39 少女と訣別




時刻は午前4時。

カーテンの隙間から差し込む青白い光が、部屋の中央のベッドとそこで小さく寝息を立てる少女を静かに照らしている。そして眠っている少女のベッドの側には、その寝顔を見つめて目を伏せる金髪の少女。


「・・・クロエ、ごめん。」


アリスはそう呟くと、クロエを起こさぬように静かに立ち上がり、剣を取って部屋を出た。

そして真っ直ぐに階段を降りると扉へ向かう。幸いにも、宿の受付は誰もいなかった。

外に出ると明け方独特の冷たい空気が、夏の空気と混ざって生暖かくアリスの体を包む。アリスは胸いっぱいにその空気を吸い込み、何かを振り切るかのように足早に街の出口へと向かった。


この時間、外に出ている人は殆どいない。街の出口に近づくと、馬小屋に繋がれた馬車を引くための馬達が、アリスの足音に僅かに顔を上げた。

アリスは無言でその前を通り過ぎ、関所の門を身を隠して飛び越え、街の外へと出る。

リリアースの街から少し歩けば、その先はすぐに森だ。未だ薄暗い森の中、アリスはどこまでも続く道を剣一つしか持たない身のまま歩き続けた。







小1時間程は歩いただろうか。太陽の形は未だ見えないが、アリスの周囲がほんのりと白く照らしだされる。早朝の森は僅かに虫の鳴き声が歌の様に響くだけで、自身の足音すら吸い込まれるように静かだった。


「・・・こんな私でごめんなさい。」


アリスは歩きながら呟いた。その呟きは誰に届く事も無く、森の中へ消える。

自分のせいで母を苦しめた。咎人となった母に殺された人間も、自分に力が無ければ失われない命だった筈だ。人殺しに成り果てた母を見たあの日から、そう思わない日は無かった。


「私なんて、生まれてこなければ・・・」


そうして自責の念で一度脆く崩れたアリスの心は、クリアナの精神操作魔法と洗脳によって、無理矢理繋ぎ止められていた。

しかし、クリアナ亡き今はもうアリスをアリスたらしめるものは無い。明確に意識が戻った今はひたすら自分が醜かった。そんな自分がグラソン学園の四賢聖達と肩を並べる事など、とてもではないが出来なかった。


平坦だった道はやがて緩やかに傾斜し、更に森の奥深くへと入って行く。


「そろそろかな」


そう呟いたちょうどその時、アリスの背後で地面を踏みしめる音がした。その数、1人や2人では無い。


「囮かと思って尾行してみたが、ひひっ、本当に一人の様だなぁ」


そう言ってアリスの背後から現れたのは、魔獣の皮や鎧をつけた、とても身なりが良いとは言えない5,6人程の男女。


「・・・アラネア盗賊団。」

「アタシ達の事を知ってるなんて嬉しいねぇ。」


今度はアリスの前方から、道を塞ぐようにして更に5人の人間が現れる。


「この先の空き家を根城にしている事は知ってる。50人近い大所帯な事も。」


アリスの言葉に、リーダーと思われる体格の良い中年の男が一歩前に出た。両手に短剣を握っており、今まで数多くの人間を殺して来たのだろう、その顔には凶悪さが滲み出ていた。


「知ってて一人で来たのかよ。街にはあの絶零の魔女達も来てるんだろ?だから見張ってたのに。自殺しに来たのか?」

「・・・・・・。」


男の質問に、アリスは答えない。


「ここはガキの遊び場じゃないんだ。どっちにしろ、生きて返すわけにはいかねぇなぁ。」

「私も簡単には死なない。」


そう言うと、アリスは腰に差した銀の剣を抜き、その柄を強く握る。


「おいおい、こっちは50人だぞ?」

「関係ない。仮にここで死ぬのだとしたらそれまでの事。」


アリスの言葉に、なぜか男は目を伏せた。


「・・・それは随分と自分勝手な話だな。今までお前に手を差し伸べた奴らが聞いたら悲しむぞ?」

「全部情け。悲しむ人なんていない。」

「生きる理由が見つからない、そんな顔だな。」

「・・・あなたには関係ない。」


そう言って剣を構えるアリスに、男は全てを見通した様に言い放つ。


「これ以上自分のせいで何かを傷つけ、失うのが怖いだけだろ。」

「違う!」

「本当は死ぬのも怖い。だから自死する事もできずにお前はここに来た。」

「うるさい!お前に何が分かる!私は、私はもう、ここで全てを終わりにしたい。だから最後くらい、人の役に立って、それで私は・・・」

「そんなに全部、終わらせたいのか。」


そう言って、突然アリスの目の前にゆっくりと倒れる男。

そしてその背後から現れる一人の少女。


「それなら、私が全部終わらせてやるよ。」


風に靡く銀色のツインテール。そしてアリスを真っ直ぐに見つめるウサギの様な真っ赤な瞳。


「どうして・・・」


アリスは思わず構えていた剣を下ろし、力が抜けた様に膝から崩れ落ちた。

周囲の盗賊団達は突然現れたグラソン学園ナンバーツーと、訳もわからぬ間に倒されたリーダーに動揺の声を上げる。だが、そんな声は一切アリスの耳には入って来なかった。

クロエはまっすぐアリスの元まで歩くと、座り込んだアリスの体を左腕で抱きしめる。


「私が全部、終わらせてやる。お前を苦しめるものも、これまでの悪夢も、全部。」

「なんで、どうして、私は・・・」


ーーー何十人もの人を殺し、傷つけて、ノア様まで殺そうとして、挙句の果てには勝手に自殺しようとしていたのに。

尚も首を縦に振らないアリスに、クロエは痺れを切らしたのか乱暴にその肩を掴んで言った。


「うるさい!理由は簡単だ!お前は私に2つも借りがあるからな!きっちり返して貰うまで勝手に死ぬなんて許さないぞ!!!」


そして、クロエはアリスの手を片手で強引に掴むと、その掌に無理矢理何かを握らせる。


「お前の母親は、お前をクリアナから守ろうとして咎人にされたんだ!お前に死んで欲しいなんて思ってる訳ないだろ!だから、もうどこにも行くな、アリス。このクロエ様の隣にいろ!」


手を開くと握られていたのは、あの日クロエに粉々に砕かれたはずのブローチ。かけがえのない母との思い出。


「ううっ、ううううっ」


なぜ自分は生まれてきたのかとずっと自問して来た人生だった。私がいなければ母も皆も幸せだった筈なのに。なのに、そう思っていても一番に蘇るのは楽しかった母との思い出と温もり。

堰を切ったように、アリスの青い瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちる。


「クロエ、ごめん。わたし・・・」

「謝罪は帰ったらたくさん聞いてやるから。」


クロエはそう言うと、泣き崩れるアリスに手を差し伸べる。


「本当は格好良くこのまま連れて帰りたい所だけど、生憎私今右腕が無いんだよね。悪いけどそっち半分任せていい?」


クロエの言葉に、アリスは黙って何度も頷き剣を構えた。そしてしっかりと両足で地面を踏みしめ、敵を見据える。その瞳にはもう、先程の様な迷いは無い。クロエはそんなアリスの姿を横目で見ると、背後から迫る盗賊団の方へと向き、左腕を翳した。


「これならクロノスの力を使わなくても余裕だな。」


森の中に轟き渡る轟音。

国内有数の盗賊団の一つであるアラネア盗賊団は、この日一人の騎士と一人の賢聖によって、僅か30分足らずで壊滅させられたのだったーーー







「離せーーー!あと5分だけーーー!!!」


すっかり日が昇った午前8時。

セモール村への出発の時刻になっても現れないクロエを、セシリアが部屋から引き摺り出す。


「セシリア、流石にまだクロエの傷が治ってないんじゃないか・・・?」


喚くクロエを物の様に引き摺って現れたセシリアに、オーネットが恐る恐る訪ねるが、セシリアはため息をつきながら答えた。


「とっくに傷なんて完治してる。会議をサボりたいからずっと寝たふりしてただけよ。ただ会議中のアリスの話は気になったみたいで聞き耳立ててた様だけど。」

「ぎくっ」


セシリアの言葉に、クロエの顔が青くなる。だが、セシリアの言葉に反応したのはクロエだけでは無かった。


「クロエ、本当はずっと起きてたの?」


クロエがギギギ…と音が出そうな程ぎこちなく声のした方を振り返ると、そこには声に似合わぬ気迫こもった表情で微笑むアリスがいた。

咄嗟に身の危険を感じ、この中で最も立場が低いと勝手にクロエが思っている人物、ハルに助けを求めて縋り付くクロエだったが、


「お、おい!?ハルお前大丈夫か!?」

「・・・あ、クロエ様、私の事は気にしないでください。」


ハルは明らかにクロエ以上に顔色が悪く、げっそりとした表情で宿の前に座り込んでいる。その瞳には一切光が無い。


「クロエ?私のハルに何か用かしら?」


そしてなぜか正反対に肌がツヤツヤと輝き、魔力が溢れているセシリアに、クロエは一瞬にして事情を察するのだった。


「ハル、強く生きろよ。」


ぐったりとしたハルにクロエがそう言葉をかけると、セシリアは「冗談はさておき」と話を始める。


「今からセモール村から南西に進んだ方向にある岩場へと向かうわ。ハルの話ではそこにイーリアという女性がいる。恐らくその女性から、何かしらの情報が得られる筈。」

「オーネットさん、私、シオンさんはそれぞれ飛んで向かいますが、アリスちゃんとハルちゃんはどうしましょう。」


ノアの問いかけに、セシリアが答える。


「ハルは私が抱えていく。アリスはどう?行けそう?」

「はい。私はクロエを連れて行きます。」

「え?連れて・・・」


クロエがそう疑問の声をあげる時には、すでにその小さな体はアリスによって抱きかかえられていた。


「お前やめろ!何すんだ!離せ!やめろぉぉぉ!!!」

「暴れると落ちるよ、クロエ。」


そう言うとアリスは地面を蹴って空高く飛び上がる。


「ふふふ、あんなに慌てるクロエちゃん珍しいわね。」

「そうだな。」

「あの様子じゃ、アリスも平気そうだな。」


叫び声をあげて空遠く点となったクロエを見上げながらノア、オーネット、シオンが呟く。


「私達も行くわよ。」


セシリアが廃人の様になっているハルを抱えてそう言うと、他の3人も地面を蹴って空遠く、セモールの地目指して飛び上がった。

そこで待つ、過去と未来、そしてこの世界の真実を目指して。

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