37 少女と記憶

 


 大遠征は実質、クリアナの死によって終わりを迎えた。

 元々の本命だったバジリスクはセシリアの手によって瞬殺され、周囲のアンデッドの群れを掃討していた学生達は、セシリアからの緊急事態の報を受け取った講師の指示により、安全と思われる場所へと避難していた。

 その為、実質グラソン学園側の犠牲者はおらず、聖レヴァンダ学園の学長が死亡、聖レヴァンダ学園第一位のリリー・ジョバーニャがセシリアの手によって氷漬けにされ生け捕りにされるという結果で大遠征は幕を閉じた。


 ハルの回復魔法によって動ける程まで回復したノアとオーネットはシオンと共に馬車に乗り、学園へと戻っていた。アリスは眠ったまま目を覚さないクロエを抱えると、セシリア、ハル、クロノスと共に馬車に乗り込む。動き出す馬車の中で、ハルが口を開いた。


「・・・課題は山積みですね。」

「そうね。まずは今日の宿で、そこの子に関する話をしなくてはならないわね。」


 セシリアはそう言うと、窓側の席で食い入る様に外を眺める、紫の三つ編みの少女、クロノスを見た。

 アリスの話では、恐らくハルに力をもたらした存在であるアモルと同じ類のものとの事だったが、それにしても得体が知れない。ハルの頭の中では、クロノスが与えた力が一体どんな力なのか、そしてクロエの身には一体何があったのか、イザベルやクロエが戦ったクリアナという人物は何者であったのか、と次から次へ疑問が浮かんでいた。


「今は考えてもどうしようもないわ。宿に着くまで休みなさい。」


 頭を悩ませるハルの心を見透かした様にセシリアは言うと、ハルの肩に手を乗せてその頭をセシリアの膝に置く。ハルの頬が柔らかいセシリアの太ももに包まれた。その姿勢はまるで、向かいの席でアリスの膝の上でスヤスヤと寝息を立てるクロエの様で、


(え、これ、もしかしてクロエ様とアリスさんを意識してます?)


 突然のセシリアの行動に驚きながらセシリアの顔を見上げると、セシリアは「何か不満?」とばかりに冷たい表情でハルを見下ろす。


「あっ、いや、ありがとうございます…?」

「なんで疑問系なのよ。」


 夜明けと共に出発した馬車の一行は、昼過ぎにはモルスの谷に最も近い街、リリアースに到着した。

 大遠征からの帰還に、大通りに出て学生達を祝福している住民も少なくなく、その先頭を歩くセシリア、オーネット、ノアの三人は時折手を振って立ち振る舞う。その気品溢れる姿はまさに四賢聖といったもので、時折あがる黄色い歓声から、「そういえばセシリア様も四賢聖だったんだ」と今更ながらにその隣を歩く事に緊張を覚えるハルだった。




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「クロエはまだ眠ってるけど、まずは全員無事に帰還できて良かったわ。」


 場所は変わりここは宿の一室。ベッドは無く机を囲む様にして設けられた椅子に、セシリア、ハル、ノア、オーネット、アリス、そしてクロノスが腰掛けていた。


「ああ。危うく一人が味方に殺され、連れ去られそうになったがな?」


 そう言って怪訝そうにオーネットが見たのは、じっと座ってほんの少し俯いているアリスだった。


「まずはアリス、貴方が一体何者なのか。そして何があったのか説明して貰えるかしら。」


 セシリアの促しに、アリスが口を開く。その表情は以前の様な人形の様なものではなく、碧い瞳には凛々しさと共に強い罪悪感の様な感情が宿っていた。


「はい。まず、私の本名はアリス=シュナウザー。今年の春に処刑された咎人にして大罪人、ミスト=シュナウザーの娘です。」


 アリスの言葉に部屋の空気が、一気に重たくなる。


「私達は仲睦まじい、よくいる普通の親子でした。私も母を愛していましたし、母もきっと、私を愛してくれていたと思います。ですが、5歳の頃に私達の仲は引き裂かれました。聖レヴァンダ学園の学長、クリアナの手によって。」

「5歳の頃、というと聖レヴァンダができる5年前ね。」


 セシリアの言葉に、アリスはふっと視線を机に下ろし両手をぎゅっと握った。


「私は5歳の頃に土魔法を発現しました。それまでは簡単な水魔法や風魔法は扱えていましたが、その日は突然力が湧き出して、近所の川の流れを変えてしまう程の土魔法を発動したのです。その話を耳にしたのでしょう。その1週間後でした。クリアナが突然数人の魔法士を引き連れて私達の前に現れたのは。そして急に私を連れ去ろうとしたので、当然私も母も抵抗しました。ただ、その途中で私は意識を失って、目が覚めたら・・・」

「ミスト=シュナウザーは咎人にされていたのね。」

「・・・はい。」


 アリスの瞳からは涙は溢れない。もう何年も抱え続けた思いの為、涙は出尽くしたのか、それとも長年の洗脳で涙を流す機能すら失われてしまったのか。ただ悲痛な面持ちで震えながら俯いた。


「母とようやく再会した時には、母は檻の様な場所に入れられていました。そして、その中には人間が何人も入れられていて、母は楽しそうに、その人達を嬲り殺していたんです。笑いながら。私はその光景を見て泣き叫びました。母を返して、と。何日も何日も叫び続け、気づいた頃には心が壊れていました。そして、そうなる日を待っていたのでしょう。クリアナは廃人の様になった私に精神操作の魔法をかけました。」

「でもあなたが来た時にその可能性を疑ったけど、魔力の気配は無かったわ。」


 セシリアの言葉にノアが頷いた。精神操作はただでさえ高度な魔法。それも何年も四六時中かけ続けるとなると、魔法の痕跡を隠す事は容易ではない。


「ただ魔法をかけられた訳ではないんです。5歳からの5年間をかけて、毎日、狭い窓一つ無い部屋の中で洗脳され続けました。私はクリアナの人形で、それ以外の生き方は出来ないのだと。鞭を打たれながら。その傷痕は今も残っています。そして、その後の5年間は、寝ている間以外はずっと訓練の日々でした。剣術と魔法の。でもそんな日々に疑問を抱く事はありませんでした。それが私の生き方だと洗脳され、魔法によって常に意識は混濁していましたから。」


 アリスの口から語られる壮絶な過去に、ノアは「酷い…」と口に手を当てて呟いた。


「そして私は数ヶ月前にこの学園に送られました。四賢聖を最低でも1人は殺し、ハル=リースリングを拉致する様にとの命を受けて。大遠征には何人かの同胞が襲撃を仕掛けるから、そのタイミングで決行しろと・・・本当に、償っても償いきれない罪です。」


 アリスはそう言うとノアに向かって深く頭を下げた。洗脳と精神操作の魔法をかけられていたとはいえ、その際の記憶はしっかりと脳に焼き付いている。ノアを切った時の感触も、未だ掌の中だ。とてもではないがクリアナのせいにして逃れれられる様な罪ではないと思っていた。だが、


「悪いのはアリスちゃんじゃないわ…だから、頭を上げて。」


 ノアはそう言うと花の様に微笑んだ。


「アリスちゃんも今回の一件の被害者。私はそんな風に考えてるの。セシリアさん、それからオーネットさんもそれで良いかしら。」

「本件で最も優先されるべきはノアの意見だ。私に異論はない。」

「そうね。」


 ノアの言葉に、オーネットとセシリアは頷いた。そしてセシリアが言葉を続ける。


「でも、手放しにあなたをすぐに信用する訳にはいかないわ。目が覚めた後のクロエの話や、あなたの過去が事実か、裏付けを取らなくてはいけない。それまでは少し窮屈な生活を強いる事になるかもしれないけど、構わないわね?」

「・・・・・はい。」


 セシリアの言葉に、アリスは一瞬困惑した様な表情を浮かべたが、頷いた。


(アリスは人生の半分以上の時間を洗脳されて育った。クリアナが亡くなったところでその洗脳が解けるとは思えないけど、きっとその問題に対処すのは私の役目ではないわね。)


 セシリアは腕を組むと「それより本題はこっちだわ」と部屋の隅の方を見やる。

 そこには椅子に腰掛け、会議の内容など全く興味がない様に本のページをめくる三つ編みの少女、クロノスがいた。


「あなた、クロノスと言ったかしら。あなたは一体何者なの。なぜあの場にいたの。」

「僕?僕の話はいいよー・・・って言いたい所だけどそうも行かなそうだね。」


 怪訝な表情を浮かべたセシリアの顔を見て、クロノスは慌てて本を閉じる。


「僕の名前はクロノス。そこの黒髪の女の子の中にいるアモルの友達だよ。」

「アモルの友達?」


 益々セシリアが眉を寄せるが、クロノスは話を続けた。


「アモルから何も聞いてない?僕たちは数千年くらい前にこの世界に生まれた存在。まぁ君達の平易な言葉で言えば"神"って表現が一番しっくり来るだろうね。」

「確かに似た様な事をアモルも言っていたわ。」

「そうそう。だから僕達は敵って言うよりは、むしろ味方って思った方が良い。」


 アモルと同じ存在。すなわち大樹に宿っていた神アモルの様に、何かしらの力を持ったクロノスにクロエは接触し、新たな力の代償に何かを失ったという事。


「・・・奪ったのは右腕だけ?」

「随分と信用されてないようだね。アモルは一体どんな力を与えたんだ?」


 そう言ってハルの方をチラッと見たクロノスだったが、ハルの咄嗟に顔を赤くして視線を逸らす反応で何かを察した。


「・・・アモルは相変わらずの様だな。とにかく僕は時を司る原初の神、クロノス。右腕を貰ってこの世界の実体を得る代わりに、あの子に未来を見る力を与えた。あの子の方から僕の住む部屋まで訪ねて来たから、そうしてあげただけだよ。」

「それなら、英雄グラソンの娘についても知っているのね?」

「グラソンか、懐かしいね。勿論その娘の事も知っている。僕に知らない事はないからね。でもその子の話をするのは僕じゃない。」


 クロノスはそう言うとまた本を開いて言った。


「ほら、もうすぐ来るよ。」


 そう言ってクロノスが微笑んだ直後、セシリアの通信用魔道具が音を立てる。


「・・・オリビア?」


 セシリアは胸元から魔道具を取り出した。学園にいるオリビアへは、一通りの大遠征の顛末は話していた。その為現在はクリアナとアリス、そしてミスト=シュナウザーの身辺調査に関する仕事を任せていたのだが、何があったのだろうか。


「私よ。何か分かった?」

「セシリア様。分かった訳では無いのですが、気になる事が一点。今そこにハル様はいらっしゃいますか?」

「私ですか?」


 セシリアは通信機の音量を上げる。突然出てきた自分の名前に、ハルは驚いて通信機の方を見た。


「アリス=シュナウザーのグラソン魔法学園への入学経路を調べていたのですが、その際にハル=リースリングの入学に関する記述で気になる記載を見つけたのです。ハル=リースリングは手続上では一般選考での入学となっていますが、これは事実なのでしょうか?」

「一般選考…?」


 オリビアの問いかけに、セシリアが訝しげにハルの方を見る。その視線に、ハルは不思議そうに首を傾げた。


(あれ、私はオリビアの言う通り、一般選考だから不審な点は何も・・・)


 そこでふと蘇る、数ヶ月前に交わしたリアとの会話。


ーーー私はある人の推薦で入学してるの。だから学科試験や実技試験とかは一切受けてないんだよね。


(あれ、何だっけこの会話・・・)


 気づかぬ間に頭の片隅にかかっていたモヤの中、細い糸を手繰る様にして記憶を手繰り寄せる。顎に手を当てて考え込むハルに、セシリアが口を開いた。


「グラソンの一般選考は学科と実技。例え学科はクリアできたとしても、ハルの力で実技試験を突破するのは不可能よ。私もハルの入学経路は調べていたはずなのに、何故忘れているのかしら・・・」

「私もそのように考えました。そうなると残される選択肢は一つ、推薦による入学。そして改竄された入学記録とハル様、セシリア様の記憶。」


 オリビアの言葉に、また更にハルの中の一部の記憶がオセロの様に書き変わっていく。


「私は・・・」


 うわごとの様に呟いて混乱するハルに、セシリアが落ち着いた瞳でじっと見据えながら言った。


「ハル。貴方は一体誰の推薦でこの学園に入学したの?」


 厚く上塗りされていた過去のモヤが晴れていき、ハルの目の前に懐かしい記憶が泉の様に蘇ったーーー






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 それは、ほんの僅か1年前の記憶。にも関わらず、遥か遠い昔の様にも感じられる。

 セモール村から歩いて1時間程にある、滅多に人も寄り付かない様な岩場。そこでハルは毎日「修行」をしていた。


「うう、やっぱり全然ダメだ・・・」

「すぐそうやって落ち込む!そんなんじゃグラソンでやっていけないよ!」


 ハルを隣でそう言って励ますのは、20代後半の女性。真っ黒なロングヘアをかき上げ、声を張り上げる。


「もっと体力をつけなきゃ!あの学園にはヤバい奴らがゴロゴロいるわよ!」

「ううっ…入学するのが恐ろしくなってきた…」


 黒髪の女性の名前はイーリア。セモール村に住むハルの父親の友人の親戚だとかで、ハルのグラソン魔法学園への推薦を行ってくれた張本人であった。イーリアは決してセシリア程の魔法師では無かった。だがそれでも上級魔法師程の力は持っているらしい。古くからの友人が魔法部にいるとの事で、ハルの父親は村の友人の紹介でイーリアに会うと、ハルのグラソン学園推薦の話を迷う事なく了承した。


「ほらほら、ただでさえ細いんだからもっと動いて筋肉をつける!」

「ちょ、ちょっと休憩を・・・」

「しょうがないわねー」


 イーリアは呆れた様にそう言うと、木陰でハルと寝そべり、空を見上げた。


「ねぇイーリア。本当に私なんかがグラソン学園に入学して良いの?何かすごい学校なんでしょ?」


 ふとしたハルの疑問に、イーリアは目を瞑って答える。


「まあでも、そんなに大した学園じゃ無いわよ。何事にも必ず理由がある。いつかハルにもきっと、私が貴方を推薦した理由がわかるわ。でも、その時は必ずここへ戻って来なさいね。」


 イーリアの含みのある物言いにいまいち釈然としないハルであったが、黙って頷いて空を見上げた。

 青い空をゆっくりと雲が流れる。


「戻ってくる時には、イーリアよりももっと強い魔法師になってるよ。」

「あらそれは楽しみね。でも偉大な魔法師には強さよりも大切なものがあるのよ。」


 イーリアはそう言って体を起こすと、隣で寝そべるハルの髪を慈しむ様に撫でた。


「ハルは強い魔法師ではなく人を許せる優しい魔法師になりなさい。そうすればどんな敵にも負けないわ。」

「敵?」

「ふふ、そのうちわかる。さ、体を動かすわよ!」

「はーい。」


 なんてことない穏やかな1日。だがイーリアと過ごす毎日は、まるで幼い頃に失った姉と過ごす様で、ハルにとってはかけがえのない日々だった。それこそ、決して忘れられない程のーーー




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「どうして、忘れてたんだろう・・・」

 突如として蘇った数ヶ月もの記憶に思わずハルが呟くと、意外にもクロノスがそれに答えた。


「レーテの仕業だよ。普通の精神操作の魔法じゃ、記録までは書き換えられない。」

「レーテ?」


 クロノスの言葉に、ハルが首をかしげた。そんなハルにクロエが胸を張って自信満々に答える。


「レーテは忘却を司る神。数千年前に僕やアモルと共にこの世界の秩序を守っていた神の一人だよ。でもレーテは君達の敵の方に寝返ったみたいだね。まあその理由は何となく分かるよ。」

「敵の事を何か知っているのか?」


 何でも知っていそうなクロノスの物言いに、オーネットが口を挟んだ。


「僕を何だと思ってるんだ。まあいいや、イーリアがまた来いって言ってるなら、僕からじゃなくてイーリアから話を聞いた方がいいと思うよ。僕の知っている話から事情が変わっている可能性もある。」

「それならまずは、セモール村にいるハルのお父様の友人を尋ねる?」


 セシリアの問いかけに、ハルは首を横に振った。


「いえ、恐らくイーリアが父の友人の親戚というのは嘘だと思います。何かしらの幻術か記憶操作をしていたのかと。ただ、恐らく彼女は修行に使っていた岩場で私を待ち続けていると思います。そこに行けば、何かが分かるはずです。」

「分かったわ。明日の朝から私達は部隊とは離れてセモール村へ向かいましょう。」

「クロエはどうするんだ?」

「明日の朝には起きるわ。」


 セシリアの言葉に、一同は頷くとこの日は解散の運びとなった。各々が立ち上がり部屋を出ていく中で、アリスだけはいつまでも立ち上がれず、じっと俯いたまま、机の下で両手を強く握るのだったーーー




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