15 少女と街

ごめん!やっぱり街ダメだった!」




 ハルがそう両手を合わせて言うと、リアは一瞬きょとんとした後に「ああ全然大丈夫だよ!」と笑ってハルを励ました。謝るハルがどこか寂しそうな顔をしているのを見て、その罪悪感や悲しみが混ざり合った気持ちを察したのだった。




「街、行ってみたいな。」




 リアと別れた夕方過ぎ、ハルはぼんやりとグラソン魔法学園の北西にある西の塔から、雨の中僅かに雨雲をオレンジ色に染めながら、遥か遠くの山々へと沈んでいく夕陽を眺め、一人ポツンと呟く。


 西の塔は石で造られ、高さ40メートルはある塔だった。外観は観光地になっていてもおかしくない程荘厳で立派な塔であったが、場所が奥まった所にある為殆ど人は寄り付かない。


 塔からは、学園を囲む重厚な壁のその先、オレンジ色の屋根をした家々や、遠くにそびえ立つ王宮までもが一望できる。今日の様な雨の日であっても、ぼんやりと遠くの方は霞んでいるものの、人々が生活を営む家々を無数に見渡す事は充分に出来た。




(もうしばらくお店とか行ってないな・・・)




 思えばハルは、この学園に来てから外出を許されたのは最後に両親に会わせてもらったっきりだった。卒業すればこの身は解放されるのか、それとも一生この学園、もしくはどこかに縛り付けられるのだろうか。想像もつかない自分の未来に、暗鬱とした灰色の曇り空を重ね合わせてしまい、思わず悲観的になる。




(だから雨は嫌い。)




「へっくしゅんっ!」




 塔の上の風は冷たい。それにもう少しすれば18:00になる。門限に遅れればオリビアにも迷惑をかけるし、セシリアからは何をされるか分からない。身を翻そうとしたその時、突然目の前、雨の降りしきる塔の縁に腰掛けた少女が現れた。




「えっ!?クロエ様!?」




 それは雨の中にも関わらず、その銀色の長いツインテールを一滴も濡らさずに微笑む少女、クロエ=ウェストコリンであった。




「なーんかハルちんの気配を感じたから来てみた☆」




 そう言って驚くハルをケラケラと子供のように笑いながら、クロエはハルの目の前で宙に浮いてみせる。




「浮いてる!?」


「こう見えて移動魔法は得意だからねー」




 クロエは宙に浮きながら、いちいち驚いたリアクションをするハルに「そんなに面白い反応ばっかりするからセシリアにいじめられるんだよ」と爆笑している。そしてひとしきり笑ったあと、クロエは宙に浮いたまま、そっとハルに近づいた。




「ハルちん、何か悩みでもあるのー?」




 普段は意味不明な発言や、完全に空気を無視したマイペースな行動でその場をただ引っ掻き回すクロエだが、突然の真剣な表情とハルの核心を突く様な質問は、まるでハルの事を本気で心配している様な、そんな風にも思える。




「え、いや、何でもないです!」




 ハルは咄嗟にそう答えるが、クロエは「ふーん」と言って不満そうに頬を膨らませると、ハルに向かって、突然その手を差し出した。




「手、出して?」


「・・・手?」




 クロエの意図している事が分からず、言われるがまま手を差し出したハル。するとクロエはその手を両手でそっと握る。


 そしてーーー




「ええええ!?」




 クロエの手を握るや否や、ハルの体は重力を失ったかの様にふわふわと浮き出し、クロエに引かれるまま塔から抜け出したのである。




「ク、クロエ様!?離してください!!!」


「んーいいけど離したらハル落ちて死ぬよ?」


「絶対離さないでぇぇぇ」




 あっという間にハルの体は塔を離れ、さらに西、壁を超えて街の方へと向かって行く。クロエの魔法のせいか、雨は変わらず降っているにも関わらず、ハルの体は雨に触れず、濡れる事は無かった。


 クロエと空を飛ぶのは、セシリアに抱えられてドラゴンへ向かって飛んだ時とはまた違う感覚だった。離せば死ぬと言われて、思わずクロエの手を握る手に力が入る。




「ハルちん、街行ってみたかったんでしょー」


「えっ」




 図星のハルに、クロエは「全部お見通しだよっ」と可愛くウインクをする。




(図星だけどもクロエ様の行動は全部裏がありそうで怖い・・・)




それに、頭に浮かぶのは昨夜のセシリアの言葉。




「でも・・・街は危険なのでセシリア様に怒られてしまいます。」


「ふーん街に行くとセシリア怒るんだ。確かにあの子独占欲強いもんね。」




(いや独占欲というか何というか・・・)




 ハルが複雑そうな顔をしていると、クロエは一点を指差して言った。




「あっ!ほらほらあそこ!もう少しで着くよー」




 そう言ってクロエがハルを連れて降り立ったのは大通り、という程ではないものの多くの店が立ち並び、商人や貴族や騎士、大人や子供が大勢賑やかに人が行き交う通りだった。




「す、すごい・・・」




 辺りを見渡すや否や、これまで見た事もない程の数の店や人々にハルが呆気にとられていると、クロエがハルの腕を引く。そしてすぐ側の、年季が入った青と黄色で彩られた店へとハルを連れて行った。


 店の中に入ると、そこは飲食店の様で8席程のカウンターと3つ程のソファ席が設けられており、その席の8割程が埋まっている。そして座って談笑しているのはどれも身なりが良い紳士や淑女だった。




「待ってここって飲食店と言うより・・・!」




 ハルが生まれ育ったセモール村には無かったが、この世には「バー」なる物が存在すると、ハルも物語などで読んだ事があった。そして同時に知っている、ここはお酒を飲む場所。グラソン王国では20歳未満の飲酒は禁止されており、ましてや制服を来た学生が来るべき場所ではないという事を。


 案の定、店に足を踏み入れた瞬間に客が一斉にハル達の方を振り返り「あれグラソンの生徒じゃない?」と口々に話し出すのが聞こえてくる。




「く、クロエ様、ダメですってここは!」




 しかしそんなハルの必死な制止は一切聞かず、クロエはずかずかとカウンターの方へ歩いて行くと、




「マスター久しぶりー!」




 と言って席に座る。


 マスターと呼ばれた50歳程と思われる女性は振り向くと、「あらあらクロエちゃん久しぶりね」と言って手際よくカウンターの上に飴とピンク色の飲み物を出した。




「何してるの?ハルちんも早く座りなよ。」




 ハルが状況を飲み込めず困惑していると、クロエがちょんちょんと隣の上品な光沢をした椅子を叩いて、ハルに座るよう促す。止むを得ずしぶしぶハルが席に着くと、マスターはハルの前にもクロエと同じ様に飴とピンク色の飲み物を出して来た。




「あっ私、まだ16歳なのでお酒は!」




 慌ててハルがそう言うと、マスターは「うふふ」と体を強張らせるハルに笑いかけ、




「制服の子にお酒なんて出したら他のお客さんに怒られちゃうわ。それはカール産の果実を使ったジュースよ。クロエちゃんの大好物なの。」




と言ってカウンターの上に桃に似たピンク色の果物を置いた。そう言われたハルは、恐る恐る出されたグラスへと口をつける。




「ジュース・・・本当だ!甘酸っぱくて美味しい!」




 隣のクロエもゴクゴクとジュースを飲んでいる。そんなクロエの姿をマスターは優しい目で見つめながら「クロエちゃんがお友達を連れて来るなんて嬉しいわ」と朗らかに微笑むのだった。


 マスターは、他のお客さんの接客をしながらも、ハルの知らないクロエの色々な事を教えてくれた。たまたま街をぶらついていたクロエが、夜中マスターが一人で店を閉めている時、マスターに襲いかかった強盗を倒してくれた事。実は1年生からグラソン魔法学園に通ってる訳ではなく途中から編入している事。親御さんと仲が悪いのか一度も帰省していない事。そのどれもがハルが初めて知るものであり、今まで知らなかったクロエの一面を知った事がハルは嬉しかった。




「あの子、ちょっとマイペースで自由すぎる子だけど、きっと根は優しいの。この店にしょっちゅう来るのだって、本人は言わないけど、きっと強盗とかからこの店を守ろうとしてるの。だからハルちゃん、クロエちゃんを宜しくね。」


「は、はい!」




(宜しくというか、実は学園No.2の化け物なんですけどね、あの人・・・)




 そう思いながら、他のお客さんにもマスコットの様に可愛がられ、ご満悦そうにしているクロエをハルは遠くから見守るのだった。








 ・


 ・


 ・


 ・


 ・








「ありがとうクロエちゃん、ハルちゃん。近くに来たら是非また寄ってね。」




 そう言われてハル達が店を出た頃にはすっかり日は暮れていた。




(あれ?なんかすごく大事な事忘れてる気がする?)




ふと店を出た途端頭によぎったセシリアの顔。




「クロエ様!!今何時ですか!?」




 初めて行く場所の空気やマスターの話に夢中になり、すっかりセシリアの設けた門限の存在を忘れていたハルは顔を真っ青にしてクロエに聞く。




「ええ?時間?」


「はい!私18:00には帰らないとセシリア様に殺されるんです!でも私達、あの店に2時間はいましたよね・・・」


「あー」




 自らの死期を悟り、必死な形相で聞くハルにクロエはつまらなそうに答える。




「いま17:55だって。」


「え!?」




 そう言ってクロエは街の中央にそびえ立つ時計台を指す。




「そんなはず・・・」




 ハルは時計を見ると、唖然とした。




「そんな、どうして・・・」


「私の空間魔法だよ。時間魔法って言ったりもするけど。あの店の中は私が入った瞬間から出るまで、周りの空間と時間の流れを12分の1にしたから、外では10分くらいしか経ってなかったんじゃない?他のお客さんも同じだよ。しばらく幻術もかけてるから気付かないだろうけど。」




(何それ!?そんなのチートじゃない!?この少女怖っ!!!)




 ハルは目の前で銀色のツインテールをつまらなそうに弄る規格外の少女を、畏怖の眼差しで見るのだった。




「でもそんな門限なんて面白いものがあるなら、せめて半分くらいにしておけば良かったなー」




 そう不満げに呟いたクロエだったが、ふと何か閃いたのか真っ赤な瞳を輝かせ、ニヤリと大きな目を細めてハルを見やる。




(やばい、なんか物凄く嫌な予感がする!!!)




「ねえハルちん。」


「な、何ですか・・・」




 クロエはまた体を宙に浮かせると、ハルの背後から顔をのぞき込ませる様にして顔を寄せる。目前に迫った西洋人形の様な少女の怪しげな真紅の瞳に、思わずハルは目を逸らした。




「門限って18時なんだよね?」


「はい・・・」


「街に行ったってセシリアにバレたら、ハルちん殺されちゃうね。」


「はい・・・」


「門限まで、あと5分しかないね。」


「・・・・・・」


「ここから学園まで、ハルちんの足だと頑張っても1時間はかかるね。」


「!!!!!!」




 クロエの考えている事の察しがつき、咄嗟にクロエの手を握ろうとするハルだったが、当然そんなハルにクロエを捕まえられるはずもなく、クロエは一瞬で姿を消すと、ハルの手が届かない程の高さに体を浮かす。


 そして上空からご満悦そうな満面の笑みで見下ろし、ハルに向けて言った。




「あと5分の間に、歩いて1時間の道を学園までたどり着けるといいね、ハルちん。」




 途端、クロエの魔法が解けたのか、ずっとハルの体を避けていた雨粒がハルの髪や肩を濡らして行く。


 引き止めようとハルが口を開いた時には、もうそこにクロエの姿は無かった。








 ・


 ・


 ・


 ・


 ・








「ほんっとにもう・・・!」




 止まない雨に晒されながら、ハルは大通りを真っ直ぐ、グラソン学園に向けて歩いていた。


 土砂降りというまではいかないものの、顔に当たる雨粒が痛い。街中で傘をささずに歩く人は殆どおらず、周囲の人はこの雨の中、びしょ濡れで歩くグラソン学園の制服を着た少女を、好奇の眼差しで遠巻きに見ていた。




(もうクロエ様の事は一生信じない!!!)




 そう心の中で叫ぶが、ハルができる事はこんな仕打ちをしたクロエの悪態を付くくらいで、目指す学園、ハル達が飛び立って来た西の塔はまだまだ遠く小さい。




(寒い・・・)




 ハルは傘を買うお金すら持っていない。それは自室に置いて来た訳ではなく、罪人として捕らえられてから、金品の類や連絡手段となりうるものは全て没収されていた為である。


 雨の中、ずっしりと重くなった体で震えながら歩き続けるハルに、傘を差し出す者はいない。それどころか、西の塔を目指して歩くにつれ道が狭くなっているせいか、「ウチに泊まっていきなよ」と下品そうな顔を浮かべる人や、すれ違い側にさり気なくハルの体に触れる様な人が増えていった。




(頭痛い・・・)




 ずっとしている寒気が外気のせいでない事に、薄々ハルは気づいていた。体には震えるほどの悪寒が走っているにも関わらず、頭は熱く割れる様に痛い。




「気持ち悪い・・・セシリア様・・・」




 道は更に狭く暗くなり、やがてスラム街の様な風景に変わっていく。道の脇の軒下で寝ている人物や、ずっと座って大声で独り言を喋り続ける人物など、すれ違うどの人物もまともそうでは無かった。それもその筈、グラソン魔法学園の正門前は列車が停まる駅も近く、綺麗に整備されているが、西門の周辺は治安が悪く、東門と比べても強固な警備が施される様な地域だった。


 ハルはぼうっとした頭で。周囲の不穏な空気を感じ取り足を早めようとするが、高熱にうなされた体では満足に動く事はできず、足元がフラつき、視界がぐにゃりと曲がる様にグラグラとする。咄嗟に壁を掴もうとするが、雨で濡れた木の壁は滑り、前のめりに体が倒れる。


 そして抗うこともできず地面の衝撃を覚悟するが、予想外にも倒れそうになった体は前から支えられ、一瞬遅れて自身が転ばずに済んだこと、誰かが助けてくれた事を理解した。ハルは「もしかしてセシリアが助けに来てくれたのか」と顔をあげるが、そう現実は甘くない。




「へへへ、こいつは可愛い顔してるじゃん。しかもこの制服っ!?・・・おーいお前達まえら!!!」




 そう言ってハルの腕を掴んだまま叫ぶのは、酒と腐った汗のような臭いにまみれた、薄汚れた身なりの男か女かも分からない浮浪者だった。


 叫び声に呼ばれたのか、軒下で雨除けをしながら寝ていた人や、ボロ布の様なものを纏った人が2人、3人とぞろぞろと集まってくる。




「女ぁ…女……」


「金出せよ…」




(さいあく・・・)




 明らかに迫る身の危険に、ハルは必死で抵抗する。




「離してっ!!!嫌っ!!!」




 しかしハルの腕を掴む力は強く、振りほどこうともがくがビクともしない。


 近付いてきた一人が背後からハルに抱きつく。その瞬間、鼻にむせ返るほどの異臭が肺に入り、思わず咳き込む。




(本当にこのままじゃ、私・・・)




 ハルはなけなしの力を振り絞り、ハルの腕を掴んでいた腕に思い切り噛み付いた。




「いってぇっ・・・この野郎!!!」




 腕を掴む力が弱まり、その声に驚いたのか背後からハルを抱きついていた手が緩んだ隙に、ハルは猛ダッシュで駆け出す。




「はぁ、はぁ、はぁ」




 一拍遅れて背後から追いかけてくる足音はどんどんと近付いてくる。




 ーーーあの時みたい。




 雨の中、わき目も振らずグラつく体を必死に支えながら前へ前へと足を踏み出す。


 学園の西門が目に入るが、ハルからの距離はまだ100m以上ある。




「おらぁ!!!」




 そして、伸ばしたハルの手はその門へは届かない。背後から物凄い力で肩を捕まれ、ハルの軽い体は宙を舞う様にひっくり返り、浮浪者が仰向けに倒れたハルの上にのしかかる。




「はぁ、はぁ、よくもやってくれたなぁ」




 仰向けにされた事で顔に雨粒が直撃し、視界が滲む。ボロボロの体に鞭打って全力で走ったハルの体は、もう限界を越えていた。悪寒でガタガタと震えていた体は、もう指一本動かす力も残っていない。グルグルと回る視界は碌に浮浪者の顔を捉える事もできず、自身の体をまさぐる手の感覚すら、頭に霧がかかった様にぼんやりとしていた。




(セシリア様の言うことを守らなかった、当然の報いだ・・・)




 朦朧とする意識の中でセシリアの顔を思い浮かべるが、セシリアは助けに来ない。目尻から流れたハルの涙は雨に溶け、地面へと消えていく。




「ハル様!!!!!」




 どこか遠くで自身の名前を呼ぶオリビアの声が響くが、浮浪者の手がハルのスカートを破り捨てたところで、ハルは意識を失った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る