27 少女と門出
「・・・・・ハル!」
「お父さん!お母さん!」
大樹での一件のあと、セシリアとハルは生家へと向かった。
そして、もう二度と会えないと思っていた両親との再会に、ハルは強くその背中を抱きしめる。両親の目にも僅かに涙が浮かんでいるが、それは当然の反応であった。最後の別れをした日、ハルは明らかに様子がおかしかった。そんな娘を心配しない筈もなく、しかし会いに行く事もハルの発言から憚られ、ただただ毎日その無事を祈っていたのである。それが今、こうして抱きしめられている。
「無事に帰って来たな。おかえり。」
「今度来るときはちゃんと先に言いなさいよね。」
そう言ってしばらく抱きしめあった後、父はハルの後ろに立つセシリアへ頭を下げた。
「ハルをまた、ここまで連れて来てくださりありがとうございます。」
「私は何も・・・」
そう言いかけたセシリアであったが、ハルの父が下げた頭を見て、言葉を改めた。
「そうね。申し訳ないけれど、まだハルさんは学園でやり残してる事がたくさんあるわ。だから今度ハルさんを連れて来られるのがいつになるかは分からないけど、でも、必ずまた連れて来る。」
セシリアの言葉に、また父が涙ぐんだ。以前とは違う、帰りを約束する言葉。その言葉を、今度は嘘なく伝えられる事。それこそが、ハルの身が咎人という冤罪からようやく解放された事の証拠であった。
「お父さんお母さん。今度帰って来るときは泊まって行くからね!」
そう言って、ハルは両親に向けて向日葵な満開の笑顔を向けるのだった。
・
・
・
・
・
その後、学園に戻ってからセシリアは慌ただしく動き回った。ノアとオーネット、そしてシオンに事態を説明しなくてはならない為だった。
「性愛の神アモルか・・・初めて聞く名であり俄かには信じられんが、だがハルにその力を与えた所から考えると、ある程度は事実の様だな。それに神の力と言うのなら、測定会の日に私の攻撃全てを自動的に防いだ事も納得がいく。」
オーネットが腕を組んで唸る。
ハル達は今、オーネット、ノア、セシリアの4人でセシリアの執務室に集まっていた。オーネットと同じ様に難しい顔をしていたハルだったが、セシリアの執務室の片隅に置かれた謎の氷の塊を見つけて、首をかしげる。
「ん?この氷は何ですか?・・・ひっ!?」
ハルが部屋の隅に置かれた、ハルの身長よりはやや小さい氷の塊に近付いて覗き込むと、中に見た事がある少女の顔を見つけて叫び声をあげる。
「く、クロエ様!?!?」
「ああ。先日グルゴに急襲した時、異空間にグルゴの生徒を2名閉じ込め、そのまま放置して帰ったんだ。そのせいで助け出した時には2人が廃人になっていたらしくてな。シオンは弱い奴が悪いと言って笑っていたが、危うく死人が出る所だったので今朝からセシリアがああしてる。」
(今朝からこの状態って、こっちの方が死人が出るのでは?!)
そう思ったハルだったが、相手はクロエである。きっと何だかんだ抜け出すのだろう。ハルにも何となくクロエという少女の事がわかってきていた。
「敵の事を知るためにはグラソンの娘、か・・・ハル、心当たりは無いのか?」
「うーん、私があった事のある人物となると、セモール村の人でしょうか?でも魔法を使える人すら殆どいないような村ですし・・・」
ーーー何か大事な事を忘れてないか?
ハルの中で、漠然とした違和感がよぎる。しかし考えに考えても心当たりはなく、違和感は思い出せないままもやとなって消えて行く。
「一旦わかった事は、ハルは咎人では無い。そして悪魔でもない何か別の力が私達の味方をしてくれる可能性が高い。そのヒントはハルがこれまで出会ったはずの誰かが握っている、という理解でいいか?」
「ええそうね。何かわかったらまた連絡するわ。それより・・・」
「大遠征の件ですね。」
ノアが口を開く。
大遠征ーーーそれは毎年夏に行われている一大行事である。持ち回りで各学園が魔獣討伐のために全生徒総出で遠征を行う。そしてそれを取り仕切っているのが、リー教会。オーネットの心理操作やハルの拉致を画策し、そのトップには悪魔を統べる者がいるという穏やかでは無い噂が付いて回っている集団だ。
「まだ特にリー教会からのお達しは無いのですか?セシリアさん。」
「ええ。大遠征のお達しどころか先日のグルゴの件に関する魔法部からのお咎めも無しよ。」
「それはちょっと気味悪いですね・・・本当に何が目的なのでしょうか・・・」
しかし、事前に敵の正体や目的を暴き、戦力を揃えない以上、できることは何も無い。
一旦この場はお開きという事になった。
・
・
・
・
・
その後しばらくは、教会の暗躍や魔法部の手引きなどまるで嘘かの様に、いつも通りの平穏な日々が続いた。ーーーただ一つ、リアが学校に来ないという事を除いて。
ハルはじっと、空席となったハルの隣の席を荷物をまとめながら眺める。
「リアさん、今日も学校にいらっしゃいませんでしたわね。」
声をかけてきたのは赤髪の少女、イグテアであった。イグテアもリアと共にセシリア達の話し合いへ押しかけてきていた事は聞いていた。そしてイグテアも、リアが話したのか、リアが単独でグルゴ・パランまで乗り込んだ事を知っていた。
「今日でもう三日目だね。食堂とかでも会わないの?」
「ええ・・・お見かけしませんわね。寮にもあまり帰ってらっしゃらないみたいですわ。友人の話では、ずっと訓練場にいるそうで・・・」
(訓練場・・・)
思い出すのはあの日、自らの弱さに打ちのめされ「少し一人にさせて」と言って出て行った小さな後ろ姿。
ハルはこれまで、自分の魔法の弱さに打ちのめされた事は殆どなかった。幼い頃は違ったが、シリカの一件によってごく僅かな魔法しか使えなくなってからもう長い。また、自らの魔法によって最愛の姉を失った経験もあり、どこか強い魔法使いになる事とは、一線を引いている節があった。
ーーーあなたの魔法は、何かを倒す為の魔法ではないわ。救って、あの人を。
(あれ?誰かにそんな事言われたっけ?)
思い出しそうで思い出せない。言われた記憶のない言葉が突然頭に浮かんで消える。そんな事が最近何度かあった。
(うぅ・・・なんか気持ち悪いなぁ・・・)
イグテアと別れ、ハルは訓練場へと向かった。リアがいない学校は退屈で、セシリアも忙しそうにしている為、話す相手もいない。おそらく咎人ではない身になった以上、もう他の生徒と普通に会話をしてもセシリアに酷い目に遭わされる事は無いと思われるが、それでも今更自ら距離をとったクラスメイトに声をかける気にはならなかった。それに訓練場に行けばリアに会えるかもしれない、そんな気持ちもあった。
「私もオーネット様と剣の練習でもしようかな。」
そう思ってハルが訓練場へ向かって歩いていると、一人の少女が噴水の前で辺りを見渡しながら、うろうろとしているのを見かけた。
金髪でショートカット、そして碧眼の少女。そして学園の制服ではない服装。この学園の全校生徒は200人程な為、全校生徒の顔はなんとなくハルも把握していた。なので歩き回っている少女がこの学園の生徒では無い事は明白だった。
「あのーもしかして迷われてますか?」
ハルが背後から声をかけると、少女はパッと金髪を揺らして振り返った。遠くで見たときにも感じたが、凛とした目つきに精悍な顔つき。
(セシリア様と同じくらい綺麗・・・って私、初対面の人に一体何考えてるんだ!?)
すると少女は、驚いた顔を一瞬した後、無愛想気味に口を開いた。
「ええ。寮に向かっているのだけれど、道が分からない。」
「ああ、転校生か何かですか?」
「・・・・そうだけど、何?」
初期の頃のセシリアをも超える無愛想さに、思わずハルはたじろぐ。
(えっ私なんか気に触る事言った!?)
しかし、これくらいの事ではハルの心は折れなかった。
「私はこの学園の1年の、ハル=リースリングです!」
「・・・・・・・・そう。私は2年のアリス。アリス=セルゲディーテ。」
(なんだ今の間は!?)
謎の間が気になりつつ、ハルは学生寮の方向を指差して案内すると、少女は「そう」とだけ言ってお礼も無く立ち去って行った。そんな少女の後ろ姿を見ながら思わずハルが呟く。
「人に冷たくされるの、セシリア様のせいでかなり慣れてきた気がする・・・」
「何か言ったかしら?」
「っ!?セシリア様!?仕事があったはずでは!?」
「ちょっと息抜きに来たのよ。悪いかしら?」
突然現れたセシリアに心臓が飛び出るほど驚くハルであったが、セシリアはそんなハルには一切目もくれず、さも当然の様にハルの手を握って歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってください!?ここまだ学園ですから!」
「あら、私たちはいつも学園にいるじゃない。」
「そういう事じゃないです!!!」
今はまさに下校の時間。校舎から学生寮に向かう人の流れも多く、数名の生徒が突如現れた四賢聖と、その四賢聖になぜか手を握られて歩いている謎の平民に、明らかに視線が集中しているのをハルは感じていた。そしてその視線は明らかに不審、好奇、嫉妬、恨み、羨望とかなり良くない感情が渦巻いている。
「あの、やっぱりここで手を繋ぐのは!ってあれ、離せない!?まさか!」
「ふふっ」
セシリアが手を繋ぎたいと望んだ。それに対する拒否権はもう、ハルには無いのだ。アモルによる理不尽な契約によって。そしてその元凶である悪魔は隣で満足そうに微笑んでいる。
「うう・・・アモルめ・・・」
「そういえばどこへ行くつもりだったの?」
「訓練場です。測定会も近いですし。それに、魔法が使えない分、剣の練習でもしておこうと思って・・・」
「あら、それなら私が付き合ってあげましょうか?」
「本当ですか!」
セシリアの戦闘スタイルは圧倒的に魔法に特化したものである。それは圧倒的な大魔法による物量攻撃と、繊細な小技も柔軟に使い分け出来るほどの魔力量、そして即座に戦略を練れる機転・経験値・勘によってもたらされる。それこそがこのセシリア=セントリンゼルトという少女をグラソン最高峰の人間として君臨させている。
しかし、魔法特化と言っても、レイピアを用いたその剣技はあのオーネットとも十分に渡り合えるものであった。
「是非!・・・でもなぜか嫌な予感がする!」
しかし、ハルは身を以て知っている。目の前にいるセシリアは、そんな手放しに人の為に何かを施す様な人間では無いと。
「ふふ、あなたが負ける度に何かさせようなんて考えてないわ。」
「その顔は絶対に嘘ですね!?」
「あら心外ね。」
そんなじゃれ合いをしながら歩いていると、最も学生寮から離れた、馬小屋裏にある訓練場に到着した。
「・・・ん?」
ハル達が来た訓練場は学園内でも最も小さく、その広さは100メートル四方程しかない、ただの空き地に近い場所だった。そしてそこに鎮座する訓練用の機械兵と、横たわった一人の少女ーーー
「ーーーリア!?!?」
ピンク色の髪は泥だらけになり、制服は所々擦り切れてボロボロだ。そして至る所の傷から出血しており、それは訓練などと呼べる様な怪我ではなかった。
「・・・・ハ、ル」
駆け寄ったハルに気づくと、リアは呻く様にそう言って上体を起こした。その顔には以前の様な天真爛漫な面影はなく、あの日、最後にリアと別れた時の様な悲痛そうな表情のまま、さらにその時より痩せこけていた。
「リア、帰ろう。もうボロボロだよ。そうしてこんなっ、もう十分だよ。リアは、もう十分だよっ」
「・・・・・・・。」
泣きそうにそう訴えるハルに、リアは何も言わなかった。もはや、その瞳にはハルの姿は映っていない。そこに映っているのはーーー
「・・・セシリア様・・・私と、勝負して下さい。」
「リア!?」
そう言ってリアは落ちていた木刀を握ると、それを杖代わりによろよろと立ち上がり、フラつきながらセシリアの方へ顔を上げた。その足はとうに限界を超えているのだろう、小刻みに震えている。
「・・・いいわよ。でもその体じゃ立つのがやっとそうね。日を改める?」
「・・・いえ、今からで、構いません。」
「セシリア様!?」
リアが気力も体力も消耗しているのは明らかであった。この数日間、ただでさえ碌に食事も取っていないのだろう。そんな体で、なぜ今、セシリアに挑むのか。以前の面影など一切消えてしまったリアが、一体何を考えているのか。それを知って尚、受けて立つセシリアの事も。ハルには全く理解が出来なかった。
「リア!?こんな状態じゃ大怪我になっちゃうよ!!!やめて!!!」
「放して、ハル。」
リアは止めようと縋り付くハルを片手でぐいっと押し退ける。
「ハル。下がってなさい。これはリアが決めた事。学園の生徒の意思を、私は尊重するわ。」
「・・・・・っ」
たちまち周囲の地面に霜がかかる。まるでここには立ち入るなというセシリアの意図の様に広がっていく霜に、ハルは二歩、三歩とリアから距離を取った。
(リア、どうして。こんなの意味ない。ただその身体をもっと痛めつけるだけじゃない。)
しかし、リアは真っ直ぐセシリアを見据えて振り返らない。その背中に、どんな想いが乗っているのか。何がそこまでリアを追い詰め、かき立てているのか、ハルには知る術がなかった。ずっと一緒に過ごして来たはずなのに、今はなぜかリアが手の届かない程遠くに離れてしまった気がして、手を伸ばす事も出来ない。少し時間が経てば、きっとあの天真爛漫で太陽なリアにきっと戻る、心のどこかで、そう楽観的に考えていた。リアだってハルと同じ、普通の16歳の少女だというのに。
「先に倒れた方が負けでいいわね。」
「・・・・はい。」
リアはそう言ってフラつきながらも一歩前に出る。そして片手をセシリアへと翳して魔法を唱えた。
「ウインドエッジ!!!」
リアの手のひらから薄い緑色の光が放たれ、数十もの刃が風を切って四方から高速でセシリアへと向かう。当然リアだって王国最高峰であるグラソン魔法学園の正規入学者。その速さは一般的な魔法よりも格段に早く、数も多い。しかし常識の域を出ない魔法が、常軌を逸した存在に届く筈もなくーーー
「遅いわね。」
全ての攻撃はセシリアへ数メートルという距離に到達すると、音も無く瞬く間に消え去っていく。そしてセシリアが片手を前に翳した。そんなほんの僅かな動作で、巨大な氷の塊が出現し、リアの風魔法を上回るスピードでその小さな身体に激突する。
「あがっっっ」
「リア!?!?」
内臓が損傷したのか、口から吐き出される血。そして後ろで吹っ飛ばされる身体。しかしそれでもセシリアは攻撃の手を緩めない。今度は数百もの氷の欠片を出現させると、それらが一瞬にしてリアの身体へ四方から襲いかかる。当然そんな無差別攻撃を手負いのリアが避けられる筈もなく、
ズガガガガガガガガガッ
「うぐぁっ」
氷の粒は直撃し、その小さな身体の至る所を殴打し、鋭く刻み、全身に無数の傷を作り出す。
「もうやめてっ!!!!」
しかし、地面に滴る程の血を流しても、リアは倒れない。膝を折らない。そんなリアにセシリアの攻撃は更に激しさを増す。
「リアっ!!!!!」
「ぐはっ」
氷の礫に全身を殴打され、制服は破け、身体中から血が滲み出す。意識が朦朧としているのか、その目はもう白目を剥き、全身はただただ氷の刃に蹂躙され、血にまみれている。
「セシリア様!!!もう、もうやめてっ!!!!」
「がはっ」
しかし、それでもセシリアは攻撃の手を休めない。巨大な氷の塊が横からリアの身体を殴打し、可憐な顔は醜く青く腫れあがる。殴打の衝撃で身体が前方に大きくよろけるが、それでもリアは足を踏ん張り、倒れない。
「これ以上は、本当に死んじゃうよっ!!!」
「ぐあっ」
額からは血が溢れ、フラつきながらリアが大きく吐血する。
そして、地面からつきあがった氷の柱がリアの身体を大きく上空へ吹っ飛ばし落下した時、リアはようやく仰向けで地面に倒れ伏した。
「リアっ!!!リアっ!!!」
ハルが急いで倒れたリアへと駆け寄るが、その姿は酷い有様だった。頭部や身体中は至る所が殴打されて腫れあがり、もはや片目は見えているのかすら危うい。全身は血にまみれ、何箇所も骨が折れているのだろう、鼻や口、耳からも絶えず血が流れている。
「リア・・・どうして・・・」
ハルはそんな自傷行為に等しい決闘で身体をボロボロにしたリアに、涙を流しながら回復魔法をかける。そして、目の前に横たわる傷だらけの少女に、いくつもの疑問が浮かんでは消えていく。なぜ、リアがここまでしてセシリアに挑みたかったのか、どうしてそこまで強さに拘るのか、なぜこんな無謀な戦いを挑んだのか。あの日、何がそこまでリアを追い詰めたのか。ハルの見て来たいつも笑顔のリアの姿からは、どうしてもその答えを想起する事が出来なかった。
「・・・・私、ずっと・・・逃げてた・・・・・」
リアが浅く呼吸をしながら、呻き声の様に呟いた。
「そんなっ、だってリアは助けに来てくれたじゃない!!!逃げてなんかないよ!!!」
「ずっと・・・ハルが、大変な目に遭ってるって・・・分かってたのに・・・・・」
そこで漸く、リアの中に燻っていた悔恨が、クラーケンと戦った一夜の件を指している訳ではないのだと、やっとハルも理解した。
「本当は・・・あの日、寮でハルに会った日、その目の色を見て、ハルが咎人だって気づいてた・・・でも、怖いから・・・気付かないふりをしたの・・・・あの日から、日に日に弱っていくハルを、一番側で見ていたのは・・・私だったのに・・・・・・」
「でもっ、でも、私は一緒にいてくれただけで、十分だったよっ・・・・」
しかし、リアは虚ろな表情のまま、話すのを止めない。思いを吐露する様に、リアの目から血と涙が混ざりあったものが頬を伝って行く。
「・・・・いつか、ハルは話してくれるはずって・・・でも、そんなの言い訳で、本当はずっと、本当の事なんか、知りたくなかった・・・・・怖かったから、何かに巻き込まれるのも、友達を失うのも、全部、怖かった、だからずっと逃げてた・・・・ハルは、知らない所で、あんな目に遭っていたのに・・・・。」
あの日、イザベルに誘われて盗み聞きをした時に知った。ずっと隣で微笑んでいた少女は、ずっと囚われの身であった事を。その特別な力のせいで、自由に街に行く事も出来ず、ずっとこの学園に閉じ込められている事を。そんな少女に、自分は「街へ行こう」などと言ってしまった事を。そして何より、その事に薄々気づいていながら、「ハルが黙っているのは言いたくないからだろう」と都合の良い様に言い訳をして、ハルの強さに甘えるだけで、気付かない振りをし続けていた自分の醜さに。
そして、気付いた時にはもう手遅れだった。「次は絶対に逃げない」と口では言っておきながら、ただただ逃げ続けて来た自分はあまりにも弱くて身勝手で、そして味方であるセシリアに、自分のせいで傷を負わせてしまった。
「私は・・・ハルの隣にいる資格なんて、ない・・・・・」
掠れるような声でそう言って、リアは目を瞑った。ハルはその顔を知っている。全部を失って、この世界の中で一番自分を嫌いになった顔。自分の全てが醜く感じて、この世界から消えてしまいたいと願った顔。死んでしまいたいと自分を傷つける癖に、死ぬ勇気もない、そんな自分すら堪らなく惨めで憎たらしい、そんな、あの日の自分の顔ーーー
「でも、リアはっ」
ハルは仰向けで目を瞑ったリアの頬にそっと手を添えた。
「でも、リアは、ずっと隣にいてくれたじゃない!助けに来てくれたじゃない!」
「あんなのは私の罪悪感で・・・」
「それでも、リアがいてくれたから私は生きてこれた・・・絶望しかない毎日の中でも、リアが私を笑わせてくれたんだよ・・・っ、それに、それにっ・・・」
ボロボロのリアの顔に、ハルの涙が落ちる。
重く苦しい閉ざされた日々の中で、何度もハルはリアに助けられた。その太陽の様な明るさや、陰鬱な気持ちを吹き飛ばす笑顔に。ずっと隣で笑っていてくれる存在が、ハルの手を躊躇いもなく握ってくれた手が、先の見えない毎日の中でどれ程の助けになっただろうか。セイレーンを切り裂いたその風が、どれだけハルの未来を切り開いてくれたか。
「そんな顔しないでっ、私が好きなリアを、嫌いだなんて言わないで・・・・そんなに自分が嫌いなら、好きになれる様に頑張るしかないんだよ。自分を変えられるのは、自分だけなんだよ・・・・っ」
次々と溢れ出す涙が、まるでハルの気持ちを伝えるかの様にリアの涙と混ざり合って頬を流れた。それはあの日、大樹に祈りながら思ったハルの誓いでもあった。大切な人を自分の手で失ったのなら、二度と同じ事を繰り返さない様に、ただ生きるしかない。後悔も苦しみも背負って。それが唯一残された者のできる事だとあの日、雨に打たれて漸く知った。
どちらが辛いのか分からない程、顔をくしゃくしゃにして涙を流すハルに、リアは閉じていた目をそっと開ける。そして、眉を下げて微笑んだ。
「・・・そんな事言われたら、こんな所で寝っ転がってるのが・・・すげーダサいみたいじゃん・・・」
「うううっリアっ」
「いたたた、痛いよハル・・・ふふっ」
微笑むリアに、ハルが思わず抱き着く。そんな二人を眺めていたセシリアは無表情のまま告げる。
「リア。もし、守りたいものがあるのなら、気持ちだけで勝てる程現実は甘くない。オーネットの所に行きなさい。そこから強くなれるかはあなた次第よ。」
そう伝えると必要な用は済ませたとばかりに、そのまま歩き出すセシリア。
リアは体を起こすと、ハルの手をギュッと強く握り、その桃色の瞳をじっと見つめる。
「ハル。私はもう絶対に折れない。私は私のやるべき事をする。自分の弱さも醜さも、全部引き受けて強くなる。だから、ハルはハルの進むべき道を進んで。絶対に負けないで。」
リアはもう知っている。ハルが戦うもの全てを。それは得体の知れない程に強大で、恐ろしい敵なのだろう。きっとその戦いで隣に立つのは自分では無いかもしれない。それでも祈らずにはいられなかった。出会った頃にはあんなにもか弱かった少女が、自分の未来と向き合って真っ直ぐ歩き続ける姿に。そして、その思いに応えるかの様に、ハルは強く頷いた。
「うん。私の心も、もう折れない。」
こうして二人の少女は、それぞれの未来へと道を歩み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます