30 少女と大遠征(1)

 



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「ば、化け物・・・ああ、あんたなんか、あんたなんかっ、産まなければぁぁぁぁああああっ」


 目の前で血まみれになって叫ぶ一人の女。その叫び声は、腹部を切り裂く無数の風の刃によってパタリと止む。


「ばけ、もの・・・・・」


 そう呟き、ピクリとも動かなくなった女の前で、返り血で真っ赤に染まった小さな少女は呟いた。


「お母、さん・・・・・?」




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 大遠征の詳細は瞬く間にグラソン学園内外に知れ渡り、四賢聖を中心として入念な計画が立てられた。討伐対象のメインであるバジリスクはセシリアとクロエという圧倒的な火力で叩くとしても、それでも敵は魔獣、それにリー教会が裏にいる事から何が起きるか分からない。

 また、モルスの谷にはアンデッドをはじめ、イスタニカ周辺では馴染みのない魔獣も多く生息している。死者が出る事も珍しくない大遠征を前に、学生達も興奮や不安で浮き足立っていた。

 そうして生徒各々は準備に追われ、大遠征までの二週間はあっという間に過ぎて行った。




【遠征一日目】


 迎えた遠征初日。


「えー私も馬車で移動するの!?なぜゆえ!?!?」


 出発の朝、クロエはセシリアに引き摺られて正門前へと連れて来られていた。

 200名の学生はチームに別れ、数十台の馬車を使っていくつかの隊に分かれて遠征を行う。目指すはモルスの丘。首都イスタニカから一週間はかかる場所だ。


「一週間の遠征で敵が狙ってくるのはモルスの丘だけとは限らない。要するにあなたはハルの護衛兼、襲撃時に敵を捕らえる為の戦力。」

「絶対ハルを守りたいだけじゃんー!!!」


 クロエは「職権乱用だー!」と叫びながらもセシリアの手によって馬車へ押し込まれた。


「先頭にはノアとオーネット、アリスがいる。私達は最後尾の馬車よ。」

「分かりました。」


 ハルはセシリアに促され、クロエの乗った馬車へと乗り込んだ。車内は質素だが3人で乗るにはかなり余裕がある広さだ。ハルの向かいにセシリアが腰掛けた事を確認すると、馬車はゆっくりと走り出す。

 窓の外に映るのは、何度か塔から眺めていた街並み。大遠征という一大イベントに、道路に出て学生らを見送る人々も多くおり、さながら花道の様だ。やがて道は徐々に草木に囲まれた林の中へと入って行く。


「モルスの丘は片道一週間。今夜は近隣の町に泊まるけど、今日を除けば4日目以外は野営になる。敵はいつ、どのタイミングで襲って来るかわからない。警戒を怠らないで。」

「わかりました!」


 と言いつつ、ハルにとっては学園入学以来、セモール村を除き初めての遠出だ。それもセシリアと共に。喜ぶべき状況ではないとは分かっていつつも、心もどこかでは楽しみな気持ちもあった。それはセシリアも同様の様で、どこかソワソワしている。


「不思議ね。前にもこうして一緒に馬車に乗った事はあったけど、その時とはまるで景色が違って見える。」

「ふふ、あの時は私も雁字搦めに拘束されてましたから。」


 セシリアが優しい目でハルを見つめ、ハルが照れた様に微笑み返す。まるでこの空間だけ、遠征などという野蛮なものとは程遠い世界。それこそ周囲に百合の花畑が広がっていそうなものだがーーー


「だから嫌だって言ったんだよ!!!!!」


 そう、この馬車にはもう一人乗っているのだ。放っておけばキスすらしかねない雰囲気の二人に、クロエが吠える。


「何が護衛だよ!セシリアだけいればいーじゃん!絶対私いらないじゃん!」

「クロエ、もしかしてあなたもハルの事を・・・?」

「どうやったらそうなんだよ!!!ハルの事になると脳みそ溶けすぎだろ!!!」


 そう言うと怒ったクロエは「これならオーネットの方がマシだ!」と行って先頭を翔ける馬車へと一瞬で移動してしまった。


「・・・何がそんなにクロエの気に触れたのかしら?」

「セシリア様は確かに一回冷静になったほうが良さそうですね・・・」




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 遠征初日の宿泊地、イバリースに到着したのは夕刻過ぎだった。イバリースは大きな川を跨って栄える宿場町で、水路陸路共に交通の便が良い事から商人が多く立ち寄る町として栄えており、イスタニカ程まではいかないものの多くの人で賑わう町である。

 ハル、アリス、そして四賢聖の6人は町の中でも比較的警備がしっかりとした、ワンランク上の宿へとやって来ていた。


「私達の部屋はここね。」


 ハルがセシリアに続いて部屋に入ると、そこは清潔感のある普通の一室。綺麗に整えられたベッドが二つと、僅かに物書きを行える様なスペース、そして暖色のランプが置かれている。そんな至って普通の一室であってが、幼い頃から村を出た事がなく、学園からも殆ど出ていないハルにとっては、輝く外の世界に感じた。


「これが・・・宿!!!!」


 ハルはそう言うと荷物を放り投げてベッドへ大の字で飛び込む。


「うわ!フッカフカです!いつものベッドよりも固くて最高です!最高ですよセシリア様!!!」


 そう言って無邪気に何度も跳ね返って遊ぶハルに、セシリアは一瞬呆然とすると、部屋の隅に荷物を置き、なぜかハルの飛び跳ねているベッドに腰掛ける。そして、


「・・・・セシリア様?」

「・・・・・・」

「ちょ、ちょっとなんですか!?静かに押し倒さないで貰えますか!?」

「・・・・・・」


 しかしセシリアは無言のままハルを仰向けにしてその制服に指をかけ始める。


「セ、セシリア様!?」

「・・・いきなりこんな、年相応の少女らしい姿を見せてくるなんて、誘ってるとしか思えない。」

「拡大解釈がやばすぎる!」


(クロエ様の言う通りだった!この人結構頭おかしくなってる!全部私のせいだけど!!!)


 そして謎のスイッチが入り、夜のエンジン全開モードのセシリアに必死にハルが抗っていると、突然部屋の扉が乱暴に開かれた。


「セシリアぁぁぁぁ!!!・・・って何でもうそんな事になってんの!?まだ宿着いてから10分も経ってなくないっ!?」


 走って来たのか、息を切らして立っていたのはクロエだった。クロエは今まさにハルの服を脱がせようと覆いかぶさる学園の首席に幻滅している。


「・・・何?用があるなら早く話して。見たいなら別に構わないけど。」

「いや私がかなり構いますから!」


 セシリアはクロエなど気にしないと言うかの様にハルの制服のボタンを一つずつ外していく。


「頼まれても見たくないわ!!!それより、何で私がアリスと同室なんだよ!!!」


 そう、クロエが自室だと案内された部屋に入ると、そこには因縁の相手であるアリスが座っていたのだった。アリスとはブローチの一件後も一度も会話をしておらず、馬車の中でも何となく気まずく目を合わせずに来た。そしてそんなのは耐えられないと異空間にある自らの部屋に転移しようとした所、漏れなくクロエの行動を先読みしていたセシリアによって、異空間のクロエの部屋には入れなくなっていたのだった。


「どう考えてもアリスしかいないでしょう。私達と同室でも構わないけど、少なくとも明け方まではハルが騒がしいと思うわよ?それにオーネットとノアだって」

「あーーー!聞こえない聞こえない!分かったよアリスと一緒の部屋で寝ますよ!何でこの代の賢聖はどいつも性欲が強いんだ!?」


(あれ?でもセシリア様と私だとうるさくなるのなら・・・)


 純粋にセシリアの言葉の意味を、“セシリアとハルは仲が良いので朝まで騒がしい”という意味にとったハルが爆弾を投下する。


「それなら私がクロエ様と同じ部屋になりましょうか?セシリア様はアリスさんと同じ部屋で。それならクロエ様もいいのではないでしょうか?」

「・・・ハルって本当に馬鹿だな。」

「え?」


 突然セシリアから感じるどす黒い魔力。


(あれっこの魔力、前にも感じたことがあった気がーーー)


「く、クロエ様っ!助けて!!!」

「・・・強く生きろよ。」


 身の危険を感じて咄嗟に助けを求めたハルに、クロエはそれだけ言い残すと一瞬にして脱兎のごとく逃げ出したのだった。


「ハルにはまだ、私のものという自覚が足りないのね。」

「・・・ヒッ」


 その後、夕食の場に現れたハルはなぜかぐったりとしており、ノアに心から心配されるのであった。




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 ハル達が夕食を取る為に訪れたのは、町中にある普通の飲食店である。広い食堂の様な店内には忙しなく従業員が動き回り、あちこちから注文の声が上がる。店内は殆ど満席で活気に溢れていた。


「すごい人ですね・・・」

「そうだな。今週は小さい祭りみたいなのがやってるらしい。大通りに色んな出店が出ていたぞ。」

「出店!?」


 オーネットが口にした“祭り”や“出店”といった言葉に、思わずハルの体が前のめりになる。ただでさえ初めての宿、久しぶりのこんなに賑わった場所での食事、そして街。更に祭りや出店となれば、思わず目を輝かせずにはいられなかった。


(行きたい!絶対に行きたい!)


 そう思いハルはセシリアを見上げるが、


「でも危険だからこんなに四賢聖がハルを囲ってんでしょ?自由に外出なんてさせちゃダメでしょー」


 クロエが持っていたナイフを回しながら言った言葉に、ハルは一気にしゅんと肩を落とした。考えれば当然の話である。恐らく教会が狙っているのはアモルの力を宿したハル。その張本人が街をふらついていれば「攫ってください」と言うようなものである。しかしーーー


「いいわよ。」


 予想外のセシリアの言葉に、ハルは更に目を輝かせてセシリアを見つめた。そしてクロエは飲んでいたジュースを吹き出す。


「いや良くないだろ!甘すぎだろ!」

「・・・私がずっと側で見張っているわ。たまには息抜きも必要でしょ。」


 もっともらしくそう言うセシリアは、やや視線を斜め下に下ろしており、その頰は心なしかほんの僅かに赤い。


「いやただ一緒に出かけたいだけだろ!!!!」


 こうして四賢聖プラスハルとアリスは、各々街中を散策する事になったのだった。




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 店を出た後、オーネットとノアは「用があるから」と言って二人ですぐに街の中へと消えていった。そしてクロエも「もう付き合ってられん!!!」と怒って姿を消す。恐らくどこか高い場所で一眠りでもするのだろう。クロエは猫の様に高い所を好む習性があった。

 残されたのはセシリアとハル、そしてアリスの3人。


「アリスさんも一緒にお店見に行きませんか?」

「・・・わかった。」


 そうして3人は大通りへ向かって歩き出す。アリスは学園を出発してからもずっと無口のままだった。何かを聞けば「はい」や「わかった」等と答えるのだが、自分から言葉を発する事は一切無い。


「アリスさんは街にはよく来るんですか?」

「・・・いえ、あまり外には。」

「それじゃあ私と一緒ですね!セシリア様、どこに行きますか?」


 アリスはセシリアとハルに挟まれて、黙って一緒についてくる。アリスが観光をしたくてついて来たのか、それともただ言われたからついて来たのかは分からないが、相変わらずの仏頂面から後者かと思われた。


「そうね。オーネットの言っていた出店の方をまずは目指しましょうか。」


 そう言ってたどり着いたのは、大通りの左右に数々の小さな店が立ち並ぶ町の中心部。並んだ店はお菓子やお花、食器や装飾品、武器に薬など幅広いラインナップでどの店も賑わっていた。


「お祭りというだけあって混んでるわね。」

「迷子にならないように手を繋ぎますか?ほら、アリスさんも!」

「・・・あっ」


 そう言ってセシリアの手を握った手とは反対の手をアリスへ差し出すハル。手を差し伸べられたアリスは一瞬戸惑いつつも、おずおずとその手をそっと握った。そんなアリスの遠慮がちの手を、ハルが強く握り返す。


「セシリア様!お菓子見ましょう!私いつもオリビアさんが作ったお菓子を食べているので、たまにはオリビアさんにお菓子をプレゼントしたいです!」

「そうね、それなら向こう側から周りましょうか。」


 手を繋いで店を回る3人の姿は、まるでただの旅行に来た少女達の様に輝いて見えた。




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「・・・ここは変わらないな。」

「そうね。」


 街の喧騒から離れ、ノアとオーネットは二人きり、小さな噴水のある広場に来ていた。

 日が沈んだ広場は誰もおらず、囲う様に建っている民家の窓から漏れる明かりが、優しく噴水から溢れる水を照らす。遠くで家族団欒とした笑い声が聞こえ、夕食の際のものか、香辛料を炒めた様な香りが辺りに漂っていた。


「まるであの時に戻ったみたいだな。私とノアの家族、そしてローラ。みんなで旅行に行く途中、ここに立ち寄った。」

「珍しくローラとあなたが喧嘩して、飛び出して行ったあなたが迷子になったのよね。」


 そう言ってクスクスとノアが笑う。思い出す、何年も昔の記憶。そしてはにかむ金髪でロングヘアの幼い少女。


「あの頃はもっと広くて大きな街だと思っていたのに、大きくなって来てみると、こんなに小さな街だったんだな。」

「それはきっとあなたが大きくなったからよ。」


 ノアが慈しむ様に微笑み、オーネットの頬を優しく撫でる。オーネットはそんなノアの手を取り、藍色の大きな瞳を見つめて言った。


「でも、君はいつまでも変わらない。いつも迷子になった私を見つけ出して、連れ戻してくれる。」

「・・・そうね。そんなあなたが心配だから、いつも隣にいられる様に私も意外と頑張ってるのよ。」


 そう言うとノアがそっとオーネットに唇を重ね、そして離す。


「何度迷子になってもいいから、私の手は離さないでね。」


 そう言って月明かりの下で微笑むノアは、まさに天から舞い降りて来た女神の様であった。




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「ふあーあ、よく寝た〜」


 星々の下、街の全体が見渡せる宿の屋根の上にクロエはいた。夕食で腹を満たしたクロエは、見張りも兼ねて宿の屋根へと飛び乗ると、満腹のせいか気が付けばぐっすりと寝てしまっていたのである。どれくらい時間が経ったのだろうか、見下ろすと大通りの人数もやや減っており、中には店を閉めている人もいた。


「明日の分のお菓子はもう買ったし、悪戯でもして来ようかな〜」


 そう言って獲物を探す様に見渡していると、見覚えのある少女を見つけた。場所は大通りから何本か路地に入った場所。金髪のショートヘアと制服姿。思い当たる人物は一人しかいない。


「あいつ一人で何やってんだ?」


 そう思いクロエは屋根の上から屋根の上へと飛ぶ様に渡り、少女ーーーアリスのすぐ後ろに降り立った。路地は狭く、人通りは殆ど無い。そして一人佇むアリスに声をかける。


「おい、お前も一人なのか?」

「・・・・・・。」


 だが一向にアリスの返事は無い。


「おい、無視かよっ!」


 そう言ってクロエがアリスの肩をぐいっと引っ張り、無理矢理振り返らせると、


「っ!?」


 振り返り、クロエの顔を見て驚いた様な表情をするアリス。その顔は、精悍な顔立ちに青い瞳といつも通りのアリスであったが、その瞳からはボロボロと大粒の涙が溢れ、頬を伝って制服の襟元を濡らしていた。


「・・・・お前、泣いてる、のか?」

「・・・・何でもない。迷子になっていただけ。」


 アリスはそれだけ言うと、クロエから顔を隠す様に横を向き、涙を拭った。


「・・・・・宿、あっちだぞ。」

「そう、ありがと。」


 気まずい沈黙が二人の間に流れる。

 普段のクロエであればそもそも道案内なんて面倒な事はしない。しかし何をしても響かなかった鉄の様な少女の突然の涙に、クロエは動揺していた。


(絶対今のって迷子の涙じゃないよな!?普通迷子で17にもなって泣くか!?)


 しかし当然その理由を聞ける雰囲気でもなく、いくら空気を読まないクロエであっても、この世には聞いてはならないこともあるという分別はついていた。


「・・・じゃ、じゃあ私はもう寝るから。迷子になっても迎えにいけないから、あんまり遠くに行かない様にな。」


(なんで私が親みたいな事言ってるの!?)


 クロエの言葉に、アリスは黙ってコクリと頷くと、浴室へと消えて行った。

 ただただ静かな部屋に響くシャワーの水しぶきの音。


「・・・めんどくさっ」


 クロエはそう呟いてベッドに飛び込むと、じっと目を瞑った。しかし何度寝返りを打っても、瞼の裏には涙を流すアリスの顔が浮かび、なかなか寝付けないのであったーーー









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