24 少女と開かれた扉
崩壊した壁の穴から差し込む淡い月の光に照らされて、ハルとセシリアは壁にもたれかかっていた。
「あ、セシリア様、そういえばシオンさんに勝ったので、約束の良い事教えてもらいましょう。」
「ええそうね。他にも彼女には色々と聞かなくてはならないわ。でもその前に、」
セシリアがそう言ってハルに顔を寄せ、その唇と唇を重ねる。久しぶりに触れる、柔らかで温かい感触。そのあまりの愛おしさに、ずっと、もっと深く繋がっていたいという気持ちが溢れるが、今はまだやるべき事が山積みだ。
セシリアがゆっくりと唇を離し、柔らかに微笑む。月明かりに照らされたその顔は、あまりに穏やかで幻想的で、触れればバチが当たる様な気さえしてしまう。そんな笑みだった。周りの事も忘れ、思わずハルが見惚れていると、
「お取り込み中悪いが、ノアがやられた。」
「えっ!?」
突然背後から聞こえた声とその不穏なワードにハルが振り返ると、そこには剣を失ったオーネットと、オーネットに抱えられてぐったりとしたノアが横たわっていた。
「回復魔法をかけてはいるが、恐らく何かの毒の類だろう。意識はあって指先だけは辛うじて動かせるが、体の殆どが人形の様に動かない。」
「ごめん、なさいっ・・・魔力を、奪う毒、が・・・回って・・・・」
そう言ってノアが弱々しく呻くが、その姿はあまりに痛々しい。目立った外傷は無いものの苦しげに眉を寄せ、四肢はダラリと下がっている。
「毒・・・グルゴ・パランの生徒の毒にやられたの?」
「いや、それが・・・」
オーネットが部屋の隅にノアを横たえると、事の経緯を話し始めた。
謎の黒い女がノアを襲った事、その力でオーネットの剣が一瞬にして破壊された事、異常な回復力を有していた事。
「奴はイザベル。そう名乗っていた。」
「異常な回復力・・・謎の力・・・」
セシリアが僅かに思案し、口を開いた。
「どちらにせよ、今回の実行犯に直接聞く必要がありそうね。」
セシリアはそう言うと、氷の像に成り果てた女、シオンを見つめた。
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「あ〜寒い寒い。」
氷漬けとなっていたシオンはセシリアにその魔法を解かれると、震えながら床にあぐらをかいた。負けたとは思えないふてぶてしさである。
「知っている事を全部吐いてもらうわよ。」
セシリアがシオンを睨みながらそう言うと、シオンは「わかったわかった」と言いつつハルの顔を見ると軽薄そうに笑った。
「お?あんたのその顔・・・あたしが氷の塊になってる間にセシリアとよりを戻したんだな。もしまた嫌になったらいつでも来いよ。今度はもっと激しく抱いてやるよ。はははっ」
「やっぱり今殺すわ。」
「待って目的!そう目的を聞かないとダメですセシリア様!」
初っ端からセシリアの地雷を踏み抜くシオンの発言に、天井からシオンを串刺しにせんと氷のつららを出現させるセシリアをハルが必死に止める。
「ハルを襲った目的か。」
「ええ。ただの魔力譲渡の力が目的かと思っていたけど、あなたには不審な点が多すぎる。そもそもハルの力をどこで知ったのか。ハルの力を欲したにしては、戦闘中に感じた魔力譲渡されていた力はごく僅かだった。それに、あなたはずっと手加減していた。得意な剣術なら私を圧倒できたかもしれないのに、魔法でしか戦わなかった。」
セシリアの指摘に、シオンは特に否定もせず「ああそうだな。」と頷く。
「話そう。良い事を教えるのはハルとした約束でもあるしな。まず、あたしにハル=リースリングを連れ去る様に指示をしたのはーーー魔法部、そしてその裏にいるリー教会だ。」
「・・・リー教会。」
ようやく得た確実性の高い情報。
そしてオーネットがシオンへ疑問を投げかけた。
「リー教の教祖が一体何故ハルを狙うんだ・・・?」
「・・・・この話を聞けば、もう後戻りはできなくなるぞ?」
それはつまり、リー教の教祖は正真正銘の敵である事を意味する。そしてリー教の教祖とそこから魔法部でさえも繋がっているのであれば、敵は恐ろしく強大で、このグラソンの王国そのものを敵に回すに等しいだろう。
「構わない。話しなさい。」
セシリアが真っ直ぐにシオンを見つめて言った。シオンはそんなセシリアを見上げると、真剣な表情で話を始めた。
「私も直接会ったわけじゃねぇが、魔法部の知り合いの話では、リー教の教祖は人間じゃねぇ。」
「・・・どういうことだ?」
「リー教の教祖、その正体はーーー悪魔を統べる王と呼ばれる者だ。」
「っ!?」
その言葉に一同は息を飲む。当然シオンは冗談を言っている雰囲気ではない。静まり返った部屋に、シオンの言葉だけが続く。
「あたしがそれを知ったのは、さっきも言った通り魔法部の知り合いづてだ。最初は信じなかったが、すぐに信じる事になる。魔法部から極秘で使者が来て言ったんだ。ハルも会っただろう。あの煌びやかな服を着た私の女中達。今後、魔法部の指示に従わない場合には彼女達全員を殺害すると。流石のあたしも、魔法部と一大宗教相手では彼女達を守りきることはできない。」
シオンが自分の非力を呪うように手の平を握る。
「そして先月、ハル=リースリングを攫うように指示を受けた。」
「・・・それでハルを攫ったのか。」
しかし、オーネットの問いかけに対してシオンは首を横に振った。
「いや、不審に思ったんだ。攫う際、ハル=リースリングは咎人であると言う話も魔法部から聞いていた。しかしそれなら何故、ハルに直接語りかけない。咎人は《
そう言って暗い空気を吹き飛ばすように笑いながらシオンがセシリアを見ると、セシリアは珍しく決まりが悪そうに視線を逸らした。
「それで分かったの?その理由とやらは。」
「ああ。あんた達も何かおかしいと思わないか?」
シオンがじっとハルを見る。
「悪魔の力にしては、全く攻撃性の無い能力。超人的な力を人に渡せる、まさに神の権能の様な力。ハル=リースリングの力は《
ーーー私の力は《
その言葉に、ハルがはっと顔を上げる。それは、この数ヶ月の間、ずっと誰かに言って貰いたかった言葉そのものだった。そしてそれは今では、セシリアの願いでもある。
「では一体ハルに力を与えているのは何者なの?」
「それは知らねぇ。だが確認する方法はある。あんた、その力を譲り受けた場所に心当たりがあるんじゃねぇか?」
シオンの問いかけに、ハルがはっとして思い出す幼い頃の記憶。大雨の中、泥だらけになりながら両手をついて祈った場所。
「大樹の精霊・・・ですかね。セモールという小さい村の外れにある場所です。」
シオンはその言葉に「そうか…」とだけ呟き目を閉じ何かを逡巡すると、ゆっくり目を開けてセシリアとハルを見た。
「その大樹に向かえ、ハル=リースリング。この答えはそこにある。だがあたしの推測だとそいつーーーハルに力を与えたやつは、精霊なんて生易しいものじゃねぇ。悪魔より恐ろしい奴な可能性もある。だからセシリアも連れて行け。それと、そこに寝かされてる女、黒い女にやられたんだろ。」
シオンのその言葉に一番に反応したのはオーネットだった。
「知ってるのか?あのイザベルという女を。」
「ああ。あいつはリー教の差し金。グルゴ・パランやあたしの動きを監視している存在だ。そして恐らくあいつも人間では無い。あれ程の力を持った人間が、敵にはうようよいる。一方こっちの戦力はイザベル一人にすら太刀打ちできるかどうかと言うところだろう。だからもし、あんた達もあたしと一緒に敵を倒すつもりなら、必ず大樹で出会った奴に力を貸してもらえる様、交渉して来い。」
ーーー交渉。相手が悪魔なのか、精霊なのか、それとも全く異なる何かなのか。それはまだ分からない。だが、ハルは確かめたかった。自分が何者なのか。なぜこの力を手にしたのか。例え知る事によって、強大な敵の魔の手が一層この身に迫るとしても。
「私、行きます。大樹へ。」
ハルははっきりとそう答えた。隣のセシリアの手を握って。
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「何かあったら連絡してくれ。あたしも何かわかったら連絡する。それと、もうじきあんたらの所は大遠征があるが、魔法部やリー教会が何か仕掛けて来ても、絶対にこっちからは手を出すな。今全面衝突する事になれば、確実にやられるのはこっちだ。」
シオンは最後にそう言うと「もう行け」と言った。そんなシオンに、セシリアがずっと抱いていた疑問をぶつける。
「シオン。あなたはなぜそんなに魔法部と繋がりがあるの。」
軍の内部事情などであればシオンがその奥深くまで入り込んでいておかしくは無いが、相手は魔法部である。どちらかといえばグラソン学園の頂点かつ母に魔法部大臣をもつセシリアの方が詳しい筈だ。しかしながら、セシリアの元には魔法部による脅しやリー教会との繋がりといった情報は一切入って来ていなかった。
「あたしは古い知り合いが魔法部の中枢にいる。ただそれだけの理由だ。他の聖レヴァンダやリューグルにも脅されたやつや敵の手の内の者が潜んでいる可能性が高い。今後関わる際には用心しろ。」
その回答に納得行かない表情のセシリアではあったが、シオンがこれ以上話す気がないのを悟り、追求するのを止めた。
「私達ももう学園へ戻りましょう。オーネット、ノアを学園まで運べる?私はハルを連れて行くわ。」
「ああ勿論だ。」
そう言ってオーネットがノアの膝に腕を通してぐったりとした華奢な体を持ち上げる。いわゆる“お姫様抱っこ”の姿勢である。
そして、セシリアは、部屋の隅で未だに蹲っていたリアへと近付き、じっと未だに俯く頭を見下ろして言った。
「あなたは弱い。でも今の話を聞いて、それでも守りたいものがあると思ったのなら、もっと強くなりなさい。でないとまた失うわよ。」
「・・・・・っ」
リアがグッと強く唇を噛み、その口から血が滲む。
何も言い返せなかった。自分も助けに行きたいと言っても、「足手まとい」と追い払われた。でも、この瞬間にもハルは苦しんでいるかもしれない、そう思うと考えるより体が動いていた。自らの体の皮膚が裂け、家や地面に体をぶつけながらも、風魔法で空を飛んだ。じっとしている事は出来なかった。あの日、イグテアを助ける為に命を燃やし尽くそうとしていたハルに手を伸ばせなかった時の様に、もう何も出来ない自分は嫌だった。だから飛んだ。
でも、現実は甘くない。気持ちだけでは人は変わらない。何もかもが足りなかった。そして、仲間を自分のせいで傷つけるという最悪の結果に至った。
「その少女、来ていたのか。私がノアと一緒に学園まで送るか?」
オーネットがその存在に気づき、声をかける。しかし、
「・・・大丈夫です。」
「リアっ」
「来ないで!!!」
「・・・っ」
一人、よろよろと立ち上がって歩き出すリアに、ハルが駆け寄って声をかけようとする。
しかしリアはそんなハルを大声をあげて制止した。聞いたこともないリアの怒声に、思わずビクッと肩を震わせ、ハルの足が止まる。
「・・・・・ごめん。少し一人にさせて。」
リアはそれだけ呟くと、部屋から一人、出て行った。
「リア・・・」
その身を傷だらけにしながらも、ハルを助ける為にここまで来てくれた。その気持ちだけで、ハルにとっては十分だった。しかし、立ち去ろうとしているその背中には、どんな言葉をかけてもきっとリアの求めるものでは無い。それがリアという少女と十分な時間を過ごして来たハルには、痛いほど分かった。だから、引き止めず、声をかける事も出来ず、ただただ胸に深い傷をおった少女の後ろ姿をじっと見つめていた。
「ん?そういえばクロエは来ていないのか?」
「クロエ様も助けに来て下さったんですか?」
オーネットの言葉にハルが純粋な疑問を口にする。しかしその疑問を口にした瞬間、セシリアとオーネットが一斉にハルから目を逸らした気がした。
(まさかクロエ様まで来て下さるとは思わなかったけど・・・あれ、何か聞いちゃいけない事聞いちゃったのかな?)
まさかハルの体を勝手に人身売買したとは言えないのか、セシリアが話を逸らす。
「クロエの事だからどうせ先に帰って寝てるわ。それよりノアの治療もあるし帰るわよ。」
そう言ってセシリアに抱えあげられるハル。
「ああ。グラソン学園に帰ろう。」
そう言うとセシリアとオーネットは星が輝く夜空へと駆け上がって行った。
一人、取り残されたシオンはまるで星の一つになったかの様に空を飛んで行く賢聖を見上げながら呟いた。
「本当にこれで良かったんだな。ナタリー=セントリンゼルト。」
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