23 少女と長い戦いの終わり



 オーネットの剣に貫かれた黒い女は、口から血を吐き出した。


「がはっ」

「その服、グルゴ・パランの生徒の物では無いな。何者だ。」

「あっ・・・ああっ・・・」


 女は自身に刺さったオーネットの剣を両手で掴みながら苦しそうに喘ぐ。その手は震え、剣を引き抜く力すらない様に見える。


「何が目的だ。誰の指示でハルを連れ去り、ノアを襲った。」

「あ、ああ・・・・・・あはははははははは」


 しかし、苦悶の表情をしていた女は突然顔を空に向け、狂った様に笑い出した。

 不可解な女の行動にオーネットが剣を握る手に力を込める。


「なんだ!?何がおかしい!」

「・・・・・そう。あなた、ノアって言うのねぇ。素敵なお名前だわぁ。」


 そう恍惚に呟くと、突然女が触っていた部分から剣が一瞬にしてボロボロと崩れ去っていく。それはまるで砂で出来た城に水をかけた様にほんの一瞬の出来事であった。


「っ!?貴様は一体何者だ!?」


 オーネットの剣は魔剣ではないものの、すでに故人となった名匠が鍛えた業物である。その素材にはミスリル鉱石が主に使われており、オーネット程の豪腕で振るっても一切刀身に傷が入らない代物。しかし、そんな剣が一瞬にして灰に還った。

 瞬く間に優勢から一転し攻撃の要となる剣が奪われた状況と、目の前で起きた理解の範疇を超える超人的な力に、オーネットは数メートル飛び上がって距離を取り、


「ヴィアベルフレイム!!!」


 巨大な炎の渦を黒い女にぶつけた。

 中心へと生き物の様にうねり、空気すら燃やし尽くす灼熱の炎が女を一瞬にして飲み込む。


「ーーー暑苦しい女は好みじゃないの。」


 しかし女はその攻撃を食らっても尚、平然と立っていた。否、平然とは言ってもその全身は頭部を残して大半が真っ黒に焼け焦げ、肘から先に至っては失われている。しかしに、焼け爛れた肌はメッキを貼った様に瞬く間に再生していき、欠損した部位は粘土をこねる様にして元どおりになる。

 そしてオーネットに貫かれた胴の穴すら、少しの傷も残っていなかった。

 信じられない光景に、思わず愕然とするオーネットであったが、黒い女は不敵な笑みを浮かべた後、上空を見上げて「あぁ」と呟いてから悲しそうに言った。


「せっかく良いところだったのに、もう終わってしまったのね・・・少し遊びすぎてしまったわぁ。でもあなたは必ずまた迎えにくるわ、ノアちゃん。それまでに処女を失ったらよぉ。」

「待てっ!!!」


 呆然とするオーネット、そして自由を奪われた状態のノアを残して飛び立とうとする女に、オーネットが火球を何発か飛ばすが、女はそれらを舞う様に避けると一瞬にして夜空の闇に溶け込んでしまった。

 そして女の声と不気味な笑い声だけが夜空に響き渡る。






「うふふふふ。私はイザベル。ノアちゃんのご主人様の名前よぉ。」






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 一方本殿ではセシリアとシオンの激戦が続いていた。

 本来の魔力量ではセシリアが格段に上回っているのだが、今はハルの魔力譲渡によってシオンの魔力量がブーストされ、正に実力は拮抗している。


ズドォォォォンッ


 部屋中に、魔法と魔法がぶつかる重たい音が響き渡る。


「おいおい今のはちょっと危なかったんじゃねえか?」

「不思議ね。あなたの命を奪うことに何の抵抗も抱かないわ。」

「ハルが関わってるからって人格変わりすぎだろ!?」


 そして再びぶつかる魔法と響き渡る衝撃。


「ハルにちょっかいかけたからってそんなマジになんなよ。四賢聖だろ?」

「その点に関してあなたに言及される筋合いはないわ。」

「ははっ、あんたも怒るとそんな顔するんだな。」

「話しかけないで。」


 セシリアは確かにシオンの指摘通り、激怒していた。

 しかしそれはシオンに対するものではなく、ずっと見るべきものが見えていなかった自分への怒り。失う事を恐れ、正義だ義務だとうそぶいて現実から逃げた自分への怒り。そしてハルの心を傷つけた自分への怒り。

 セシリアが氷の刃などの遠距離攻撃とレイピアを使った近距離攻撃でシオンを攻めるが、シオンはそれらの攻撃をどれも悉く雷撃によって破壊していく。


「つれねぇな。せっかくの首席同士なんだから仲良くしようじゃねぇか。」

「あなたが私のものに手をかけた時点でその道は途絶えた。」


(ハルの魔力譲渡による力は、持続時間が限られる。先程の軽い接触程度なら恐らくあと15分が限界。)


 そう思い、持久戦に持ち込もうとしたその時、


 ーーードゴォォォォォンッ


 突如本殿が揺れ、セシリアが突っ込んできたときに空いた壁の穴から。何かが部屋へと突っ込んで来る。

 散らばる瓦礫と更に大きくなった壁の穴。そしてシオンとセシリアの間、ハルの目前の床にぶつかったそれは、ゆっくりと体を起こした。

 思わずソレを見やる三者。そしてーーー


「リア!?!?!?」


 起き上がった人物、ピンクの髪の小柄な少女の顔を見て一番最初に叫んだのはハルだった。


「リア、なんで、どうしてここに!?」

「ハル・・・今度は、絶対に・・・助ける、から・・・・」


 リアの全身には至る所に擦り傷や切り傷ができ、あちこちから血を流している。その満身創痍の姿から、ハルの元へ駆けつける為に無理矢理飛んできた事は明白だった。そんな様子のリアを見て、セシリアが言う。


「自らの風魔法で自分自身を飛ばしながらここまで来たのね。言ったはずよ、大人しく学園で待機しなさいと。」

「でもハルはっーーーうぐっ」


 ーーー大切な友達。だから助けたい。


 しかしその声は一瞬にして塞がれる。


「リアと言うのか。健気に飛び込んで来たところ悪いが、こりゃあ好都合だなぁ。」


 シオンが瞬きする間にリアの首を腕で抱え、人質を取る様に片手をリアの頭へと翳したのである。


「こっちの力の時間制限が近づいて来てるこの局面でこんなか弱い少女の登場。人質にして下さいって言ってる様なもんじゃねぇか。これで本当に助けに来たつもりなら、自分の弱さを自覚するんだな。」


 リアがシオンの腕を除けようと風魔法を放つが、一瞬で防御魔法によって弾かれる。そして状況の悪化に眉を顰めたセシリアに、シオンがニヤリと笑みを浮かべて告げた。


「セシリア。この少女を殺しはしないが、一生歩けなくなるくらいの傷は負わせられる。それが嫌ならあたしのこの魔法を避けるなよ?」

「・・・・くっ」


 シオンの悪質な条件にリアが一層暴れるが、シオンが構わずセシリアへと雷魔法を放つ。


「トネルナーガ!!!!」


 シオンの片手から放たれた青白い雷撃は、何百本もの蛇の束の様にうねりながら、一直線にセシリアを襲った。

 そして一瞬にしてその距離を詰めると、セシリアを食い破る様にしてその無防備な体目掛けて襲いかかる。


 バギバギバギバギバギィ


 勢いよく床に叩きつけられ、くの字に曲がるセシリアの体。その腹部には抉れる様な大きな傷ができており、制服を真っ赤に染めていた。しかしーーー


「バカなっ!?」


 叩きつけられたセシリアの肩を背後に出現した氷のつららがその肉ごと突き刺し、その勢いのまま猛スピードでその体をシオンの目前まで一瞬で吹っ飛ばす。

 そしてシオンの胸に手をあてると、セシリアはゼロ距離で魔法を放った。


「凍りつきなさいーーーグラキス」

「くそっ・・・」


 ゼロ距離で放たれた圧倒的な魔力はシオンの体がみるみる覆っていき、やがてその姿を一つの氷像へと変える。

 

ーーーこうして漸く、一夜の戦いの勝敗が決したのであった。



 シオンが動かなくなった事を確認すると、セシリアはその腕からリアを下ろす。

 解放されたリアはセシリアの負った傷ーーー腹部の大きな傷や氷のつららによって貫かれた肩の出血を見てじっと俯いた。

 自らの気持ちだけで先走った行動によって、味方に傷を負わせてしまった。助け出すどころか、自分が足を引っ張ってしまった。そんな後悔、罪悪感、自己嫌悪の感情がリアの中で渦巻き、何も言葉にする事ができなかった。

 黙って俯くリアに、セシリアが言う。


「自分の体をわざと魔法で攻撃する事は、使い方によっては悪い選択ではない。相手の意表をつく事ができる。今の私の様に。でもーーー」


 セシリアは自身の傷へ回復魔法をかけながら、項垂れるリアを置いて歩き出す。


「あなたは、人を守るには弱すぎる。」

「・・・・っ」


 セシリアの冷たい一言に何も言い返せないリアは、床に付いていた手を強く握りしめてただ肩を震わせるのだった。




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 セシリアが部屋の壁にもたれて自身の傷に手をあて回復魔法を施していると、横からもう一つの手がかざされた。


「・・・・人にはかけられますから、回復魔法。」


 ハルがそう言ってセシリアの腹部の傷へ手を翳す。

 その手の平からは淡い水色の光が湧き出し、包む様にセシリアの傷を覆う。そこから感じる穏やかな魔力の感触と引いていく痛みに、セシリアが目を閉じる。


(私にはもう一つ、やるべき事があるわね。)


「・・・・・あなたは、どっちに勝って欲しかったの?」

「えっ?」

「あそこで氷漬けになってるシオンと、賭けていたのでしょう。」

「・・・・あぁ」


 ハルはじっとセシリアにかざした自分の手を見つめながら答えた。


「どっちに勝って欲しいとかはありません。私はただの道具ですから。今までも、これからも。」


 その言葉にセシリアが一瞬顔を曇らせる。しかし、ハルの言葉はそこで終わらなかった。


「でも、勝つのはセシリア様だと思ってました。」


 理由は分からない。ただベッドの中で賭けをしようとシオンに持ち出された時、すぐにハルは確信した。セシリアは勝つ。どんな時でも正しさの為なら相手が誰であろうと真っ直ぐで折れる事は絶対にない。セシリアのレイピアの様に。それは自らの未来に絶望し、何もかもを失ったと思っていた時でも、ただ一つハルが信じられる事実であった。その事実こそが自らの心を殺したのだとしても。


 セシリアは、ハルの言葉に目をつぶったまま口を開いた。


「ええ、そうね。私はセシリア=セントリンゼルト。誰が相手だとしても、正しい道を歩む為なら絶対に負けない。それはあなたを道具として扱った事も同じ。それが最善だと判断したのなら、絶対に折れない。」

「・・・はい、わかってます。」


 ハルが視線をさらに落とす。回復魔法の青い光がわずかに揺れた。しかしセシリアは気にせずそのまま話し続ける。


「もし、私がその道を外れるのだとしたら、それはセシリア=セントリンゼルトという人間が死ぬという事と同じ。だから、怖かったの。」

「・・・はい。」

「自らの欲求を優先して道を外れる事が、怖かったの。」

「・・・・・はい。」

「あなたを人として扱ってしまう事が、今の私を、今の関係を失ってしまう様で怖かったの。」

「・・・・・っ」

「あなたを自分だけのものにしたいという気持ちを認めてしまえば、私の世界の何かが変わってしまう気がして、ただ怖かったの。でもーーー」


 セシリアが閉じていた目を開き、その琥珀色の瞳でハルを真っ直ぐに見つめる。

 セシリアはすっと息を小さく吸って言葉にした。ずっと閉じ込められていた檻から出る為の言葉を。その方法を教えてくれたオリビアの想いに今度こそ答える為に。もう大切なものを、この手から溢れ落とさない為に。


「ーーーでも、今なら分かる。あなたを失う事より怖いものは無い。例えこの気持ちによって世界が変わってしまうのだとしても、あなたのいない世界より、あなたと一緒にいる世界がいい。ハル=リースリングという人間と一緒に生きる世界を守る為に、私はこの力を使う。だからーーー



だから、あなたは一生私のそばにいなさい。ハル。」


 その言葉に、ハルの瞳からポタリポタリと大きな雫が伝い落ちた。孤独、絶望、悲しみ、この数日間心を覆っていたどす黒い霧が、セシリアの言葉によって一瞬にして消え去って行く。セシリアに翳した手のひらから、まるで魔力の様に優しい気持ちが心に流れ込んできた。そして、ぽっかりと空いていたハルの心の穴を瞬く間に塞ぐ。


 ーーー愛しい。


 自らを見つめる真っ直ぐな鮮緑の瞳、浅く染めた藍染の様に美しい髪、凛然とした顔、そして香る甘くて優しい洋梨と白桃の様な柔らかな香り、その全てが胸を締め付けるほど愛しく感じる。

 そして、ハルはセシリアの手を取って答えた。ずっと抱えていた想いの全てを込めて。




「・・・・はい。一生私を離さないでくださいね、セシリア様。」


漸くこの日、ハルの中で降り続いていた雨が止んだのであった。



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