女が現れるまではーーー




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 セモール村はリリアースから馬車で数日程の距離にある。一行は数時間でその距離を駆け抜けると、その後はハルの案内で森の中を歩いていた。


「確かこの辺りから修行に使っていた岩場になるはずなのですが、これは一体・・・」

「岩場と言うより、ただの森ね。」


 セシリアの言う通り、ハル達がいる場所から先にはただ同じ様に森が続くばかりで、とても岩場がある様な雰囲気では無い。


「近くに川が流れていたのですが、その気配も無いですね・・・」

「クロノス、まだレーテの記憶改竄の力が残ってる可能性も考えられる?」


 セシリアの質問に、捕まえた鳥を興味津々に観察していたクロノスが答えた。


「無いとは言えない。でも多分場所はここで合ってる筈だよ。クロエは違和感を感じないか?」

「んー確かに。」


 クロエはそう言うと、前方、道の左脇を指差した。


「なーんかあっちの方だけ異様に魔力が薄い感じしない?」


 クロエの言葉に、セシリアは眉を顰めながらクロエが指差す方へ近付く。


「確かに変ね。たまたまこの森には魔獣が少ないにしても、ここだけ全く魔力を感じない。まるで何かがわざと消し去ったかの様に。」


 セシリアはハルに「離れていて」と言い、右手を宙に翳した。


「グレジル」


 右手が青く輝いたと思うと、忽ち周囲の空気が渦巻いてその手を包み、氷の竜巻の様に地面目掛けて一直線に襲い掛かる。だがその魔法は途中で何かに阻まれる様にして弾かれた。


 ギィィィィィィィン


「やっぱりここに何かあるみたいね。」


 セシリアの魔法が弾かれた場所には、まるで空気にヒビが入ったかの様に数センチ程の白い切り込みが残っていた。


「みんな私を囲う様に防御魔法を展開して貰えるかしら。」


 その言葉でセシリアのしようとしている事を理解した各々は、セシリアを囲う様にして立つと防御魔法を何層にも重ねて展開する。


「ハルの魔力が有り余っていたから丁度良かったわ。みんな用意は良いわね?悪いけど生半可な力じゃ開かないみたいだから本気で行かせて貰う。ーーーグラン・アブフィグラ!!!」


 バギバギバギバギバギッ


 防御結界越しにその様子を見ていたハルには、一瞬何が起きたのか分からなかった。

 瞬く間に真っ白になった防御結界と、割れる様に響く音。そして地震の様な振動。


「ぐっ、殺す気かよ・・・」


 結界を展開していたシオンが苦笑いを浮かべて呟く。その背後でシオンに魔力を送りながら様子を眺めていたハルは、少しして状況を理解した。響き渡る音は展開している防御魔法が一瞬にして粉々に砕かる音で、その度にシオンが新たに防御結界の層を重ねている事に。


「あんたセシリアにどんだけ魔力渡したんだよっ」

「渡したって言うか勝手に奪われたんですけどね!?」


 真っ白に見える結界。それは結界中のミクロの氷の粒が音速で移動しぶつかり合い、砕けてはまた更に衝突し合っている為であった。この瞬間、セシリアの攻撃圏内のものは一瞬にして凍り付き粉々に破壊され尽くす。


「おいおいマジで洒落になんねぇぞ!まだ開かねぇのか!?」


 シオンがそう叫んだ時、漸く結界の中の白い嵐が止み、セシリアの姿が見えた。

 そしてセシリアの前には縦に1メートル、横に数十センチ程開いた亀裂がある。


「ごめんなさい。思ったよりも時間がかかってしまったわ。」


 そう言ってセシリアが見つめる亀裂の先には、真っ白な空間が覗き見えていた。

 オーネットがその亀裂にそっと触れながら言う。


「この先に行くのか?敵の罠で無ければ良いが。」


 するとじっと見ていたクロノスが近づき、興味深げに亀裂の向こうを覗き込んだ。


「古の魔法の匂いがするな。それにこの強力な隠匿魔法はグラソンのものに近い。きっとこの先に君達が探してる人がいる筈だ。」


 クロノスの言葉に、セシリアとハルは頷く。

 そしてセシリア、続いてハルがその中へと足を踏み込んだ。どこまでも続く光の中へと向かって。




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「まるで夢の中みたいですね。」

「そうね、入り込んだからと言って出口が閉じたりしなくて良かったわ。」


 亀裂の中は、真っ白な世界だった。幸い、近くにいるセシリアやノア達、そして入り口である亀裂の先の元いた世界もしっかりと見えている。


「これで全員かしら?」

「はい。私で最後です。」


 そう言って亀裂を跨いだアリスの両足が真っ白な床に降り立った瞬間、突然猛烈な突風が襲いかかる。


 ゴオオオオオオォォォ


「ぐっ、防御魔法が使えない。ノア、掴まれっ」

「うわっセシリア様!」

「ハル!手を離さないでっ!」


 油断すれば足元から吹き飛ばされそうな程の風。ハルは咄嗟にセシリアの腕にしがみつき、何とか吹き飛ばされまいと堪える。

 やがて突風は一分足らずで吹き止むと、今度は不意にそよ風が優しくハルの頬を撫でた。


「・・・あれ、ここは?」


 吹き止んだ風に恐る恐る目を開くハル。

 するとそこには先程とは一転、目を見張る様な景色が広がっていた。


「なんだここは・・・」


 一行の前に広がるのは、真っ白い砂浜と静かに波を立てる海。そして青い空の中、暖かく照りつける太陽。

 ずっと続く浜辺の先は小高い丘になっており、そこには青い木造の家が建っていた。


「入ってきた亀裂も無くなっていますね。」

「うわ、私の空間魔法も使えないじゃん。これじゃ自力で帰るの無理そうだなー。」


 ノアとクロエの言葉に、セシリアは怪訝そうな表情を浮かべて言う。


「行くしかない様ね。あの家に。」


 その言葉にそれぞれ頷くと、数キロ先に佇む青色の家屋目指して歩き出した。




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「そういえばノア、そんな指輪してたか?」


 家に向かう道すがら、全く緊張感の無いクロエがあくびをしながらノアに聞く。


「ふふ、オーネットに貰ったの。」

「へーオーネットって意外と良い趣味してんじゃん。てっきりプレゼントには真顔で剣とか防具あげそうなのに。」

「怒るぞ。」


 ケタケタ笑うクロエをオーネットが睨む。


「キスすらまともに出来そうに無いのに、まさか指輪なんてな〜。もしかして童貞捨てたとか?」

「・・・・・・・」

「・・・まじ?」


 普段なら「低俗な言葉は慎め」と剣を抜く筈のオーネットが気まずそうに目を逸らす。そんな態度に慌てるクロエ。


「うおおお!オーネット、まさかついにノアの処、いだだだだ」

「すみませんオーネット様、ノア様。」


 この世界には口に出してはいけない事があると、クロエの左腕を捻りあげながらアリスが謝罪する。


「大丈夫だ。別に私がノアの処、ぐあああっ」

「気にしないで、アリスちゃん。」


 余計な事を言おうとしたオーネットに、ノアが怪しげな薬品をかけながら笑顔で答えた。


「左腕も再起不能になった…」

「ノア、右腕の感覚が消えたのだが…」


 そんな緊張感の欠片もないやりとりに、「グラソンも変わったな」とシオンが呆れた様に苦笑いするのだった。


 そうこうしている内に一行は家の前まで辿り着いた。

 近くに来て分かった事だが、この木造の家はただ一人の人が住むにしてはかなり大きい。


「入るわよ。」


 セシリアがそう言って家の入り口、焦茶色の扉を引く。


 ガチャリ


 鍵はかかっておらず、あっさりとドアノブが回り扉が開いた。

 その先には赤く敷き詰められた絨毯と、中央に穴が空いた様な大きな円形のテーブル。そこには均等に九つのティーカップに注がれた紅茶が湯気を立てている。

 そしてその一番奥の座席には、一人の黒髪の女性が座っていた。



「ようやく来たわね、ハル。」

「ーーーイーリア!!!」


 そこに座っていたのは、紛れもなくハルの師であるイーリアであった。




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「さぁ何から話しましょうか。その様子じゃクロノスからは何も話して無いようね?」

「その通りだ。君の口から話したい事もあるだろう。」

「あらまるで気遣ってるみたいだけど、どうせ話すのが面倒だっただけでしょ。」

「そんな事よりほら、君のお友達が質問したくてたまらないって顔してるよ。」


 疑う様なイーリアの視線から逃れる様にクロノスは紅茶を啜ると、ハルの方をちらっと見た。釣られた様にハルを見るイーリアの視線に、緊張した面持ちでハルが問いかける。


「あの、イーリア、あなたは一体何者なの?アモルはグラソンの娘って言ってたけど、それは本当?もしそれが本当ならイーリアは・・・」


 ハルの言葉に、イーリアが柔らかく微笑む。その表情はいつもイーリアがハルに向けてくれていた表情そのもので、それだけでハルの中にできたわだかまりが、そっとほぐれていった。


「アモルの言う通りよ。残念ながら私は人間では無い。」


 その言葉に、クロノスがちらっとイーリアの方を見る。

 イーリアは構わず話を続けた。


「私はグラソンの娘。意味は文字通り、貴方達が英雄と崇めるグラソン=キュオーネの娘よ。」


 次に口を開いたのはセシリアだった。


「仮にグラソンの英雄伝説が実在したとしても、グラソンに娘がいたなんて伝承は残っていないわ。」

「ええそうね。グラソンの英雄伝説、ハルは知ってる?」


 イーリアの問いかけに、ハルは首を横に振る。代わりにセシリアがそれに答えた。


「千年以上昔、この地にグラソンという名の強い魔法師が現れた。その魔法師はこの地に溢れる魔獣を倒して豊穣をもたらし、永きに渡る人々の繁栄と幸福を願って魔法師の学舎を作った。」

「惜しいわね。学舎を作ったのはグラソンじゃないって事と、魔獣は特にはこびって無かった事以外は正解よ。」

「何も合って無いじゃない。」


 イーリアは一同をざっと見渡して問いかける。


「それじゃあこの中で、この世界の始まりについて知ってる人はいるかしら?」


 今度はノアが口を開いた。


「リューグル最古の文献の記述では、七柱の神々によって世界を支配していた邪神が滅ぼされ、大地が創造されたとされています。」


 ノアの回答に、イーリアは僅かに哀しそうな、過去を懐かしむ様な表情を浮かべて答えた。


「そうね。それも惜しい回答よ。」

「これらの伝説が、私達が倒そうとしている敵とどんな関係があるのでしょうか?」


 静まり返った部屋の中でイーリアは紅茶を一口飲むと、口を開く。


「この世界を作ったのは七ではなく八柱の神よ。それに、邪神なんて最初は存在しなかった。」

「それじゃあ・・・」


 イーリアはマグカップを置いてじっとハルを見つめて言う。


「昔話をしましょう。ある一人の神が、この世界を壊す邪神と成り果てた、哀しい話を。」



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