29 少女と動き出す思惑

 


 アリスへ四賢聖入りの打診が行われた翌日以降、アリスを取り巻く環境では不可解な現象が起きていた。


 ーーーある時は校舎の倉庫で。


「・・・クロエ。私の制服が無いんだけど。」

「な、ななななぜここが!!!」


 ーーーまたある時は庭園で。


「・・・クロエ、私の教室が誰かの幻術で砂漠になってるんだけど。」

「ぐ、ぐぬぬぬぬぬぬぬ!!!」


 ーーー更にある時は、ノアの執務室で。


「・・・クロエ、学生寮から生徒が一人も出られなくなってるんだけど。」

「なんでお前だけは出られるんだよぅ!!!」


 自らのとっておきの部屋に土足で入り込まれた仕返しとばかりに、クロエは連日アリスへ嫌がらせを仕掛け続けた。しかし、そのどれもをすぐに看破し、表情一つ変えずにクロエの元へと辿り着くアリスに、クロエは更に苛立ちを募らせる。


「お前は、絶対ぜーーーったい泣かせてやる!!!」


 そう言って部屋を飛び出していくクロエに、突然巻き込まれたノアは「あんなクロエちゃん珍しいわね」と微笑むのだった。




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 少女、クロエ=ウェストコリンは激怒していた。


 クロエは四賢聖第二位の実力者にして、あのセシリアでさえも手を焼く程の自由人。これまで欲しいと思ったものは全てその力で手にしてきた。そして人の喜怒哀楽を弄ぶのが何よりも好きだった。しかし、そんな自分が今はぽっと出の小娘にあしらわれている。その事実にただでさえ沸点が低いクロエの心は憤慨していた。加えて、今朝2年生が使用する学生寮を空間魔法で異空間に飛ばした事がセシリアにばれ、隠し持っていたファヴァールのお菓子を全て凍結されたのである。クロエにとってそれはまさに資産凍結。完全に自己責任であるが、自己責任という概念がないクロエワールドではアリスの事もセシリアの事も許せなかった。


「こうなったのも全部セシリアがアリスを連れてけとか言ったからだー!!!!」


 ドゴォォォォォォォンッ


 クロエは怒り、周辺に風魔法をぶっ放した。クロエの手から無造作に放たれた魔法は巨大な竜巻となって周辺の木々を切り刻み、たちまち更地へと変えていく。


「…こうなったら、セシリアの一番大切なものを奪ってやる」


 そう言ってニヤリと口角を上げるクロエの顔には、いつもの邪悪さが戻っていた。




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「今日もリアはオーネット様と稽古するの?」

「うん!大遠征では楽しみにしてて。すごい技考えてるから!」


 時刻は夕方。一日の講義も終わり、リアとハルは話しながら荷物をまとめていた。


「あら、リアさんは本日も訓練所に向かわれるのですか?実は私、先日ちょっとしたお茶菓子を作りましたので、お茶でもいかがと思ったのですが、残念です・・・」


 そう話しかけてきたのは赤髪の少女イグテア。ハルの数少ない友人のうちの一人である。当然ハルにはもうイグテアとの会話を拒否する必要もない為、最近は頻繁に会話をする仲になっていた。


「ハルさん、もしよろしければご一緒にいかがですか?」

「えっとごめん、ちょっと今日はノア様に治癒魔法を教えて貰う約束が・・・」

「そうですか・・・」

「また今度やろう!お茶会!私も作ったお菓子持っていくから!」

「えぇ、約束ですわよ?ハルさん」


 ハルの言葉に少しだけイグテアの顔に明るさが戻る。その顔を見てほっと胸を撫で下ろしたハルは、「また明日ね」と言って教室を出て行った。


 ーーーそして、そんなハルの姿を上空から見つめ、ほくそ笑む影が一つ。


「ひひひひ、あはははは、ノアかぁ、簡単だなぁ」




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 この日、ハルはノアと治癒魔法を伝授して貰う約束をしていた。ノアはグラソンの聖女や良心などと呼ばれている事からも分かるように、四賢聖の中でも治癒魔法や補助魔法に特化した魔法を得意とする稀有な存在だった。

 それは両親が王国有数の医師、薬師の娘である事も理由の一つではあったが、それを抜きにしても、ノアは学問や研究といった座学に打ち込む事が好きだった。また、目の前で幼馴染を失ったという悲しい過去を、“救えない命を救う”という思いに昇華していた事も大きな一因であろう。故に高い魔力量を持っていた事も比例し、現在は研究機関でもあるリューグル魔法学術院との共同研究も行っており、国内の治癒魔法や魔法薬学の発展に貢献していた。


(あのノア様から治癒魔法の手ほどきを受けられるなんて!)


 ハルは小走りでノアのいる建物へと向かう。

 そして庭園を抜けようとしたその時、


「あれ、ハルちゃん?」

「ノア様!!!」


 声をかけてきたのは、ラベンダーの花壇に水やりをしているノアであった。

 ハルを見かけて慈しむように目を細めたノアは、日の光に照らされて水滴を輝かせる花々とも合間って、まさに花の妖精そのものだ。


「もう講義は終わったの?」

「はい!さっき終わりました!」

「それじゃあ行こっか。」


 そう言うとノアは身を翻して歩き出した。ハルもその後ろをついて行く。しかし進む方向はいつものノアの執務室がある建物ではない。


「あれ、今日は執務室ではないんですか?」

「ええそうよ。もっと二人っきりになれる、あなたを壊すにはピッタリの場所があるの。」

「・・・・え?」


ノアの口から飛び出た不穏な言葉に、思わずハルが聞き返した瞬間、


 ドゴォォォォォォンッ


 地面から巨大な土の枝が出現し、ノアの体を絡め取る。


「きゃっ」

「ノア様ッ!?!?」


 伸びた枝は更に細かく分岐するとギリギリとノアの細い手首や足、腰を締め付け、ギリギリと引き絞った。


「ぐっあが・・・っ」


 苦しげな表情を浮かべて呻くノア。突然の事態に敵の攻撃かと咄嗟に身構えるハルだが、そこで背後から聞き覚えのある声が飛ぶ。


「それはノア様じゃない。」

「・・・・・アリス!?」


 いつの間にかハルの隣に立つアリスは、普段通り凛とした表情のまま、苦しそうな表情を浮かべるノアに向かって手をかざして魔法を唱える。するとたちまち藍色だった髪は伸びで銀髪のツインテールに、涙ボクロは消え瞳の色も真っ赤へと変わっていく。


「ク、クロエ様っ!?!?」

「ぐぬぬぬ・・・イジテシオン!!!」


 クロエが魔法を唱えると、その体は一瞬にして緑の光に包まれ、全身に巻き付いていた土の幹、枝を粉々に切り裂いた。そして木の束縛から逃れたクロエは地面に降り立ち土埃を払うとアリスを睨む。


「なんでお前がいるんだよ!!!」

「・・・盗んだもの、返して。」


平坦な声でそれだけ言ったアリスに、ノアはしてやったりとした顔を浮かべた。そして、制服のポケットから金色のブローチを取り出し、これ見よがしにアリスに見せびらかす。


「フフンッいっつもあんたが大事そうに持ってたからな!欲しかったら自力で取り返すんだなっ!!!」


 四賢聖とは思えない程の悪役のセリフである。しかしその言葉に、いつも仏頂面のアリスの目つきがほんの僅かに鋭くなった。


「・・・それは、返して。」


 普段とは違う、怒気を孕んだ声。これまで見せなかったアリスの反応に、ついにやってやったぞとばかりにクロエは笑って更にアリスを煽る。


「あはははっそんなに大切なものなんだ、こんな安っちいブローチが?」

「・・・・・返しなさい!」


 アリスはそう言うとクロエに向かって真っ直ぐ両手を翳した。


「なになに私とやる気?いひひ、いいねぇいいねぇ」

「アラゾンサーペント・ガルーシオ!!!」


 アリスが叫んだ途端、地震の様に辺り一体の地面が揺れ、地割れの様な低い音が学園中に響き渡る。立っていられない程の強い揺れに思わずハルはよろめいた。


「地震ッ!?」


 ドゴゴゴゴゴゴガガガガガガガッ


 そして次の瞬間、一瞬にして間の前のクロエを丸呑みするかの様に、巨大な土の蛇が地面を真っ二つに割る様に出現し、轟音を響かせながら空へと舞い上がる。


「クロエ様ッ!!!!!」


 舞い上がった蛇は竜の様に舞うと、今度はクロエを呑み込んだ口を地上に向けて真下へと突っ込んだ。


 トガァァァァァンッ


 先程の割れる様な音よりも更に爆音に近い地響きが辺り一帯に響き渡る。

 そして庭園の道を塞ぐ様に、ハルとアリスの目の前には大量の岩が積み上がった瓦礫の山ができていた。


「す、すごい…じゃなくて、クロエ様!!!」


 慌てて瓦礫の山に駆け寄るハルだったが、当然格下からの一撃でクロエがやられるはずもなく、


「あはははは、随分必死じゃん。そんなーにこの安っちいブローチが大切なの??」


 クロエはいつの間にかアリスの耳元に移動し、見せつける様にアリスの目の前へブローチをぶら下げている。そして確実に蛇に呑み込まれたと思われた体は、傷ひとつついていなかった。


「返して!」


 アリスが声を荒げてクロエからブローチを奪おうとするが、猫をじゃらすかの様にアリスをかわし、満足そうな表情でクロエは上空へと浮き上がっていく。


「そんなに大切なの?ねぇ返して欲しい?ねぇねぇねぇ」

「・・・それは母から貰ったもの。だから大切。今すぐ返して。」


 アリスの言葉に、ニヤニヤしていたクロエの顔が、一瞬にして曇った。


「母親に貰ったから大切?こんなメッキの安っちいブローチが?お前母親に愛されてないんじゃないの?」

「・・・あなたには関係ない。あなたには分からないんでしょ、人を大切に思う気持ちも、大切に思われる気持ちも。だからそうやっていつも人を弄ぶ。まるで子ども。」


 アリスの口から放たれるクロエを蔑む言葉に、クロエは身を震わせて怒り狂った。クロエの記憶の彼方、闇に葬っていた過去に触れるアリスの言葉は、完全に地雷だった。奥深くに眠っていた大量の火薬に、アリスは火をつけてしまったのだった。


「はぁぁぁぁ?人の気持ち?そんなの分かって何になるんだよ!!!食べたら美味いのか?金になるのか?こんなものを大事にずっとぶら下げてるお前の方が子どもだろっ!!!」


 激昂したクロエはそう怒鳴ると、ブローチに向かって魔法を放つ。風の魔法を極限まで濃縮させた、鋭く尖った風の刃。それは一瞬でブローチを引き裂き、バラバラの欠片となって夕日を反射しながら庭園に砕け散った。

 そしてそれだけでは気が収まらず、刃向かってきたアリスをさらにズタズタに引き裂いてやろうとしたクロエだったが、


「・・・・・・そう。」


 予想外にも、アリスは砕け散ったブローチを見ると、一瞬にして普段の仏頂面へと戻り、何事も無かったかのように身を翻して去っていく。


「えっ・・・?」


 思いもよらぬアリスの反応に、ただただ唖然とするハル。

 そしてクロエもまた、理解不能なアリスの行動に、呆然とするのだった。


「本当に、何なんだよ、あいつ・・・・・」




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 ーーー時刻は夜。


 セシリアの執務室へはクロエを除く四賢聖の3人が集まっていた。そしてそれぞれの面持ちは深刻で暗い。ついに教会が動き出したのだ。


「バジリスクとアンデッドの群れの討伐か・・・セシリアであれば問題なかろうが、問題は取り仕切っているのがリー教会というのと、場所がモルスの谷か・・・」

「そうね。ただバジリスクによって近隣の村が壊滅しかけた事件も一月前にあった。この機会に一掃すべき魔獣であるのは間違いないわね。大遠征としては妥当な相手。」


 セシリアの机の上に広げられた紙。

 そこには大遠征の討伐対象と日取り、日時が記載されたリー協会からの手紙だった。


「必要物資や宿は例年だとリー教会の手配だが・・・念の為、学園でも余分に確保しておいた方が良さそうだな。モルスの谷までは馬車じゃ一週間はかかる。」

「そうね。オーネット、手配をお願い。それとノア、本件をグルゴのシオンにも伝えて。」

「わかりました。」


 バジリスクーーーそれはクラーケンと並ぶ超級の魔獣である。当然国でも大規模な討伐隊が組まれ、数年に一回駆除を行ってはいるものの、様々な被害を継続的に出していた。加えてモルスの谷と呼ばれる渓谷は鬱蒼としており、魔の瘴気が溜まりやすい為か、バシリスク以外にもアンデッドをはじめ数多の強力な魔獣が棲み着いている。その為か近隣の被害報告も絶えず、何度かセシリアも片手間で魔獣の群れの討伐に出向いた事もあった。

 しかし、今回の敵が魔獣だけとは限らない。


「グラソンの娘に関しては未だに進展無しか?」

「・・・ええ。ハルとセモール村に何度か足を運んだりアモルに尋ねているのだけど、手がかりは何も無い。ノアの方は?」

「私もリューグルの文献をあたっていますが何も・・・」


 グルゴ・パラン襲撃の際にオーネットが交戦したイザベルの話を聞く限り、敵の力は恐ろしく強大だ。教会の関わる大遠征より前に、より強力な力を手にしておきたかったセシリアであったが、現状は何も手掛かりが無い状態。アモルの話が真実なのかすら疑い始めていた。


「大遠征は2週間後。講師には私から伝えておくわ。一瞬で終わらせて帰るわよ。」


 セシリアの言葉に、ノアとオーネットが頷く。

 こうして、夏の最も大きなイベントである大遠征が動き出す。様々な思惑を乗せて・・・




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「バジリスク・・・ですか?」


 ここは修復されたハルの部屋。シオンの襲撃後、しばらくはセシリアが「私の部屋があるからいいじゃない」と言って一向に修復して貰えずにいたが、根気よく頼み続けた結果、渋々またハルの部屋が復活したのである。

 当然ハルとしては、セシリアの部屋で過ごす事は嫌では無かったが、朝まで一緒に過ごす事に体が耐えられなかった。というのも、セシリアの中では「ハルが気絶したら止める」というポリシーのようなものがあるようで、うっかり朝までの間に目を覚ましてしまった際の「あら目が覚めたのね」という悪魔の微笑みから始まる地獄に、ハルの体は徐々に蝕まれて行った。そして何より、朝まで盛る主人を見るオリビアの視線に耐えられなかった。

 そうして今日もハルの部屋にやってきたセシリアは、当たり前のようにハルを押し倒して話し始める。


「ええ。名前くらいは知っているでしょう?まあ蛇に毛が生えたような魔獣よ。」

「強いんですか・・・?」

「まあオーネットでも倒せるくらいのレベルかしら。」

「うわぁ、強さのレベルが全然参考にならない・・・」


(聞く相手間違えた・・・明日リアに聞いてみよう・・・)


 するとセシリアが、ハルの黒い髪をそっと撫で、その翡翠色の瞳でハルを見下ろしながら言う。


「ただ今回は演習なんて言って遊べる状況じゃないから、バジリスクは私が瞬殺する。だからあなたがバジリスクに遭う心配は無い。」

「しゅ、瞬殺・・・」


(私、時々あなたの方が怖いです・・・)


 あのクラーケンでさえも一瞬にして氷漬けにしたセシリアであれば、バジリスクでさえも本当に赤子の手を捻るようなものなのであろう。ハルはほんの少し魔獣に同情した。


「でも大遠征の敵は、魔獣だけじゃ無い。」

「・・・リー教会、ですね。」


 その状況は十分にハルも理解している。大遠征は例年、その後の打ち上げのような祭も含めてリー教会が主催となって進めている一大行事である。そしてそんな教会がハルを狙っている以上、何も仕掛けてこないとはとても思えなかった。ハルを見下ろすセシリアの目もどこか真剣そうだ。


(セシリア様が心配してくれてる・・・)


 本来であれば手が届かないような場所にいるはずの少女、そして誰よりも愛おしいと感じる少女が自分を心配してくれている事に、ハルの胸に熱いものが込み上げる。


「ええ。だからいざという時の為に、アモルの能力をしっかり把握すべきだと思うの。」

「・・・魔力譲渡、ですか?」


 それなら何度も行なっており、体を重ねず魔力を譲渡する方法もすでに何度か試している。


「いえ。違うわ。」


 しかし、セシリアは首を横に振った。そして、真剣そうな表情から一転、獲物を捕まえた猛禽類のように瞳を輝かせて淫美に微笑む。


「ハル、“服を脱いでここで四つん這いになりなさい”」

「え?」


 セシリアの口から放たれた突然の言葉にハルの思考が停止する。しかしハルの意思とは関係なしに、服を脱ごうと動き出す手。


「ちょ、ちょっとセシリア様!?アモルの力ってこっちですかっ!?!?」


 ハルの魔力譲渡の力をグレードアップする代償として失ったもの。それはセシリアの命令に対する拒否権。


「ふふ、隅々までしっかり確認しておきましょうか。」

「大遠征の前に死にそうなのですがっ!!!」


 今夜も、ハルの純情はことごとくセシリアの掌の上で弄ばれるのだった。




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