19 少女と武の宮殿


「流石のあんたでももう少し時間がかかると思ってたんだが・・・ああ、これの力か。」




 シオンが「これ」と言ってハルを見やると、セシリアがその発言にピクリと眉を顰める。




「今すぐハル=リースリングを離し、降伏しなさい。話はその後。」




 セシリアはそう言った瞬間にその場を割れんほどの力で踏み込み、豪速でシオンへと距離を詰める。あと数mでハルに届く距離。


 しかしそのレイピアの切っ先がシオンに触れるよりも早く、シオンは凍った足元の氷を引き剥がすと、一瞬にして窓から夜空へと飛び立った。




「本当にこの女を守りたいのなら、オリビア毎あたしを凍らせるんだったな。」




 ハルへと伸ばしたセシリアの手は、あと僅かの所でハルの指先をかすめ、悲痛な表情を浮かべたハルの顔は、一瞬で見えなくなる程遠くへと消えて行く。




「ハル・・・・・!」




 窓枠から身を出して飛び去った方向を見やるが、辺り一面煌々と星がきらめくばかりで、遂にその姿を見つけることは出来なかった。そして振り返ったセシリアは、主人の命を成し遂げようと倒れ伏したオリビアを担ぎ、静かに瓦礫の山となった部屋を後にした。








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「おいおい折角あたしが直々に空を飛ばしてやってんだぞ?もっと驚けよ。あんた飛べねえだろ。」


「・・・・・もう慣れました。」


「可愛くねえなぁ。」




 あっという間にハルの体はグラソン魔法学園から離れ、どこの上空かもわからない場所をハルはシオンに担がれて飛んでいた。


 そうして10分程経って辿り着いたのは、まるで昔の神殿の様に彫刻が施された柱がいくつも並ぶ、荘厳で重々しい空間だった。 建ち並ぶ高さ10メートル以上はある白い柱は、厳粛な空気を醸し出している。そして均等に並んだ柱の先には細やかな彫刻が施された豪勢な建物がそびえ立っていた。




「どうだ?美しいだろ。ここがあたしの要塞、グルゴ・パラン学院だ。んであれが本殿。行くぞ。」




 シオンはハルが逃げるなど毛頭思っていないのか、ズカズカと先へ進んで行く。実際にハル自身、この見るからに屈強な女傑シオンから、碌に魔法も使えない自分が逃げられるとは思ってもいなかった。




「ここはグルゴ・パランでも限られた人間しか入れない場所だ。」




 そう言って連れてこられた本殿は、正に宮殿の様な場所そのものだった。


床には青い絨毯が敷き詰められ、天井は金色に輝いている。そしてそこに描かれた宗教画の様なものを、吊り下げられた大きなシャンデリアが明るく照らしていた。


 建物に入るなり、何人もの女性がシオンを出迎える様に並ぶと、屈んで膝を立て、一斉に頭を下げる。




「お帰りなさいませ。」




 それだけであれば、ただの上流階級の貴族だが、それとは明らかに異なる点が一点あった。それは頭を垂らす女性達の服装が、明らかに特殊であった点である。


彼女らは全員、見る方が恥ずかしくなる程に胸を強調した真っ赤な服装に包まれていた。そして、腰のほんの僅か下まで入った明らかに淫らなスリット。そこからは艶やかな太ももが見え隠れしている。




「・・・・・・!?」




 思わずそのあからさまな服装に赤面し、一歩二歩と後ずさりするハル。


明らかに彼女達はそういった目的の為に買われている、いわば娼婦や遊女と呼ばれる存在としか思えなかった。




「どうした?そんなに怖がるんじゃねえよ。もっと怖がらせたくなる。」




 シオンはそんなハルの態度に一笑すると、「行くぞ」と言って彼女達には目もくれずに階段を登って行った。




(恐らく私を連れ去ったのは、私の魔力譲渡の力が目的・・・)




 そうぼんやり考えながら、ただハルはシオンに言われるがまま、その後をついて行く。


 そうして連れて来られたのは一つの部屋、と言ってもこれまで住まわされていた部屋とは明らかに異なる広さの、豪華絢爛な部屋だった。壁には大きな絵画がいくつもかけられており、部屋中には高価そうな調度品や大きなクローゼットの様なもの、そして細かく模様が描かれた天蓋付きの大きなベッドが置かれていた。




「着替えさせたらあたしの部屋まで連れて来な。」


「承知致しました。」




 それだけ言うと、後ろからついて来た3名ほどの女性を残し、シオンは部屋から去って行った。そしてシオンが出て行くや否や、女性達がハルの簡素なワンピースシャツを脱がし、クローゼットから取り出した赤い服を取り出す。




(着替えってもしかしてっ)




 一瞬、この女性達と同じものを着せられるのかと焦ったハルだったが、それは杞憂だった様で、着せられたのは床を引きづるほどの丈の真っ赤な刺繍が入った、東洋の様なドレスだった。着付けをする間、女性達は一言も話さない。しかしだからと言って、その瞳に怪しい仄暗さは一切無かった。




(・・・操られたりはして無いんだ。)




ハルはただされるがまま、テキパキと動く女性達に大人しく着替えさせられた。



















 着替えが終わると、女性達は「こちらです」と言ってハルをシオンの待つと言う部屋へと案内した。




「お入り下さい。」


「・・・・・・・・」




 ゴクリと唾を飲んで、ハルが一歩その部屋に踏み入れる。


そこはただでさえ広かったハルに与えられた部屋の、さらに倍は広さがある煌びやかな部屋だった。そして入って右側、何段か高くなった場所に、胡座をかいて頬杖をついたシオンが、獲物を値踏みする様な目でハルを見下ろしていた。




「ほう・・・あのセシリアが隠したがるのも頷けるな。」




 そう言うとシオンは女性達を下がらせ、ハルに自分の前に座る様に促す。


 黙ってそれにハルが従うと、高低差からハルはシオンを見上げる形となり、ただでさえ威圧感を与えるその屈強な体が、更に圧迫感を与える。




「あんた意外と従順なんだな。逃げようとしねえし。」


「・・・・・・・」




 ハルは黙ってシオンから目を背ける。ハルは何の説明もなく自分を攫ったこの人物に、恐怖を感じていない訳では無かった。


 しかし、もう必死で生にしがみつき、セシリアの元に戻りたいという気持ちよりも、「自分はどうせ道具なのだから」という悲観的な諦めの方が大きかった。それ故、シオンやこの先の事を恐れつつも、必死に抵抗する様な気力はもう湧き上がらない。




「もっとギャンギャン泣き喚くかと思って楽しみにしてたんだけどな。」


「・・・・・・・」




シオンがつまらなそうに傍に置かれたお茶を飲む。




「何かあたしに聞きたい事はねえのか?」


「・・・・・・・」


「だんまりか。」




 シオンはめんどくさそうにそう言うと、突然魔法を使ってハルを段上、自分の目の前へと引き寄せる。




「・・・うっ」




 突如目前に迫る獣の様な碧い目に睨まれ、ハルは思わず目を逸らした。




「ふん。もう心まで壊されたのか?」




 シオンの図星な指摘に、更にハルは押し黙る。シオンはそんなハルを乱暴に部屋の中央へと投げ捨てると、ゆっくりと立ち上がり、ハルへ歩み寄る。




「つまらねえな。面白い力を持った女がいると言われて攫ってみたが、ただの顔の良い人形じゃねえか。こんなつまらん物にセシリアは執心してるのか?」




 そう言ってハルの腹を乱暴に蹴り上げる。




「ぐあっ」




 オーネットの蹴りよりも小さな動作だったがその衝撃は凄まじく、内臓が破裂するかと思うほど圧迫され、ハルの体が宙を舞う。




「おえっげほっげほ」




 思わず胃の内容物を吐き出すが、一日何も口にしていなかったハルの口からは、ただ苦い胃液しか出ない。




(痛い・・・痛いよ・・・)




 じっと声も上げずに蹲るハルに近づくと、シオンはハルの髪を掴んで顔を上げさせた。




「醜い顔だな。あんた、なんで死人みたいな顔してんだ?そんなに死にてえのか?」




 そして今度は横から思い切りシオンの拳がハルの顔面に入り、口の中が切れて血が溢れ出す。しかしシオンは掴んだハルの髪を離す事無く、もう一発、もう一発とハルの顔面を思い切り殴った。




「ぐっあがっ」




 ハルの瞼が切れ、血が流れて左目が開けられなくなる。鼻は折れているのか熱く、頭は脳震盪を起こしているかの様に気持ち悪く揺れて視界がチカチカと点滅する。ハルは目の前で殴るシオンの顔をまともに捉える事もできなかった。




(苦しいよ、痛いよ、辛いよ)




 耳は千切れたかの様に音が聞こえず、ただ自分のバクバクという動悸だけが脳に響く。蹴られた腹や殴られている顔面は燃える様に熱く、呼吸する度に悶える程の激痛が走った。




(なんで、私がこんな目に・・・)




 殴り飽きたのか、シオンはハルをボロ雑巾の様に捨てると、「最後にもう一発」とでもいう様に壁に向かって脇腹を蹴り飛ばした。


 蹴られた脇腹から重い振動が全身に伝わり、また血を吐き出してハルが地面に倒れる。壁に背中を打ち付けたせいか、満足に呼吸もできず、ハルはただ「ヒュッヒュッ」と浅い呼吸を繰り返しながら黙って痛みに耐えた。


 一向に抵抗の姿勢を見せ無いハルに呆れたのか、それとも興味を失ったのか、シオンは「つまんねえな」と吐き捨てると、漸くハルがその口を開く。




「・・・殺してください。」




 その言葉に、シオンが明らかに怪訝そうな顔を浮かべる。




「私を、殺してください。」




 ハルは壁にもたれかかる様にして座ると、唯一開く右目でシオンの目を見て、もう一度言った。




(私には、道具としての利用価値しかない。そしてこの力が他の者に奪われるなら、私はもう死ぬしかない。)




 極端とも思える考えであったが、仮に誰かに救出され学園に戻る事ができたとしても、同様の事が起きない様に処分されるか、もしくはまた一生道具として扱われるかの二択だった。


 そして、セシリアによって一生道具として扱われる痛み、あるいは「生かす価値が無い」と言い放たれる苦しみに、ハルは耐えられなかった。




(もう、夢は夢のままで終わらせたいーーー)




 そう思ってしまう程までに、自らを取り巻く環境を一変させたこれまでの出来事とセシリアの仕打ちは、たった16歳の少女の心をバラバラに引き裂くのには十分だった。


そんなハルに、ゴミを見る様な目でシオンが言う。




「いいだろう。あたしは戦う事を放棄した人間がこの世で一番嫌いだ。この世の最も重い罪を犯したお前に、あたしが鉄槌を下してやろうじゃねえか。けど一つ答えな。なんであんたは死にたいんだ?」




 シオンはハルへと手をかざして問いかける。その手からは青白い火花がバチバチと音を立て、ハルの命を刈り取らんとしている事は明白だった。




「私は・・・ただの道具です・・・」




 ボロボロになったハルが、つぶやく様に答える。




「ただの道具として扱われてきた・・・ここに連れてこられても、仮に助けられたとしても、それは一生変わらない。もう、人として扱われないくらいなら、いっそ・・・」




 ハルがそう呟く瞳からは、ぼろぼろと涙が溢れる。そして血と涙で塗れた顔を上げ、バチバチと音を立てる火花越しにシオンを真っ直ぐ見上げる。その時、ハルの左目は開いていた。




「・・・お願いします。もう、私を殺して下さい。」




ーーーああ、これで長かった苦しい旅路がやっと終わる。自らの存在価値を問う苦しみからも漸く解放される。生きてと願った母と父の想いを叶える事が出来なかった自分の弱さを、どうか許してほしい。




 しかし、縋る様に見上げたハルの瞳を見て、シオンは一瞬驚いた表情をすると、突然かざしていた片手の魔法を解いて俯いた。


 そして突然「ふふふ」と肩を震わせ笑い出す。




「ははははは、やっぱりお前を攫って正解だった、ハル=リースリング。」




 急に狂った様に笑い出すシオンに、ハルは思わず呆気に取られた。




「ああそういう事か。それなら死ぬのはもう少し後にした方がいいな。」


「えっ!?」




 そう言うとシオンはハルを片手で担ぎ上げ、部屋の奥に置かれた豪勢なベッドへと豪快にハルを投げ入れる。


ハルは突然のシオンの行動に、訳もわからず呆然とした。




(どういう事!?)




「あんた、咎人って言われてるんだろ?」




(待って、これって・・・)




 仰向けに横たわるハルにのしかかるシオンは、何度も見た事がある瞳ーーー捕食者の瞳をしていた。




「待って!?全然そういう空気じゃなかったじゃん!?明らかに私の命を奪う感じの流れだったじゃん!?」


「そう言われても、その瞳を見たからには確かめねえとな。」


「・・・っ」




 そう言ってシオンは押し倒したハルを抱き抱えると、ベッドの横に掛けられた姿見にハルの姿を見せた。


 至る所が血にまみれ、顔は酷い有様である。そしてそこに映る桃色の瞳はーーー




(瞳の色が戻ってる!?)




 ハッキリと濃紺色に戻っていた。しかしそれだけで急にハルを襲ってくる理由が分からない。




(咎人だと知らずに攫ったの!?でもそれだけで私の能力に気付くはずない!!!)




 シオンは、状況が飲み込めず困惑するハルには一切構わず、ハルを膝の上に抱きかかえたまま、綺麗に着付けられた服を乱暴に脱がしていく。




「この服、露出度低くて安心しただろ?でもすごく脱がせやすいんだ。すげえだろ?」


「変態の発想だ!!!」




 どの学校もトップレベルになると頭のネジが何本か外れるのか。シオンはそんなハルの悪態を無視して自信満々に笑う。


 そうして抵抗するハルを難なく脱がせると、その柔らかな肌を撫でた。




「嫌っ!!!」


「さっきは死にたいって言ってた癖に、抱かれるのには抵抗するんだな。その方が燃えるから構わねえが。」




そう言ってシオンはハルの下着も取り払い、片手で抵抗するハルを抑えながら、その胸に触れる。




「やだ、いやっ、やめてっ」




(このままじゃシオンに魔力が渡る!!!)




 攫われた時点でこうなる事は分かっていたが、それでも実際に触られると更に自分がただの道具の様に感じ、思わず抵抗する。しかし両手でシオンの腕を掴んで暴れても、シオンの剛腕は微動だにしない。


 そしてその指先が胸の先端を擦り、優しく引っ掻くと、ハルはぎゅっと目を瞑りくぐもった喘ぎ声を出した。




「胸を触るだけでも魔力が渡るのか。これは面白いな。」




 そしてその大きな手はしばらくハルの胸を弄んだ後、ゆっくりと下へと降りていきハルの薄い下着をとり払う。




「やっだっ・・・」


「はははっ、ウブな反応だな。あたしに仕える女達も負けないが、あんたも中々扇情的な顔をする。」




 そう言って不敵に笑うと、シオンの指がほんのりと湿ったハルの中へとゆっくり探る様に入り込む。咄嗟に足を閉じようとするが、それは立てられたシオンの膝によってあっさりと阻まれる。




「んんっ・・・」




 必死に唇を噛んで声を漏らさぬ様に耐えるハルであったが、そんなハルの健気な姿すら、シオンの情欲を燃え上がらせた。




「なるほど。これは確かにセシリアも夢中になる訳だ。」


「セシリア様は、夢中になんて・・・はぁっ!」




 潜り込んだセシリアよりも長く太い指がハルの中を無遠慮に動き回る。必死に抵抗しようとシオンを掴んでいたハルの腕は、もはや引き剥がそうとしているのか、縋り付いているのか分からなかった。


 動き回り、中を引っ掻き回す指は2本、3本と増えていく。




「も、無理、くるしっ・・・」


「ふふ。3本でも苦しいか。お前は道具と言い張っていたが、その割りには随分大切に扱われているな。」




 そして「これ以上はセシリアに悪い」と言って指が1本抜かれるが、それでも普段は届かない所まで犯され、縦横無尽に荒らされる感覚に、背筋はゾワつきハルの華奢な腰は浮きっぱなしだった。




「ほら。前を見てみろ。」




 背後から抱きしめる様にしてハルを虐めていたシオンが、急にハルの顎を掴み強引に前へと向かせる。


 そこには、壁にかけられた鏡に、残忍に笑う紫髪の屈強なシオンと、その腕に縋る様にして身を捩り、体を赤く火照らせながらその指を咥え込む、淫らな少女が映っていた。




「嫌っ・・・こんなの違、あぁっ」




 その信じられない光景に、否定する様に頭を振るハルだが、その声はまた動き出した指によってすぐに嬌声へと変わる。




「ふふふ、すまねえがあんたはちょっと虐めがいがありすぎる。」




 シオンはそう言うと、「そろそろ解放してやるか」と言って強く締め付けられた指をハルの苦手な場所めがけて何度も突き上げるのだった。








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「相手はグルゴ・パランのシオン=ディーツェル。それで間違いはないんだな?」




 部屋の隅で腕を組み、険しい顔をしたオーネットが問うと、セシリアがはっきりと頷いた。




「ええ。間違いないわ。」


「シオン=ディーツェルさんはグルゴ・パランの第一位。となるとオーネットさんの一件からずっと手を引いていたのはグルゴ・パランだったのでしょうか。」


「その可能性が高い。それに敵はシオン=ディーツェルだけじゃない。ハルが襲われた時、見回りをしていた私も3名のグルゴ・パランの生徒の襲撃を受けた。そこまで手こずらずに退けたけど、恐らくあれがグルゴ・パランの上席ね。こんな強硬手段を取って来るなんて、状況を甘く見ていたわ。」




 グラソン魔法学園が、魔法にまつわる全てを習得できるバランス型だとするのであれば、グルゴ・パラン学院は魔法戦闘に特化した攻撃型、いわば傭兵養成所の様なものである。そしてそこで上位の成績を納める者ともなると、その実力は計り知れない。




「ではこちらも襲撃を仕掛けますか?」




 ノアがセシリアへそう問いかけるが、セシリアはほんの僅かに怪訝そうな顔をした後、静かに首を振った。




「いえ、それはできない。」


「っ!?なぜですか!?」




 ノアの反応は至極真っ当なものであった。これまで共に過ごした時間は短かったが、ハルが特殊な立場であることもあり、関わりあった回数は少なくない。そしてそれは咎人には収まり切らない様な存在、そうノアは確認していた。


 咎める様なノアの表情に、セシリアは少し顔を俯かせて告げる。




「咎人を匿っている件は、魔法部にも話を通していた。なのでハルがグルゴ・パランに奪取された事を報告し、その奪還を行う旨もすでに通知したわ。」


「それならばなぜ!?」




 俯いたまま、じっと押し黙るセシリアに、代わりに答えたのはオーネットだった。




「・・・止められたんだな。魔法部に。」




 オーネットのその一言に、ノアが息を飲んだ。奥歯を強く噛みしめる様にしてセシリアが言う。




「一枚噛んでいたのよ。魔法部も・・・」




 じっと漂う、出口の見えない様な重苦しい空気。ずっと追っていた敵は、想像以上に強大で、その手はもうとっくにこの学園、そしてハルという少女を飲み込もうと手を喉元まで伸ばしていたのである。


 再びセシリアが口を開く。




「今、私達にできることは何もないわ。」


「そんなっ!?」




 セシリアの発言に、咄嗟にノアが声を上げるが、そこからはかける言葉が見つからなかった。


 そして話は終わったとでも言う様に部屋から立ち去ろうとするセシリアの背に、オーネットが静かに声をかける。




「セシリアは、本当にそれでいいんだな?」




 問いかけられたセシリアは振り向かないまま一拍置くと、無表情のまま「ええ。」とだけ返し、青い髪を靡かせて去って行った。




 セシリアが立ち去った部屋で、ノアがオーネットに尋ねる。




「でも、魔法部の大臣って・・・」


「ああ。セシリアの母親だ。だがここ何年かはずっと物騒な噂が絶えない。今はもう、何を目的にして動いているかも、その目的の為に何をしているかも怪しい危険な人物だ。数回しか会ったことは無いが、昔は優しい素敵な人だったんだがな。」




 実の母親が率いる魔法部が加担していると分かった今、セシリアがどんな感情を抱いているのかは、誰にも窺い知れなかった。








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 魔法部は、文字通りグラソン王国の魔法に関わる全てのものを取り仕切っている国家機関である。その影響力は魔法に止まらず、魔法に関わる罪人の刑罰や魔道具に関する関税等、法的機関や金融機関としての側面も持っていた。


 そして魔法部の決定には絶対的な権限がある。それに逆らえばどんな処遇が待っているかは想像するに容易い。それは例え、グラソン魔法学園で権力を握っているセシリアであっても同様であった。




 セシリアが溜まった仕事を片付けると、時刻は18:00を少し回っていた。




(もう帰ってる頃かしら。)




 疲れた頭で一瞬そう考え、置かれている状況を思い出す。ハルが連れ去られてから、セシリアはどうも自分の様子がおかしいと感じていた。


 昨夜は話し合い後も心が落ち着かず、結局一睡もできなかった。ーーー連日絶え間なく譲渡されていた魔力の中毒症状かーーー最初はそうも考えたが、ハルから貰った魔力は今も尚、体の奥底にしっかりと横たわり、セシリアの魔力と結びついているのを感じる。


 第一位の人間として常に自分を律し、誰よりも正しくあろうと生きてきたセシリアには、その感情がどういった名前ものなのか、認識する術は無かった。


 オーネットの騒動のあった日の夜、何かに怯えて涙を流し、華奢な肩を震わせて縋る少女を、セシリアはどうしても咎人として見る事が出来なかった。そして一夜の過ちを犯してしまった。そんな軽はずみな行動が、いずれ彼女を深く傷付ける事になると、心の何処かでは分かっていながら。




 セシリアは執務室を後にすると、未だ瓦礫が片付いていないハルの部屋の方を一瞥する。心に過よぎるのは、最後に抱いた日にセシリアを拒絶し、涙を流すハルの姿ーーー




 「もしかするとこの少女は、咎人では無いのではないか」。そんな思いがずっと心の何処かにあったのかもしれない。


 しかし、根拠のない仮説に縋る気持ちに蓋をして、正義や義務で粉飾された歪いびつな関係を重ねる毎に、セシリアの中の歪んだ気持ちは徐々に大きくなり、自分では抑えられない程の怪物へと成り果てた。


 そうして抱え込んだ邪悪な思いがあの日、「道具として扱わないで欲しい」と言われた夜、爆発した。ハルが咎人でないのであれば、この関係は名前を失ってしまう。ハルが道具でなくなれば、「魔力譲渡」と言う名目でハルの体を求める事が出来なくなる。かと言って、それ以外の術を持たないセシリア=セントリンゼルトという人間からは、あの少女はいずれ、手の届かないところへ消えてしまうだろう。


 抱いたことのない感情に突き動かされ、拒絶する声も体も奪った後に残ったのは、最も傷つけたくなかった天使が、自らの手で羽を捥がれた様な、耐え難い姿だった。




(ーーー私はセシリア=セントリンゼルト。)




 しかし、その感情の名前を知らない彼女は、今日もまた、仮面の様な無表情をつけて歩いていく。






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「セシリアってあんたに対してどんな風なんだ?」


「・・・・・絶対に答えたくない質問ですね。」




 ハルは今、何故かシオンの腕の中に服を着たまま抱かれていた。いわば「腕枕」と言われる様な状態である。嫌がって何度か脱出を試みたものの、当然ハルがその腕力に勝てる筈も無く、今も抱かれたままであった。




 昨晩唐突に暴力を振るわれ、その後唐突に襲われた後、意外にもシオンはあっさりとハルを解放した。


 どうやらグルゴ・パランはグラソン魔法学園とは異なり、最上位の成績の者であっても、授業に出る義務があるらしい。シオンは「また夕方な」と言ってハルの部屋のベッドまで丁重にハルを運ぶと、部屋から出て行った。




 日中は自由に庭園等を散策してもいいという話だったが、とてもそんな気にはなれなかった。昨夜はシオンの行動に振り回され、いくらか言い返す気力が出たものの、置かれた状況は変わらない。




(セシリア様にとって私は、ただの道具。そして勝手に街に出かけて、次の日にはシオンに連れ去られて、きっと深く失望しただろうな・・・)




 死ぬ事も出来ず、帰る事も出来ず、また帰りたいのかすら分からない状況で、ただただハルは布団に包まっていた。


 そして夕刻に現れたシオンは、何故かハルの服を脱がす事もなく、布団の中に入って来たのである。




「今日は何もしないんですか。」




 太い腕に抱かれたまま、率直な質問をシオンへと投げる。




「あたしはどっかの緑の奴と違って、強くなる為に無理矢理襲うつもりはねぇんだよ。」




 緑の奴、とは無論オーネットの事であろう。操られていたとはいえ、その情報を各校の上層部は把握しているらしい。




「それに、どっかの青い女みたいに、あんたの力を口実にしないと好きな女も抱けないくらい困ってねえしな。」


「っ!?好きって、そんな訳ないじゃないですか!?」




 無論それは、シオンがハルを好きだ云々という話ではなく、セシリアの話である。


 先程からシオンは、わざとハルが今最も嫌がる話を話題に出して、ハルの心を掻き乱すのを楽しんでる節があった。




「ははは。あいつは体ばっかり大きくなって、中身はまだまだ子供だな。」




 セシリアと同い年であるはずのシオンだったが、豪快にそう笑う。


 そしてあからさまに嫌悪感を顔に出すハルの頭を撫でると、悪戯っ子の様な顔でハルに提案した。




「なあ、あたしと賭けをしよう。」


「嫌です。」




 内容も聞かずに即答するハルに、シオンは苦笑いをする。




「いいか、きっと明日の夜、セシリアがお前を奪いにやって来る。あたしが勝ったらお前は一生あたしの物。今後はセシリアではなく、あたしに毎日一生抱かれろ。」




 シオンはそう言って「昨日みたいに甘やかしはしないからな」と、にやりと笑う。




「セシリア様が勝ったら・・・?」


「その時は、お前とセシリアに、良い事を教えてやろう。」




(なんだそれ・・・)




 全く釣り合わない賭けに呆れながらも、心の何処かでセシリアであれば必ず負けないのだろうと確信しているハルだった。

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