20 少女と檻を壊す者

 


再び降り出した長い雨。


それはまるで、大地の女神が世界を祝福しているかの様に、万物に等しく降り注ぐ。




 そしてその祝福に答える様に、代わり映えのしない一日として終わるはずだった今日は、間違いなく世界の命運を分ける一日となった。


 この世界の真理に続く扉を開け放たんとする、ハル=リースリング、シオン=ディーツェル、そしてセシリア=セントリンゼルトの2度目の出会いによってーーー








 時刻は夕方。


 誰もいない執務室で、セシリアはじっと窓の外の雨を眺める。


 ハルが連れ去られた夜から、あっという間に二日が経った。その間、ノアやオーネットは度々「本当にハルを助けに行かなくていいのか?」と聞いたが、それでもセシリアは首を縦に振らなかった。


 助けに行きたくない訳ではない。今すぐ空を駆け、あの日取る事が出来なかった手を握りたい。そんな思いは確かにあったが、それは「魔力譲渡の能力を手放したくない為だ」と自分で自分の気持ちを偽った。正しき道を歩む為であれば、自らを欺く事さえ厭わない。それが絶対的君主として君臨するセシリアの、確固たる強さだった。




 コンコンコン




 部屋の扉がノックされる。




(またノアかオーネットかしら。)




 オーネットは日に何度か、ノアに至っては1時間に一回という頻度で、セシリアに直談判しにやって来る。彼女達がそこまで必死になる理由も分からなくはないが、魔法部からの指示という絶対的な命令の下、その判断は明らかにリスクに傾く。




「セシリア様。失礼致します。オリビアです。」


「・・・・入りなさい。」




 そう言って扉をあけ、入って来たのは完全に普段通り、グレーの髪をきっちりと2・8に固め、メイド服に身を包んだオルビアだった。そしてその顔はやはり、憤っている。




「あなたにはしばらく暇を出したはずよ。」


「もう回復しましたので。」




 オリビアはそう言うと、無表情で佇むセシリアの前へと歩いて行く。そして立ち止まって口を開いた。




「この二日間、何をされていたのですか。」




 それは当然世間話などではない。明らかに主人に対する暴言。ただでさえ穏やかでは無かった空気が、一瞬にして凍りつく。




「あなたに私の行動を指図される筋合いは無いわ。立場を弁えなさい。」




 いつも沈着冷静なオリビアが、何故ここまで感情的になっているのか。それはセシリアにもよく分かっていた。


 あの日、シオンの攻撃から必死に逃がそうとしたハルを、主人は一切気にも止めず、呑気にここで事務仕事をしている。自ら「命に代えても守れ」と言ったにも関わらず、魔法部の許可が降りないとなるやあっさりと見捨てる。今この瞬間に、ハルがどんな目に遭っているかも分からないのに。恐らくオリビアは、そんなセシリアの薄情さを糾弾したいのだろう。そう思っていた。




「なぜそこまで、セシリア様はご自分のお気持ちを押し殺してしまわれるのですか。」




 なので最初、オリビアが何を言っているのか分からなかった。


そして分かっても尚、何を意図してそう発言しているのか、分からなかった。




ーーー気持ちを押し殺す?それはこの学園の君主たるもの、当然の事だろう。それに全てを正しく導く事、それこそが自分の望み。押し殺してなどいない。




「何が言いたいの?」




セシリアの表情が怪訝そうに歪み、目の前に立つ理解不能な従者を鋭く見据える。それに対しオリビアは、その凛とした表情のまま、切れ長の瞳ではっきりとセシリアの目を捉え、答えた。




「なぜいつまでも魔法部の言いなりになるのですか。魔法部の本質が変わりつつある事に、セシリア様もお気付きなはずです。それでも従うのは、お母様の様にはならない為ですか?」


「なぜそこでお母様が出てくるの?私のしたい事は全て私が決めて来た。魔法部の命令に従っているのは、その命令を無視するリスクの方が、ハル=リースリングを失うリスクより大きいと感じた為よ。不満は無い。」


「ではなぜ、今もここでハル様の事を考えて、その判断を憂いているのですか?あなたが本当にリスクを考えるのであれば、あんな部屋にハル様を置かない。学校にだって通わせる必要は無い。日の届かない地下牢にでも監禁して、ただ毎晩好きなだけ魔力を奪えばよかった。ハル様に自由を与えた理由は、決してメリットがあったからではなく、ただ彼女を、ハル様を助けたいと思った。だからご両親に会いたいと言ったハル様の願いを、叶えたのではないのですか!?」




 オリビアの気迫の籠もった言葉に、セシリアは更に不快そうに顔を歪め、視線を逸らす。


 ーーー頭の中で浮かぶのは、あの日、両親の前で気丈に振る舞う少女。そして馬車の中で見せた、弱々しく微笑む顔。




「随分な拡大解釈ね。私はただハル=リースリングに利用価値と危険性を見出した。条件はそれを適切に使う為の手段よ。憂いてなどいないわ。」




 ーーーだから、そこには他の理由は無い。




「本当にこのままハル様がグルゴ・パランの手に落ち、魔法部のものとなっても構わないと言うのですか?」




 ーーー思い出す。ベッドの中で必死にセシリアにしがみ付き、セシリアの名前を何度も呼ぶ声を。




「ええ、構わないわ。」




 ーーー私はセシリア=セントリンゼルト。何事にも私情は挟まない。




「ハル様が、どれ程セシリア様に会いたいと思っているか、その気持ちすら踏み躙っても構わないのですか?」




 ーーー道具の様に扱わないでと悲痛そうに訴えかけてくる瞳。とっくにその小さい体はボロボロなのに、服を脱がされるわずかな間にその日の出来事を嬉しそうに話す少女の姿。




 ーーーそれでも、私は。




「・・・構わないわ。」




「ハル様は、あの部屋から一度も逃げ出そうとしなかった。それはあなたがいたからですよ、セシリア様。」




「それがなんだって言うの!?もうあなたと話す事は何もない!!!立ち去りなさい!!!」




「本当に、その手をもう取れなくてもいいのですか!?」




「構わないと言ってるでしょっ!!!」




「ではなぜ、なぜなのですかーーー






 なぜ、セシリア様は今、そんな顔をされているのですか?」




 弾かれた様に顔をあげると、雨で真っ暗な窓に反射して映っていたのは、唇を噛み締め、やり場のない思いを堪えた、ただ一人の、18歳の少女だった。




「これはっーーー」




 違う。そう言って振り返ったセシリアだったが、とっくに心の許容量を超えるまで溢れ出した感情は、熱いものとなって両目から溢れ出していく。何重にも重ねた仮面が、バラバラと音を立てて崩れる。




 ーーー会いたい。抱きしめたい。傍にいたい。 触れたい。安心した様に腕の中で眠る、その顔に。暖かさに。温もりに。




 そんな思いを代弁するかの様に、その雫はとめどなく溢れ、頬を伝って床へと静かに、しかし熱いまま落ちていった。




「私は、私は・・・」




 本当の自分の感情に初めて直面し、抑える事のできないセシリアを、オリビアはそっと抱き締めた。セシリアがまだ幼かった頃、母親に怒られ泣いていた時にそうした様に。




「セシリア様。セシリア様はセシリア様です。例え多少脇道に外れても、お母様の様にはなりません。もう、心の望むままに生きてください。それが例えどんな道であろうとも、私は一生セシリア様にお仕え致します。」


「私は・・・ハルを・・・・・」




 オリビアがそっと体を離す。そして、潤んだ琥珀色の瞳を見て、強く言った。




「ハル様を助けに行きましょう。そこから先の言葉は、私ではなく、もっと言うべき相手がいます。」








 ・


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 セシリアは気持ちを落ち着けると、すぐに切り替え、四賢聖を執務室へと招集した。


 時刻は18:00を少し過ぎた頃だった。ノアは部屋に入るなりその顔を見て、セシリアの心が決まった事を悟った。




「まず、今からハル=リースリング奪還の為、グルゴ・パラン襲撃の為の作戦会議を始めるわ。ただその前に、これは完全なる魔法部の命令違反。その制裁がどんなものか分からない以上、無理強いはしない。それでももし、協力してくるというのなら、」




 セシリアがオーネット、ノア、クロエに向かって頭を深々と下げた。




「どうか、力を貸して欲しい。」




 オーネットが、凛とした表情のまま「勿論だ。手を貸さない理由がない。」と手を差し出す。




「咎人は罰するべき。その考えは今も譲れない。だがハルは自身の弱みにつけ込まれた私を救ってくれた恩人だ。この恩は必ず返す。そしてセシリア、君は私の友人だ。もし魔法部からその制裁とやらが来るのであれば、喜んで共に受けよう。」




 その言葉に、セシリアはしっかりと頷いて「ありがとう」と返した。ノアも異論はない様子で、隣でオーネットの言葉に頷いている。


 だが問題は最後の一人、クロエだった。




「セシリアが頭下げるのは最高に見ものだったけど、私はパス。今日はもう眠いもん。」




 クロエのその一言に、オーネットが眉間に皺を寄せ今にも掴みかからんと言う表情でクロエを睨む。しかしクロエは「怖い怖い」とどこ吹く風だ。


 だがそんなクロエの態度も、セシリアはすでに予測済みだった。クロエのこの発言は、本当に眠いからではなく、「何かもっといい条件なら手伝ってやる」という魂胆だという事を、散々日頃から絡まれてきたセシリアは十分に理解していた。




「そう。クロエは参加しないのね。」


「しなーい。」


「そういえばクロエ、ずっとハルにちょっかいを出したがっていたわね。」


「んーまあね。反応面白いし。」




 わざと興味なさそうな返事をしているが、内心はセシリアの言葉が気になってしょうがないのか、ちらちらセシリアの様子を伺っている。んなまんまと興味を示しているクロエの様子に、セシリアが話を続ける。




「でもハルは私もものだから、ずっと酷い事はできずにいたんでしょう。出来たとしても、せいぜい街にハルを置き去りにして、雨の中歩いて高熱を出したハルを心配したいけど素直になれない私をほくそ笑むくらいだったものね。」


「うっ・・・」




 セシリア様には全部お見通しである。




「クロエ。もし今回の戦いで戦果をあげたら、ご褒美をあげるわ。」


「ご褒美って何?」


「1時間だけ、ハルにどんな事をしても構わないわ。」


「!?!?!?」


「但し、時間操作と幻術は禁止よ。」




 セシリアの言葉に一瞬舞い上がったクロエであったが、その条件にやや落胆する。しかしそれでもハル1時間お楽しみ券は満足だったのか、どう使おうか早速夢の中である。


 間近に人身売買の瞬間を見たノアとオーネットは、次から次へと恐ろしい妄想を吐き出すクロエも、「まあ殺しはしないでしょ」と言っているセシリアも、「どっちもどっちなのでは?」と思いつつ、遠くの地にいるハルに心の中で謝るのだった。




 四賢聖全ての戦力を揃えたセシリアは、続いて作戦の話に移る。




「恐らく敵は4人。今回は裏で魔法部とリー協会が手を引いてるいる可能性が高いから、公にはならない様、上層部しか事態を把握していないはず。そして私が接敵した相手は4人。1人はシオン・ディーツェル。みんなも知っての通り、グルゴの第一位よ。彼女は私がやるわ。そして残りの3人はそれぞれ水・地・風の能力だった。恐らく全員2位〜4位の実力者。水の魔法士をオーネットと遭遇させない様に、そして残りの2人をクロエとぶつかる様に、ノア、誘導頼めるかしら?」


「ええ。何とかやってみます。」


「えっ私2人やるの!?もし2位と3位が相手だったらいくらこんなに可愛いクロエちゃんでもキツくない!?ハルの魔力譲渡の力でパワーアップしてるかもなんでしょ!?」




 ヤダヤダと駄々をこねるクロエを、一切無視して話を進める。




「グルゴ・パランに到着したら、私は真っ直ぐシオンがいるはずの本殿を目指すわ。ノアはそのまま上空で待機。二人のどちらかが押された時の援護、もしくは3人以外の敵が現れた場合の対処に当たって。二人は3人同時に遭遇した場合に備えて、まとまって本殿の前でシオンへの増援を防ぐ事。今回の襲撃は明らかに命令違反。なるべく目立たない様に行くわよ。いいわね?」




 相変わらず不貞腐れたままのクロエを除いた2名が頷いたのを確認し、いざ出撃という空気になった時、突然セシリアの執務室の扉が乱暴に開かれた。四賢聖が一斉に振り向く。




「待ってください!!!」




 そこから流れ込む様にして入ってきたのは、ピンクの髪の小柄な少女、リアと赤髪の少女、イグテアだった。








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「ハルが、グルゴ・パランに連れ去られたというのは本当ですか!?」




 必死な形相で四賢聖に問うリアに、オーネットが腕を組んで眉間に皺をよせる。




「盗み聞きしていたのか。」




 その質問に答えたのはイグテアだった。




「申し訳ございません!ですが、3日間も突然何も言わず、姿を消した友人の身を案じない事は出来ません!!!」


「志は結構ね。でもあなたにはもう、ハルには関わらない様にと言ったはずよ。」


「ですがっ」


「四賢聖として命じます。あなた達は今すぐこの場から立ち去りなさい。以上。」


「・・・・・・・っ!?」




 セシリアのその言葉に、リアとイグテアは握った拳をわなわなと震わせる。




「なぜですか!?私達だって戦えます!!私達も連れて行ってください!!」




 しかし、セシリアは首を縦には振らない。




「碌にクラーケンも倒せなかったあなた達では戦力にならない。ただの足手まといよ。第一、どうやってグルゴ・パランまで行くつもり?あなた達は空も飛べないでしょう。」




 それでもどうにか食らいつこうとするリアとイグテアであったが、ノアが二人を優しく諫める。




「あなた達の気持ちは確かに受け取ったわ。でも敵の強さや数すら今は分からない。必ずハルちゃんは私達が助け出すから、ね?ここで待っていて。」




 二人はその言葉に、ただただ目を伏せ、非力と言われた手を強く握りしめる事しか出来なかった。








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 その後、黙り込んだ二人を合意と捉えた四賢聖たちは、すぐに学園からグルゴ・パランに向けて文字通り飛び立った。


 直前クロエが「この子達の記憶消そうよ〜」と言っていたが、それはオーネットが止めた。クロエの記憶操作ではどんな代わりの記憶を埋められるか定かではない。


 それに、セシリア自身も確かに盗み聞きをした事は許し難く、不快であったが、それほどにまでハルを思う友人がリアだけでなく他にもいた事に、ほんの僅かにだが、ハルに行った様々な仕打ちが報われる様な気がした。




(ーーー私がハルに会って伝えたい事。)




 四賢聖は鳥よりも早い速さで夜空を駆けていく。


 奪われた少女を取り戻す為に。




 それぞれが抱く気持ちは、恩、慈愛、報酬、そして渇欲と違いこそあれ、彼女達が闇を切り裂いて突き進む姿は、どこまでもグラソン学園の最高峰に君臨する賢聖であった。



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