12 少女と操られた心
突然のセシリアに次ぐ実力者、クロエ=ウェストコリンの登場に、鈍っていた頭が急速に回転する。
(クロエ様・・・!?)
通常であれば置かれた状況とクロエ程の実力者の登場、そして目隠しを外してくれた行動に喜ぶシーンだが、手放しでは喜べない所があった。なぜならこの少女、クロエ=ウェストコリンは四賢聖の中で最も考えが読めず、また子供の様な無邪気な残忍さを周囲に振りまく少女なのである。
「へぇ、これがセシリアのお気に入りの体かぁ」
そう言って、クロエはハルの頬を撫でる。ふんわりと香る、クラクラする様に甘いバニラの香り。
(助けて!ここから出して!)
「ん?助けて欲しいの?何で?」
(何でって・・・)
「だってこんなに気持ち良さそうにしてるじゃない。」
(やっぱりこの人は味方じゃなかった!!!)
クロエがハルの耳をそっと舐めると、ぞわぞわとした悪寒が背中を流れる。
「っ!!!」
「どうしようかな〜」
クロエは、遊びに行く場所をあれこれ考える様なニコニコとした表情で、膝の上に肘をついてああでもないこうでもないと考える。どう見てもその姿はこの状況を心から楽しんでおり、ハルをただ愉快なおもちゃとして値踏みしている姿であった。
「ふふん、よし決めた!」
(えっ?)
突然クロエはそう言うと、文字通り一瞬で姿を消した。
そして残されたのは相変わらず全裸で床に拘束され、横たわるハル。
(えええええ!?何もしてくれなかったとかある!?)
しかしすでにクロエの気配は完全に消えている。
そして近付く足音。帰ってきたのだ。完全に悪に染まったオーネットが。
「貴様、どうやって目隠しの魔法を外した?」
「・・・・・っ」
「まあいい。私は今、貴様から奪った魔力で今までになく力が満ち溢れている。次は趣向を変えて魔法でお前をいたぶってやろうか。」
オーネットがそう言うと、ハルを拘束していた魔法が外れる。ハルは必死に逃げようとするが、すぐにその両腕は植物の蔓の様に伸ばされた魔法によって絡み取られ、ぶら下げられる。オーネットはその状況に満足そうな笑みを浮かべると、ハルの声を封じていた魔法を一振りで解く。
「そろそろ静かになったか?」
「オーネット様・・・」
ハルは苦悶の表情を浮かべながらも、オーネットの仄暗く染まった瞳をまっすぐ見て言った。
「こんな事したら、ノア様が、悲しみます・・・もうやめて下さいっ・・・」
その言葉を聞いた途端、オーネットの瞳が憤怒の色一色に染まったのがハルには分かった。
オーネットは両腕を握りしめ、わなわなと震えながら言う。
「貴様ぁぁぁ、貴様に、何が分かる!!!!!!」
「わかりません。昔のオーネット様の事も、今のオーネット様に何が起きているのかも。でも貴方は、本当は誠実で、人を守る為に強くなった方だという事はわかります!」
「黙れぇぇぇぇ!!!!!」
オーネットが、ベッドの下から剣を抜き、大きく振りかぶる。その目は完全に狂気に染まっており、以前の面影は全く無く、別人の様に成り果てていた。そして分かる。今のオーネットは以前の様に脇腹を突き刺すのではなく、真っ直ぐハルの命を奪う為に、その刀剣を振り降ろさんとしている事を。
「・・・っ!」
目前に染まる銀色の刀身に、ギュッと目を瞑り、体に衝撃が走るのを身構えるハルだった。しかし、
「そこまでよ。オーネット=ロンド。」
オーネットの背後、開け放たれた扉からする冷たい声に、オーネットの動きが止まる。
「セシ、リア・・・なぜここにいる?」
驚きを隠せない表情で振り返るオーネットに、ゆっくりと歩くセシリアが無表情で答える。
「クロエが知らせに来た。ハルがオーネットに捕まっていると。いつものクロエの悪戯かとも思ったけど、19時になっても帰ってこない誰かを心配したオリビアにせがまれたから来たの。」
セシリアはそう言うと、後方に控えるオリビアへ「ノアを急いでここへ呼んで」とだけ言い、ゆっくりとレイピアを抜く。
「その様子だと、完全に魔法にかけられている様ね。あなたはオーネットではない。私の知るオーネットは、もっと強く気高く、美しい人間。」
「黙れ黙れ黙れ!!!!」
ドォォォォン
途端にオーネットの前から業火が放たれ、セシリア諸共建物の外へと押し出す。
「セシリア!!!うあっ」
咄嗟に叫ぶハルであったが、建物の外へと吹っ飛ばされたセシリアを追いかけるオーネットに、ハルも外へと乱暴に投げ出される。
建物の外では、雑木林の中、一部が焼け焦げ一瞬にして更地になっており、その中心になんとか氷の壁でオーネットの攻撃を防いだセシリアが立っていた。
「私には今、この咎人の魔力が流れている。いくらセシリアであっても、今の私には勝てない。」
「勝てない?確かにオーネットなら互角だったかもしれないけど、悪の手に落ちた貴方に負ける気はしないわ。」
「うるさいぃぃぃぃいい!!!」
オーネットがまた、無詠唱で広範囲に巨大な炎の壁を作り、セシリアをその煉獄の中へ飲み込まんとする。
そんな圧倒的物量の攻撃に、セシリアは耐久戦は分が悪いと判断し、巨大な炎の壁を飛び越えると上空からオーネットへとレイピアを構えて飛びかかる。
「グレース・ピア!!!」
セシリアの眼前に青い魔法陣が出現し、無数の氷の刃がオーネットへと降りかかるが、オーネットはその全てを剣一つで撃ち落とすと、セシリアを迎え撃つよう刀剣を構える。
キィィィィン
「無駄だセシリア。剣技では互角。その上奴の力を奪った私には勝てない。」
「それはどうかしら?」
途端にセシリアの足場の地面が盛り上がり、セシリアを一瞬で宙へと飛ばすと、
「ニア・グランソル!!!」
セシリアが手をかざした方向、オーネットの足元に青い魔法陣が浮かび上がり、たちまち周囲の地面を凍らせてゆく。
「チッ!!!」
セシリアの行動に気づき、急いで地面から足を離そうとするオーネットに、その隙をついてセシリアのレイピアがオーネットの頰のすぐ側を突き刺す。
「・・・ぐっ!」
「貴方がどんなにハルから魔力を貰ったところで、私には勝てないわ。私はセシリア=セントリンゼルトですもの。」
セシリアに切られたオーネットの頰から、わずかに血が流れ出す。
「貴方は誰?一体何をされたの?」
「うるさいうるさいうるさい!!!」
オーネットが半狂乱になってそう叫ぶと、突如全身から真っ黒な炎を発火させた。
「オーネット!?」
駆けつけたノアがそんなオーネットの姿を見て叫び、セシリアはその炎に危険を感じて咄嗟に距離を取る。
「うる…さい…守る、私が……強くなって、私が守るううううああああ!!!!!!」
漆黒の炎を更に燃え上がらせ、腕を振ったオーネットに、セシリアはオーネットを囲む様に何重もの氷の壁を作りだす。
「オリビア!ハルを回収して。それからノアはオーネットの術を解いて!」
「セシリアさん!恐らくオーネットに術をかけているのはあの刀剣です!あれを壊して貰えたら、そこから漏れ出た魔法を私が解呪します!」
「わかったわ。」
オーネットを包んでいた氷の壁はやがて真っ黒に染まっていき、すぐに砕け散った。その瞬間、セシリアが駆け出す。
「守る、守る、、」
全身に漆黒の炎を鎧の様に身に纏い、両目を灰色に染め真っ赤な鞘の刀剣を引きずるその姿は、まるで業火に身を焼かれる悪魔の様であった。
「オーネット!目を覚まして!」
セシリアが目に見えぬ速度でオーネットに斬りかかるが、直前で剣を振るって弾かれる。しかし弾かれた直後も、セシリアは宙に飛びあがると4撃、5撃と高速でレイピアを叩き込む。
「くっ、馬鹿力なのは変わらないのね!」
最後の渾身の一撃も弾かれ、セシリアは身を翻すとオーネットから数メートル離れたところへと距離を取る。
しかし、オーネットは反撃の手を休めない。地割れするほど地面を踏み込むと、真っ黒な炎をその刀剣に宿し、一直線にセシリアへと切り込む。
(あれを裁くのは厄介ね。)
セシリアが避ける様に宙にまた身を翻す。するとセシリアまで、距離3m程のところで思い切りオーネットが剣を振った。
「この距離では当たらな・・っ!?」
突然走る斬撃の衝撃に、咄嗟に展開した防御魔法がビリビリと音を立てる。
(この距離でこの威力・・・でも)
「隙がありすぎるわ。」
振り切ったオーネットの懐に一瞬で入り込むと、セシリアはオーネットの刀剣をレイピアで抑え、魔法を唱える。
「スタンッ」
セシリアのレイピアを握る腕から青白い炎の様な電撃が発生し、それらはレイピアを青白く光らせ、一瞬にしてオーネットが握る刀身へと伝わる。そして、
バギバギバギィッ
内部から粉々に砕ける様な音を響かせて、銀色に輝くオーネットの刀剣を激しく震わせると、異変を感じ離れようとしたオーネットがその剣を振り抜こうとしたのと合わせ、レイピアを重なったところからその剣を真っ二つに折った。そしてその焼け焦げた様な真っ暗な折れ口から、深い紫と緑が混ざり合った様な毒々しい煙が上がっていく。
「ノア!任せたわ!」
ノアはオーネットの持つ剣、そしてそこから逃げる様に上がっていく煙へ魔法を唱え、巨大な白い魔法陣を展開する。
「エンシェントレグリーシオ!!!」
すると真っ白な光は立ち上がった紫と緑の煙と刀剣、そしてオーネットへと絡みついてゆく。
「ああああああああ!!!」
オーネットが苦しむ様に叫び声をあげてのたうち回るが、真っ白な光は決してオーネットを離そうとはしない。
「守る、強く…強さ、強さ…あああああ!!!!!」
そして、うわ言のように呟くと、真っ白な光に絡みつかれたまま、オーネットは轟音を立てて地面を思い切り蹴った。そして真っ先に向かうはセシリアーーーではなく、オリビアにタオルケットで包まれ、意識を失って力なく抱かれるハルであった。
しかし、オーネットの最後と思われる決死の攻撃は、天から降り注ぐ巨大な落雷によって体を貫かれ、遮られる。それはノアが放った雷の魔法であった。
「ぐあああっ!!!」
落雷に弾かれ、仰向けでついに動かなくなるオーネットであったが、それでもまだうわ言の様に「強さ…強さ…」と呟き続ける。
そんなオーネットに、ノアは歩み寄り、その体をそっと抱き寄せた。
「オーネットさん…もうやめて、もう、強くならなくていいんです…もう、ローラになろうとしないで、オーネットさんはオーネットさんのままでいいんです。だから、もうやめて…」
ノアの藍色の瞳から、ポツリポツリと涙が溢れ、オーネットの頰を濡らしていく。
「……ノア…泣いているのか…私の、せいか……」
オーネットの仄暗く灰色がかっていた瞳が、徐々に焦げ茶色の瞳へと戻っていく。
「ローラ…そうか、私は人としての道を外れたのだな…やはり私は、弱いままだ……」
そう呟くと、オーネットはゆっくりと目を閉じた。
ノアの涙を隠す様に、ポツリポツリと雨が降り出す。
そんなグラソン学園の惨劇を、そっと林の中から見守る黒い影が一つあった。
「・・・・・・ハル=リースリング。早くあなたと交わりたいわ♡」
そう呟いた女は、脇腹の刺青をそっと撫でると、夜の闇の中へと一瞬で姿を消したのだった。
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