26 少女と大樹
翌日、寝不足気味のハルと魔力譲渡を思う存分行った事でキラキラと輝いているセシリアは、セモール村までやって来ていた。
今回は馬車は使わず、セシリアに抱えられての旅であるが、馬車で4時間程かかる道のりは、セシリアの足では20分程度で到着した。
久々に踏み入れた、ハルの生まれ故郷の村。
本当は今すぐ両親の元へ駆けて無事を伝えたいところだが、大樹の元に行った後でないと両親には会わないと、ハルは決めていいた。
「本当に先にご両親にお会いしなくていいのね?」
「はい。シオンさんの言ったことが本当なら、大樹へ行って自分の正体を知ってから会いたいですから。」
「・・・わかったわ。」
二人は村の外れにそびえる大樹に向かって歩き出す。村からではなく、山の方から向かっているので村人に見つかる心配は殆どない。
そして、歩きながらハルは幼い頃の大樹にまつわる思い出を、セシリアへ語りだした。
いつまでも、ハルの魂に刻み込まれた思い出を。
ーーーーーーーーーー
ーーーーーーー
「パパママ見てみて〜!」
「おおっハルはすごいなぁ」
少女の手のひらから溢れた青い光はウサギを象った水の塊を作り出し、少女の周りを跳ね回る。
そんな少女を優しく見つめる父と母。そしてもう一人の少女。
ーーーそれは、ハルがまだ7歳の頃の記憶。
幼少期から人よりも魔力が強く、そして人一倍魔法が好きだったハルは、みるみるその腕を上達させていき、小さな村の中では最も魔法が使える少女となった。また当時は使える魔法の種類にも限りはなく、水で大空に虹を架けたり、氷のソリを作って友達と遊んだり、天真爛漫で優しい性格と合間って常にハルは村の人気者であった。
そして、そんなハルには5歳年上の姉がいた。
「お姉ちゃん!お姉ちゃんが大好きなウサギできた!」
「ふふ、本当だウサギだ。」
洗濯物を干していた手を止めて微笑むのは、ハルと同じ桃色の瞳をした、茶色いロングヘアの少女。ハルはこの姉、シリカの事が大好きだった。
シリカは魔法を使って遊びまわるハルを優しく見守っては、悪戯が見つかって母に怒られそうな時にいつも守ってくれた。
「お姉ちゃんも何か見せて!」
「しょうがないなぁ。」
そう言ってシリカは、手のひらの上で小さな小さな魚を数匹作ってみせた。
「えーまたお魚ー!」
「ふふふ、私のお魚は特別なの。ハルがもう少し大きくなったら、私のとっておきの魔法を見せてあげる。」
そう言って拗ねるハルの頭を撫でるシリカはの瞳はいつも穏やかで、ハルは大好きだった。
そしていつもシリカはハルに言ってくれた。
「ハル。あなたの魔法が好きよ。」
「私もお姉ちゃん大好きー!」
ーーーしかし、そんな幸せだった日々の裏側では、わずかにずれた歯車が噛み合わないまま周り続けていた。やがてその事に気付いた頃にはもう、その歪みはハルの小さな心を押し潰すほど強大で、取り返しがつかないものになっていたーーー
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その日は朝からバケツをひっくり返した様な大雨だった。
連日降り続く雨は町中を濡らし、昼間でもどこか陰鬱な空気を運んで来る。
窓越しに灰色の雲を見あげて、ハルはつまらなそうに頬杖を付いていた。
「雨、つまんないなぁ・・・」
「暇ならお姉ちゃんの手伝いしなさい。」
「えー」
母に言われ、ハルは渋々シリカのいる部屋へと向かう。
「お姉ちゃん手伝いに来たよー何してるの?」
「あ、ハル。」
シリカは部屋に入って来たハルを見ると、膝の埃を払いながら立ち上がった。
「お父さんの作業部屋、ゴミがすごいから掃除してたの。」
ハルの父は革職人である。文字通り、野山の動物や魔獣の革素材を使って鞄や靴、装飾品などを作り、街へと売りに出ている。その為数週間家を空ける事もあり、時々シリカが父の部屋を掃除していた。
「うわっお父さんの部屋きったなーい!」
「ふふ、それだけお仕事頑張ってるんだよ。」
父の仕事部屋はそこまで広くはない。しかしその床には埃以外にも革の切れ端や木材の破片、金属の屑などが彼方此方に転がっており、積み上がった試作品や道具とあわさってまさに職人部屋といった様相だった。
シリカとハルはそれらを一つずつ拾い、ゴミは捨てて汚れた床に雑巾をかける。
「うーめんどくさーい」
「ちゃんとお手伝いしないと、お姉ちゃんのすごい魔法見せてあげないよ。」
「ぐぬぬ…」
そうしてゴミをまとめ、溜まった埃を拭きていく。
掃除をしながら、シリカがハルに聞いた。
「ハルは大きくなったら何になりたい?」
ハルは棚の一番上の段を、背伸びして拭おうとしながら答える。
「うーん、魔法使い!お姉ちゃんと一緒に魔法使いになって、世界中を旅するの!」
「ふふふ、それは楽しみね。きっとハルと一緒ならどこでも行ける。」
シリカはそう言うとハルを後ろから抱きしめて持ち上げた。
「これで届くかしら?」
「うん!ありがとうお姉ちゃん!」
ハルはシリカの事が心から大好きだった。
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「雨止んだー!」
「本当だ。」
二人が父の仕事部屋の掃除を終えてリビングに戻ると、ずっと降っていた雨は止んでいる様だった。
「ねえねえお姉ちゃん、遊びに行こ!また新しい魔法使える様になったの!」
「うーんでもお母さんが買い物から帰ってくるまで待たないと・・・」
「ちょっとだけだから!お手伝いしたしいいでしょ?」
必死にせがむハルに、シリカは渋々といった形で従う。
「でも魔法を見たらすぐに帰るよ?約束できる?」
「うん!お姉ちゃん大好きー!」
こうして二人は家を出た。雨が止んだ後は比較的水魔法が使いやすくなり、普段は使えない魔法も使える事がある。なのでどうしても水魔法使いのハルはこのタイミングに外に出て、シリカに魔法を見せたかったのである。
「どこ行くの?」
「えへへ秘密ー!」
道は村の外れへと向かって行く。道に生えた草木は雨によって濡れ、雫を全身に身に纏っている。晴れの日とはどこか違う、湿気った青臭い草の香りが二人を包んだ。
「じゃーん!ここでーす!」
「・・・川?」
ハルに連れてこられたのは、川辺だった。ここではよく夏場になると家族や友人で泳いだり遊んだりする憩いの場でもあるが、先日から降り続いた雨のせいかその水はやや濁り、普段より水量が増している。
「あのね、ずっと練習してたんだけど見てて!」
そう言ってハルは川岸へと歩いて行く。そして両手を川へ翳して魔法を唱えた。
「フルポンス!」
すると突然川の水がせり上がって浮かび上がり、対岸へと水の橋を作りだす。
「見て見て!すごいでしょ。やっと岸まで届くようになったの!」
そう言ってハルは水の橋を渡り出した。
「待ってハル危ないよ!」
「何回も練習したから大丈夫!お姉ちゃんもおいで!向こうにお花畑があるの!」
シリカは危ないとハルを引き止めようとするが、ハルは気にせず進んで行く。シリカに早く見せたくて、こっそり何度も練習していたのだ。それに今は雨上がり、水魔法を使うには絶好の日和だった。
しかし、
「ハル!ハル!危ないから戻って!」
「大丈夫だって」
「木が流れて来てる!!!危ないから戻って!!!」
「何ー?聞こえないよ、ほらもう少しでーーー」
気づかなかった。濁流でカサが増した川を音もなく流れる大木に。
今朝の豪雨で腐っていた根本から折れたのだろう。大木はゆっくり、だが確実にハルの元へと流れていきーーー
「うわっ!?」
ハルのかけた水の橋にぶつかった。そして、
「ハル!!!!!」
うねった水の橋から落ちたハルの体は、茶色い濁流に水しぶきをあげて落ちると、一瞬にして見えなくなった。
「ハル!!!どこ!!!ハル!!!」
シリカは必死で叫び、川へと飛び込んだーーー
・
・
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・
・
ーーーーー全身が重たい。顔に何かが当たってる。・・・雨?
ハルはパチリと目を開けた。
そこに映るのは、泣きそうな顔で覗き込む、よく見知った顔。シリカであった。
「ハルっ、大丈夫!?私、見える??」
「・・・お姉、ちゃん・・・ゲホッゲホッ」
ーーーそうだ、私、向こう岸へ渡ろうとして、それで急に足元が崩れて落ちて。
「お姉ちゃんが助けてくれたの・・・?」
「うん。ハルが溺れちゃったからびっくりしたよ。」
そう言ってシリカはいつもの様に微笑んだ。その表情にハルはほっと安心する。
「・・・ここはどこ?」
体を起こして見渡すと、そこは先ほどとは違う、川の中の砂利や石が堆積してできた洲の上にいる様だった。そして、辺り一面を真っ白にする程の雨がまた降りしきっていた。
「助ける時に、ちょっと流されちゃった。ここから川下に行った右手に、大きな岩場があるの分かる?あそこにたどり着ければ岸まで帰れる。」
シリカがそう言って指差した先には、真っ白な雨と霧の中で遠くにぼんやりと浮かぶ岩肌があった。
「でもあんな遠くまで行くなんて無理だよ!助けを待った方がいいんじゃ・・・」
ハルの言葉に、シリカは微笑んだままゆっくり横に首を振った。
そしてハルも気づく。水面が足元へゆっくり、だが確実に迫ってきているのだ。恐らく朝までの豪雨と、今も降りしきる雨のせいだろう。濁った水は白い波を立て迫り、残された足場は幅2m程しかない。目を覚ました時には横になれていた事から考えると、物凄いペースだ。
「でも、どうやって!?」
「ハル、水魔法で魚は作れる?それに捕まって行くの。」
「でもお姉ちゃんは!?」
シリカは不安そうな表情のハルの頭をそっと抱きしめた。
「私は大丈夫。魚を作るのは一番得意な魔法だから、ハルより先に辿り着く。岩の側の岸辺に上がったら、体が冷えるから家の中で待ち合わせしよ。」
そう言ってそっと体を離す。激しく流れる水面は、もう幅1m程まで迫っていた。
シリカの手がギュッとハルの手を握りしめる。
「ハル、私はあなたの魔法が好き。だから大丈夫。絶対に岸まで行ける。」
「・・・・うん。」
そう言って二人は強く手を握ったまま荒れ狂う濁流へと飛び込んだ。
強い力に四方八方に揉まれ、すぐに握っていた手は剥がされる。そして耳、鼻、口から流れ込む水にもがきながら、必死に作りだした魔法の魚にしがみ付いた。岩の方まで、早く、早くーーー
何度も意識を失いそうになりながら、気がつくとハルは岩にしがみ付いていた。
そこにシリカの姿は無い。そこからは嫌な予感に裏付けられる様に全てが白黒だった。たどり着いたら家で待ち合わせ。そう思って家に駆け込んだ。すぐに「どうしたの」と心配する母が出て来た。そして全てを話した。必死の形相で家を飛び出そうとする母。そんな母の腕を掴んだ時、知った。
「お姉ちゃんは、殆ど魔法が使えないのよ・・・」
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その後の事は、殆ど記憶にない。
自分のせいで大切な人が命を落とした。その事実に耐えられるほど、ハルは大人では無かった。見るからに痩せこけた父と母が、ハルに優しくしてくれる事が、耐えられない程辛かった。
毎日寝ているのか起きているのか分からない日々を繰り返し、寝ている間はずっと悪夢を見た。苦しんでいるシリカを横で見ることしかできない夢。シリカに「なぜあなたが死ななかったの?」と罵られる夢。そんな夢を見ては死にたい程自分を呪い、自らの手で自分の首を締めたりしたが、死ねなかった。罪の意識に苛まれたふりをしながらも生にしがみついている自分が、ひどく滑稽に思えた。悪夢と現実、どっちが苦しいかも分からなかった。
そして夜中、ひどく喉が渇き部屋を抜け出した時に、シリカの部屋の扉がほんの僅かに開いているのを見た。普段は絶対に目を向けようともしないが、その時はなぜか呼ばれた様な気がして、吸い込まれる様にその部屋に入った。
シリカの部屋。そこは死から数週間経っていたが全てが時を止めた様にそのままだった。
「シリカ・・・ゔっ・・・」
一瞬で蘇る鮮明な記憶に耐えきれず胃の中身を戻しそうになる。早く立ち去った方が良い、そう思ったその時、なぜか机の端に置いてある一冊の本が目に留まった。
シリカが読んでいた本は、真似してハルも全部読んでいた。にも関わらず、ハルはその本を見た事も読んだ事も無かった。
こみ上げる吐き気を片手で堪え、置いてあった本を手にとって開くと、それはシリアの日記だった。見慣れた懐かしい文字で、シリアらしく丁寧にその日あった事が書かれている。思わずパラパラとその内容に目を通し、その中に度々出てくる自分の名前を見つけて目が止まった。
ーーーーー
2月4日
ハルが魔法でウサギを作ってくれてみせてくれた。
私の為にずっと練習していたみたいで嬉しい。
ーーーーー
3月19日
また見ない間にハルの魔法が増えていた。
あんなに私も魔法が使えたら良いのに。
ーーーーー
4月7日
お父さんとお母さんが、ハルは天才だと言っていた。
私もそう思う。でもそんなハルがちょっと妬ましい。
どうして私は魔法が使えないの?
ーーーーー
4月25日
最近、お母さんからよく家事を頼まれる。
ハルには魔法の練習をさせてあげたいんだとわかった。
お母さんと喧嘩してしまった。
ーーーーー
5月11日
今日もハルは新しい魔法を見せてくれた。
やっぱり妬ましいけど、それでも私はハルが好き。
ハルが魔法なら、私は別のことを頑張ってずっとずっと二人一緒にいたい。
ーーーーー
(私は、何も知らなかった。)
ハルの目からボロボロと涙が溢れる。こぼれた涙は日記に落ち、丸いシミを作っていった。
「ああっ・・・ああああっ・・・」
耐えきれず、日記を放り投げて部屋を飛び出した。
(どんな気持ちで、シリカは私の魔法をずっと隣で見ていたの)
その足は止まらず、雨の中家を飛び出した。
(どうしてこんな私の魔法を好きって言ってくれたの)
未だ打ち付ける強い雨が一瞬で全身を濡らし、視界を滲ませる。
(どんな思いで、私の手を握って川に一緒に飛び込んでくれたの)
足は何度も木の根や岩にとらわれ、もつれ、泥の中へと突っ込む。それでもハルの足は止まらなかった。
「神様っ・・・」
(どうして、神様は私に魔法の力を与えたの)
ハルはただ、自分の力が苦しかった。この力のせいで、自分は姉を殺した。この力は自分が持つべきものでは無かった。もし姉が魔法を使えないという事に気づいていれば、見せつける様な事はしなかった。もしあの日、姉に魔法が使えたのなら、結果は変わっていた。死ぬべきは、姉の気持ちにも気づかずに自分の魔法に夢中になっていた自分だった。それでも、シリカはこんな自分を愛してくれていた。自分はそんな姉に、何一つ返すことが出来なかった。どんなに後悔しても、もうあの日には戻れない。あんなに大好きだった魔法が、この世界の全てが、一斉にハルに牙を剝いた。
「大精霊様っ・・・・」
もう、魔法使いになんてなれなくても良い。ただ、もう一度会いたかった。そして謝りたかった。手の届かない程遠くに行ってしまった姉に。お姉ちゃんはハルの心の中にいる、いつか母がそう言った事もあったが、そんなのまやかしだ。そう思った。
「どうして、どうしてお姉ちゃんがっ」
なぜ、魔法を使えるのが自分だったのか。なぜ、魔法が使えるなら姉を救えなかったのか。もし、もう一度生まれ変われるのなら、自分の持つ魔法その全てをシリカに渡して欲しい。そう思った。そして願った。辿りついた大樹の前。村の人たちが精霊と言って崇める大木。その下で跪き、全身を泥だらけにして。
「お願いします・・・大樹の大精霊様・・・どうかっ・・・私の力を全部・・・全部あげますから、どうかお姉ちゃんに、誰かに、私の力を与える力をください・・・・!」
この日から、ハルはごく僅かな魔法しか使えなくなった。
医者はそれを、シリカを失った心の傷のせいだと言った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー
「今はわかります。姉がどんな思いで私を生かしたのか。私がするべき事が何なのか。」
「・・・・・そうね。」
ハルの顔にはもうあの日の様な痛ましい悲壮感は無い。未だになぜ、生かされたのが自分だったのかと思う瞬間はある。しかしきっとその答えはシリカしか知らない。なので誓った。償いとは言えないが、この先出会う全ての人を大切にすると。
「未だに雨の日には思い出すんです。あの日の事を。」
「・・・・・ええ。」
「でも、セシリア様と過ごして、何かを見た時に思い出す過去は、忘れてはいけないから思い出すんだと思いました。大切な人を、大切なまま、思い続ける為に。だって、雨の日にはセシリア様の事も思い出しますから。」
そう言って微笑むハルに、セシリアは何も言わなかった。
ただそっと隣を歩くハルの手を強く握った。
「着きました。」
そう言って二人が辿り着いたのは、文字通りの大樹だった。
幹は大人数人が囲っても囲っても余りある程に太く大きく、その樹齢は数百年などのレベルでは無いだろう。
幹は入り組んでおり、その葉は鬱蒼と繁っている。
「見たところただの大樹ね。これくらいのものならイスタニカにもあるわ。」
「ここでどうしたらいいんですかね。」
何となく幹の方へと歩き、その根本に腰掛けるハルとセシリア。
大樹の葉が影となり、澄んだ風がそよそよと肌を撫でる。まだそこまで気温は高くないものの、どこか夏の匂いが漂っていた。
「セシリア様の髪って綺麗ですよね。」
「急に何よ。」
唐突なハルの言葉に、照れ隠しの様にセシリアは空を見上げる。
「私最初にセシリア様にお会いした時、セシリア様の事、本気で悪魔だと思ってました。青い悪魔。」
「あら奇遇ね。私も学園の中であなたを最初に見た時は悪魔だと思ったわ。」
「ううっ冤罪だ・・・」
そう言いながら、ハルはセシリアの髪をそっと撫でる。サラサラと音がしそうな、空の色の様に澄んだ青い髪。嫌がられるかと思いきや、セシリアは気にしない様子で幹にもたれて目を閉じていた。
「ここは落ち着くわね。」
「はい。私も幼い頃はよくここで眠っていました。」
そう言って続く沈黙。ただ風に葉が揺れる音だけが聞こえる。
そして、ハルがそっとセシリアの顔に唇を寄せた。
唇と唇が触れ合う、その瞬間ーーー
「はいはいはいっあなた達がここに来てキスをするまでに9分28秒かかったわぁ〜〜〜〜〜!!!!」
急に甲高い声が辺り一体に響き渡った。
「!!!!??!?」
周囲に誰もいないと思い油断していたハルは心臓が飛び出るかと思うほど驚き、猫の様に飛び上がる。
セシリアも突然の声に驚いた様子で立ち上がると、辺りを伺う様にレイピアを抜いた。
「誰・・・?」
「うふうふうふふふふ」
すると突如、大樹の葉がさざめきだし、その上から一つの影がハルとセシリアの前に降り立つ。
「ねえねえねえねえ私に会いに来たんだよね?」
立ち上がる人影。それは濃いピンク色のゆるくふわふわした髪を揺らしながら、セシリアに近付く。そして恍惚とした表情でセシリアを見ながらハイテンションで話し出した。
「あああ!この子が本物のセシリアちゃんね。ずっと見てたけど実物もたまらないわぁ〜〜〜」
「なぜ私の名前を知っているの。」
女の言葉に、セシリアは怪訝そうに顔をしかめ、レイピアを握る。
「だってだってだってずぅーーーーっと見てたのよ!ハルちゃんがやっとやーっとキスしてくれた相手なんて忘れるわけないじゃない〜〜〜今朝のも最高に熱くて堪らなかったわぁ〜うふふうふうふ思い出すだけでドキドキしちゃう。」
「今朝のって、あなたがもしかしてハルの・・・」
セシリアがそう言うと、女は横で呆然としているハルをぎゅっと抱きしめた。突然の事でハルは避けることもできずにただただ抱きしめられている。
「そうよそうよ、私がハルちゃんが契約したアモルよ。うふうふ、やっと来てくれたのね!いつもあなたから流れる快感を感じてたわぁ〜〜」
「えっ契約?えっ?」
「ハルから離れて。あなたは何者?悪魔?」
セシリアが不信そうにそう聞くと、アモルはあからさまに嫌そうな顔をして答えた。
「あらあらあらあら私を悪魔だなんてひどいわぁセシリアちゃん。うふふうふうふ私はアモルって言ったじゃない。悪魔なんかじゃ無いわぁ〜〜〜」
アモルは抱きしめたハルの顎にそっと指先を這わせる。
「うふふふそんなに怖い顔しないで〜〜そうねぇそうねぇ私にはアモルって名前しか無いのだけれど、そうねぇそうねぇ、この世界を造った神のうちの一人って言ったら伝わるかしらねぇ。」
「・・・・神?」
セシリアがさらに怪しむ様に眉をひそめるが、アモルは気にせず話し続ける。
「そうよそうよ〜〜私の名前はアモル。この世界に愛と性欲を生み出した神よ。って言ってもそうよねぇ、そうよねぇ、信じないわよねぇ。そうねぇそうねぇ、セシリアちゃんは子供がどうして体を重ねないとできないか知ってるかしらぁ〜〜?」
アモルの問いに、セシリアが答える。
「それはお互いの魔力を体を重ねて流し込み、混ぜ合わせることで、新しい魔力、即ち命が生まれるから。」
「そうねぇそうねぇ、そういう事になってるわねぇ、でもどうしてお互いの魔力は混ざり合うのに、体を重ねても魔力が相手に流れ込む事がないのかって疑問に思ったことはなぁい〜〜?」
「それは・・・」
確かに、体を重ね合わせることでお互いの魔力が渡り合って混ざり合うのであれば、相手にも魔力が渡るはずである。ハルとの性行為でそうなる様に。
「うふうふうふ、それはねぇそれはねぇ、簡単よぉ。私がそうしたの。」
「・・・・どういう意味。」
言っている意味がわからず、セシリアはアモルの顔をじっと見やる。
すると急にアモルはテンションが上がったのか早口でまくし立てた。
「ああセシリアちゃんの真剣な顔も堪らないわぁ〜〜そうねぇそうねぇ、子供の話しだったわねぇ。昔は一人でも子供を作ることができたの。でもでもでも、それじゃぁつまらないって思ったの。だってそうでしょ?そんなの全然気持ちよく無いじゃない〜〜だから、体を重ね合わせて魔力を混ぜないと、たっくさんキモチイイことしないと、子供が作れない様にしてみたの〜〜いっぱいいっぱいキモチイイ事したら魔力が相手に渡る。それが混ざり合って子供が生まれる。そうしたらもう最高だったわぁ。み〜んな必死で情事に明け暮れるんだもの。うふふふっ。だってそうよねぇ。そうでもしないと大事な子供ができないんですもの。」
アモルは自身を抱きしめて身をくねらせながら涎を垂らす。
「でもどうして体を重ねても魔力を受け渡せないかって?そうよねぇそうよねぇ、気になるわよねぇ。それはだって
そこまで一息で言うと、アモルは固まっているハルの腰を撫でながら言う。
「私たちはずぅ〜〜っと眠っていたのだけれど、呼ばれた気がして久しぶりに目を覚ましてみたら、こんなに可愛い子が目の前に倒れているじゃない。食べてしまおうかとも思ったわぁ。でもそれはだめってアテナが言うから、力を貸してあげたの。そしたらそしたら、もう最っ高よぉ。この子の体、敏感でエッチで可愛くって堪らないわぁ〜〜〜〜」
ハルを撫で回すアモルに、セシリアが地面を蹴って一瞬で移動すると、レイピアをその喉元に突きつける。
「あなたが今話したことをそのまま信じる事はとてもできない。あなたは味方なの?敵なの?」
ーーーただ快感が欲しくてこの世界の道理を作り変えた。大昔の英雄に怒られたから魔力譲渡の力をこの世から封印した。
まともに考えれば一切信用できない話である。
「味方?そうねぇそうねぇ、味方かはわからないけれど、あなた達の倒したい敵はよぉ〜〜〜く知ってるわぁ。あの子は私達の敵でもあるからぁ〜だからそうねぇ、力を貸してあげないこともないわよぉ〜〜〜」
「敵、リー教会の教祖の事を知っているの!?」
セシリアのその言葉に、アモルは一瞬驚いた顔をする。
「リー教会?あらあらあらあら、その為に作っていたのねぇ。その教祖のことはよぉ〜く知ってるけど、私からは教えるつもりはないわぁ」
「!?」
アモルはそう言うと、セシリアに突きつけられたレイピアをあっさり
「私は思念体よぉ、そのレイピアで突き刺す事はできないわぁ。それよりそうねぇそうねぇ、私はもう眠いから話さないけど、敵の事が知りたいならグラソンの娘にでも聞くのねぇ。ハルも前に会ってたじゃない。」
「私が・・・会ってた・・・?」
全く心当たりがないハルであったが、アモルはそのまま大樹の前まで歩いて振り返った。
「どうするのぉ?私の力、欲しい〜?」
ーーーあんた達もあたしと一緒に敵を倒すつもりなら、必ず大樹で出会った奴に力を貸してもらえる様、交渉して来い。
シオンはそう言っていたが、それにしては相手の得体や目的がわからなすぎる。
「どんな力なんですか。」
「うふふふっ、快感を得ないと力を渡せないなんて不便よねぇ。あの子を倒す為には、そんな力じゃ足りないわぁ」
「つまり、体を重ねなくても魔力を譲渡できる力・・・?」
「そうよぉそうよぉ、やっぱりハルちゃんは頭がいいわねぇ。ああでも、そうなると今までみたいにハルちゃんとエッチな事をする必要はなくなるけど、セシリアちゃんは大丈夫かしらぁ?」
「そんなの、セシリア様が気にするわけ・・・」
ハルがそう言ってセシリアの方を見る。
するとなぜかセシリアは、眉間に皺を寄せて顎に手を当て考え込んでいた。
「ハルを合法的に襲えなくなるのね・・・」
「ちょっとなんでそこで悩んでるんですか!?」
真剣にそう呟いて思案しているセシリアに、思わずハルが声を上げる。
「敵を倒すための力ですよ!?第一あんな事しておいて合法的だと思ってたんですか!?」
「でも今までみたいに毎晩ハルを押し倒せなくなるのね。」
「そこ悩むところじゃないですよ!それに大丈夫ですから、魔力譲渡がなくっても、その、私がセシリア様を拒む事はありませんから・・・!」
(真昼間から何を言わせてるんだこの人は!?)
そう思いながらハルが言い返すが、セシリアの表情は深刻そのものである。
「絶対に拒まないのね?」
「ええ!」
「約束できる?」
「はい!絶対にセシリア様を拒まないって約束しますから!!!」
「そう。そういうことなのでアモル、今のも契約に入れてちょうだい。」
「え??」
(ん?契約?)
ハルはなんとなく嫌な予感がしてアモルの方を振り返る。するとアモルは全部わかっていたとでも言うように両手を頬に当てて満面の笑みで答えた。
「うふうふうふ、セシリアちゃんのそういうところが大好きよぉ。じゃあ契約ね。ハルちゃんに新しい力を授ける代わりに、そうねぇそうねぇーーー
今後一切ハルちゃんはセシリアちゃんの言う事、全てを拒否できなくなるわぁ」
「!?!?!?」
完全に嵌められた。目の前の性愛の神と横にいる性欲の悪魔に。完全にグルだった。
しかしそう気づいた時にはすでにもう遅く、ハルの体を淡い光が包み込み、体の奥底でいつも重く横たわっていた魔力が全身へ溢れ出していく。
「ハル。試しに私に魔力を送れるかしら。」
「やってみます。」
ハルが体の中の魔力へ心の中で語りかける。すると普段は快楽でしか微動だにしない魔力は、ゆっくりと体の中で動き出し、ハルの中で意図する方へと動いていく。そしてセシリアに向かって流れ込んだ。
「・・・どうですか?」
「ええ、伝わったわ。」
セシリアが試しにとばかりに上空へ手をかざすと、巨大な水の柱がはるか上空へと一瞬で噴き上がった。
「ハルはイルアローゼ以外の魔法をまた使えるようになるのかしら?」
「それはならないわぁ〜〜そうねぇそうねぇ、以前の契約は残ったまま。契約を消す事はできないから、また誰かに襲われればその魔力は奪われてしまうわねぇ。」
「そう、わかった。」
そう言うと、アモルは眠そうに「これからもたくさんハルちゃんの体を可愛がってね」とだけ言い残し、大樹の上空へと飛んでいき、消えて行った。
ハルとセシリアはそれを見送ると村に向かって歩き出す。
「・・・これからハルは私の言うことを全部断れないのね。」
「・・・・・うっ」
(アモルさん何してくれちゃってるんですか・・・)
新しい力を手にしたはずなのに、なぜかハルは希望に向かって歩いている気がしないのであった。
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