35 少女と大遠征(6)
森の中を駆け抜ける一人の少女。
「ノア、すまない。」
オーネットは鞘に収められた剣の柄を握りしめながらつぶやいた。
オーネットが遭遇したラミアの群れは、アンデッド同様に個体の能力自体は大した事は無かったが、一つ予想外な事があった。
それは物理的な毒を用いた攻撃を行い、大気中に神経毒を蔓延させる事でオーネットの体を蝕んだ事だった。その個体数と悪質な戦略性から、普通であれば数十人の中規模部隊でやっと倒せるかどうかという敵である。単独で戦っていた以上、毒の存在に気付くのがが遅れていれば、致命傷を負う事になっていた可能性も考えられる。
(だが、そのおかげで奴が来ている事に気付けた。)
イザベルの能力、それは恐らく毒に関連するものである事は前回の戦いから察しがついた。
超常的な回復能力も一種の毒の力なのだろう。だがそれが分かった所で倒せる様な敵ではない。それにノアが気づいた通り、解毒と先程の戦いによって、オーネットの魔力は殆んど枯渇していた。併せて未だ毒の影響か指先が痺れる状態では、とてもでは無いが敵うような相手ではない。
「必ず、守る。」
案の定、先程オーネットが火魔法によってイザベルを燃やし尽くした場所には、もう何も残っていなかった。
「大切な彼女を守る為に負け戦なんて、泣けるわねぇ〜」
頭上から降りかかった声に、オーネットは直感で剣を抜き背後を振り抜く様に剣を振るった。その瞬間腕から伝わる振動。そして目の前にはあの夜に遭遇した姿のまま、焼け焦げた痕など1ミリもないイザベルが短剣でオーネットの剣を抑えていた。
「負け戦だとは、随分と認識に相違がある様だな。」
「うふふふ、あなたもう限界って顔してるじゃない。私のお友達のラミアちゃん達、なかなか強かったでしょ〜〜」
イザベルはそう言って笑うと、宙返りをする様に身を翻して数メートル程距離をとり、着地した。
「私、あの子のことが気に入っちゃったの。あの純潔な瞳。滅茶苦茶に壊して、私しか見えない様に、私しか感じられない様にしてしまいたいわぁ〜〜」
頬を紅色させるイザベルに、オーネットは無表情で剣を構える。
「生憎、三角関係はお断りなんだ。」
そして一直線にイザベルへと斬り込む。その剣は一瞬でイザベルの右肩から左下へと確かに振り切った。だが、切られた傷口から忽ち塞がってゆき、振り抜いた後には傷痕は何も残っていない。
「うふふ、でもノアちゃんはまだ処女だったわよぉ。私が美味しくいただく為に、大事に大事に取っておいてくれてるの。あなたの物でもないわぁ。」
「・・・化け物め。」
(切られた傷から忽ち回復する。全身を一気に燃焼させても無駄だった。そうなると回復できない速度で剣を叩き込むか?だが以前もそれで・・・)
「無駄よ♡」
「ぐうっ」
思考しながら立て続けに乱撃を叩き込むオーネットに、隙をついたイザベルの蹴りが入る。
(くそっ剣術に体術も心得ているのか・・・)
「確かに貴方の剣は強いけれど、毒で鈍くしてしまえば怖い物はないわぁ」
「・・・・・っ」
この辺り一帯にも何かしらの毒が撒かれている事は、感覚で察していた。イザベルは余裕そうな笑みを浮かべたまま、短剣の刃を舌で舐める。
「そろそろノアちゃんを迎えに行かないといけないから、終わりにしましょうか。」
そう言うとイザベルの真っ赤だった片目が、真っ赤からどす黒い色へと変わっていく。
「・・・咎人か。」
オーネットの言葉に、イザベルは不快そうに眉を寄せた。
「あんな下級の奴らと一緒にしないでもらえるかしらぁ。私はピロテスとの契約者。そこら辺の悪魔なんかとは違うもの。」
(ピロテス?悪魔の一種か?)
敵に関する重要な情報なのだろうが、深く考察していられる状況ではない。
イザベルは短剣をちらつかせながらオーネットに近づいた。
「うふふ、降参するならあなたも城へ連れて帰って玩具にしてあげる。ノアちゃんの目の前で貴方をボロボロにするのも、なかなか楽しそうだわぁ〜」
「遠慮する。」
毒のせいか、徐々に手足の痺れる様な感覚が悪化しているのを感じる。恐らく時間稼ぎをしたとしても状況が良くなる事はないだろう。倒せるか倒せないかではない、今、倒さなければならないのだ。でなければ二度と手の届かぬ所へノアは行ってしまうだろう。
「私はお前を倒す。その為にここにいる。それだけだ。」
「あらあら、それじゃあ交渉は決裂ねぇ〜」
オーネットは地面が割れるほどに踏み込むと、目にも止まらぬ速さでイザベルの懐へ入り込み、一瞬にして10連撃を叩き込む。身体の限界を超え、骨や筋がブチブチと音を立てて悲鳴をあげるが、関係ない。目の前の敵を倒す為。そしてノアを守る為に。
(絶対に、絶対にここで倒す。)
切断されたイザベルの腕が宙を舞うが、オーネットは攻撃の手を緩めない。
(例えこの身が引きちぎれても、ノアの元へは行かせない。)
イザベルの体がくの字に折れ、至る所から血が吹き出す。オーネットもまた無理な動きに体がついていけず口から血が溢れるが、歯を食いしばって更なる斬撃を繰り出した。
(約束したんだ、ローラと。)
「うおおおおおおおおっ」
オーネットの叫びに答える様に、その刀剣が真っ赤に燃え盛る炎によって包み込まれる。オーネットは真下から真上へと剣を振り抜くと、そのまま袈裟斬りに振り下ろした。そして止めとばかりに左胸、心臓めがけて剣を突き刺すと、限界を迎えたオーネットの体は漸く動きを止めた。
胸を剣で貫かれたまま、ピクリとも動かないイザベルの体。その剣にしがみつく形でオーネットはなんとか立つが、その足は震えている。腕はイザベルを貫いた剣を握ってはいるものの、その指先の感覚はもう無い。
(頼む、もう起き上がるな。このまま死んでくれ。)
だが、そんなオーネットの願いは虚しく、頬が生暖かいもので包まれる。それは先程切り飛ばしたはずの、イザベルの腕。
「あらあら、ちょっとこれは痛かったわぁ。愛の痛みってやつかしらぁ?」
「・・・・・くっ」
のけぞっていた顔をぐりんっと起こしたイザベルが、絶望に染まったオーネットの顔を覗き込む。
「うふふ、その顔本当に素敵。可哀想ねぇ、頑張ったのに惨めに殺されるのわぁ。ずっとその顔を見ていたいけど、でも、ごめんなさいねぇ〜」
突き刺した剣を離すこともできず、ただただ頬を撫でられるオーネットに、イザベルは短剣を横から振り切る。オーネットの首を狙って。スローモーションの様に迫る短剣。だがオーネットにはもうその短剣をかわす力も、防御魔法によって防ぐ力も残っていなかった。
「それじゃ、さようなら。緑の騎士さん。」
(すまない、ノア・・・)
ザンッッッッ
「オーネット様っ!」
オーネットの首めがけて振られた短剣の刃を、風魔法を纏い緑色に淡く光った刃がギリギリの所で止めた。オーネットの目の前で小さく揺れる桃色の髪。
「・・・・リア。」
小さな体に似合わない銀色の剣を持ったリアは、短剣を受け止めると振り払う様に押し返し、イザベラが怯んだ隙にオーネットの肩を担いで数メートル後方に飛ぶ。
イザベルは突然の乱入者に一瞬驚いた表情を浮かべると、すぐにまた余裕な笑みを浮かべてリアの方を見た。
「あらあら、また可愛い子が来たわねぇ。怖いの?足なんてガタガタ震えちゃってるじゃない。」
リアが担いだオーネットを下ろすと、手足に力が入らないオーネットは剣を杖にする様にしてガクッと膝をつく。
「すまない、リア・・・だがここ一帯には奴の毒が散らばっている。毒が回る前にノアを連れて逃げろ。」
「・・・逃げるなんて、できません。」
リアはオーネットを守る様に数歩前に立つと、ぎゅっと剣を握った。
(怖い、怖い、考えるなっ、オーネット様が瀕死なんだ、何も考えるなっ。)
「うふふ、助けに来たつもりなのかしらぁ?その割には随分と弱そうねぇ、唇なんて真っ青じゃない〜」
ーーー前にも似た様な事を言われたことがある。
それはグルゴ・パランへハルを助けに行った時。助けに行ったつもりだったにも関わらず、足手まといとなった挙句、人質となってセシリアに傷を負わせた。それは実力が足りないせいだとばかり思っていた。だが、オーネットと何度も稽古を続けてきた今なら分かる。意志だけでは人は助けられない。でも、強い意志がなければ、人は助けられない。
「弱くても、戦うしかない時があんだよ化け物ぉ!!!」
(二度と自分に負けないって、ハルと約束したから。)
リアは震える膝に力を入れると、真っ直ぐイザベルへと走り、剣を振るう。オーネットの10分の1にも満たない剣技。当然それはイザベルによって軽くあしらわれ、その毒剣がリアの頬すれすれをかする。だが、リアは止まらない。
「逃げたら死ぬまで後悔すんだよぉ!!!」
(私も、私を変えなきゃいけないから。)
「惨めね。」
「ぐあっ」
リアの斬撃を全て交わしたイザベルの短剣がリアの脇腹を斬りつける。それでもリアは歯を食いしばって剣を振るう。早く、強く、振り絞った勇気を剣に乗せて。リアもまた、愛する仲間を守る為に。
「おおぉおおおおおおっ!」
(きっと、こんな私でも、私にしか出来ない事があるから。例え、今ここで死ぬ事になったとしても。)
「もう弱いままじゃいられないんだよぉ!!!」
だか渾身の力で振った剣すらイザベルは悉くかわし、とどめとばかりに、リアの血が滴る脇腹から肩へと短剣を斜めに切り上げようとした、その時ーーー
「よくやった。あんたはもう弱くねぇ」
バチバチバチッ
イザベルの短剣が雷撃によって弾かれ、何事かと身構えようとした瞬間、太く逞しい剛腕がイザベルの腹部を電流を迸りながら貫通する。
「ぐっ・・・なぜ、シオンが・・・」
思わず吐血するイザベル。
そんなイザベルに、シオンは告げる。
「なぜって、あんたを殺す為だ。」
「裏切るつもりかしら?教祖様を・・・」
「ああそうだ。そんな事よりあんたの再生能力、ずっと腕を突っ込んだままだとどうなるんだ?」
シオンの言葉に、イザベルは顔を歪めると距離を取る様に宙へと飛び上がる。
シオンの腕が抜けた場所はぽっかりと穴が開き血が滴り落ちるが、その傷跡も忽ち消えてなくなった。
「次から次へと鬱陶しいわねぇ、でも手負いの四賢聖とザコが1匹、それにグルゴ・パランの1位が登場したところで特に戦局は変わらないわぁ」
「あら、じゃあそこにグルソンの1位が加わったらどうかしら?」
その言葉と共に、宙に浮いていたイザベルの脚が凍りつき、巨大な氷塊がその体を穿つ。それは間違いなく、グラソン最高峰セシリア=セントリンゼルトの魔法であった。
「うぐっ」
衝撃によって吹っ飛ばされたイザベルの体は地面へと叩きつけられ呻き声をあげる。
その隙にハルがリアとオーネットへ駆け寄って回復魔法を施した。
「氷漬けなら回復の余地も無いし、私たちって相性良さそうね。」
「・・・・・ちっ」
セシリアの言葉に、苛立つ様にイザベルは顔を歪めると、立ち上がってセシリアへ言い放つ。
「貴方がここへ来たって事は、いいのかしらぁ?敵は私とアリスだけって思ってるみたいだけど、もう一人の子の所には私よりも強い女が向かってるわよ。」
「もう一人?・・・・クロエ!?」
「続きはまた今度ね、緑の騎士さん。」
イザベルはそう告げると、焦った表情を浮かべるセシリアを嘲笑うかの様に舌舐めずりをし、夜空遠くへと姿を消した。
(もう一人、となると聖レヴァンダの学長!?)
「シオン!」
「ああ、急ごう。」
ハルにオーネットとリアの救護を任せると、セシリアとシオンは闇の中、クロエが向かったと思われる西の空へと駆けて行く。
(死に急いだりしないで、クロエ・・・)
セシリアの不安に答える様に、西の空から轟音が響き渡った。
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