18 少女と武神来襲


「お迎えに上がったぞ。籠に囚われたお姫様。」




 窓枠にあぐらをかいた侵入者がそう言ってハルに手を差し伸べると、辺り一面にジンジャーの様なスパイスの香りが漂う。


 その女性はオーネットより更に一回り体格が大きく、座っていても、鍛え抜かれた褐色色の肌が何とも言えぬ威圧感をハルへ与えていた。




「あなたは誰?!」




 当然そんな人物に心当たりはなく、ハルが警戒心剥き出しでそう尋ねると、その女は短く整えられた、横に渦巻く様な模様の刈り上げが入った紫色の髪をかきながら、愉快そうに笑う。




「ははは!そんな怯える事はない。あたしが誰かはすぐに分かる。ほらもう来た。」




 するとハルがいる部屋めがけて、ドドドドド…と音が鳴り響き、部屋の扉を突き破って大きな土の肉食獣が一直線に紫髮の女性の褐色の腕に噛み付く。そして更にもう一頭、今度は頭部にその牙を食い込ませる。


 しかしそんな状況でも、女は愉快そうな笑みを崩さない。




「土のフェンリルか。久しぶりだな!オリビア。」


「えっ?!」




 女の言葉にハルが扉の方を振り向くと、そこには破壊された扉をまたぐ様にしてオリビアが姿を現した。


 いつもきっちりと纏められているグレーの髪は下ろされ、その顔には見たこともない程の怒りが見て取れる。




「今すぐここから立ち去りなさい。なぜグルゴ・パランの人間がここにいるのです。」




 そう言うと、女に噛みついていた二匹のフェンリルが口を離し、オリビアを守る様に囲みながら唸り声を上げる。


 しかし、確かにフェンリルに噛みつかれた筈の腕と頭部は、血が出ていないどころか傷一つついていなかった。




「くくくっ!主人に尻尾を振って仕えるだけのあんたとフェンリル、いつ見てもお似合いだな。」


「煽っても無駄ですよ!」




 オリビアはそう言うと魔法を唱えた。




「ソエズフォンド!!!」




 その途端、二匹のフェンリルの巨大だった体は更に大きくなり、顔つきはより獰猛に、そして脚の筋肉は更に隆起し、金属の様な光沢を帯びる。




「立ち去らないのであれば、即刻排除します!」




 二匹の真っ黒な土の獣は、唸り声を上げながらまた真っ直ぐに高速で紫髮の女性、シオンへと駆けていく。


 しかしそのうちの一匹はシオンの目前で急旋回すると、ハルの方へと飛びかかった。




「えっ!?」




 目前に迫り、真っ黒で大きな口を広げてハルに噛み付くフェンリル。首を持っていかれる、そう思い咄嗟に目を瞑るが、フェンリルはハルの服の首元に噛み付くとその体を持ち上げ、オリビアの方へと投げたのだった。


 突然の事で訳が分からず目を白黒させるハルをオリビアが両腕で軽々とキャッチする。




「お怪我はありませんか?」


「え、は、はい。今首がなくなるかと思いましたが・・・」




 そう言って見上げるハルに、オリビアは優しく微笑むと、またその切れ長の目を険しくさせ、未だ窓枠に腰掛けたまま余裕そうに笑っているシオンを見やる。二匹のフェンリルは何度もシオンへ飛びかかっているものの、どんなに嚙み千切ろうとしてもシオンには傷一つつける事ができ無いようで、一定の距離を保ったまま低く唸り声を上げている。




「あの女はシオン=ディーツェル。グルゴ・パランの第一位、文字通りの絶対王者です。」


「今のはいい技だ。オリビア。」




 シオンがそう言ってゆっくりと窓枠から立ち上がり、そっとフェンリルに手を翳すと、その途端二匹の猛獣は一瞬にして土の山へと還った。




「ハル様。私だけでは数秒の足止めしか出来ません。奴の狙いは間違いなく貴方。色々とお辛い状況かと思いますが、今はとにかく、ここから逃げて下さい。」




 そう言うとオリビアはハルを下ろし、シオンへとまた手をかざす。




「ソエズフォンド・ゴーレム!!!」




 すると屋敷中に低い轟音が響き渡り、先ほどのフェンリルよりも更に高さが3倍はある巨大なゴーレムが、天井を突き破って現れる。




「ハル様!早く行って!」




 自身の魔力量の限界を超えているのか、オリビアの眉が苦しそうに歪み、僅かにその肩は上下している。




「早く!!!」




 土のゴーレムはシオンを踏み潰すべく、大きく足を持ち上げる。オリビアの声に、ハルは心の中でオリビアへ謝罪をすると、部屋の扉、外へ向かって走り出した。しかしーーー




「逃げられるのは厄介なんだよな。」




 走り出した直後ぶつかった人物、それはハルの背後、オリビア、そしてゴーレムの更にその奥に立っていたはずのシオン、その人だった。




「オリビア!?」




 咄嗟に振り返ったハルの目前では、焼け焦げたように真っ黒な塵の山になったゴーレムと、頭や腕から血を流し、床に横たわるオリビアの姿だった。




「オリビアぁぁぁぁ!!!」




 ハルがオリビアへ駆け寄ろうと叫ぶが、その体はシオンの太く、引き締まった腕に抱き上げられる。




「よっこらしょ。そろそろアイツ来ちゃいそうだからな。」


「離して!!!下ろして!!!オリビア!!!」




 そしてハルを軽々と肩の上に担ぎ上げると、入って来た窓に足を乗せ、飛び立とうと夜空へ身を乗り出す。しかしその瞬間、部屋の方に向いていたハルの視界一面、天井や床、壁からベッド、そして今立っている窓枠でさえもが、倒れ臥すオリビアを除いて一瞬にして白銀の世界に姿を一変させた。




「あーあ。意外と早かったな?」




 バリバリバリバリィッ




 扉の奥の壁の氷を突き破り、水の柱が部屋の中へと押し寄せる。


 そしてその中心、真っ赤な宝石が嵌められたレイピアを強く握り、その瑠璃色の髪をなびかせ、翡翠の様な瞳で立ち去ろうとするシオンを睨みつけるのは、ハルが最も会いたくないと思っていた人物、同時に、最も会いたいとも思っていた人物であった。




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